第228話 お礼参りの旅in大図書館②
先への道を閉ざす錠を前に、リズはまず、取り出した道具の中から小瓶を手に取った。
片手ですっぽり収まってしまうほどの瓶には、《霊光》のかすかな明かりを受けてきらめく微粒子が封入されている。
慎重に封を開けた彼女は、錠前に手を伸ばし、穴に微粒子を少量注ぎ込んでいった。
これは魔力透視に反応する素材であり、錠内部に粒子が行き渡って付着すれば、構造が透けて見えるというものだ。足を残さないため、失活しやすい性質をもっており、仕事のたびに調合することになる。
もちろん、使用は非合法であり、超法規的活動で非公式に使われるようなブツである。
内部構造を丸裸にした上で、これまた魔力に反応する素材でできた、各種の金具を錠に差し込んでいく。おおむね細長く、先端部だけが直角に折れ曲がっている。
指先の感覚だけで行うピッキングも一応は教わったものの、悪友たちに言わせれば、こちらの方が圧倒的に早いとのこと。
実際、訓練済みとはいえ実践は初めてのリズも、ものの数分で錠を開けることに成功した。
開けた扉はやはり重たいが、動きはスムーズで音はない。このあたりはまだ良く使うエリアであり、手入れは行き届いているのだろう。図書館内という場所柄、音には気を配っているものと思われる。
そうして入り込んだのは、書庫である。表に出ている書架と比べると、希少な本が並んでいる。つい最近まで人の出入りがあったことは間違いなく、閉鎖空間ながら空気に淀んだ感じはない。
それでも、ここまでの一般書架とは明らかに異なる雰囲気に、彼女は固唾を呑んだ。本命ではないとはいえ、本来ならば立ち入ることすら許されない場所には違いない。
月明かりも、ここまでは差し込まない。自分で灯す慎ましい明かりを携えて、彼女は静かに蔵書の林を歩いていく。
縦にも大きな威容を誇る大図書館だが、書庫は地下へと続いている。やはり階段部分も明かりはなく、自身の明かりを頼りに、リズは階段を下りていった。カツン、カツン……と、物寂しい音が暗闇にこだまする。
地下へと延びる書庫エリアは、階層ごとで扉のような区切りはない。阻むものがない書庫の中、彼女はほんのわずかにではあるが、歩みが早まっていく自分を感じた。
書庫最深層のさらに奥には、また扉があった。先に開けたものよりは古ぼけている。歴史があるといえば聞こえは良いが、立派な大図書館には似つかわしくはない。
だが、この奥にあるものを察し、リズは胸の高鳴りを感じた。
幸いにして、鍵は上と同じ物理錠。ここにも魔法系の仕掛けは施されていない。
しかし、ピッキングに取りかかるや、彼女は指先にかすかな震えがあるのを認めた。新鮮とは言い難い、書物の群れが醸し出す独特の空気の中、彼女は何度か深呼吸をした。
単なる緊張と興奮だけではない。ある種の畏怖とでも言える感情が、指先を震わせている。
それでも気分を落ち着け、彼女は問題なく鍵を開けた。
今度の扉は滅多に開くことがないのか、少し動かすだけで、軸の方から苦しげな音が鳴る。
誰もいないとわかっていても、こうして出る音には心騒がされる。
結局、扉を最後まで開けきることはなく、彼女は開けきらない扉の隙間から奥へと身を滑り込ませた。
地下書庫の奥からさらに繋がるのは、禁書庫だ。
もちろん、来るのはこれが初めてである。ここの存在を知っていたのは、魔法を教えてくれた師のおかげだ。国を代表する図書館の奥には、禁書を収めた書庫がある、と。
その彼も、まさか教え子がこうして侵入を果たすなどとは……
(いえ、もしかすると少しぐらいは……)
ふと、リズは立ち止まって、師と仰いでいたかつての青年の事を思い出した。師事した期間はそう長くはないが……今の自分があるのは、間違いなく彼のおかげである。
――と言うと、何やら共犯というか、グルに仕立て上げようとしているようだが。
家庭教師を務めた後も数年間、彼は高位の魔導師として王城に出入りがあった。他の兄弟の指導にもあたっていたはずだ。
その後は他国へ行ったと、メイド仲間から聞いたことはある。
(今頃、何していらっしゃるかしら)
場違いなほどに温かな思いが胸を満たすも、リズはハッとして首を軽く横に振った。
この禁書庫への侵入は、当然のことながら大罪だ。国賊に似つかわしい行為ではある。
だが、この禁書庫の存在自体も、国にとってはかなり後ろ暗い部分もある。
ここに収められている本は、単に希少というだけのものではない。表に出せはしないが、かといって捨てるには捨てられないような書物だ。
たとえば、禁呪を収めた魔導書や、禁呪をベースとする新魔法の研究記録。規制されているはずの魔道具に関する開発資料。
はたまた、歴史の闇に葬られた事変の調査報告書。滅ぼした国や民族の家系図などなど……
流血が文字を刻んだと言える本も少なくない上、それら本がここに集まった経緯もまた、国の暗部とも言える。
外夷征伐の名の元に戦いを繰り広げていった結果、支配下に置いた敵国から取り上げてきたのだ。
もっとも、そういったことは、魔族との戦いが終わった後の人間社会においては珍しくもないが……
何しろ、国が国だけに、この禁書庫はスケールが違うのだ。蔵書の量も、収めた知識の広がりも、内に抱く闇の深さも。
圧倒されてしまいそうな気持ちを覚えつつ、リズは本棚に久しぶりであろう光を投げかけ、視線を巡らせていく。
一冊一冊の価値には、きっと計り知れないものがあるだろう。日の目を浴びることのない歴史の断片が、時を忘れてそこにいる。
事前知識ゆえか、はたまた本好きの習性によるものか。場の雰囲気にあてられた彼女は、少しふらつきさえしてしまった。
しばらく静かに瞑目し、どうにか気を取り直すと、彼女は用のある本を選び出す作業に入った。
幸いにして、ここの蔵書は大体が古臭い本であり、機械的な印書法などなかった時代のものばかり。インクではなく魔力で記されており、彼女ならば自分自身に《転写》できる。
よって、その気になればいくらでも、これら禁書を自分自身の蔵書にできるのだが……実際には一冊当たりの所要時間というものはある。万一のトラブルを考えれば、普段よりも慎重に《転写》したい。
それに……自分の手元にあれば、つい読んでしまう。ただただ知的好奇心を満たすためだけに。
追われる身としては過ぎた贅沢である。
自分の哀しい性を理解している彼女は、きちんと厳選することを念じた。浮ついた気持ちもすぐに収まってくる。
それでも、抑えきれない興奮が体を熱くする。
敵地に忍び込んでいるという自覚が、集中力を研ぎ澄ます。
どういった本を探すかは、すでに定めてある。大きく分けて3つだ。
まず、禁呪を収めた書物。特に、時間や空間系。これまで彼女が修めてきた“初等”の禁呪からステップアップを図り、さらには転移術習熟の助けとすることを目論んでいる。
2つ目は継承競争に関係する、公文書等の各種書物・資料。
そして最後に史書。今の人の世が始まる以前と、その後を収めた歴史書。
すなわち、大英雄ラヴェリアその人の生涯と、彼の名を関する国が生まれるまでの、本当の歴史を記した書物である。
目移りしながらも自分を律し、本を取り出しては自分の中に複製を収め、読みたい気持ちを我慢して次へ……
これから読むときの事を思う興奮と、侵入中である緊張の両方が、手を取り合って彼女の鼓動を高鳴らせる。
そんな時間も、終わりは遠くない内にやってくる。上の一般向け書庫よりは小さいものの、それでもかなりの蔵書を誇る禁書庫の中、色々と探し回って10冊ほどの収穫を得ることができた。
これが頃合いと考え、リズは撤収することにした。悪い友人たちによれば、“後始末“して帰るまでが仕事だという。
ただ、禁書庫内部に人が入ることはまずないだろう。少なくとも年末年始の間、何か急な事情がなければの話だが。
事が露見する可能性を色々と考慮した結果、彼女は度々侵入を試みる事のリスクを大きく見積もった。
宿からここまで足を運ぶよりは、転移で直接来た方がより安全なはず。
そこで彼女は、せめて見つかりにくい位置をと、禁書庫の奥まったところに魔法陣を刻んだ。転移の出口である。これで数日の内は、かなり簡便に行き来できる。
ここへの出入りの少なさを考えれば、王都滞在中の緊急避難先にもなるだろう。
試しにこの出口を使ってみたところ、問題なく転移することができた。
改めて禁書庫での用事が終わると、彼女は扉から出ていき……なんとなくだが、人類の知の精髄に深々と頭を下げた。
もっとも、殊勝な気分に浸っている暇はない。重苦しい扉を締め、彼女は開けたときの逆の要領で、鍵を閉めていった。
その後、足早に地下書庫の中を進んでいき、階段を登って地上階へ。書庫と事務室を隔てる扉の前で膝をつき、再び鍵をかけていく。
一連の始末が終わった彼女は、ふと思いついたことがあり、事務室の中を歩き回った。
目当てのものはすぐに見つかった。掲示板である。年末年始の業務について、何かしら情報があればと考えたのだが……
ある程度予想できた通り、客は入れずとも、館内清掃や整理等の仕事はあるらしい。それでも朝から夕方までの仕事であり、居残りしないようにと指示徹底もある。
また、1月1日は完全閉館とのことだ。このあたりは、年末年始の行事や風習を重視する、文教施設代表らしさといったところか。
侵入先のスケジュールを把握した彼女は……すっかり、友人たちの手口に染まっている自分を自覚し、バツの悪い思いを抱いた。
完全に自分都合ではあるが……証拠を残さないようにするのが、ここの職員のためにもなろう。
在籍している職員は、顔を覚えている者も多い。すっかりワルになってしまった自分を少し恥じつつ、リズは誰もいない事務室に頭を下げて辞去した。
それから、彼女は頭の中で念じた。今日泊まったばかりの宿、その中に刻んでおいた転移魔法陣を。
用意してから数時間程度しか経過していないということもあり、本来の長距離転移よりもずっと早く接続が完了した。
宿への帰還を果たすと、彼女は窓から外の様子をうかがった。日はまだ昇っておらず、外の街は静まり返ったままである。
実のところ、あのまま禁書庫に留まり続けたとしても、見つかるかどうかはかなり怪しい。気づかれずにやり過ごせるのではないか、そういう予感はある。
ただ、禁書庫への侵入は目的の一つだ。王都滞在中に街の様子をうかがうのも、今回の里帰りの理由の一つである。
とりあえず、首尾よく仕事を果たせた達成感を胸に、彼女はベッドへと背を預け、大の字になって寝転んだ。
滞在は数日、短いものになるだろうが、密度が高く充実したものになりそうである。




