第203話 次の動向
リズが魔族二人の協力の下、ダンジョンを用いた迎撃策の準備に乗り出し、何日か経過した。
船長としては、自分の船の様子が気になるのは山々だ。しかし、彼女がやるべき仕事は、いずれ来るであろう敵への備え。クルーたちの状況を知るのは通信か、人員入れ替え時の口伝頼みであった。
もっとも、船長が気にかける一方で、クルーの方こそリズの事が心配だったことだろう。どのように敵を迎え撃つか、詳細は聞かされていないのだ。こうした隠し事自体、もはや慣れてしまっているのだが。
加えて、新たな仲間を加えた船の方は、特に問題なく仕事をこなせていた。そこから来る余裕が、リズに対する漠然とした心配や懸念を抱かせるものとなっている。
実のところ、海賊退治にはまだ時期尚早と思われるが、それはあくまで今まで通りに拿捕を狙う場合である。敵船の状態を問わなければ、海戦に至っても問題はないだけの戦力がある。
仲間が増えたことで、資金繰りを心配するリズだったが、これも杞憂であった。
というのも、海運における護衛を完全に自前で賄えているおかげで、傭兵頼みの商船に比べると収益性が良いのだ。
こうした金銭感覚は、リズには少し縁遠いものであった。外部から人を雇わず自衛できてしまうということもあり、船をニールらに任せる前は、海賊退治という特殊な仕事に就いていたという事情も。
おかげで、健全な経済観念を養う暇も機会も、リズにはなかったというわけだ。
何であれ、目が届かないところで配下がうまくやっていることに、彼女は安堵と信頼、そして感謝の念を強くしていった。
マルシエルという国もそうだが、側にいない誰かが手を貸してくれるというのは、大変に心強いものである。
☆
そうして、リズが迎撃準備、仲間たちが海賊退治の準備と互いに勤しむ中、ある日のこと。
今日は彼女が自分の船に戻る日である。視察という面もあるが、メインはマルシエルとのやり取りだ。
これは人員の入れ替えも兼ねており、リズとともに仲間たちが浜辺へと向かった。
船の方での訓練も重要だが、ラヴェリアの出方次第では、この島自体が戦場となる懸念もある。
それに備え、ダンジョンを借りて対人戦闘の訓練も並行するため、リズに何人か入れ替わりで同行しているというわけだ。
ダンジョン攻略の必要がなくなったものの、結局やっていることはあまり変わらない。強いて言えば、船と行き来して新しい訓練が増えた程度だ。
そんな毎日を送る一行だが、顔に疲れの様子はない。気力が充実した仲間を、リズは頼もしく思った。
そして、自身の後釜となる者のことも。
一行が砂浜に着くと、母船から一艘のボートが近づいてくるところであった。
オールを漕がず、風の力で。
「ヒュー! やるじゃん!」
リズに代わってボートを操れるようになった同僚に、浜辺から歓声が飛ぶ。
そんな中、ボートは少しずつスピードを落とし、滑らかな動きで接岸した。操縦者は、リズと同世代の少女、エレン。
拍手の中、彼女は芝居がかった様子で胸を張った。冗談めかしてはいるものの、自慢に思っているのは確かだろう。
だが、彼女は後頭部のあたりを軽く掻きながら、リズに向かって尋ねた。
「せんちょー、どう?」
「ラクできて嬉しいわ」
にこやかに応じるリズだが、エレンとしてはまだまだ思うところはあるようだ。笑顔には微笑で返しつつも、口から「うーん」と声が漏れる。
「浜に戻る分にはいいんだけど、波が強いところだと、まだまだなんだよね。同乗者に手伝ってもらえれば、どうにかなるんだけど」
「手伝う?」
「重心移動してもらうの」
これにはむしろ感心してしまうリズだった。
ボートの操縦に慣れた今、軌道修正は自分の魔力によるゴリ押しで済ませることが多い。重心移動は同乗者と息を合わせる必要があり、それはそれで技術がいる。リズには自力でどうこうする方が気楽なのだ。
「そういうチームワークができるなら、今後も安泰ね」
正直に褒めるリズに、エレンは嬉しそうな笑みを浮かべた後、旧知の仲間に得意満面の顔を向けた。
実際、彼女が操るボートの乗り心地は、特に言うことがないものだった。
「人数が増えると、ちょっと厳しいけど」とは彼女の談だが。
滑らかに海を駆けるボートは、これまた洗練された動きで船首を返し、やがて母船に並行した。ロープに引き上げられ、甲板へと近づいていく。
船へ戻ってきたリズへと、そこかしこのクルーから「お疲れ様です」と声がかかる。
そうした声に柔和な笑みを向けるも、リズは無言になり、後ろのエレンを親指で指差した。彼女のお陰で、今日のボートではお客様でいられたからだ。
すると、クルーたちはハッとした顔になり、すぐにエレンへ「お疲れ~!」と声が飛ぶ。
「取ってつけたっぽくない?」
わざとらしく口を尖らせる彼女だが、クルーたちとは打ち解けた雰囲気である。
甲板で訓練中だったと思われる新入りたちも、マルシエル海兵を始めとして、かなり馴染めてきているようだ。
そういった和やかな空気にホッとするリズの元へ、今度はニールとマルクがやってきた。船の実質的な取りまとめ役である。
「お疲れ様。うまくいっているようね」
「ありがとうございます」
ニールが返した声は、どこか硬い感じがある。彼は緊張した面持ちで言った。
「さっそくですが、通信室へ」
「了解」
船へ戻ってきたのは、これが本題である。今朝、マルシエルから連絡があったのだ。もっとも、詳細な話はまだないらしく……
リズに直接話さなければならない案件だとすれば、事の程度がある程度うかがい知れる。
船のことはニールに任せ、リズはマルクとともに通信室へ向かった。
通信室には、正規の通信士とセリアが待っていた。二人とも、やはり表情にはどことなく硬いものがある。
軽い挨拶を済ませると、リズは通信席に腰掛けた。マルシエルへ繋がる魔道具に声をかけていく。
「エリザベータです」
『急なお呼び出し、誠に申し訳ありません』
応じたのは中年男性の声であった。所属は外務省。彼の落ち着き払った声の調子に、いくらか安堵を覚えるリズだが……
「ご用件を承ります」と口にすると、先方はそれに応じて端的に言った。
『ラヴェリア第六王子ファルマーズ殿下の件ですが、かねてより他国で予定されていた外遊がキャンセルになったとのことです』
この報告に、リズは固唾を呑んだ。向こうがそういうつもりなのかもしれない。
ただ、この情報だけでは即断できないのも確かだ。
「広く公示された情報でしょうか?」
『いえ。正規のルートで得た情報ではなく、諜報網によるものです』
「外遊の目的とされるものは何でしょうか?」
『技術協力という名目のようです』
もっとも、技術関係以外で例の王子が国を出るのは、考えにくいことではある。この外遊目的自体は、知ったところで重要な情報ではない。
色々と考えを巡らせるリズに対し、先方はさらに続けた。
『当情報を得たのは三日前です。その後、事実関係の確認に移ったのですが……ラヴェリアに目立った変化はありませんでした。加えて健康上の理由とも考えにくく』
「外遊を取りやめるほどの理由が見当たらない、と」
『はい。第六王子殿下が手掛けられる仕事は、他のご兄弟よりもスケジュールの調整が容易と思われます。そこへ来て、このキャンセルというのは、かなり不自然ではないかと』
実際、彼の指摘は鋭いものがある。国の技術開発部門に所属するファルマーズは、スケジュールが外部の影響に煩わされるポジションではない。
強いて挙げれば、国の行事や外遊ぐらいが、彼の毎日に強制力を持つ程度だ。
その国の行事に、疑わしいものが一つ。
「継承競争の影響でしょうか」
『その懸念が大きいものと考えられます。現在、ラヴェリア軍に動きがないか、目を見張らせているところです』
さすがに、こういうところは言われるまでもないようだ。にわかに切迫感が増す中で実に頼もしい。
ただ、ラヴェリア側がどうなっているか、不透明な部分はかなり大きい。
とりあえず、現状についての報告は以上、続報があれば追って連絡するとのことだ。
向こうも向こうで忙しいらしく、用件の後は手短な挨拶だけだった。通信が終わると、緊迫感のある静寂だけが、通信室に満ちた。




