第213話 戦勝とその後
状況を考えれば当然のようにも思えるが、それでも実際にその言葉を聞けたのは、格別の感があった。
今まで追われる立場でしかなかったが、ついに同族との直接戦闘を制し、降伏の言を引き出したのだ。
ただし、言葉だけでは互いの安全を保証できない。抵抗する様子がないことを認めつつも、リズは言った。
「《封魔》をかけるけど、受け入れるかしら?」
「はい」
ファルマーズは迷いなく即答した。
《封魔》の影響下にあれば、魔力を使えなくなる。それは、魔力によって動く魔道具についても同様だ。
彼が《封魔》をかけられても戦うような豪傑には見えず、事実上の生殺与奪権を、こうもあっさりと差し出されたことに、リズは若干の困惑を覚えた。
そもそも――
「どうして、こんなところで戦おうと思ったの?」
戦闘中、うっすらと気になっていたことを彼女は尋ねた。
彼女としては、ここで戦っても殺さずに済ませ、そのうち国に返してやるつもりであった。この事は仲間たちも承知している。
だが……ファルマーズからすれば、無事に済まされるなどと信じきれるものではないだろう。ネファーレアとの戦いが、どうにか収拾がついたという前例があるとしても、あの時はアスタレーナの介入もあった。
仮に、リズの方針について何となく察するものがあったとしても、命の安全までは確信できるはずもない。
それに、殺されるとまではいかずとも、ダンジョン内で幽閉される懸念は現実的だったはずだ。戦闘中、危なくなったと見るや離脱され、置き去りにされるという状況も。
こうした事を考えずにやってくるとも思えず、事が終わった後にしてみれば、王族にしては極めて危険な橋を渡ったように思えてならない。
疑念を口にしたリズに、ファルマーズはどことなく物憂げな顔になり……口を開いた。
「疑問には、後で話します。今は気持ちや考えを落ち着けたいですから……」
「そう。それはいいんだけど……いきなり改まっちゃって。話しやすいように話せばいいのよ? 色々と聞きたいことはあるし」
負けた自覚がそうさせるのか、弟の口調は硬いものになっていた。
この変化に対し、強い思いはないのだが……元の口調と違って、面白みがないようには感じていた。
一方、言われた当人は苦笑いを返し、「そうするよ」と言った。
その後、リズは巻き付けたマントを解いてやった。拘束を解かれたファルマーズは、大剣を手放し、虚空に浮かんだそれをリズが手にする。
《封魔》に続く武装解除も終わり、後は現実世界に帰還するだけだが……宙に漂う金属片の数々を目にして、彼女は少し申し訳無さそうな顔になった。
「その……謝るのも変な話かもしれないけど、ごめんなさいね?」
「何の話?」
「いえ、あなたの魔道具。きっと自信作だったと思うけど、遠慮なく壊してしまって」
実際には、壊してしまったことをもったいなく思うところもあるくらいだ。
だが、ファルマーズは目を閉じ、首を横に振った。
「それは、別にいいんだ」
とは言ったものの、表情には何か割り切れない感情が滲み出るようで……
察しながらも突くのは野暮かと思い、リズはそれ以上追求しない事に決めた。
それに、聞きたいことがあれば、出てからでもいいのだから。
『終わりました』と、彼女が協力者二人に念じると、さっそく興奮気味の声が心に響いてくる。
『ご無事で何よりです! お見事でした!』
『本当にね。これほどの戦いに協力できたことは、光栄に思うよ』
『積もる話もあるのですが、まずは帰還をお願いします』
彼女の依頼に、二人は当然のように快諾。すぐにリズとファルマーズの足元で魔法陣が生じ、目にするものが溶け合っていく。
転移した先は、ダンジョン最奥の玉座の間である。
本来はごく限られた者しか入ることが許されない空間だが、今回は関係者が何人も入り込んできていた。リズ一味の主だった幹部的面々に加え、ダンジョン探索を共にした先輩たちも、念のための人員として。
実のところ、ダンジョンを制覇された今となっては、この空間の神秘性に魔王自身が、さほどのこだわりも持っていないのだが。
そんな空間に、今度はラヴェリアの血を引く二人が出現した。緊張で静まり返る中、リズが落ち着いた口調で告げる。
「こちらの、ラヴェリア第六王子ファルマーズ殿下の同意を受け、戦闘が終結しました。魔法による拘束済みですが、念のために捕縛を」
と言われても、中々動き出せるものでもないだろうが、最初にマルクがスッと動き出した。
彼に任せておけば問題はないだろう。目配せにうなずきで返す彼に頼もしさを覚えつつ、リズは他の面々に声をかけていく。
「皆さんご承知のことと思いますが、改めて。故あって交戦する仕儀となりましたが、殿下に対しては決して失礼の無いようにお願いします」
それから、緊張に包まれた空間を見渡し、彼女は苦笑いした。
「私みたいな一番の無礼者がこう言うのは、示しがつかないかもですが」
この言に、場の緊張が少し砕け解れていく。
最初の指示の後、彼女は転移でダンジョン入口まで転移してもらった。
この後、捕らえたファルマーズ相手に色々と話をする流れとなるが、まずは身支度である。
というのも、痛々しい戦傷を残したままでは、ファルマーズに対する悪感情をもたらしかねない。そういうことで判断を誤る仲間たちではないという信用があっても、間違いの元は取り除いておきたいのだ。
それに、自分に向けられるそういった視線も、やはり気になるところではある。
リズと一緒に飛ばされたのはニコラとセリア。二人の手伝いで、着替えと手当てが進んでいく。
「大きな負傷がなくて何よりですけど……これを無事と呼ぶのも、『どうなの?』って感じですね……」
「残る傷でもないし、気にすることないわ」
実際、急所は完全に避けており、いずれの傷もかなり浅い。
それでも、負った傷は数多く、しっかりした軍服然の装いを脱がしていくと……内側の服は血みどろであった。
さすがに顔をしかめる二人だが、当のリズは、上着に感心を覚えた。
「表には出ないのね……」
「厚手にできていますから……こういった服を着る階級であれば、あまり負傷を目立たせたくないという需要もあります」
「なるほど」
せっかく魔王を名乗るのだから、挑発目的でそれらしい服を――そんな浅い考えで調達、ニコラとセリアの協力でコーディーネートした服装だったが、意外と正解だったかもしれない。
もしかすると、他の面々にもっと深刻な心配や心労を与えていたかもしれないのだ。
その、あり得た気苦労を、この場の二人だけが味わっているのだが。
会談を控えての身支度は、二人の手際もあってすぐに完了した。負傷に包帯を巻き付け、そうした処置が目立たないように、装いはゆったりしつつも露出が少ないものを。
「こういうとアレですけど……」
「何?」
「さっきまで暴れまわってた人とは思えないですね……」
実際、今の装いはしっとりと落ち着いたものである。
着る物一つ変えただけで、モノの感じ方も少し変わったような気がしてくるから、不思議なものである。血で汚れた戦装束に目を向け、リズは言った。
「今の服に比べると、あの服はなんかこう……テンション上がったわ」
すると、服選びに関わった二人は、顔を見合わせて含み笑いをした。
支度が終わった三人が玉座の間に戻ると、こちらも用意が整っていた。
場の中央にはイスが向かい合って二つ。一つは空いており、一方にはファルマーズが拘束されている。
拘束といっても、両脚と胴を布でイスに括りつけた程度の簡素なものだが。
空いたイスにリズが腰掛けると、場の空気が一気に張り詰めた。
一応は玉座の間であり、この場の誰よりも年長者のはずの魔王もいるのだが……場の主役は完全に、まだまだ年若いラヴェリアの末裔二人である。
さて、色々と気になることはある。何から聞いたものか、考えようとするリズだが、とりあえず一つあった。
「さっき聞きそびれた件だけど、どうしてここに? ここにダンジョンがあるっていうのは、承知の上だったと思うけど」
「それは……話すと長くなるから、順を追って説明するよ」
すると、彼は目を閉じた。返答を渋っているではなく、話の順序を整えているのだろう。
やがて、彼は言った。
「もはや隠す意味もないと思うけど、次期王位を賭けた戦いのため、僕はここにやってきた」
「それでも、ダンジョンという環境下はだいぶ不利だと思うけど……抜け出す手立てでもあったの?」
「いや」
ダンジョンから離脱する力が、あの鎧にあるのでは――そんな予想もあったリズだが、相手が嘘を言っているようには感じられない。
つまり、何をされるかわかったものではないリスクを前提に、彼はやってきたというのだ。
「それだけ、勝つ自信があったというわけ?」
「そうでもないけど……色々と事情があるんだ」
そう言って、彼は一度瞑目し、少し間を開けて言葉を続けていく。
「もちろん、勝てばそれで良かった。次の王位に就いて、その権力でやりたいことがあった。でも、実は負けても構わなかった。僕の本当の目的は……あの魔道具一式の、完全な処分にあったんだ」
彼の言葉に、場が少しざわついた。さすがに色々と心得のある面々だけに、すぐに静まり返ったのだが……一度ざわついた余韻が、静寂の中で心の中を騒ぎ立てるようでもある。
「つまり、あなたが次の王になったら、自分の魔道具を抹消するつもりだったと?」
「そのつもりだった。封印ではなく、実物も記録も、どこにも残らないように」
「……アレだけの品でしょ? 一体何のために……」
自分の手で壊した際、もったいなさすら感じてしまったリズにとっては、当然の疑問であった。
すると、ファルマーズは少しためらいがちな様子で口を閉ざし、周囲を見回した。
「話すと、少し長くなるんだ」
「構わないわ」
「それと……もしかすると、僕のことイカレてると思うかもしれないけど、少なくとも自分では正気だと思うから」
「まぁ……イカレ具合は私の方が上なんじゃない?」
特に考えなく冗談のつもりで返したリズだが、ファルマーズの反応はどこかシニカルな微笑であり、それが何となく話題の深刻さを物語るようにも思われた。




