第20話 魔王少女エリザベータ
問いかけに対し、リズは台本から目を上げ、周囲を見回した。そして、語り部の少女に問い直す。
「私が?」
「うん。魔王役とか、手応えありそうだし……」
実際、その気になったら手応えどころではないのだが……
この提案に対し、わんぱくな少年少女は、期待に満ちた視線を投げかけている。
片や農作業をご一緒した面々も、何やら面白そうなものを見る目つきで、事態を見守る構えだ。
まぁ、こういうのもいいかと思い、リズは魔王役の子の傍らに寄り、手を差し出した。
「代わりましょう」
「うん。頑張ってね」
魔王というにはおとなしいその少年は、おそらくは、年下の子たちに付き合ってあげていたのだろう。彼はスッと立ち上がってマントを脱ぎ、砂を払ってリズに渡した。
行儀の良い魔王もいたものである。
さて、少年の背丈では長かったマントも、リズがまとえばそれなりに様になる。
「オーバーオールの魔王か……」
「しっ!」
――ややチグハグな装いではあるが。
ただ、魔王と対峙する勇者たちは、そんなことお構いなしである。
リズ扮する大魔王ロドキエルにさっそく剣を向け、ラヴェリア演ずる少年が高らかに言い放つ。
「ようやくここまで追い詰めたぞ、魔王! お前が傷つけてきた人々の痛み、その身で思い知るがいい!」
実際にかの人物がそういった事実はないが、お芝居の場としては中々堂に入った演技だ。
さて、リズもただただ突っ立っているわけにもいかず……
しかし、台本を見ながら考え事をしていたのがいけなかった。セリフはうろ覚えだ。
とはいえ、セリフを思い出そうと必死で、しどろもどろな魔王というのも興ざめであろう。
結局、彼女は勢いとノリでごまかすことにした。マントをそれらしく払って構え、胸を張って勇者たちを睥睨するように言い放つ。
「フハハ、よく来たな勇者よ。我が配下を乗り越えここまでやってきたこと、ひとまずは褒めてやろう。しかし、哀れ。より一層の恐怖を味わって死ぬのだからな。フッ、ククク……アーハッハッハ!」
台本にないセリフのためか、勇者の後ろに控える仲間たちは、顔を見合わせている。
一方、彼らの前に立つ勇者はと言うと、「う、うるさい!」と、困惑しつつも一喝。
言葉のやり取りではボロが出かねないと考え、リズは高笑いとともに、開戦を促すことにした。
「ハッハッハ、さぁ、かかってくるがいい!」
「い、行くぞ、魔王!」
場の流れに応じ、勇者が踏み込んで布の棒切れを振るう。勇者演じる少年が振るう一刀、迎え撃つは、本当に本物の血を遠く引く末裔。
刃が迫りくる中、リズはその恵まれた思考をフル回転させ、このチャンバラについて必死に誠実に考えた。
(私が勝ってはマズいけど、わざとらしくやられるのも……それに、何かこう、技っぽいのを期待されているようでもあるし……)
見物の大人たちばかりか、勇者の後ろに控える面々も、リズには何かしら期待の目を向けてきている。「勇者応援してあげてよ」と思わないでもないリズ。
どうやって彼女が負けるのだろうという好奇もあるだろうが。
さて、いい加減な戦いで茶を濁すのもはばかられた彼女は、この状況ならではの技を試みることにした。
上段から振り下ろされた一刀目は、大きく後ろに退いて回避。余裕ぶって手招きし、次を誘ってから剣を構えるリズ。
彼女が構えるだけで、なんともそれっぽい空気になり、興味本位のギャラリーも黙り込む。空気がピンと張りつめ、勇者が敢然と駆け寄り、大上段から再び一刀。
それを迎え撃つリズは、構えた棒に神経を傾け――迫りくる棒の先端を、構えた棒の先端で受け止めた。振り下ろされる棒の勢いで互いの武器が大きくしなり、棒と棒で合掌する「人」の字のような形に。
独特の硬さと柔らかさを持つ武器だからこそ実現した、一種のつばぜり合いである。
少年にとっては初めての事態だったらしく、彼は困惑する様子を見せた後、重心を後ろに傾けた。
それを認めたリズは、棒の反動で勇者に"手傷"を負わせないようにと、棒を巧みに操って反発力を逃がしていく。
やがて距離を取った二人が構え合う形になると、またしても少年の側から一刀。これに合わせ、彼女は再び刃が反るつばぜり合いに持ち込んだ。
打ち合いを続けるほどに、少年側から放たれる斬撃は、スパンが短いものになっていく。それに応じ、彼女は安定した拮抗状態を継続していく。
演技としては互角に見える状態だ。もちろん、剣の覚えがある者たちには、彼女が“合わせてやってる”ことが一目瞭然である。
ただ、息があっているといえなくもない出し物に、観衆たちは気楽な感じで喚声を上げた。
勇者の後ろに控える仲間たちも、この技前にはほれぼれとして、キラキラした目を向けている。
こうなると、かわいそうなのは勇者だ。果敢に攻め寄るも、うまい具合にいなされ、まるで攻撃にならない。
最初は困惑の色が濃かった顔には、次第に焦りが入り混じり、目にはうっすらと――
(ああ、良くないわ。どうにかしないと……)
彼とはまた違った方向で焦り始めたリズ。
しかし、急に手抜きすればそれはそれで……である。
どうにか気持ちよくやられるためにと、今後の算段に思考を回転させていった彼女は、勇者の後ろにいるギャラリーたちに目を付けた。
「クハハ、中々の腕だが、仲間には恵まれなかったな!」
「な、何だって!? 取り消せっ!」
いささか心理的に押され気味に見えていた勇者少年だが、芝居の挑発には乗ってきた。
こういう精神性には密かに感心しつつ、リズは言葉を続けて行く。
「我が配下を切り伏せてきた貴様も、剣では余と互角。お前が仲間と思っていた者たちは、この戦いに怖気づき、割って入れぬようだなあ! ククク……フハハハ!」
大声で笑って気持ちよくなりつつも、リズは勇者パーティーに目を向け、その様子をうかがった。
勇者を少し持ち上げつつ、仲間に奮起を促すロールプレイは、どうやら伝わったようだ。先程まで観客同然だった少年少女の内、一人が威勢よく声を上げる。
「アイツだけ戦わせてなるものか! 俺たちも続くぞ!」
「みんな!」
一方、最初から一貫して観客である大人たちは、一部に安堵している様子の者も見受けられる。先の成り行きを思って、やや気を揉んでいたのだろう。
一騎打ちの場に切り込んでくる後続たち。彼らを引き留める勇者でもなく、人海戦術が機能した今、後はきちんと負けるだけである。
(とはいえ、いきなりでは露骨すぎるから……)
容赦なく振り下ろされる棒、魔法代わりに投げ込まれる布の弾。これら連撃を打ち払いながらも、それっぽいところで攻撃を受けていくリズ。
もちろん、「ぐはあ」という声も忘れずに
そして最後、力尽きつつある様子を棒で表現し、彼女は勇者の一刀を受けて仰向けに倒れ込んだ。
「み、見事だ……」と言いながら。
劇仕立てのチャンバラが終わると、周囲からは穏やかな拍手の波に包まれた。普段よりも注目を浴びていたことに今更気づき、少年少女は恥ずかしそうである。
そんな中、勇者の子も他のみんなと同じような様子でいることを認め、リズはホッと安心した。
立ち上がり、ホコリを払う彼女に、子どもたちが寄ってきて「ありがとう」と頭を下げてくる。
しかし、不満がないこともないらしい。語り部の少女が言うには、「台本無視しすぎ!」だそうだ。
あまり読まずに参加したため、無理もない部分はあるのだが。
そこで、リズは思い切って開き直ることにした。
「悪役が台本通りに動くとは思わないことね!」
「ええ~」
「それでも良ければ、今後も私が相手をしましょう」
この申し出に、子どもたちは顔を見合わせた。
それからというもの、リズは折に触れて魔王役を演じることとなった。
魔王役を任される他の大人と違い、彼女の場合は、台本を投げ捨てたかのような野放図な魔王になる。
たまに、その辺の暇人を人質にする非道を働くことも。
ただ、彼女は大変ノリが良く、やけに様になっているとの講評だ。特に高笑いが。
総じて、子どもたちにはウケている。
こうしてリズは、町の子どもたちの間では、魔王姉ちゃんとして認識されるに至った。




