第221話 お礼参りの旅inロディアン①
まずは移動先を強くイメージ。体に先立ち、漠然とした知覚の一部だけを、現地へと送り込む。
しかる後に、その知覚をもとにしてより精細なイメージを確立。正確な座標を定めた後、先行した知覚に自分自身を合流させる。
《門》に拠らない自力転移の一連の手順を踏み、リズは今――
高い岩山の頂上にいた。
かつてのイメージとは異なり、今の頂上は白雪で覆われている。状転移先のすり合わせと位置合わせにはやや難儀した。
吹き付ける風は冷たい。先程いたマルシエルでは熱帯向けの軽装でいたのだが、さすがにこちらの寒さでは厳しいものがある。
しかし、寒さも忘れさせるような事態が生じた。
転移直後から少し間を開け、この岩山の先住者が彼女の訪問に気づき、大いに驚かされたようだ。鱗という鱗がビシッと逆立ち、辺りに緊迫感が走る。
これにはリズも驚き、お相手をなだめようと慌てて口を開いた。
「お、驚かして申し訳ございません! エリザベータです、覚えておいででしょうか?」
「お、おぬしか……まったく、驚かしよって」
竜はそういうと、逆立った鱗が整然と流れるように、音もなく元通りになっていく。ひとまず落ち着いたようで何よりだ。
胸を撫で下ろしたリズは、改めて竜の前に歩を進めていった。
竜は落ち着きはしたものの、突然の来訪にはやはり戸惑いがあるらしい。リズをマジマジと見つめ、呟くように言った。
「おぬしほどの者であれば、山の外からでも気配を察知できるはずだが……この間合いになるまで気づかなんだとは」
「そのことですが、一度お目にかけたいことが」
「ほう?」
興味をかき立てられたらしく、口を閉ざして見つめてくる竜を前に、リズはさっそく転移のデモンストレーションをした。視界内を対象とする、かなり簡易なものである。
それでも、人外の域に入る術理には違いなく、竜にとってもそういった認識であるらしい。新たな力のお披露目の後、竜は感嘆の声を漏らした。
「まさか、独力で転移を成功させるとは……ここまで来たのも、その転移術によるものとな?」
「はい」
今年の春先、ロディアンの町を後にした時点で、リズはどうにか再訪するための方途をと考えていた。
そこで一番の候補としたのが、門に頼らない転移術の習得である。これは、追われる立場で生きながらえる上でも、大いに力になる術だ。
それから色々と紆余曲折あり――今こうして、あの町の者たちとの約束を果たせる段に至ったというわけだ。
「……といった次第ですが、さすがに町へ直接現れたのでは、要らぬ騒動を引き起こしかねないと思いまして」
「ふむ」
「そこで、こちらへお邪魔させていただくこととなりました。印象深い場所ゆえに、転移先としてイメージすることも用意でしたし……あなた様であれば、突然の来訪にもご理解いただけるものと」
「なるほどのう」
ここへやってきた理由については、これで合点がいったらしい。
しかし、竜は口を閉ざし、何事か考え事を始めた。やがて、何らかの考えに至ったらしく、おもむろに口を開いた。
「挨拶に、まずはここを選んだと……」
「? はい」
「ふむふむ、そうか……ふむふむ」
すると、表情豊かな竜は、閉ざした口の端を緩やかに上げた。視線には慈愛というか、親愛というか……そういった方向性の何かが感じられる。
おそらく、転移を覚えたリズが、真っ先にここへやってきたと思っているのだろう。
ロディアンへの中継地点という事情は、実際にそのとおりだとしても、身に着けた力のお披露目にとやってきた面もあるのではないか、とも。
実のところ、リズ自身そういう気持ちは確かにあった。いい意味で驚かせたいという思いも。
そういった心境を察し、可愛がられているようなら何よりであるが……今回の来訪を、この竜自身も大いに喜んでいるように思われ、その様は何とも……
(私よりも可愛げのあるお方なんじゃないかしら……)
少なくとも、自分より比較にならないほど長く生きている存在でありながら、感性は柔らかで潤いがあるようだ。
ただ、彼女は余計なことは言わないでおいた。ここよりも先に、力のお披露目に向かったところがあるだとか、そういったことは。
そうして途切れた会話の合間に、北風が割り込むように吹き付けてきた。さすがに寒さを覚え、身を縮めて震わせるリズ。
「やけに軽装だとは思ったが、おぬしでも寒いのか?」
「はい。実は南方の方で活動しておりまして……」
そこでリズは、「失礼します」と一言断り、魔法陣を書き上げた。中に穿たれた虚空に手を突っ込み、中からロングコートを抜き出す。
「確か、《超蔵》と言ったか。手慣れたものよ。そうした基礎あっての、転移といったところかのう」
「ご賢察、恐れ入ります」
竜自身、魔法を使うこともその必要もないだろうが、察しの良さには素直な感嘆で応じた。
冬の装いになると、リズは改まった様子で姿勢を正し、頭を下げた。
「実を申しますと、今日は何かと用事がございまして……相も変わらず荒ただしい訪問で、申し訳ございません」
「よいよい。近頃は客もそこそこ来るようになったでな」
というのも、以前リズとフィーネがこちらにやってきたことと、その際の話が近隣一帯に伝わったことで、民衆から竜への印象が大きく変わったとのことだ。大変に寛大・寛容なお方である、と。
おかげで退屈していないのは何よりだが、それでも、相変わらずリズはとびっきりの話し相手ではあるらしい。彼女が辞去する前に、竜は言った。
「次はもう少し時間を取り、武勇伝でも聞かせてくれるのであろう?」
「色々と忙しい身ですから、いつになるかわかりませんが……きっと、そのように」
「ならばよろしい」
すると、リズは深々とお辞儀をした後、岩山から身を投げ出すように駆けていった。
その背にかすかに届いた「元気だのう」という言葉に、思わず表情を綻ばせながら。
☆
同日、昼前。
リズがロディアンの町の入口に近づくと、見張りの若者がその接近に気づいた。
彼女が誰であるかも、忘却の彼方というわけではないようだ。しばし思い出す素振りを見せた後、彼は近づいてきたリズに驚きつつ声をかけた。
「もしかして、リズさんですか?」
「はい……良く覚えていらっしゃいましたね」
「いやあ、リズさんみたいな旅人、めったにいませんしね! あなたのことを忘れるような見張りじゃ、やっていけませんって!」
と、彼は快活に笑った。
このやり取りを聞きつけたのか、街の方からは若者を中心にぞろぞろと。あたりはすっかり雪に覆われ、リズの目には農閑期に映るのだが、この時間になってもそれなりに往来があるらしい。
近づきつつある町人たちは、彼女の姿を認めるや思いがけない再訪に驚き、嬉しそうに駆け寄ってくる。そうした一団の中に、彼女もまた笑顔を向けた。
「皆さん、お久しぶりです!」
「リズさん! お元気そうで何よりです」
集団の中から歩み出てきたのは、特に世話になったフィーネである。互いに手袋を取り、まずは握手。それから他の面々とも握手を交わし合う。
季節柄、町の装いはすっかり変わって見えるが、町人たちは別れた時と何ら変わりない。一か月ほどの滞在でも覚えてもらえていた事実に、リズは胸が温かくなる思いであった。
それから、外で立ち話も何だからと、リズを囲む一行は移動を始めた。
「どこ行きます? 酒場?」
「酒場には少し早いのでは?」
「ホンのチョットですって~」
まだアルコールは入っていないだろうが、陽気に笑いだす町人たち。場の空気につられ、リズも表情を綻ばせる。
――そこへ、水を差すような一撃。丸められた雪玉が飛んできた。集団の中のリズを狙ったのなら、中々の制球力である。彼女の横顔に向かって雪玉が飛び……
彼女は見もせずに、雪玉を片手で掴み取った。虚を突かれた周囲の面々は驚き、「おお」と感嘆の声が漏れ出る。
そんな中、リズは下手人の方へと視線を向けた。実は、雪玉を投げ合っているチビっ子たちは、前から視界に入っていたのだ。
相変わらず元気そうな彼らに、リズは柔らかな表情で歩み寄り……ふと思い出したことがあって、居丈高にふんぞり返った。
「まさか、私がこのような攻撃で倒れるとでも思ったか? まだまだ修行が足りんなぁ、フハハハハ!」
「あ、やっぱ魔王のねーちゃんじゃねーか」
「こんな寒い中、元気で何よりね。勇者ちゃんたち」
雪玉を笑顔で握り潰したリズは、軽く両手をはたいて雪を払い、攻撃してきた少年に手を伸ばした。抱き寄せつつ、頭を軽くわしづかみにし、髪を荒っぽくかき撫でてやる。
やられている本人は「やめろよお」と恥ずかしそうだが、周囲の子供たちはむしろ羨ましそうである。雪合戦は一時休戦となり、わらわらと少年少女が彼女を取り囲んでいく。
「ところで、最近は何してたの?」
「最近? 年下の子と遊んでやったわ……私が魔王役でね」
「どこ行っても変わんねーなー」
別にウソは言っていない。
そうして子どもたちに確保されたリズは、ハッとして顔を上げた。他の町人たちがほったらかしになってしまっている。
ただ、一行から向けられる視線は温かなもので、特に不満はないらしい。というより……
「飯の前に、一戦やりますか」
「何年振りかね」
「お兄ちゃん、昨日もやったでしょ?」
と、一緒に遊ぶ気満々である。




