第224話 末弟の帰還
リズがお礼回りに向かっているその頃……
いくつかの《門》を経由していった後、ファルマーズはついに母国の地に足をつけた。
もっとも、ここは王都ではなく、国内地方都市の中継地点である。
それでも、母国に帰ってきたという感慨は、身を包み込む冬の寒気とともに現れた。
同時に、強い緊張感も。
主にアスタレーナが手を尽くし、それにマルシエル等が協力する形で実現した帰還リレーは、今のところ支障なく機能している。
それぞれの《門》を管理する役人らも、王族を相手にする以上の緊張を見せてはいない。
ただ一人、使用者であるファルマーズだけが、言えない話を携えているというだけである。
やがて、最後の《門》が通じ、ファルマーズは覚悟を決めて歩み出した。
すると、向こうではアスタレーナその人が待っていた。
場には《門》の管理者もおり、不用意な反応を示すことはできない。揺れる感情を押さえつけ、ファルマーズはただの利用者に留まった。
軽い事務手続きを済ませ、王族二人は歩き出した。味気ない通路を静かに進み、《門》の管理所から王城へ。
敷地内に人はほとんど見当たらず、そばに姉がいてもなお声をかけられないでいる現状が、ファルマーズの孤独と緊張を深めていく。
雪を踏む、軽快な乾いた音でさえ、重ねるほどに心を急き立てるようで――
たまらなくなって、彼は口を開いた。
「姉さん」
「何?」
「何か、こう……言うこととかないの?」
「……ごめんなさい、すっかり忘れてたわ」
そう言うと、彼女は振り向き――微笑んだ。
「おかえりなさい」
「そういうことじゃなくって」
「優しくされると、逆に苦しいでしょ?」
心の内を射抜く言葉に、真顔になったファルマーズは、少しだけ間をおいてうなずいた。
そんな彼に、呆れたような笑みを浮かべ、アスタレーナは鼻で小さく笑った。
「生きて帰ってきただけで十分よ」
「でも、姉さんたちに迷惑が」
「ファル。勘違いしてはいけないわ。私たち以外の大勢が、私たちに迷惑をかけてきてるの」
聞き間違えようもないほどにハッキリと断言する姉を前に、彼の時が一瞬止まった。決して聞かれてはならない発言のように思われ、ハッと気が付いた彼は、慌てて周囲を見回してしまう。
いかにも心配そうな彼に対し、アスタレーナは「大丈夫よ」と告げた後、「他言無用だけど」と苦笑いで続けた。
その後、二人は王城内の一室へと足を向けた。
待っていたのは長兄、ルキウスである。
敗者としての自覚に身を強張らせるファルマーズだが、彼に長兄はただ苦笑いを向けた。
三人でテーブルを囲むと、話し合いが始まった。まずはファルマーズへの聴取からだ。
「戦いの流れと戦場の特性など……思い出せる限りを話してくれ」
「はい」
国家が誇る魔道具の名工として、記憶力に相応の自負心がある彼は、知り得たことを自身に刻み付けるように覚えていた。
負けた時点ですでに、これぐらいでしか兄弟に報いる手立てがないと考えていたからだ。
あの戦闘において、彼は攻撃の大半を自律型の魔道具に任せていた。そのおかげで落ち着いて状況を客観してきた半面、事の細部がわからない部分も。
不確定な部分はきちんと前置きし、可能な限り主観を排して報告を進めていく。
一方、聞き取り役のルキウスは、紙にペンを走らせながら、時には問いかけて答えを促していく。
平時であれば、こうした仕事は下々に任せるものだろうが……それにしても、彼の聞き取りは手慣れたものである。問われた言葉をきっかけに、記憶が刺激されて思い出すということもしばしばであった。
そうして、第一報の概略がまとまっていく。
孤島には実際にダンジョンがあったが、誘い込まれた先は、ダンジョンが構築される前の虚無な空間であったこと。
最初からそのつもりで、向こうは戦闘準備を進めていたように思われること。
戦場内においては一騎打ちだったものの、明らかに外部の手助けがあったと思われること。
わずかな隙に後背へ回られたことから、おそらくは転移手段を有していると思われること……などなど。
次いで話は、リズ側の陣容についての聴取へ。
しかし、彼らに良くしてもらった自覚が、口にすることへの心苦しさとなって現れてくる。それが狙いの一つであったのかもしれないと考えても。
そうしたファルマーズの心情を慮ってか、ルキウスは苦笑し、穏やかな口調で言った。
「言いづらいだろうが、必要な情報だからな」
「はい、わかっています」
「相手を知らないがゆえに、過剰な戦力を投じることになることもありえる……おためごかしのように聞こえたかもしれないが」
そう言って、やや冷笑的な態度になった長兄に、ファルマーズは腹を括り、求められている情報を告げていった。
捕虜としての立場では見聞きできる範囲も限られていたが、それでも思い出せる限りの内容を。
これをどう生かすかは兄弟次第だが……非道に走らないことを信じ、また祈るしかなかった。
あの姉が、自分にそうしてくれたように。
そういった思いがある裏で、自分の敗走が身内に与える影響に、彼は強い罪悪感を覚え始めた。
ままならない進捗に、継承権者全体への外圧が強まりつつある。そんな中、責務を果たそうとする兄弟に対し、節度を求めるのは身の程な厚顔ではないか。
一方で、捕虜に対して優しくしてくれた、本来は敵でしかない面々に対し、「売り渡してしまった」という思いもある。
血を分け、継承競争という苦境を共にする兄姉への想いも。
そして……相応の覚悟を以って実行したとはいえ、研究の成果を踏みにじってしまったことでの、配下への罪悪感も。
母国に戻り、兄姉を前にして立ち昇ってくる心の中の強いせめぎ合いが、強い孤独感とともに胸を締め付ける。
そうして思わず顔を伏せてしまった末弟に、長兄は……困ったような笑みを浮かべ、アスタレーナに話を振った。
「さすがに、レナの方がこういった面ではやり手だな」
「……どういう意味でしょう?」
「いや、例の革命の件でな」
「一生、その件で突かれそうな気がしてきました」
「一応は褒めているつもりだが……」
これまでの聴取よりもずっと軽い調子で応酬し合う二人。
その後、ルキウスは目をパチクリさせる弟に話を振った。
「違う立場の人間を思うのなら、まずは偉くなることだ。両者の間を取り持てるぐらいにな。それができないのなら、いっそ割り切ってしまえ。何もできない内から、勝手に自分で潰れるのは、決して誠意ではない」
「……はい」
「それにな。お前に関わる者たちは、上も下も横も、十分にしぶといと思うぞ。気遣う優しさがあるのは喜ばしいことだが、まずはあまり気に病まないことだ」
「はい」
年長者のアドバイスに、ファルマーズは顔を上げてうなずいた。
心に抱えているものが解消されたわけではないが、少しは気を強く持って向き合えそうである。
その後、場はお開きとなった。帰ってきたばかりのところ、あまり拘束しては……という配慮あってのことだ。
「まずは、自分の部署に顔見せね」
「……はい」
「皆さん、単に心配していただけだから。あまり気負い過ぎないで」
柔和な笑みを浮かべ、背を叩いて送り出す姉に、ファルマーズはうなずいた。
こうして、末弟を笑顔で送り出した二人だが……彼がいなくなるや否や、場の空気が一気に沈む。
「無理していたのではないか?」と、ルキウスは尋ねた。
「役目とはいえ、送り出したのは私ですから……」
神妙な顔で答えるアスタレーナ。一方のルキウスも顔は晴れず、聴取したメモを睨み、顔が次第に渋くなっていく。
やがて彼は言った。
「やはり、一人では厳しいな」
「では、レリエルを?」
「ああ」
言うが早いか、アスタレーナは立ち上がり、部屋から退出していった。
それから程なくして、彼女はレリエルを連れて部屋へ戻ってきた。
すでに色々と心得ているレリエルは、テーブルに着くや無言でメモを受け取り、目を走らせていく。代わりに彼女は、ここまで抱えてきた十数枚ほどの書類を差し出した。
「すまんな、手間をかける」
「いえ、私の仕事ですから」
書類から顔を上げ、長兄をまっすぐ見据えて答えるレリエルだが、すぐに鋭い目を書類へ向けていく。
これから一仕事あるのだ。




