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第238話 原点

 言い知れない感情に揺れる自分を落ち着け、リズは『準備できました』と声をかけた。

 無駄に時間がかかってしまったという自覚が彼女にはあったが、それに魔王が触れることはない。彼は『では、動かすよ』とだけ答えた。


 そして、周囲の時が動き出す。感じ取るための肌がないのに、場に吹きすさぶ風をリズは知覚した。

 時が動き出しても、風以外に目立った変化は生じない。この場のいずれもが、一様に真剣な表情で黙りこくっている。伏せがちな目は、集った面々による二重の輪の中心に注がれている。

 ややあって、場の中心人物――最初のラヴェリアが顔を上げ、尋ねた。


「大老」


 呼びかけられたのは、彼と対面する位置に立つ魔族だ。背が高く、白い短髪。彼は英雄に「なんじゃ」と、彫りの深い顔を向けた。


「やはり、ヤツは殺しきれないか?」


「うむ。ヤったのはヤツの分身じゃ。本体を追うには魔界まで行かねばならんが……お前さん、まさかこの世を離れるわけにもいくまい」


 これにラヴェリアは、周囲を見渡した後、大きなため息をついた。その場にない心臓が騒ぎ出す感覚を覚えつつ、リズも一緒に視線を巡らせた。

 見渡す限りの草地には、惨禍の痕跡が刻み込まれている。

 しかし、記憶のどこにもないはずの、この光景にかすかな既視感がある。胸に引っかかる感覚に少し戸惑う彼女だが、続く言葉が思考を断ち切った。


「分身の方も、これで仕留めきれたわけではないだろ?」


「ほぼ無力化したと言っていい程度じゃ。封印したアレが、そうそう再活性するとも思えんが……」


「分身体の残骸を用いて、何かしらの動きがないとも限らん。警戒は怠らないことだ」


 大老の傍らに立つ、筋骨隆々の魔族が横から付け足した。

 これを受け、ラヴェリアの隣にいる背の高い騎士然とした女性が口を開く。


「分身はこの地に封印するとしよう。それでもなお、魔界から本体が、あのような大乱を仕掛けてくる可能性はある……と」


「否定はしきれん」


「じゃが、あり得る可能性としても、事を起こすまでに相当の時間はかかるじゃろう。次がいつかはわからんが……数百年といったところか」


「大雑把すぎて、目安にもなりませんねェ」


 フード付きのローブを着た青年が苦笑いで噛みつくが、目はあまり笑っていない。これに大老は鼻を鳴らした。


「いずれにせよ、お前さんらの代には何ら関わりないことじゃ」


「そうは言っても」


「その時その世代が必死になれば良かろうて。お前さんらを見習ってな。それとも、子々孫々を信じ切れぬか?」


 その時、一陣の風が吹きつけた。途切れた会話に場の緊迫感が増していく。

 そこで大老に割って入ったのは、この場でも少し若手に見える魔族だ。彼が「閣下」と口にすると、大老はうなずいて彼に先を促した。


「我々としては、子孫に君ら人類への協力をするよう、言い含める心づもりがある」


 この申し出に、人類代表のラヴェリアたちは顔を見合わせた。


「ありがたい話だが……いいのか?」


「今更、魔界に帰るわけにもいかないからな。もっとも、人の世における我々の立ち位置は承知している。この申し出をダシに、地位向上を図るつもりはないさ」


「そうしたら、余計に話がこじれるだろうからな」


 一際(ひときわ)たくましい魔族は、そう言って快活に笑った。


「というわけでな。いざとなれば手助けするように教え諭すつもりじゃが、その時が来るまでは表沙汰にはさせん。知ればどうせ混乱するだろうて。お主らとて、真相を公表するつもりなどあるまい?」


「そうだな……」


 ラヴェリアは重い口調で答え、振り向いた。輪の外にいるのは、彼よりもよほど位が高そうな装いの歴々。

 しかし、明らかに権力があるだろう彼らは、反論の声一つなく、英雄の言葉に首肯した。


「まさか、大魔王を実は消滅させていない……とは言えないからな」


「そう恥じ入ることもあるまい。まったく」


 その後、人と魔の輪の内から何人かが歩み出て、その地に魔力を刻み始めた。煌々と輝く文様が、地に飲み込まれて浸透し、やがて光を失って元の草地となる。


「封印の効き目は?」


「相手が相手じゃ。予想もできんが……兆しを感じたなら、間を置かずに再封印することじゃな。言われるまでも無かろうが、監視は怠らぬようにの」


「そうか……」


 少し不安げにする英雄に、大老は申し訳なく思ったようだ。「この程度のことしか言えず、済まんな」と()びた。


 そうして会話も儀式も終わり、封印の地を離れていく一行だが……ふと振り返って、ラヴェリアは言った。


「ここに私の墓を建てたいな」


「ハァ?」


 魔導士の青年が素っ頓狂な声を上げ、騎士の女性がたしなめるように口を開く。


「ラヴェリア、あなたまさか……死んでからもなお、自分の魔力で封印を維持しようというの?」


「私だけじゃ無理だろうけど、助けにはなるんじゃないかと思ってさ」


「そうまでして……」


 顔を曇らせる戦友たち。貴人たちも、それどころか魔族たちでさえ、彼の決意にはみるからに申し訳なさそうな顔になるが……

 そんな面々を見渡し、ラヴェリアは笑い飛ばした。


「ああ、申し訳ない。正直に言うと、これは単なる……何だ、その、嫌がらせだよ」


「あ~」


 付き合いの長いらしい青年が、得心したようにうなずく。

 一方で話を飲み込めないでいる他の面々に、ラヴェリアは続けた。


「あの野郎は、私が死んでからもずっと、人知れず尻に敷かれて足蹴にされ続けるんだ。フフフ……」


 これを聞いた魔族たちは、一瞬真顔で固まった後、顔を見合わせて笑い始めた。声を上げてひとしきり笑った後、大老が喜色満面でラヴェリアに話しかける。


「それでこそ、我々が手を貸した大英雄殿じゃて」



 二つの血脈が巡る過去の光景は、そこまでが鮮明さをどうにか保てていた。

 次第にノイズ強まる過去から玉座の間という現実へと帰還すると、リズはその場にへたり込んでいた。


「だ、大丈夫かな?」


 魔王が慌てて尋ねるも、リズは声を出すに出せないでいた。胸につっかえたものが、言葉を結ばせない。息荒く、額には汗(にじ)む彼女は、口を閉ざして首を横に振るのが精いっぱいであった。

 人前で弱さをあまり見せない彼女が、こうまで弱々しいのは滅多にない。ましてや、まだまだ付き合いの短い魔族二人にとっては想定外であろう。二人とも驚きに面食らった顔をしている。

 だが、すぐに驚きより心配の念が勝ったようだ。ルーリリラが駆け寄り、リズを支えてまずは立ち上がらせ、自身が介添えとなって椅子に座らせる。


 その後、互いに言葉を発することはなく、リズはただただ整わない息遣いを続けるばかり。

 それでもいくらかすると、彼女は自己の平静をある程度取り戻し始めた。戸惑いに取って代わって表れたのは、隠し切れない深刻さであったが。

 胸元を握り締めながら、彼女は哀切な表情で「私は……」と口にし、続けた。

 大聖廟――封印の地で見聞きしたものの事を。


 始祖から引いた血の力を絶やさないため、身内の血で血を洗う儀式が連綿と続いている。それこそが、継承競争の真実であると、彼女は伝えた。

 言いふらさないようにというレリエルとの約束はあったが……内に秘めたままでは、どうにかなってしまいそうだった。

 口にしたとて、どうにかなるとも思えないのだが。


 妹からこの件を聞いた時は、そこまでして……と、やや呆れる気持ちはあった。自国が、あるいは自分たちの血筋がただ強くあり続けるためだけに、このような儀式を続けるだなんて、と。


 しかし……リズの中で、線が(つな)がってしまった。


「まだ、あの大魔王は……」と青ざめた顔で尋ねる彼女に、魔王は少し間をおいてから答えた。


「本体は魔界にいるという話だ。話によれば、あの大魔王は本体よりも、こちらへ飛ばした分身の方が強くなるらしい。こちら側の世界の魔力が、分身に良く馴染むらしいというのが、祖父らの見解でね」


 それはつまり……封印したはずの分身も、決して油断ならない存在であるということだ。だからこそ、大聖廟を用いての封印が今も機能しているということだろう。

 加えてもう一つ。未だ無事な大魔王本体から見て、こちらの顕界は未だに侵略価値がある。


「それに、人類と魔族の戦乱が、こちら側で少なくとも1回は起きてしまっている。あの大魔王とは無関係の侵略も、決してあり得ないことではないんだ」


 その後、「いつになるかは誰にもわからないけど」と魔王は付け足したが、リズには慰めにならなかった。

 知ってしまった真相に、体の震えが止まらない。

 そんな彼女に、魔王は続けた。


「もしも、そういう事態が起きたら、私たちは君たち人類に協力するようにと言われている。先ほど、一緒に見聞きした通りにね。実際、私もそのつもりでいるよ」


「……ありがとう、ございます」


 どうにか言葉を絞り出したリズだが、心からの感謝とは言い難い。追い込まれている彼女を前に、魔族ニ人も痛ましそうな顔になり……


「リズ様。お悩みになっていることを、お聞かせ願えませんか?」


 ルーリリラが申し出るも、リズは応えることができないでいる。彼女は口をつぐみ、顔を伏せた。

 しばらく、いたたまれない雰囲気の沈黙が続いた。魔族二人の気遣わしい顔に、憂いの色が濃くなっていく。

 やがて、リズはポツポツと、(こぼ)すように話し始めた。


「私の先祖が……死してなお、その身を呈して封印に貢献しているのだと思うと……それに、私の一族が強くあり続けるための理由が、いつか来る戦乱のためだと思うと……」


 そこで言葉が続かなくなったリズは、うなだれて口を閉ざし……ややあって、悲壮な顔を上げた。


「私の死は、必要なことのように思えてしまって……」


 しかし、「思える」などという表現も、結局は捨てきれない自己愛がそうさせているのかもしれない。すでになくなった同族を想い、彼らを前にした自分の卑小さを思うリズだが……

 決然とした表情の魔王が、彼女に尋ねた。


「君の国の代替わりは、決して全てが血みどろだったわけじゃない。平和裏に終わった時もあっただろう?」


「……はい」


「きっと、血と封印を繋ぎ続ける上で、求められる頻度だとか密度だとか色々とあると思う。平穏よりも闘争が必要な血族なのかもしれない。それでも……真相がどうあれ、君だけが負うべき責とは思えない。そもそも、ここまでの真実は、君の親族だって知らなかったように思う」


 問われてリズは、レリエルとのやり取りを思い返した。

 大魔王とその封印について、大聖廟との関わりに言及されることはなかった。彼女が知っていて伏せたという可能性はある。

 しかし、他の兄弟が知らないというのは、まず間違いないことだろう。これほどの大義を知っていたなら、むしろ迷いなく殺しに来ていてもおかしくはない。


「追う側が知りもしないことで、君が責任を感じることはないと思う。むしろ、見せてしまった私に責任があるようにも思うし……」


「い、いえ、そんなことは! 私が何者なのかは、ずっと知りたかったことですから」


 顔を上げ、はっきりとリズは言い切った。

 数年前、父から手渡された、決して表に出ることのない書物から血塗られた王家の歴史を知り――自分の運命を悟り、彼女は自分のルーツを追い求めていた。

 せめて、殺されてしまう前に。

 偽らざる本心を口にした彼女だが、魔王の顔には哀しげである。彼はリズに尋ねた。


「自分が何者なのか、ずっと知りたかった、と」


「はい」


「何のために生まれて、何のために死ぬのか、それを知りたかった?」


「……はい」


「……では、君が生きていく理由は?」


 リズは返答に窮し、ただ視線を伏せた。

 どのように在りたいか、思い描く理想はある。だが、それは生きる理由というほどのものではない。

 ややあって、うつむき口を閉ざす彼女に、魔王は言った。


「すまないね。君の気持ちも立場も考えず、立ち入ったことを聞いてしまって……」


「いえ……お気遣いを感じます」


「そうか……蒸し返すようで申し訳ないけど、君の代での競争が成立しなかったとしても、それで即座に大問題となるようには思えない」


「そうは思いますが……」


「……結局、君がどういう決断を下すか、私には何も言えない。だけど、一つだけいいかな」


 うつむきそうになる顔を上げ、リズは正面からまっすぐ魔王を見据え、うなずいた。


「……私のダンジョンをさぁ、あんな無法で押し通っておいて、今更しおらしく殺されようだなんて……いささかどうかと思われるね」


 唖然としてしまい、リズは反論ができない。この言にはルーリリラも驚いたようだ。

 ただ、非難がましい言葉選びではあるが、魔王の顔はただただ穏やかで優しい。彼は続けた。


「生きるにしても、殺されるにしても……せめて最期の時まで、君らしくあってほしいと思う」


 この「君らしく」という言葉が、リズの胸の内で少しずつ膨らんでいく。

 思えば、自分を取り巻く血脈と使命に、自分自身が追い出されてしまっていた。仮に、それだけの大きなものを背負う血族だとしても――

 今まで生きてきた自分を、ここまで(ないがし)ろにしてしまうというのは、少しどうかしていたようだ。


「ありがとうございます。自分を見失うところでした」


「大して助けになったとも思えないけど……少しでも支えになれたら嬉しいよ」


「控えめなお方ですね。いつも色々と支えてくださいますのに」


 これまでよりは滑らかに動く自分の口と舌を感じ、リズは表情を綻ばせた。相対する二人も、釣られて表情を少し緩ませる。


 これで完全に気分が晴れたというわけではない。重すぎる決断は、まだ下せていない。

 しかし、決断を下すための手には、血が通い始めた。

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