第22話 遠出とアルバイト②
魔導書には大別して4種類ある。大量生産する既製品、手書きでそれなりの数を用意する廉価品、人に作らせるオーダーメイド、そして自分用に自著するものだ。
大量生産するものについては、原版となる特殊な魔法陣から専用の紙へと精密に転写がなされていく。
この作製法においては、原版の設計と記述だけが人力だ。
原版を任されるレベルの魔導師となると、半端な国では五指が余るほどの希少価値がある。
そうおいそれと改訂できるものでもないため、大量生産は国や軍、あるいは大都市やその合同でなされる公的事業だ。
民間作成のレベルでは、廉価品とオーダーメイドがある。組合が斡旋するのもこのラインだ。
しかし、いかに民間用とはいえ、魔法を使えるものであれば誰にでも任せられるという仕事ではない。
魔導書に記される魔法陣には、いくつかの種類がある。
まず、ごく少量のマナによって着火、効果を発揮するものが2種類。一回だけ効力を発揮する使い捨て型と、使用後に周囲の魔力を吸ってリチャージがなされる再利用型だ。
それとは別に、魔導書に記された“溝”に魔力を流し込んで魔法陣を形成する、流路型がある。先の2種よりは魔力を要求するが、リチャージまで待たされることはない。連射が必要なレベルの戦闘向けだ。
そして最後、書きっぱなしにしておく継続型である。これは特別で、自分で魔導書を書ける魔導師にのみ意味がある。
売り物にする場合に問題が出るのは、再利用型と流路型だ。一回限定でも書きっぱなしでもないこれら2種類は、魔導書に対して魔力が出入りするのを前提としている。
魔法を手書きで行使する場合、多少のズレや“悪筆“は、術者への負担が増す形で報いることとなる。魔法戦闘は速度勝負になりやすい面があり、そのあたりのトレードオフは術者次第だ。
しかし、記されてしまっている魔導書の場合は、そうもいかない。一度悪筆で記されれば、ずっとそれと付き合う羽目になる。
その結果、悪筆の代償に多くの魔力を用い、魔導書のリチャージに悪影響があったり、術者へと掛かる負担が増大したりもする。
他にも問題なのは、魔導書へと出入りする魔力が増えることで、損耗の速度が増すことだ。
いつまでも使える特殊な魔導書は希少、多くは一種の耐久消費財として扱われるのが常ではある。
しかし、だからといって早く使い物にならなくなるようでは、売り手である組合の信用に関わってくる。
また、魔導書には、できない者にも魔法を使えるようにするという根本的な性質がある。典型的なユーザーは三通りだ。魔導書を持つ必要性に迫られて使う、あるいは使わされる何らかの専門家。金で魔法を買う富裕層。勉強中の魔法使い。
この内、プロは性能への要求水準が厳しく、金持ちは審美眼に厳しく、学習者には組合という教育者の目が厳しい。
悪筆が生きる道は、少なくとも魔導書の上にはないのだ。
☆
今回の試験では少し加減したリズだが、実際の彼女は病的なレベルの記述精度がある。国が誇る大図書館に忍び込んでは、名著・美本にばかり親しみ、こっそりと模写に励んできたからだ。
そんな彼女は、普段よりもずっと時間を掛け、丹念に記述試験を行った。速くて精密となると、さすがに怪しまれると考えてのことだ。
それよりは、遅いが丁寧という方が、無難な仕事にありつきやすい。
彼女の考えが奏功したのか、提示された仕事は普通の依頼ばかりである。
オーダーメイドも少し混ざっているが、大半は特定用途向けの廉価品依頼だ。部下の仕事をコントロールするという意味で、こういった魔導書の需要は常にある。
この内、リズは入門魔法を収めた、教本的な魔導書作成の仕事を請け負うことに決めた。どこの組合でもある、本当に基本的な仕事だからだ。
これなら、納入先と変な縁ができてしまうこともないだろう。
「あなたの記述なら、安心して任せられるわ~」と、受付の女性は本を3冊取り出し、机の上に置いた。これに対し、まっさらな魔導書に対する代金を支払うリズ。
こうした、何も書かれていない魔導書は、業界人から白本と呼ばれている。
魔導書作成の仕事においては、この白本を数冊、依頼側から請負側が買い取るのが通例だ。
できあがれば、最初に買い取った分全てを依頼側に売り、仕事の出来に応じて報酬が払われる仕組みとなっている。
この、請負側が最初にリスクを負う仕組みは、白本が決して安い買い物ではないことに起因する。
逆に言えば、このリスクが魔導書記述業の参入障壁となっている。つまり、キレイに書く自信がなければ、門戸も叩けない業界というわけだ。
ある程度まとまった時間、神経を費やす専門性の高い仕事だけに、中々の稼ぎになるものでもあるが。
買い取った白本をカバンにしまい込み、リズは組合を後にした。
ロディアンでの雑多なバイトで稼いだ金の大半を、彼女はこの先行投資に費やした。
今日の宿代は護衛の雇い主持ち、あちらに戻ってからも、金に困るようなことはない。
しかし、自分で稼いだ金を遣った一番の買い物は、彼女にとって大きな経験となった。彼女は社会の輪に溶け込んだ実感を新たにした。
金銭のやり取りを経て、改めて働くということに思いを馳せてみると、町並みの様相も少し違って見える。そこかしこで金が動き、それには人の営みがあり、生活と想いがある。
町並みに切り取られた空は依然として広いが、その下にある町もまた、大きな広がりを彼女に見せているようだった。
少しの間、往来の端でぼんやりと立ち尽くしたリズは、再び歩き始めた。
暗くなっていく町の中、王都に居た頃は立ち止まることのなかった様々なものに足を止められつつ、彼女は買い物を進めていく。
一通り用事が済むと、彼女は広場の待ち合わせ場所へと足を向けた。目的の場所はオープンカフェのようになっており、魔道具の明かりの下、すでに酒を飲み交わす町人の姿も。
丸テーブルがいくつも並ぶ中で、彼女は待ち合わせ相手を見つけ出した。
「ユリアさん、お待たせしました」
「どもども~。何か買いました?」
ユリアは興味津々といった様子で、リズに視線を向けている。白本のおかげでカバンが膨らんでおり、それが興味を煽っているのかもしれない。
隠すほどのことでもないため、リズは白本3冊をテーブルの上におき、請け負った仕事について話していった。ユリアは感心したようにうなずいている。
「へぇ~、本当に働き者ですね。これ持ち帰って、また来たときに納品するカンジですか?」
「う~ん、どうでしょう」
リズは、白本と一緒に受け取った指示書を見つめた。入門向けの仕事ということもあり、分量的にはさほどのものでもない。その気になれば……
「早めに始めれば、睡眠時間を確保しつつ、明日の出発には間に合うかも……」
「うわ、本当ですか?」
「ですが……」
リズは考えた。作業場は当然、宿になる。同宿するユリアそっちのけで、魔導書とにらめっこする形になるだろう。
となると、ユリアからすれば、声をかけづらい事態になる。精密さを要求する仕事だと、すでに説明もしている。
それに何より……
(あまりにも、それは……感じ悪いわね)
同宿相手に悪いと思い、リズは指示書を白本の間に挟み込み、カバンに3冊しまい込んだ。
「今日はやめておきましょう。急ぐと駄目にしそうですし、今度また来たときに納品します」
「んじゃ、今日はノンビリですね~。どっか食べに行きます?」
朗らかに笑いながら、ユリアが持ちかけてくる。そこでリズは、財布の中に目を向け――
そもそも、こういう町での、食事の相場を知らないことを思い出した。
思わず固まってしまった彼女に、優しいお声がけが。
「足りなきゃ、貸しますよ?」
「それは、その……」
「次来た時、稼いだ分で返してくださいね!」
ニコニコ笑顔のユリアを前に、歓談しつつ美味しそうに食事する町人たちを横目に、リズは少し恥じらいながらも頭を下げた。




