第218話 猶予の過ごし方
勝利の翌日。リズは再び玉座の間に赴き、ファルマーズからの聴取を開始した。
しかし、中々情報が漏れることはない。ラヴェリア国内や王室の動きに関しては、公に知られる程度の話が語られるのみ。ましてや、継承競争のルールなどは語られるはずもなく、彼は固く口を閉ざした。
捗らない聴取に、リズは困ったような苦笑いを浮かべ、小さく鼻を鳴らした。
この場には、魔王とルーリリラ、そしてラヴェリア王族二名の計四名しかいない。あまり大勢引き連れて聞き込みをしたのでは、かえって警戒され、話しづらいのでは……という配慮があったのだが。
こうした対応を、我ながら甘いと思わないでもないリズだが、この弟に対して甘くしてやりたいという思いは確かにあった。
後の世の事を危ぶみ、戦乱を加速させかねない自身の研究を、彼は単身で危険も顧みずに抹消しに来たのだ。中々見上げた根性である。
それに、彼の行いは所属組織に対する背任ではあるが、一方で自分たちが”持ってしまっている”技術への、強い責任感や使命感を思わせる。
そういった、立派なところのある弟に対し、厳しく攻め立てて情報を絞り出すのは本意ではない。
相手の事を顧みない尋問なと、いかにもラヴェリアの国粋主義者がやりそうな事だとして、忌避したいという思いもある。
それと……大前提として、ラヴェリア王室を極度に刺激したくないという考えも。
ならば、捕虜の身柄を丁重に扱うのは、当然の道理であった。
そうした諸々から、勝者ながらも中々強気に出られないでいるリズだが……
一方のファルマーズは、今の状況をナメ切っているわけではないようだ。
むしろ、話せない話題ばかりで口を閉ざしていることに、申し訳なく思う気持ちすらあるらしい。問いを重ねられるほどに、彼はうつむき加減になり、視線も下へ下へと向いていく。
(こういう方向性で責めてやろうかしら)
相手の立場は思いやるつもりではあるが、それはそれとして情報は欲しい。今後の算段について、少し思い巡らせるリズだが……
とりあえずは1つ、早いうちに聞いておくべきことがあった。相手にも答えやすいよう、言葉を選んで問いかけていく。
「ねえ。あなたって、いつまでにラヴェリアに戻らなきゃいけないの?」
「それは……ちょっと待って」
即答はしなかったが、答える気はあるらしい。後ろめたそうな様子は消え、彼は考える様子を見せた。そして……
「12月28日であれば、大事にならずに済むと思う」
「ふ~ん」
帰還の期日を漏らすことは、継承競争に関わる何らかの手がかりを与えかねない。そういった認識は、彼にも当然あったことだろう。
しかし、言わずに済ませることで予期せぬ事態が生じる懸念も、やはりあるだろう。アスタレーナと繋がる通信手段は、リズの手にあるのだから。
となると、ファルマーズの立場では完全な黙秘が難しい問いである。
――というのがリズの見立てであり、同時に彼女にとっても重要な意味を持つ問いだ。
幽霊船での事例を除けば、複数の継承権者が同時に動くことはなかった。
やはり、鉢合わせによる衝突と仲間割れを避けるべく、誰かが明確な作戦行動を起こしている間は、かなり強い優先権が付与されているのだろう。
では、彼が口にした期日が、本当に限界の日付なのかどうか。
本来の期日を超過している可能性はまずないものと、リズは考えた。仮に本来の期日を超過して捕虜を留めようものなら、まず間違いなくアスタレーナに迷惑がかかるからだ。
相談もできない状況で、そのような決断を下すとは考えにくい。前もって示し合わせたという可能性が、ないこともないが……
それよりもあり得そうなのは、過少申告である。縮めたにしては、今からおおよそ20日近くという猶予期間は、それでも中々長いように思われるが……
今の彼の立場からすれば、国にはやはり戻りづらいだろう。情報戦のために過少申告すべきと考えたとしても、心情的にはあまり縮めたくはないというのは理解できる。
加えて、あまりに短い日付であれば、信じてもらえない可能性も考慮したのではないか。
各種公務との兼ね合いから、年明けよりも少し前倒しに申告したという線もある。
とりあえず、他の邪魔が入らないものと思われる本来の作戦行動期間は、おそらく20日以上。ファルマーズが過少申告している可能性と、ここに訪れるまでの準備期間があった可能性を踏まえると……
(キリよく1か月ってところかしら)
推測を立てたリズだが、これが当たっているかどうかは、実はさほど重要ではない。今、重要なのは――
いずれ送り返してやる弟の前で、こうして考え込む素振りを見せることだ。
彼からすれば、こうして情報を漏らしたことは兄弟に報告せざるを得ず……本当の期日に感づかれている懸念を口にすることも十分に考えられる。
そうなれば、独占的な作戦行動期間の規定が改定されるかもしれない。少なくとも、各継承権者が最低でも一巡したように思われる中、ちょうどいいタイミングでもあるだろう。
そうした改定は、リズにとって望ましいものだ。
王族同士の直接対決でも決着がつかず、直近の戦いでは捕虜になることさえあった。その事実を踏まえれば、王室周りがより慎重になり、行動期間を長めに設定するかもしれない。
リズにしてみれば、仕掛けられるスパンが伸びて万々歳である。
もちろん、早めにケリをつけたいのは先方の総意だろうが……
期間引き延ばしについては、あまりやる気なさげに思える一部の継承権者自身が、後押しすることさえあるかもしれない。
さらに重要なのは、ルール改定という行為自体が持つ意味合いである。
継承競争の中の細目の一つに過ぎないとしても、曲がりなりにも王族に対して拘束力のあるルールである。
それが、たかだか国賊のために揺らぐということは、ルールの絶対性を揺るがせ、ひいては継承競争全体に大きく作用するのではないか――
もちろん、ここまでは推定に過ぎない。そういったルールが有るかどうかも、リズには確信の域にまでは達し得ない。
しかし、仮に存在すると踏んだのなら……それとない素振りで、相手の動きを望んだ方向に誘導できるのかもしれないのだ。試みる価値はある。
それに、不確かな憶測ばかりの中でも、一つ確かな情報がある。
弟を送り返すまで、20日近くの猶予があるのだ。
ひとまず聴取を切り上げ、リズは玉座の間を退出した。
転移先のダンジョン入口は、今や彼女の生活スペースである。ファルマーズを迎え撃つための準備期間のように、これからダンジョン内で訓練に明け暮れることになるからだ。
今日もさっそく訓練だが、その前に彼女は、結果待ちだった面々に聴取結果を告げた。
「12月28日にラヴェリアに帰還というのがタイムリミットだそうで」
「あと17日ですか……船で直送して、本当にギリギリというところですね」
「おそらく、船だけで帰ることは考えてなかったのでしょうね」
「つまり……《門》が前提ってことか」
聞き出した情報に対し、それぞれがいつもどおりの様子で見解を口にしていく。
昨日の酒宴において、開宴時にアクセルからの“挨拶”があったのだが、その場では多少の混乱を招きつつも、最終的には仲間として受け入れられる結果で終わっている。
日をまたいだ今も、特に気がかりな様子はない。アクセルとそれ以外で交わされる無言の視線が、若干多いように思われるが……この程度であれば、といったところではある。
それはさておき、今はファルマーズの件が最重要課題である。リズは思考を切り替えた。
仮に彼が勝っていた場合、あるいは自力で逃げおおせていたのなら、その時はアスタレーナの手助けがある。他国に《門》を使わせてもらうことなど造作もないだろう。
しかし、リズたちが《門》を手配して送り返すとなると、事情は変わってくる。
「利用の口実とルート次第では、何かしらの嫌疑を持たれかねませんね……」
「はい。未だに相手が感づいていないとも考えにくいですが、確定的な情報を与えたくはありません」
そこで、セリアには自国への報告とともに、送還時の対応を練ってもらうこととなった。
先日の戦勝報告においても、マルシエルはファルマーズを無事送り返すというリズの意向について、強い賛同を示していた。実際の送還においても、大過なく事を済ませてよう、手を貸してくれることだろう。
聴取結果と、それに関わる対応について話し合った後、それぞれが動き出した。散っていく仲間を眺めた後、軽く手を叩くリズ。
すると、間を置かずにルーリリラが姿を現した。
「では、参りましょうか」
「ええ」
軽く言葉を交わし合った後、リズの足元に魔方陣が刻まれ、彼女の視界が融解を始めた。
その後、彼女は殺風景な空間に飛ばされた。暗い灰色の宙に浮かぶ白い板上の平面には、鮮やかな緑の輝線が走って格子状に区切られている。
格子の一部は塗り潰され、様々な色のタイルが散らばっている。中には、不自然にも木が生えているタイルも。
なんとも不思議な空間には、地に足着く感じがあるものの、勢いよく飛び出せば虚空のどこまでも飛んでゆけそうである。
そんな現実味のない訓練場の中、ルーリリラが言った。
「あと20日ほどと伺いました」
「はい。うまくいけばいいのですが……」
「リズ様でしたら、きっと大丈夫ですよ」
この道では大先輩にあたる魔族は、ニッコリ笑って請け負った。




