第215話 打ち明け話①
一応は捕虜という扱いのファルマーズだが、リズは弟に色々と追及する気が、急に薄れてきた。少なくとも、今のこの場では。
「聞いておきたい事は色々あるけど、とりあえずはこの程度にしましょうか」
「……今のうちに、言っておくけど」
小さく鼻をすすりながら、彼は言った。
「兄弟や国に迷惑かかったり……僕の良心に反するような事は、絶対に言わないから」
「ああ、そう……私のことを気遣ってくれてた感じがあったけど、他の皆様ほどじゃないのね?」
人の悪い笑みを浮かべて尋ねるリズに、彼は少し視線をそらし、やや小声になって「当たり前じゃないか」と返した。
さすがに、正式な兄弟とは比較対象にもならないのだろうが、彼の中では赤の他人というほど見捨てられてもいないのだろう。
それがリズには、しっくり来る距離感のように思われた。
「それで、兄弟や国への迷惑はダメだっけ?」
「いちいち確認するようなことかな……」
「陛下は宜しいのですかしら?」
ニヤニヤ笑いながらのツッコミに、彼は押し黙った。言葉の綾ということも考えられるが――
あの男は、この弟の中でも、そういう存在なのかもしれない。
一瞬の空白にそんな事を思うリズだが、意外と早く返事がやってきた。
「国といえば、陛下を指すのは当たり前じゃないか……」
「ああ、そう」
ラヴェリアの王権の強さを思えば、確かに納得できる指摘だが、とってつけた感は否めない。
これに気分を良くしたリズは、イスから立ち上がって彼に歩み寄った。笑みを崩さないままの姉に、ファルマーズは少し気圧され気味でいる。
何をされるものかと身構える彼に、リズは手を伸ばし、頭を少し雑に撫でていく。
「ちょ、ちょっと!」
「お気に召さなかったかしら?」
衆人環視化で可愛がられるのは、あまり経験のないことなのかもしれない。囚われの身という自覚はあるのだろうが、恥じらいがそれを上回り、彼は頬を赤らめた。
実際、こうしてからかってみたいという欲があったのは確かだが、集団としての方向性を暗示する意味もあった。口にしては野暮と思われるし、かえって変に気を遣わせかねない。
彼が思いを口にした甲斐もあってか、彼を敵視するような目はどこにもない。
むしろ、彼に向けられるそれぞれの視線には、一角の人物として認め、敬意を向けている感じがある。
きちんと送り返してやりたいリズにとっては、何よりのことであった。
それに……国に戻ったとしても、色々と難しい立場に立たされることだろう。彼が自分で決めた行為の結果だとしても。
ならば、自分の手元にあるうちは、敵地で囚われた身だとしても、余計な心労を与えたくはない。そうして遇することが、弟の決意と深慮に対する礼節である。
そこで彼女は、ここの主に向き直った。
「この中での行動の自由を与える事を、どうかお許しいただきたく存じます」
「ああ、構わないよ。こちらとしては、何もなくて申し訳ないくらいだけど」
と、魔王は相も変わらず柔和な調子である。
ホッとしたリズは、弟をイスの拘束から解いてやることにした。拘束といっても、何なら力ずくで抜けなくもない程度の、かなり加減されたものだったが。
解かれたことに少し戸惑い気味のファルマーズは、「いいの?」と尋ねた。
「人目を出し抜いて脱出しようものなら、私たちがお相手になるけど?」
すると、彼は周囲にそれとなく視線を向け……何か感じ取ったのだろうか、フルフルと首を横に振った。
「……それはそれとして、あなた、事が終わった後はどうするつもりだったの?」
「迎えを呼ぶつもりだったよ」
そう言って彼は、小さな宝珠がはめ込まれた指輪を取り出した。「アスタレーナ姉さんに繋がってる」と、彼は言う。
そして彼は、指輪をリズに差し出した。
「あなたを解放するまで、これは預かっておくわ。」
「うん」
「……姉上は、あなたの考えについて承知してらっしゃるの?」
「魔道具のことは言ってない。こんなことで姉さんに迷惑をかけたくはないから……でも、あなたの手に指輪が渡る可能性については、姉さんはすでに想定していると思う」
この言を信じるのなら、指輪を介して何らかの交渉が成り立つ可能性は高い。
そして、彼の言う通り、先方には想定と備えがあるのではないかと、リズは考えた。
何しろ、身の危険を顧みずネファーレアとの戦いに介入してきた、あの姉である。
そんな彼女のことを思うと……敵国の人物ながら、さすがに気の毒さと申し訳無さを思えずにはいられない。
(まずは、この子の口から無事でも伝えてもらおうかしら……)
人質に対する情も十分に湧いており、かえって困っている自分を認め、リズは苦笑いした。
ファルマーズの扱いに関し、とりあえずは玉座の間で監禁。拘束はしないが、監視要員を交代で数名つけることになった。
さすがに、魔族二人に預けっぱなしでは……ということでの監視要員だが、当の魔族二人は、新たな客人に興味津々である。預けても安心という、適切な人選ではあった。
現時点での態勢を簡潔に定め、リズたちは一度、玉座の間から出た。
転移先はダンジョン入口の大広間である。人を喰ったような看板に目を向け、何人かが苦笑いした。
「効きましたかね?」
「実は、それほどでも」
挑発になればという目論見はあったが、リズは正直な所見を口にした。
ただ、仕掛けに関わった面々はむしろ、この返答に安堵したようだ。敵であったファルマーズに対し、色々と思うところはあるのだろう。
それから一行は洞窟を出た。日は高く登っており、これまで洞穴に慣れていた目を、遠慮のない光量が攻め立ててくる。
さて、一味の頭目があのラヴェリア王家の一員と戦い、相手を捕らえるという快挙を成し遂げた。さっそく、その祝いをというわけだが……
「今から酒宴ってのも……どうでしょ?」
「もう少し後にしましょうか」
一般人とは言い難い生活をしている一行だが、別に堕落している訳ではない。むしろ、かなりストイックな方である。日が明るい内から酒に溺れるのは、どうも……といった抵抗感は、全員に共通するようだ。
そこで、戦勝パーティーは日が暮れてから、自分たちの船でやろうということで話がまとまった。
それまでは、人員を手分けして手配。可能性は低いが、ラヴェリア側の増援がやってこないとも限らず、島全体の偵察と警戒に数名。
セリア含む数名は、船に戻って残るメンバーへの報告と、マルシエルへの速報を。
他の人員は、夕方の宴会に向けた準備として、昼の内から食材調達という流れに。
そんな中、殊勲者のリズは――
(ヒマだわ……)
「たまには休め」というマルクの一言に全員が賛同し、浜辺でボンヤリすることとなった。青々と茂る木立に身を預け、遠く浮かぶ船に、あてもなく視線を向ける。
そうしている間にも、雑念が沸き起こって仕方ない。これからのことを考えると――
未だに面倒が多いのは確か。それでも、心躍るような期待もある。
あまり考えてばかりでは、休んでいるとは言い難い。
それでも、充実したものはある。油断ならない状況とは思いつつも、今は気を張るのを人任せにできる。
目の届くところに仲間の人影はなかったが、安心して思索にふけっていられる。それ自体が、実にありがたく、心安らぐ事実だった。
そうした穏やかな心持ちを覚えると、急にウトウトとし始め――
☆
潮騒を背に響く、人の声。何やら呼びかけられている――?
ハッとして目を覚ますと、リズはすっかり寝入っていた自分に気づいた。登っていた日はかなり傾き、辺りを鮮やかな茜に染め上げている。
そばにいるのはマルクとニコラ。起こしに来てくれたのだろうが、二人の表情には少し緊張感がある。
「……何か問題が?」
「それが、なんとも微妙なところなんだが……」
煮え切らない様子で口にしたマルクに、ニコラが続ける。
「アクセル君の様子が、少し……なんというか。暗いというか、思い詰めたようなところが」
「アクセルが?」
作戦が成功したばかりだというのに、気落ちしているというのは変な話である。
「聞いてみても、教えてくれなくてな」とマルク。アクセル自身、そういう気分であることを否定はしなかったそうだ。
そこで、リズにお鉢が回ってきた。
「リズさんであれば、もしかしたら聞き出せるかも……なんて」
「あんまり変わらないと思うけどね……」
とは言ったものの、話を聞く限りでは心配である。後顧の憂いになるかもしれず、今のうちに解消しておきたい。
ここまで同業としてやってきたこともあり、アクセルの変調は二人もかなり気にしているようだ。「頼む」という短い言葉に、色々と感じられる。
「ま、私に任せなさいな」
リズは腰を上げ、努めて軽い調子で請け負った。
二人によれば、アクセルは少し離れた浜辺にいるとのことだ。話を聞いた感じ、夕日を見つめて黄昏れていそうだが――
(イメージ通りだわ……)
心に思い描いた通りの光景に、リズは思わず含み笑いを漏らしてしまった。
アクセルが浜辺に腰掛け、少しうつむき加減になりながら、傾いた夕日に視線を向けている。
しかし、さすがに気配には敏感だ。含み笑いで気づいたのかもしれないが、彼はハッとした様子で顔を向けた。
「リ、リズさん……」
「そんなに驚かなくったっていいじゃない……あ、もしかしてサボりだった?」
「え、ええ、まぁ……」
しどろもどろになりつつ言葉を返す彼の横に、リズは並んで腰掛けた。
「で、どうしたの?」
「えっ? いえ、だから警戒を少しサボってて……」
「何かあったんでしょ? だいたい、あなた今までずっと生真面目だったじゃない。それがいきなりサボるんだから……何かあったと思うのは当然だと思うけど?」
「そ、それは……」
「そうやって受け答えに苦しんでるのも、かなり珍しいことだし」
言葉を重ねるほどに、彼は追い込まれ、狼狽していく。
明らかに、何か隠し事をしている。しかし……
「言えないことがあるなら、別に言わなくていいわ。ただ、何か適当に理由でもでっち上げなさいな。みんな、深入りはしないでしょうけど、それでも心配はしてるから」
そう言うと、アクセルは神妙な顔でうなだれ、彼女は「隠し事が多いセンパイからのアドバイスよ」と笑った。
その後、二人は口を閉ざし、静かな時間が流れた。寄せて返すさざなみ、風に揺れる枝葉の音が、時の流れをささやかに伝えてくる。
この後は宴会だ。アクセルがこのままでは、他の皆が気にするだろうし……何より、彼自身にとって気が重い事態になりかねない。
だからこそ、隠し事の中身はともかくとして、気分だけでも好転させたくはあるのだが……
穏やかな笑顔の裏で、リズが過ぎゆく時間に少し気を揉んでいると、アクセルがポツリと零すように口を開いた。
「あの……」
「どうぞ」
「……信じられないかもしれませんが、本当のことを話しますから……とりあえず、最後まで聞いてください」
かつてないほど深刻そうに、ためらいも見せながら口にする彼に、リズはただ優しい笑みだけを返した。
そんな彼女に、アクセルの瞳が少し揺れ――瞑目した後、彼はハッキリと告げた。
「僕は……ラヴェリアの諜報員です」




