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第219話 約束の日

 ラヴェリア王族の末席を捕虜とする、極めて異常事態な日々は、不思議なほど平穏であった。捕らわれている当人の落ち着いた態度が、その原因の一つだっただろう。

 島の外においても、目立った動きはなかった。捕らえて数日のうちに、念のため捕虜本人からアスタレーナへ、無事の旨と帰還予定日を告げたのが効果的だったのかもしれない。

 先方は信じてくれたようで、妙な動きはマルシエル諜報網に引っかかっていない。


 おかげでリズは、自分の訓練に専念することができた。魔族二人の協力の下、異空間に入り込んでは、今後のためにと修練を積んでいく。

 それは文字通り、寝る間も惜しむ勢いであった。


 ファルマーズとの戦闘から数日経ったある日、彼女の訓練環境に大きな転機が訪れた。

 暗い闇の中に浮かぶ大図書館。リズの精神世界であるはずの《叡智の間(ウィザリウム)》の中に――

 魔王フィルブレイスと、ルーリリラを招くことに成功したのだ。


 さすがの魔王も、これには度肝を抜かれた様子だが、リズにはそれなりに目算があった。

 というのも、自身のレガリア《叡智の間》と、魔王が手掛けるダンジョンとの間に、いくつかの類似点を見出していたのだ。

 まず、空間そのものが絶対的とも言える耐久力を有すること。また、負傷が現実に反映されないこと。物質よりも精神が空間の基盤となっているように思われることなどだ。

 そこで、ファルマーズとの戦いでの、虚空内転移の逆を試した。すなわち、リズが転移の出口を自身の内面世界に思い描き、それに(つな)がる入り口を、魔王が用意するという形で。


「まさか、入り込めるなんてね……」


「私も驚きです」


 そうして互いに驚きを示す三人だが、次第に興奮の方が上回っていく。

 それから何度か検証を行ってみたところ、この空間には外部から客の精神だけが来訪する形を取っているらしい。入り込んできた二人の体は、外界の現実に置かれたままである。

 また、就寝時以外などは、リズが強く意識しなければ《叡智の間》を使えない。ふと集中が切れるなどして当人が《叡智の間》から脱すると、客の精神が無条件で吐き出されるようだ。


「つまり……リズ様が用意してくださる“夢”を、私たちも共有できるという感じですね」


「そう言うとロマンチックですね」


 夜空に浮かぶ大図書館で、女性二人が楽しそうに言葉を交わす中、魔王の顔は少し渋い。


「うーん……夢と言うには実利に寄り過ぎているし、君の内面にこうして私たちがお邪魔するのは、だいぶ礼節に欠くような……」


 と、中々繊細な心遣いを見せている。

 そこで、リズからの要請があって初めて、この空間に招き入れるということで話がつき――


 リズの就寝時、連夜にわたって二人を呼び込む毎日が始まった。


 目的は、思うところあって魔法系の罠の解除訓練だ。

 こうした訓練は、独力でやれないこともないのだが……自分の分身と出題(・・)し合う都合上、結局は既知の問題を解くことになる。

 こうした反復的な復習にも意味はあるが、やはり知らない問題の方が好ましい。

 そのため、本来であれば夢を見ているはずの時間を割いて、自分が知らない罠を魔族の二人に出題してもらおうというのだ。

 さすがに、二人同時では持て余すということで、日替わり交代の体制を取ることに。

 付き合わせてしまって申し訳なく思うリズだが、協力者二人にとっては、《叡智の間》そのものが興味の尽きない存在であり、むしろ入館料にも足りていないという印象があるのだとか。



 そうして訓練に明け暮れているうちに時間は流れ……

 ついに、捕虜を引き連れて出立する日がやってきた。玉座の間に赴いたリズがその旨を告げると、少し耳を疑ってしまう声が。


「もう、そんな日か……もう少し引き延ばせないかな?」


「閣下……」


 呆れたような微笑を向けるリズだが、今までトラブルが起きなかったのは、まさにこの魔王のおかげだと承知している。

 捕虜を留めおく場所を提供してくれた恩もさることながら、彼とルーリリラが良い話し相手になったことも、ファルマーズの生活には大きな意味があったようだ。

 彼もまた、別れを惜しんでさえ見せる魔王に対し、少し寂しそうな顔を向けた。


「僕も残念だけど、これでお別れです」


「……仕方ない。またここに来ることは……多分ないだろうけど、君の息災を祈る」


「何かと興味深い話を聞かせていただき、ありがとうございました」


「いえ、こちらこそ」


 と、共同生活がどのようなものであったか思わせる程に、魔族二人とファルマーズは親しい雰囲気でいる。

 この仲を引きはがすのに若干の申し訳なさを覚えつつ、リズは改まって感謝の意を告げた。


「何から何まで、本当に」


「いや、構わないよ。私たちは、あくまで自分の意志で協力しているからね。気が進まないことであれば、素直に否を唱えるつもりだ」


 しかし、今までそういった否定的な声は聞いたことがない。本当の心中がどうあれ、二人の鷹揚さと気前の良さには大いに助けられている。

 もしかすると、人間以上に人間好きかもしれないこの二人の魔族に、リズは深々と頭を下げた。

 すると、少し遅れて含み笑いの声。あの二人が笑っているらしい。

 伏せた顔で視線を動かすと、ファルマーズもまた、自分に倣って頭を下げているようで……これにはリズも顔を綻ばせた。


 玉座の間を出て開口一番、「手でも繋ぐ?」と軽口を叩くリズに、ファルマーズは少し呆れ顔だ。

 とはいえ、悪く思っている様子はない。少なくとも彼の中では、この姉はもはや国賊などではないのだろう。

 結局、手は繋がないまま、二人は歩いていったのだが。


 鍾乳洞を出ると、すぐの岸壁にボートが接岸していた。

 リズ代理の操縦者エレンも、今ではかなり手慣れたものだ。ボートと岸壁はほとんど隙間なく、二人は安全に乗り込むことができた。

 そうしてボートは母船へと進み、静かに横付けすると、ロープで引き揚げられていく。


 さすがに、甲板に出て衆人の目に(さら)されるとなると、肝が据わった様子のファルマーズも緊張を覚えるようだが……

 姿を現した一行を待っていたクルーたちは、さながら海兵のように一糸乱れず整列し、彼を迎えた。

 これはこれで意表を突かれたようで、彼は呆然と立ち尽くしてしまう。

「客人として認められているってことよ」と、リズは嬉しそうに笑って言った。


 これが初対面となるが、クルーたちにはファルマーズの話がすでに通っている。

 そして……船長にとって敵国の人間ながら、彼は一目置かれる存在という位置づけを得た。

 単身で島に乗り込んできたその心胆もさることながら、単騎でやってきた理由が、母国の軍事力増強に歯止めをかけるため。ひいては、世の戦乱の激化を食い止めるためというのだから――

 海賊退治という剣呑な仕事に関わるものの、多くのクルーたちはもともと一般人であり、決して戦いは好むところではない。

 そんな彼らからすれば、ファルマーズの意思は敬意を向けて然るべきものだったのだ。


 もっとも、クルーたちの想いについて自分が触れるのも野暮と思い、リズはそれ以上の言及を避けることにした。

 自分に向けられる視線や感情が気になるのなら、自分で聞けばよいのだ。



 今回の数日間の船旅で、面倒ごとが起こることはなかった。

 船旅の中でのファルマーズの立場は、一言で言えば微妙なものだ。捕虜ではあるのだが、実際には客という認識が強く、座敷牢のように閉じ込められることはない。

 彼の自由を認めたのは、リズの思いによるところも大きかった。拘束されたままで部屋に繋いでおくよりは、外の世界に住む者たちと、触れ合う機会を作ってやりたかったのだ。

 こうした扱いに、他ならぬファルマーズ自身が戸惑いを見せていたものの……それが長引くことはなく、彼はすんなりと場に馴染んだ。


 クルーたちと彼のやり取りは、全体的にかなり良好だった。

 魔道具の専門家からすれば、風を受けるだけで進む帆船は、むしろ奇異に映る存在だったのかもしれない。

 質問攻めにあってもおかしくはない、極めてまれな賓客ではあったが、むしろ彼の側から問いかける事が多かったほどだ。

 尋ねられるクルーたちも、いかにも知識人といった上流階級の少年が、知的好奇心あらわに尋ねてきたことで、どこか自尊心をくすぐられる思いはあったのかもしれない。


 それに、リズと単身戦った彼への敬服の念も、クルーから戦闘要員に至るまでに共通しており、それが関係を良好に保っていた。

 国や軍が決して認めないとしても、彼の考えを認める者は存在する。たかだか数十名、どこの馬の骨とも知れぬ下々だとしても、これから帰還する彼にはせめてもの慰めになったことだろう。


 ただ、そんなこんなで和やかな日々を送ったがために――



 船旅はいつまでも続かない。12月28日早朝、協商圏の中でも外縁部に位置する島が見えてきた。

 これからマルシエルの手も借りて、いくつか《(ゲート)》を経由してファルマーズを送り返すこととなる。

 あくまで、お忍びの公務という体を装い、穏当に帰還させようというのだ。


 朝焼けの中に港が見えてくると、いよいよお別れの時間といったところ。甲板の空気は、慣れた潮風にもまして湿っぽいものになっていく。

 お見送りで並ぶクルーの一人が、「これでお別れっすね」と残念そうに言った。

 対するファルマーズは黙したままだが、やはり名残惜しさが少しはあるのか、視線は伏せ気味だ。

 こうしたやり取りにリズは……


(フィル様の時も、こんな感じだったわね……)


 この弟は、決して口がうまくて陽気というわけではないが、年上が面倒を見たくなる気質はあるのかもしれない。

 あるいは、単にこちらのクルーが気のいい連中というだけかもしれないが。

 何であれ、思いのほか仲良くなってしまったようであり、別れの空気は物寂しい。

 そんな中、当事者でありながらも人一倍にドライな自分を、リズは自覚した。


 船が港に着くと、多くの視線に見守られながら、リズはファルマーズを連れて歩いていった。マルシエル経由でこちらの行政には話がついており、港にお迎えが来る手筈となっている。

 実際、それらしい役人が、港へお迎えにやってきた。彼らに引き渡すまでが、リズたちの仕事である。

 これでお別れという前に、彼女は魔法を一つ解いた。《封魔(マギシール)》による拘束を解かれ、ファルマーズは魔力の自由を取り戻した。


「リベンジする?」


 役人には聞こえないように耳打ちすると、返答は小声で「バカじゃないの?」

 中々言うようになったものである。


 そうして、本当に別れが近づいたところで、ファルマーズはふと歩みを止めた。その視線は船の方へ。

 無言で彼を見つめるリズに、彼は向き直って言った。


「皆さんに伝えてほしいんだけど」


「ええ、どうぞ」


「国にいた時よりも……気楽だったかもしれない」


 国に残した面々のこともあり、彼は相当に言葉を選んだものと思われる。それだけの間があった。

 だが、これ以上ないお褒めの言葉であろう。捕虜の立場で「気楽だった」などというのだから。

 皮肉に聞こえなくもない本音を笑顔で受け止め、リズは「確かに、伝えておくわ」と承った。


 別れの儀式は以上だった。

 役人たちとの距離が詰まるにつれ、次第に二人の顔も真面目で面白みのないものに。

 やがて、和やかだがよそよそしくもある雰囲気の中、事務的な引継ぎが始まった。さすがに王族としての心得は染み付いていると見え、心情的な緩みが表に出ることは何一つない。

 淡々とした様子のファルマーズは、役人の案内に従ってその場を後にした。その後ろ姿をじっと見つめ、リズは……


(私も(ほだ)されちゃってるわね)


 実際、彼の立場を思えば、気遣いの念が湧いてくるというものだ。

 ネファーレアの一件と違い、彼は自分の力で独り戦い、結果として捕虜になったのだから。

 それも、試験中の魔道具一式を逸失する失態を演じて。

 だが、彼は自分の意志で、そうすると決めたのだ。過分な気遣いは、覚悟に対する非礼かもしれない。


 声が届かなくなる程度の距離まで離れたところで、リズは振り向き、歩き出した。

 自分の船に戻ると、彼女は少し寂しげな沈黙を吹き飛ばすように、快活に声を上げて指示を飛ばしていく。


「では、以降は事前の予定通りに。私はマルシエルへ向かいます。全体の指揮代行はマルク、船の運航については二一ルに一任します。よろしくね」


「了解」


「了解です」


 ファルマーズは、これから色々と大変な目に遭うことだろうが……

 こちらはこちらで、色々とあるのだ。


 むしろ、ここからが本番というべきかもしれない。

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