第233話 お礼参りの旅in大聖廟③
リズは、母の罪科と自身の出生について、聞いた話をかなり疑わしく考えている。
まず不自然なのが、子ども――すなわちリズ――が生まれた後に、処罰されたことである。
そもそも、王に釣り合わない娼婦が交わったことが罪ならば、交わる前にそれを妨げなければならない。
仮に監視の目を盗んで逢瀬を重ねたとしても、色々と不自然な部分はある。
本当に内密に交わったのなら、せいぜい1回が関の山。回を重ねるほどに露見する可能性は高まっていくはず。
しかし、たかだか数回交わっただけで懐妊したというのは、少しばかり偶然が過ぎるように思われる。
それに――孕んだ子が本当に王の子であるかどうか、当の本人でさえ確信が持てるだろうか?
もっと言えば、娼婦が王の子を身籠ったなどと口にしたとして、それが真実だとして重臣たちが受け入れるものだろうか?
リズの母が身分を理由に処刑されるという前提の上に立てば、産んでから彼女が名乗りを上げるのは異常だろう。王に近づけるほどの高級娼婦が、王室事情を理解していないとは考えにくい。
仮に名乗り出たとしても、真相はどうあれ何かしらの罪状を課され、母子ともども秘密裏に抹殺されるのが当然ではないか。
よって、秘密裏に二人が交わったとする説は、まずありえないのではないかと思われる。
では、王と母の関係を、何者かが把握していたと考えると……これもかなり不自然な仮定である。
そもそも、周囲の人間まで関知していたとすれば、正式な寵姫として後宮に迎え入れるのが筋であろう。その方が後々の面倒が少ない。出自の問題など、王に見初められた事実に比べれば何の事があろうか。
実際、低い身分から後宮に召し上げられた寵姫・王配は、記録にはいくらでも存在する。
しかしながら、現実はそのようになっていない。周囲に関知している者がいたとしても、彼らは特に行動を起こしていなかったように思われるのだ。
それでいて、本当に懐妊してしまったリズの母に子を産ませ、その後で「王を誑かした」との理由で彼女を処刑している。
これはあまりにも不手際が過ぎる。そもそも、事を把握していながら後で殺すくらいなら、産ませる前に殺すべき――
というのが、実際に生まれてしまった当人の指摘である。
「交わった事実が確認できた時点で、手を下すべきではあったでしょうね。お腹が膨らんできた時点で、その子が王の子“かもしれない”と考えたなら、いくら国権でも手出しは難しくなる」
血も涙もない言葉を淡々と口にするリズを前に、これまで冷静さを保っていたレリエルはたじろいだ。
そこで初めて、話が悪趣味だったかもと思い直し、「ごめんね」と苦笑して詫びた。
「……それで、結局は私が生まれ、母は処刑された。王室には許されざる存在ということで、私の扱いは生まれてから長い間曖昧で……最終的に、今みたいなことになった。そこまではいい?」
「……はい」
「なんだか、生まれちゃった子の扱いに困っていたところ、継承競争の標的にすることを思いついた、みたいな流れだけど……」
そこで言葉を区切ったリズは、顔に陰差す妹の様子をうかがった後、続けた。
「本当は、因果が逆なんじゃないかって思う。最初からそのつもりで、母に私を産ませたんじゃないかって」
無論、この推定にも不自然なところはある。
まず、継承競争における最適な標的を産ませるため、娼婦に身籠らせるという考え。いかに身分差があろうと、相手は臣民であり、道義的な問題は避けられない。
それに、相手にも何かしら人との繋がりはあろう。王室の都合という名分があろうと、秘密を完全に隠し通せるものか。
だが……王と交わった罪で裁かれたのではなく、最初から罪人だったとするなら?
これもこれで馬鹿げた話ではある。リズ自身もそう認めた。
しかし、止められないままに王と娼婦の子が生まれ、母を殺し、子はちょうどよいからと競争の的に――
そのような行き当たりばったりの王室よりかは、ずっと自然だと彼女は指摘した。
「ラヴェリアに楯突いた、何かしらの罪人に産ませたとするなら、筋は通る気はしてね。国内に知り合いが少ない罪人の方が望ましいでしょうから……たぶん、国外の者。高級娼婦っていうのは、実際にその罪人が表の顔としていたところから来た言葉。国の高官や重臣に近づこうとした、他国の手先ってところじゃないかしら」
推理に唖然としていたレリエルだが、ややあって平静を取り戻した彼女は、神妙な表情で答えた。
「私も全てを知るわけではありません。ですが……ご母堂が元から罪人だったとは伺っています。本件に関し、背景となる組織と何らかの取引があった、とも」
「そう」
短く答えたリズは、その後天井を仰いで「スッキリしたわ」とつぶやいた。
この一言を心底意外そうに捉え、真顔で固まるレリエル。視線を下ろしてそれに気づいたリズは、苦笑を浮かべた。
「別に、母のことでどうこうしようってつもりはないのよ。顔も知らない他人でしかないもの。でも、自分自身のことは、ずっと知りたかった。どうして生まれたのか、どうやって生まれたのか……」
そして彼女は、それぞれの運命を全うして果てていった先達に視線を巡らせた。
「ずっと、知りたかったのよ」
それきり、会話が途切れて静まり返った。
リズにとって意外だったのは、もしかすると自分以上に、レリエルの方が感じ入っているように見えることだ。メイド時代、同僚から聞いた限りでは、温厚だが真面目な堅物という認識だったのだが。
それが実際には、こうまで顔に情が現れるとは。
ある意味、継承競争に一番関わり深い立場の彼女が、自分に対して罪悪感を抱いているようにすら感じられる。
これを良い機会と思ったリズは、「あなたから見て、この継承競争ってどうなの?」と尋ねた。
すると、レリエルは伏し目がちだった顔を上げ、まっすぐ見据えてきた。
「『悪法もまた法なり』と申します」
端的な解答に、リズは思わず笑ってしまった。立場と心情の多くが、短い言葉に詰め込まれているようで。
しかし、少し意地悪の虫が疼き、彼女は指摘を入れた。
「明文化された法ってわけでもないでしょう?」
「だとしても、王室を拘束するほどの慣習です」
「やめられないの?」
リズが核心に触れると、レリエルは口を閉ざして考え込み、思い悩む様子を見せながらも言った。
「私は、法を定め、また改める者は、法が取り扱う事項の部外者であるべきと考えています。当事者が自分の良いように法を動かそうものなら、それは単なる権力の濫用でしかありませんから」
「なるほど。となると、いくら悪法といえど、それに競わされる立場では、如何ともし難いというわけね」
「残念ながら……」
法務に携わる立場上、譲れないものはあるのだろう。
それでいて、妹の顔には悔しさがかすかに滲んでいる。
「……あなた一個人の心情としては、あまり気が進まないのかしら?」
ほぼ答えがわかっている感触を持ちつつ、リズは尋ねた。
それから少し長い間を開け……レリエルは「はい」と答えた。
「そう……ありがとね。まぁ、そちらの兄弟の事を想ったのかもだけど」
「はい」
こちらを慮っているかと思えば、中々遠慮のない解答。思わず顔を引きつらせるリズだが、そんな彼女を見て、レリエルは表情を綻ばせた。
しかし、先程の解答が冗談だったと思う間もなく、レリエルの顔が次第に曇っていく。
「お気を悪くなさらないでいただければと思うのですが」
「何か?」
「お姉様を標的としたのは、ある意味では正解だったと考えます。お姉様が追う側では、競争にもならなかったかもしれません」
ずいぶんと高く買ってくれたものである。これは世辞でも媚でもなく、本心だろう。「光栄だわ」と、リズは笑顔で返した。
言いたいこと、聞きたいことは、思っていたよりも順調に消化できた。
残るは一つ、今後のことである。
「あなたたちの動き次第ではあるけど……騒ぎを広めようという考えはないわ。できる限り、私はあの島に留まって、あなたたちを迎え撃つ。そのつもりで」
「……そのように伝えます」
「ところで……次の動きまで、あなたの裁量でどれだけ引き伸ばせる?」
問いを投げかけるも、レリエルは口を閉ざした。そこでリズは、事情を語っていく。
「先にダンジョンに挑んでいた方々に、言うまでもないけどご迷惑をかけてしまってね。その補填に、いくらかまとまった時間が必要なのよ」
「……そういうことであれば、1ヶ月ほどで十分でしょうか?」
「ありがと。あなたの手腕に期待するわ……でも、そちらの立場が不味くなるようなことはない?」
自分から頼んでおいて、心配するのも……という感じではある。
そんなリズに、レリエルは「大丈夫です」と応じた。
「国内で身内争いするよりは……と、国外に火種を輸出しているのは我々ですから。お姉様ご自身の手で迷惑の埋め合わせしていただく以上、それを認めないのは不義理かと」
「そう。でも、無理はしないでね」
微笑みを向け、リズは言葉を返した。
それから……彼女は少し考え込んだ後、正直にもう一つの要求を述べることにした。
「あなたから先に帰ってくれない?」
「……それは」
「もう少し、ここに一人で居たくて。あなたの気配がなくなったら、私もそのうち出るから」
立場上、ここに駆けつけておいて、リズを最後に残すのは難しいのだろう。レリエルはかなり迷う様子を見せた。
「何もしないから、大丈夫よ。それに……」
「何でしょう?」
「私ね、生まれた時から色々と、譲歩しまくってるのよ」
自身の運命を笠に着た、この恩着せがましくもある物言いに、レリエルは抗弁もままならず表情を暗くした。
「わかりました、従いましょう」
そう言ってレリエルはこの場を離れ、出入りのための魔法陣へと歩いていく。
しかし、途中で立ち止まった彼女は、振り向いて少し大きな声で話し始めた。
「お姉様は、私が三番目に尊敬する方です」
「へ、へぇ~……一番と二番は?」
「ルキウスお兄様と、アスタレーナお姉様です」
つまり……弟妹はともかくとして、彼女の中でリズは、第二王子にも父王にも勝ったというわけだ。
ついでに言えば、レリエルの実母や親戚方、さらには政務で関わる諸々の臣下たちよりも。
この妹から見ても、あの父はやはりアレなのか――と、褒められながらも微妙な思いを胸にするリズだが、「ありがとう」とだけは笑顔で返した。
その後、何か言いたそうなレリエルだったが、彼女は前に向き直って少し足早に去っていった。
後は交わす言葉もなく、魔法陣に乗って上へと上がっていく。
やがて、一人になったことを確かめたリズだが……
(一人ってわけでもないか……)
彼女は周囲の棺を見回した。
いずれ、この中に仲間入りする運命かもしれない。
もちろん、そのような運命を、なされるがままに享受するつもりなどないが……
それでも、相手を殺してしまうよりはマシだろう。
兄弟を殺めてしまった後の、国と世のその後を思うと、何一つ明るいビジョンが思い浮かばない。
もちろん、殺されるのも殺すのも避けたいが、それを許すような状況だろうか?
リズは大きなため息をついた。暗い思いが胸を満たす。
しかし、苦しい思いをしたのは、何も自分だけではない。この場に眠る先達も、それぞれの敵や運命と戦ってきた。
そして、自分が背にしている大英雄は――幾度となく読み返した英雄譚の主役は、この世の大敵と戦い、それを討滅した。
その偉大な血を、遠大な時の流れの末に、確かに受け継いでいるのだ。
リズはじっと手のひらを見つめ、力強く握った。




