第206話 送り送られ
12月10日。ラヴェリア聖王国、外務省にて。
同省の敷地内は、その性質上多くの貴人が出入りする。王族も例外ではなく、国策として王族の外務が増えた今となっては、外務省への訪問も珍しいものではない。
だが、今日は訳が違った。外務省に訪れたのは第六王子ファルマーズ。彼が外務省職員の手を借りて運んでいるのは、台車に乗った木箱。人一人がすっぽり入れそうな大きさである。
情報のやり取りがメインの外務省において、こういった荷物が運び込まれること自体、あまりないことだ。
ましてや、他の機関に在籍する王族が、得体の知れない荷物を運び込むことなどは。
教育の行き届いた省内においても、さすがに目を引く光景らしい。すれ違う者の歩はわずかに緩み、視線がそれとなく木箱へ誘導される。
抑制された注目を浴びつつも、ついに引き止められるようなことはなく、一行は省内でも警備が厳重な区画に着いた。他の官吏と似たような服装で帯剣している衛兵が数名。
そして、その中に第三王女アスタレーナが。実弟の姿を認めるや、一瞬だけ彼女の目に悲哀の色が浮かぶ。
しかし、彼女は普段どおりに落ち着きある態度に戻り、荷を運んできた配下を労った。
「お疲れ様。後はこちらで引き継ぎます」
「は、はい」
外務省に勤めるほどのエリートでも、その態度には隠しきれない緊張がある。
その理由は、彼らの前にある扉の向こうに、外務省所轄の重要設備があるからだ。
運んできた荷物は、その中で使うものだろう。ここまで知らされず、今も伝える気配がないが。
物分かりの良い官吏たちは、余計な詮索を避け、ただ頭を下げてその場を辞去した。
事情は衛兵にとっても同じである。重要設備の保安を担う彼らは、わずかに困惑の色を滲ませながらも、正体不明の荷物と王族二人を素通りさせた。
ここまでの通路は、清掃が隅々まで行き届いた普通の庁舎そのもの。厳しさと壮麗さはあるが、何か特殊なものではなかった。
だが、衛兵に通され、重厚な大扉を通った先は全く違う。外の光が届かない石造りの空間が広がり、底冷えする寒気に満ちている。
この、一見すると何もない空間の中、アスタレーナは無言で進んでいった。その右手の上には、《霊光》。小さな光球が、不必要とも思える広さの空間をぼんやり照らし出す。
姉の後に少し離れ、ファルマーズは自分で荷台を引いていく。
二人が入り込んで少しすると、後方で大扉が閉まった。外の光も音も遮断され、侵食を許すのは冬の冷気ばかりである。
そんな中、アスタレーナは腰を落とし、広い石室中央の地面に手をそっとつけた。すると、青白い光が縦横に走っていき、地面には巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「あなたの方も、準備を」
「はい」
仲のいい姉と弟であるが、普段の調子はそこにない。硬い返事をしたファルマーズは、木箱の天辺を開けた。
中にあるのは緩衝用の布にくるまれた、光沢ある水色の金属片などが多数。
それらをひとしきり取り出した後、彼は外套を脱ぎ始めた。高級官吏も着るような外套の下は、ゆったりしたローブのようで、魔導師が好んで着るような装いだ。
しかし、その様相が一変する。彼が目を閉じて念じると、服の表面に青い輝線が走り、幾何学模様を描いていった。
それと同時に、ゆとりのあった服が彼の体に吸い付き、みるみるうちに引き締まったものになっていく。
自分の服が放つ光に包まれる中、彼は木箱から取り出した金属片に手をかざした。これに呼応するように、金属片が宙に躍り出ていく。
それぞれの金属片は、空中で稲妻のような魔力を放ち合い、彼を取り囲み始めた。四肢を、胴体を金属片が取り囲み、それぞれが結びついて一つになっていく。
そうした反応は、全体として数十秒程度の出来事であった。今の彼の首から下は、他には類を見ないようなスマートな外見の全身鎧に包まれている。
よくある鎧と大きく違うのは、その背面だ。小さな翼を思わせる、やや鋭利な構造体が付属している。
着替え終わると、寂寥とした石室に拍手が響いた。
「すごいわね。素直に感心したわ」
「こんなもんじゃないよ」
あっさりとした調子で返すファルマーズだが……“これ以上“のことに思い巡らせたのか、アスタレーナの顔には寂しげな微笑が浮かぶ。
「寒くはない?」
「それは、別に……向こうは暑いだろうから、それに合わせるつもりで」
「そう」
短く返したアスタレーナは、弟に静かに歩み寄り……全身で唯一露出した彼の顔に、両手を伸ばした。少し冷たい頬のあたりを、遠慮なく揉みしだいていく。
「ちょっと、恥ずかしいって!」
「私しか見てないでしょ」
「だからってさぁ!」
本気で恥ずかしがっているらしく、彼の顔には赤いものが差した。
その後、弟から静かに距離を取ったアスタレーナは、ため息をついた。物憂げな顔が真剣な顔になり、改まった口調で告げていく。
「最終確認です。今回の《門》は一方通行です。帰りは別途用意します。事が済んだら連絡を」
「はい」
「それと……」
何か言いかけた彼女は、瞑目して息を吐き出した。言葉を探し、口を開く。
「後悔のないように」
「はい」
それだけ言葉を交わすと、アスタレーナは自分の作業に取り掛かった。石室中央の大魔法陣中央から少し距離を取り、両手を前に構える。
すると、魔法陣から魔力の球体が浮かび上がった。星を思わせるそれが音もなく回転し、術者の視線が向かう先にある、地表の一点が光り輝く。
次の瞬間、球体は上から押しつぶされて平面状に。色は慌ただしく白から青に染まる。
平たくなったそれは、波打ちながら少しずつ収縮していった。縮まるほどに、円の内側に豊かな色彩が宿る。
最終的に、円は直径数メートル程度の大きさで落ち着いた。円の中にあるのは透き通った青の広がり、その中心に茶と緑入り交じる小さな島。
「すごいね、感心したよ」
拍手とともに、ファルマーズは感嘆の声を上げた。冗談交じりにやり返したようでもあるが。苦笑いする姉に、彼は続けた。
「こんな《門》、他にはないんじゃない?」
「でしょうね」
「どうやってるの?」
「あなたでもわからないのに、私にわかるはずないじゃない」
淡々と言う姉に、ファルマーズは「それもそっか」と返した。
それから彼は、木箱に足を向け、中に残っていた物に手を伸ばした。
最後に取り出したのは、顔を完全に覆う形状の兜と、長い金属片を貼り合わせたような、独特な形状の長剣だ。
最後の装備を身につけ、彼は《門》の近くで腰掛けた。切り取られた現実の中に足をそっと差し入れると、向こう側にまで足が通じる。
完全に繋がっている事を確認した彼は、向こう側に身を投げ出す前に、姉に顔を向けた。
「じゃ、行ってきます」
「……顔ぐらい見せなさいよ」
すると、面を覆う部分の構造が三角形の金属片に分解されていき、彼の素顔が露出した。
予想外の事で目を白黒させる姉に、彼は今日一番の笑顔を見せる。
「大したもんでしょ」
「……そうね」
姉が返してきた柔らかな微笑に満足したのか、彼は再び戦場に顔を向けた。宙を漂う金属片が互いに結びつき、再び彼の顔を覆っていく。
そして、彼は飛び込んだ。上空から身を躍らせ、決戦地の島へ。
弟の姿を《門》越しに見つめ、その姿が見えなくなっても、アスタレーナはその場にいた。
言葉もなく数分間その場に佇んだ後、彼女はようやく《門》を閉じた。
魔法の光を失った石室は音もなく、底冷えする冬の寒気だけが彼女と共にあった。




