第209話 VS第六王子ファルマーズ①
ダンジョンの枠組みの外に魔法陣を展開。囲いを外してからの集中砲火。
この作戦自体はリズ発案のものだが、考えの骨子になったのはルーリリラの提言である。
――ダンジョンを用いて待ち構えるからと言って、ダンジョンそれ自体の制御や創造にこだわる必要はないのでは――
(まったくもってそのとおりだわ)
ダンジョンが生成される前の、光なき暗灰色の海に身を委ねつつ、リズはあの提言を思い出した。
視野の外どころか、思考の外を突くような、無数の魔弾による奇襲。ファルマーズがいたあたりに、今は濃密な魔力の雲が生じている。
避ける間もなく、まともに直撃を受けたのだろう。それでも、相手はラヴェリア王族である。この程度で終わるとは考えにくい。
それに、覇権主義国家の王族が、自ら手掛けた兵装に身を包んでいるのだ。生半可な武装のはずもない。
魔力の雲の中、相手の姿は確認できないが、リズは油断せず距離を取ることにした。足場も何もない空間で、彼女は両足や背部に用意した魔法陣から魔力を噴出し、移動していく。
この空間では《空中歩行》もほとんど機能せず、その代わりとして、魔族二人から伝授してもらった移動方法を用いている。
こうして普段の動きが通用しないこともまた、ダンジョンにこだわらず、この空虚な空間そのものを戦場とする理由の一つである。
(まったく対応できないってこともないでしょうけど……)
これで終わりとは思っていないリズは、中々晴れ上がらない魔力の雲に目を向けた。
すると、彼女の方へ一直線に、一筋の光線が飛んだ。狙いは甘く、避けるまでもない。
だが、追撃に備え、彼女は幾重にも防御用魔法を重ねていく。
ただ単に魔法の知識や技量を比べるだけならば、継承権者相手でも遅れを取らない自信が、彼女にはあった。
だが、そんな彼女でも、特定分野の知識では劣るところがある。ネファーレアには死霊術、レリエルには魔法契約や召喚術などで。
そして、魔法だけでなく魔道具にまで話を広げると……とても対応しきれるものではない。ファルマーズがどういう戦い方をするのか、彼女でも見当がつかないのだ。
初手での奇襲と、今の防御重視の姿勢は、彼を脅威と見ているからこそである。
集中砲火の残滓が完全に消失すると、光沢ある水色の鎧が姿を現した。集中砲火に晒されながらも、さして損傷を受けていないように見受けられる。
そして、鎧に身を包む彼もまた、奇襲の影響を受けていないようだ。構えた大剣には魔力が集中し……
再び光線が飛んできた。これをかわしたリズだが、先程よりも狙いは良くなっており、今の状態が本来の性能だと感じられる。
(周囲の魔力が濃すぎて、まともに狙えなかったって感じかしら)
剣から魔力を飛ばす事自体、そう珍しいものではない。リズが携える《インフェクター》もそうだが、魔力の刃を飛ばす魔道具もあれば、自力で斬撃を飛ばすという技術もある。
だが、ファルマーズが見せている攻撃は、振りかぶる予備動作なしでの射撃だ。射撃用の杖に近い魔道具であろう。魔力の集束も驚くほど速く、撃たれるまでの予兆の少なさは単純に厄介である。
それに――彼は自分の腕で、きちんと狙ってきている。
(効いてないようね)
最初の奇襲は《魔法の矢》が主体だったが、それは目くらましのためでもあった。実際には、《貫徹の矢》も仕込んであり、四肢の自由を奪うように射たはずなのだが……
取り回し悪そうな大剣であるにも関わらず、彼はそれを操ることに不自由していない様子だ。
ただ、母国の技術力を認めるようで実にシャクな話ではあったが、貫通弾が効いていないのも仕方ないことという認識が、リズにはあった。
そもそも、《貫徹の矢》は鎧など素通りできるようからこそ、技量次第では一撃死を狙える攻撃として評価・重用されている。厚い装甲は機能せず、逆に動きが鈍る分、重装は貫通弾の良い餌食なのだ。
逆に言えば、このような戦いに王族が全身鎧を持ち込んでくる事自体、相応の備えがあることを推して然るべきである。
まったくの無意味と決まったわけではないが、使えそうな攻撃に早くも暗雲立ち込めたことに、リズは表情を少し険しくした。
それに……「相手にとって不慣れな戦場を」という見込みで選んだ、この虚無の空間だが、敵は不器用ながらも動きを制御しようとしている。鎧の全身に輝線が走り、各所から魔力の粒子を噴射。
リズの方が一日の長があるが、動きの原理そのものは向こうも変わらないように映る。見よう見まねであれ、同じようなことをできる装備をしている事自体、予想を超える脅威だ。
とりあえずの様子見に、リズは《追操撃》を連発した。標的の周囲を囲むように弾を展開させ、四方八方から一気に攻めさせる。
これら弾幕は直撃したが、目立った変化はない。だが、彼女には織り込み済みであった。最初の集中放火に比べれば、弾の密度は薄い。
彼女が注目したのは、別のところにあった。弾の襲来にあたり、ファルマーズが自分の手で《防盾》等を張った様子はなく、鎧それ自体が耐えているようだ。
魔法による破壊は至難であろう。だからといって、腰の魔剣に頼るわけにも――
攻め手を欠いている自覚に、彼女は攻撃を一度控えることにした。一気呵成に攻めるべきという考えもあったが……初撃の火力でも有効打になっていないのならば、下手に動いても魔力の浪費にしかならないかもしれない。
それよりは、相手の出方をうかがい、勝ち筋を見つけることに専心することを選んだのだ。
彼女が観察する先で、ファルマーズはみるみるうちに、制動のコツを掴んでいくようであった。
最初は鎧からの推進力や慣性に振り回されるようだったが、それも徐々に手懐けていく。虚空で身が煽られる合間に、射撃まで織り交ぜるまでになった。そして――
(来る!)
先触れを直感し、彼女は軽くマントをはためかせた。相手の視界に入らないよう、それとなく手を剣に掛け……
次の瞬間、輝く粒子を撒き散らしながら、敵が猛進を始めた。鎧背部の小さな翼を思わせる意匠から、噴射された魔力が光る翼となって、虚空を切り裂いてくる。
輝く猛禽か、はたまた一本の矢か。迫りくる彼は両手で大剣を前に構え、一突きにしようと一気に距離を詰める。
これにリズは、《汚染者》を引き抜きつつ――《火球》を放った。
彼女の先読みに一瞬遅れ、ファルマーズの大剣から光線が放たれる。剣の切っ先から真っ直ぐに飛ぶ光線が、先に飛んだ《火球》に突き刺さる。
次の瞬間、暗い灰色の虚空を、鮮やかな紅炎が吹き飛ばした。
広がる爆炎の中、それでも構わず突き進むファルマーズ。一瞬の出来事ゆえに、対応が難しかったということもあるだろう。
一方、これを仕掛けたリズは、相手の突進をまっすぐ受けず、爆炎から回り込むように動いた。
そして、突撃の横合いから、大剣狙って鋭い斬撃を繰り出す。
あまり認めたくはない話だが、《汚染者》という魔剣の出来具合については、リズも高く評価するところである。これまでに切り抜けた激戦の中、魔剣の宿る人格が音を上げても、魔剣そのものは戦いに耐え続けてきた。
一方、射撃用魔道具も兼ねていると思われる相手の大剣は、もしかすると繊細な仕組みかもしれない。
そこで、破壊あるいは故障させる事ができれば儲けものと、まずは剣同士の力比べに移ったのだ。
大剣に魔剣が打ち下ろされ、甲高い音が響き渡った。魔剣が何も言わないあたり、押し負ける感じはない。
しかし、打ち付けた威力が不意に腕から逃げる感覚に、リズは嫌な予感を覚えた。《火球》の残滓の中、魔力に確かな揺らぎがある。
その兆しを読み切り、彼女は打ち下ろした魔剣を引いて構え直した。
そこへタイミングを合わせたように、空間を大きく薙ぐような大剣の一撃。打ち合う刃が、耳を突く音を再び響かせ、鍔迫り合いの格好に。
《火球》の魔力は、大剣によって薙ぎ払われて完全に四散。魔力の霞の中から、水色の鎧が再び姿を現した。
突撃の横から剣を打ち込まれたファルマーズは、鎧の各部から魔力を噴出して制動。打たれた威力を取り込むように回転し、次なる打ち込みの動きに変換した。
その一方、リズは腕の感覚と相手の魔力の動きからアタリをつけ、次に来る攻撃に対して構えたのだ。
相手の動きを読み切り、斬られることなく対応できた彼女だが、胸中には相手に対する素直な感心の気持ちがあった。
弟の実戦経験は、これが初めてだろう。加えて、彼が身にまとう鎧も、おそらくはこれが初実戦のはず。
にも関わらず、彼が見せた突撃からの流れるような連撃。重力から開放されたこの空間だからこそのこの動きは、その場の即興としか言いようがない。
「中々やるわね!」と、リズは不敵な笑みを浮かべて言った。正直な気持ちであり、一方で相手にとってやりづらくさせたいという、合理的な嫌がらせの目論見も。
返る言葉はない。しかし、鍔迫り合いに力が揺らぐものを、彼女は感じ取った。
自分とは違う方向性で、結構甘っちょろいのかもしれない――戦いの最中ではあるが、彼女は小さく鼻を鳴らして笑った。
そうして数秒間、互いに引かず押し合っていると、黙っていたファルマーズが静かに言った。
「……これ以上は、手加減できなくなる。降伏するなら、僕は……」
「私が降伏したって、あなたの面倒が増えるだけでしょ」
降伏を促されたのは、これが初めてではない。第二王子ベルハルトとの戦いの前にも、同様の勧告はあった。
仮に降伏したとして、それでも国に殺される運命は揺るがないだろう。あの兄でも、半ば諦めていたのだ。この弟に、それを成し遂げるだけの政治力があるとは思えない。
それでも、リズは笑う気にはなれなかった。あまり似ていない兄弟だが、どこか通じ合うものがあるようで……
あの輪の中に自分がいないとしても、かつて自分を助けてくれなかったとしても、本当は悪い連中ではない。そのように信じられる。
そういった思いを自ら認めた上で、彼女は意を決し、声を上げた。
「手加減だなんて、ナメられたものね! あなたの全力程度、受け止められないような小娘が、ここまで生きていける訳ないじゃない!」
言葉とともに、魔剣を握る手にも力が入る。叫びは自分自身に向けたものでもあった。
相手を殺すつもりはないし、そもそも殺してはならない。そうした制約を認識した上でなお、彼女は戦うことを選んだ。これまで生き抜いてきた自負が、確かな力になっている。
この声が、きっと彼の内側にも届いたのだろう。これまでとは明らかに違う、ややぶっきらぼうな口調で、彼は吹っ切れた。
「どうなっても知らないからな!」
そして、それが合図になったかのように、鎧に変化が生じた。背部にある小さな翼らしき構造体が、鎧から離れつつ分裂。虚空に尾を引いて羽根が飛んでいく。
これが、「手加減できない」何かなのだろう。自ら望んだような脅威に手に汗握るリズだが……それでも彼女は、不敵な笑みを浮かべてみせた。
面を覆われ、素顔が見えない弟に向けて。




