第231話 お礼参りの旅in大聖廟①
目当ての丘陵の周りを、リズは明かりを灯して巡っていく。
丘陵を囲う木々はそこまでの密度ではなく、視界は十分に通る。人の気配は感じられなかったとはいえ、油断は禁物だ。明かりを手で覆い、できる限り光を漏らさないように、彼女は歩を早めた。
見た目は小高い丘だが、その正体は建国の始祖が眠るという陵墓、ラヴェリア大聖廟だ。この山体のどこかに、内部へと通じる道があるはず――
周囲の探索を始め、程なくしてリズは、それらしい気配を感じ取った。丘陵の中腹部に、微妙な魔力の揺らぎがある。
さっそく登って確かめに向かうと、魔力が表面をかすかに覆う反応がある。大きさは大柄な人物が並んで通れそうな程度。
これが入口と考えたリズは、軽く《風撃》を吹き付けた。風に煽られた雪が舞い散り、その奥に隠された山肌があらわになっていく。
雪の下にあった山肌は、かなり丈が短い草で覆われていた。
しかし、奇妙なことに、それまで風を吹き付けられていたにも関わらず、草はかすかな動きさえしないでいる。加えて、その下に魔力の反応。ということは――
(幻影系の魔法ね)
見せてくる幻は精緻なものだが、草が揺れたりという現象までは再現しきれないようだ。
試しにリズは、腰に携えた既製品の剣を鞘ごと手にした。草が覆う山体を突いてみると――カツンと、小気味良く乾いた音が響く。
蓋が存在すると考えた彼女は、もう少し周辺の雪を吹き飛ばすことにした。
風で白雪の覆いを取り除き、数秒後。周囲の草と見比べると、やや不自然な緑の四角が浮き上がる。
自然と不自然の境界を見抜き、リズは抜いた剣をスッと差し込んだ。手で直接触れることはせず、テコの原理で、人為の山肌を持ち上げていく。
やがて、奥に通じる道が現れた。漆黒の闇から流れ出る空気は、外気とさほど変わらない冷たさだが、無意識に体を震わせてくる何かがある。
この奥に入り込めば、どうなるかはわからない。最悪の事態もあり得る。つい先程、父王に会ったときよりもずっと神妙な気分になった彼女は、その場で何回か深呼吸をした。
気分を落ち着けた彼女は、剣をつっかえ棒にして、大聖廟内部に入り込んだ。
明かりを遠慮がちに灯す必要はないと考え、彼女はもう少し光を強くした。奥へと続く道が照らし出され、視界には緩やかな傾斜の階段が現れる。
奥へと進む前に、彼女は《念動》で剣を引き抜いた。剣が手元に戻り、支えを失った蓋が、パタンと音を立てて閉まる。吹き飛ばした雪も、そのうち補充が来て元の様相となるだろう。
剣を鞘にしまい、彼女は奥へと歩き出した。
顔を前に向けて感じたのは、外見とはまるで違う魔力の気配である。外からは感知できなかったが、内部は魔力の反応で満ち満ちている。
すぐそばに何か仕掛けの気配があるというわけではないのだが、この大聖廟内に魔法系の罠がいくつもあることは間違いない。
そして、外から妙に思われないようにと、内外で魔力の気配を遮断しているのだろう。
(それにしても、これだけの反応を覆い隠すなんてね……)
この大聖廟が触れ込み通りの存在ならば、完成してから優に600年は超えるはず。完成後、いくらか手を加えて改装したのかもしれないが……
いずれにしても、長きにわたって大英雄の眠りを守り続けただけのことはある。大聖廟内部に秘めた甚大な魔力と、それを覆い隠す技術に思考を巡らせ、リズは気が引き締まる思いであった。
そんな彼女の前に、最初の関門が現れた。石造りの通路に立ち塞がる、白く光沢のある大扉。その表面には魔法陣が刻まれている。
複雑怪奇な文様と文章が刻まれるそれを、彼女は読み取った。正しい手順で解除しなければ、彼女も知らない系統の、何らかの呪いがかかるらしい。
(まぁ……遠からず呪殺されるでしょうけど)
目を凝らして周囲の魔力を透視すると、扉を中心として魔力の経路が見え隠れする。この関門の一点に、周囲から力が注ぎ込まれるように。
その魔力の出処が何なのか、あるいは“誰か”なのか。
――自分も、その一員になるのか。
暗い思いが頭をよぎるも、彼女は両の頬を軽く叩いた。
罠の解除に関しては、魔族二人の協力を得て、幾度も練習を重ねてきている。この大聖廟に入り込むための備えだ。
絶対の自信こそないが、過度に怖気づく理由もない。
自身の闘志を再確認した彼女は、深く息を吐いてから解除に取り掛かった。
魔力の流れを見るに、この罠は外部との接続もあるらしい。不用意に解除すれば、外の者が知るところとなるのだろう。
そして、扉の前で果てている果敢な愚か者を回収する……というわけだ。
罠を解除しつつ、うまくできた仕掛けだとリズは思った。
同時に、意外なほど落ち着いている自分を、彼女は意識した。
生きては帰れないかもしれない。そんな認識はすでにある。
転移によるお礼参りの旅に出る前に、仲間や協力者には、すでにこの件を伝えてある。納得もしてもらっている。
しかし、実際にここで無為に果てれば……自分を追う競争は止まることだろうが、競争が新たな局面に入る可能性は高い。それはそれで国際社会の潜在的脅威となろう。
それに、残す者のことを思えば、こんなところで死ぬのは無責任もいいところである。
だとしても、知らねばならないことだった。
死のリスクを完全に受け入れている自分自身を、リズはかなり身勝手に思った。
だからこそ、生きて帰らなければ。信じてくれている者のためにも、生きて帰り、知り得たことを包み隠さず打ち明ける。
それから、後でたくさん感謝しよう。
怖気が走る凶悪な障害に直面しても、彼女の心を震わせたのは、罠そのものではなく、これまで支えてくれた者への思いであった。
そのおかげか、恐怖に呑まれることなく、彼女は罠の解除を果たしていった。扉に刻まれた魔法陣が、外側の一層から順番に取り除かれ、解かれた魔力が宙に消えていく。
そしてついに、彼女は完全な解除に成功した。真冬の寒気の中、上気した体からかすかに湯気が立ち上る。
しかし、あまり長居していられるわけではない。彼女は、解かれた魔力が再び集まり始める兆しを認めた。放っておけば、同じ罠が再生することだろう。開けっ放しにするのも、何が起きるかわかったものではない。
息つく暇も与えない罠に苦笑いし、彼女は額を袖で拭って扉を開けた。先を確認するより早く、扉を閉めて一息。
次に続く通路は、階段部分と同じような幅だ。通路の表面は、一枚岩のように継ぎ目がなく、そして滑らか。金属とも陶器とも判別できないダークグレーの壁のそこかしこを、緑の輝線が走る。
とはいえ、先ゆくこの緑の光は、決して歓迎の意を示すものではないだろう。
実際、先へと歩いてみたリズの前に、またしても魔法陣の罠が施された扉が立ちふさがった。通路を走る緑の光は、さしずめ伝令か緊急招集といったところか。
先よりもさらに複雑になった魔法陣は、やはり呪法によるカウンターを仕掛けるものだ。陵墓を毀損することなく、侵入者だけを始末したいのだろう。
新たな敵を前に、リズは不敵な笑みを浮かべて腕をまくった。
それからも彼女は、一手誤れば即死するような罠を、細心の注意を払って解いていった。
一応、この陵墓は出入りがあることを前提とした作りになっているらしい。正式な手続きや祭礼の器具があれば容易に解除できる、一種の錠のような構造が一連の魔法陣の中にあることを、彼女は認識していた。
しかし、大聖廟の仕掛けに対して正当性を装うための努力も、結局は罠の正面解除とさほど変わらない労力だろう。
それに……自力でここまでの侵入を果たしたことに対する、達成感や満足感も少なからずあった。
即死罠の連続に辟易する思いのリズだが、彼女は微妙な笑みを浮かべてしゃがみ、壁に身を預けた。
通路と階段を進み続け、今は円形の広間の中にいる。円形というより、輪状というべきか。穴の中央には青白く光る魔法陣が浮いており、縦穴は奥深くまで続いているように思われる。
この下が最深部だと、彼女は直感していた。
そこで、逸る気持ちを落ち着け、小休止をとっているところだ。やがて、気持ちが少し落ち着き――
全てと向き合う覚悟が整った。
穴の中央にある魔法陣は、移動用に供するものである。上に立てば床代わりとなり、所定の位置まで搭乗者を乗せていく。
こうした魔法陣は、珍しくはあるが、現代の人間社会でもまま用いられる。魔法に熟達していない大人物の足労を避けるため、高層建造物に用いるのだ。
そんな既知の魔法陣ではあるが、それでも警戒しつつ彼女が足を乗せると、魔法陣は期待どおりの動きを示した。彼女を載せ、下へと緩やかに降りていく。
縦穴は直径2mほど。そう大きな物ではないが、縦にやたらと長い。これまでの通路や階段同様、滑らかな表面を魔力の輝線が走っている。
そして、ゆるゆると数十mほど下ったところで、一気に視界が開けた。
縦穴の先に繋がっているのは、ドーム状の空間。表面を走る輝線の数々は、これまでよりも輝度と密度が高い。
それはまさに、ここが中枢であることを物語っているようだ。
リズを載せた魔法陣は、ドームの端に音もなく着地した。
周囲を見渡した後、彼女は実体のある床に足を踏み入れた。静寂の中、乾いた音が響き渡る。
ドームの床には、青白い光を放つ直方体の物体が、放射状に並んでいる。
また、昇降用魔法陣の着地先からドーム中央部までは、道が広く取られている。
ドーム中央部には、床に並ぶのと同様の直方体が、宙に浮かんで断続的に並ぶ。途切れ途切れのその構造は、青白く輝く二重の螺旋階段だ。
息を呑んだリズは、中央通路の脇へ進み、最寄りの直方体に目を向けた。直方体の天辺は透明になっており――
中には人が眠っていた。
棺には白い霞が封入されている。いつ亡くなった人物であるかは不明だが、朽ちることなくここにいるのだろう。
ここに一歩踏み入れたときから、もっと言えば、この大聖廟を目指したときから知れたことではあった。
それでも、彼女は息が荒くなるのを抑えられなくなった。胸元に当てた手で早鐘を打つ心臓を握りしめ、その場で膝をつく。
やがて、最低限の気力を取り戻した彼女は、立ち上がって中央部へと進んだ。棺で構成される二重螺旋、その始端にある棺へ。
この場に列せられる亡骸も、中央のそれには恐縮を隠せないようだ。中央の棺とそれ以外は、だいぶ間が隔てられている。
中央は段差があり、たかだか三段ほど歩くのにも気力を削り取られるような思いをしつつ、彼女はついに中央の棺と対面を果たした。
やはり、その天辺は透明であり、中にいる人物を見ることができた。やや童顔気味の壮年男性が、そこに横たわっている。
その場に立ち続けることもままならず、リズはその場に膝をついた。下がった視界の中に、棺へ添えられた刻印が入り込む。
救世の大英雄、建国の祖、最初のラヴェリアのその人である。
リズの胸に、言い知れない感情の波が押し寄せた。止めようのない涙が、彼女の頬を濡らしていく……




