第201話 拠点化準備①
11月25日。新たに加わった仲間への訓練が続く中でのことではあったが、リズはダンジョンへと向かった。
今回のお供はニコラとアクセルの2名だけである。マルクは集団内においてリズの代理を、セリアはマルシエルや近隣行政との連携・折衝のために残した形だ。
実のところ、ダンジョンに用があるのはリズだけなのだが……さすがに、独りで向かわせて不測の事態があればということで、今回の二人が帯同している。
リズがボートを走らせ、母船が少しずつ小さくなっていく。甲板の上では船上戦闘の訓練に励む姿。
「行ったり来たり、大変ですね~」
ボートの縁に体重を預け、狭い中ながらもリラックスした様子のニコラが言った。なんとも寛いだ様子の彼女と、その口から出た言葉に、思わず苦笑いするリズ。
「ま、仕方ないでしょ。拠点が二つあるようなものだから……任せるのに心配は無いけど、放ったらかしってわけにもね」
「マルシエルとのやり取りもありますからね」
今後のことを考えれば、船のことはニールたちに任せておきたくはある。魔王フィルブレイスの協力を得られた今、できることならダンジョンで準備を整えていきたいのだ。
実際、ボートを操る今も、自身の中に逸るものがあるのをリズは認めた。
人手が増えたことで、自分がいないところでも何らかの活動ができるようになった。そういった手札の広がりとはまた別方向に、ダンジョンの存在がこの先に大きく効いてくるはず――
「ちょっと、ドキドキしてます?」
出し抜けなニコラの問いに、リズは少しの間だけ真顔になり、「そうね」と顔を綻ばせた。
☆
一行がダンジョン入口に到着すると、すぐに大きな扉の前の空間が歪んだ。
現れたのはルーリリラだ。間を置かずの出迎えの後、彼女は一行に恭しく頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました」
「居候みたいなものですし、そう畏まらなくても……」
迷惑をかける側という自覚から、リズは少し恐縮して応じた。これに、ルーリリラの顔が少し柔らかになる。
ダンジョン制覇により、リズたちは玉座への直行が許されるという特権を得た。ルーリリラが姿を表したのは、玉座へと案内するためである。
しかし、玉座への転移を前にして、リズは同行する二人に声をかけた。
「申し訳ないんだけど」
「ナイショ話ですか?」
「ええ、まぁ」
ある程度予想できていたのだろう。ニコラは「仕方ないですねぇ」と応じた。
「お話の中身、そのうち教えていただけます?」
「モノになったらね」
すると、ニコラは了承したと言わんばかりの微笑を浮かべ、アクセルの腕を軽く取った。
「な、何ですか」
「リズさんの話が終わるまで、競争しませんか?」
「それは構いませんけど……腕が、その」
ニコラに腕を引かれたまま大扉へ向かう彼は、恥ずかしそうに言った。
「こうしとけば、ちょっと有利になるかな~って」
「ひ、卑怯ですよ」
この二人の攻略速度は、かなりいい勝負であったが、これで多少の差はつけられるかもしれない。照れる年下の少年に、ニコラは意地の悪い笑みを浮かべ「イヒヒ」と笑った。
盤外戦術で妨害しているという自覚はあるのだろう。
そうしてダンジョンへと消えていく二人を見送った後、ルーリリラがポツリ。
「楽しそうですね」
「おかげで助かってます」
素直な気持ちを口にしたリズに微笑みかけ、ルーリリラは「では私たちも」と言って魔法陣を刻み始めた。
転移魔法陣の力で視野が溶け合い、もとに戻ったかと思えば、リズは玉座の間にいた。
前方にはテーブルについている魔王。卓の上には本が置かれている。閉じた本だが、今まで読んでいたのかもしれない。
「お休み中のところ、失礼します」
「どうぞ」
魔王はにこやかに応じ、やってきた二人に手招きした。
テーブルを三人で囲むと、リズはさっそく本題を切り出していく。
「ダンジョンを間借りして、追手を迎撃したいとお話しましたが……」
そこで言葉を切った彼女は、申し訳無さそうな顔になり、懐に手を伸ばした。取り出したのは二枚の書状。それぞれを同席する二人に差し出していく。
「他にもいくつか、協力していただきたい事項が……」
やや恐縮して口にするも、相手からの返答はない。真面目な顔で読み進めていった魔王は、みるみるうちに真顔になって押し黙った。
リズにとっては少し居心地の悪い沈黙がいくらか続いた後、魔王はため息をつき、リズに向けた顔には関心の念が浮かぶ。
「君は……野心家だね」と、彼は端的な感想を口にした。追加の協力要請に対し、悪感情は抱いていない――というより、望むところといったところだ。
ルーリリラも、やや驚きは示しているものの、主君と似たような感情を持っている様子。
とりあえず、協力者の心情というハードルは超えた。思い描くロードマップの上、次なる関門は……
「私にも出来るでしょうか?」
彼女にしては珍しく、自信なさげな顔で尋ねると、魔王は穏やかな微笑を浮かべた。
「たぶんね。王族とは言え、結局は人間の君がどこまで出来るか、私としても興味があるよ」
リズが差し出した書状には、今後の展望が記されていた。その過程で、魔王と従者の二人に協力してもらうことになるわけだ。
まずは、間借りしたダンジョンの調整。迎撃にあたって、ちょうどいい戦場に誂える。
これを、オーダーメイドしてもらうのではなく、自力でやろうというのだ。
それも、戦闘中にこなせるように。
一介の人間がダンジョンを操作するなど、前代未聞の試みであろう。それでも、リズと魔王は互いにある程度の目算があったが、まずはダンジョンの概論を理解するところからだ。
そこで、魔王はリズに説明するため、一旦この場を離れる事を提案した。
「少し見てもらいたいものがあってね」
そう言う彼に合わせ、リズは腰を上げた。
すると、彼女の足元に魔法陣が刻まれていき、目にする全てが大きく歪んで溶け合っていく。
ある程度慣れてきた転移により、またどこかへ飛ばされるのだろう。
そう思っていたリズだが、これまでの転移とは違う点に、彼女はすぐに気づいた。
輪郭を失った視界は、かなり黒に近い暗灰色に染まったまま、何の変化も生じない。星のない夜空に投げ出されたようである。
不意に心配が押し寄せ、リズは首を下に向けた。自分の体が視野に入ってくる。目が見えなくなったというわけではないようだ。
ただ、いつの間にか妙な空間に移動したらしく、足場の感覚がない。耳目への刺激のなさが、浮遊感すらも薄れさせる。
冷たくも暖かくもない空間だが、体のうちからは得体のない寒気がこみ上げてくる。音のない空間に、高鳴る鼓動が満ちていく。投げ出された虚空の中で、内から生じる感覚だけが自分を満たし、それが一層に孤独を浮き彫りにする。
それでも平静を保とうとするリズに、どこからともなく声が響いてきた。頭の中に直接語りかけてくる、慣れ親しんだ魔法のような感覚で。
『いきなりで驚いたかな?』
『そうですね。ここは一体?』
『顕界と魔界の中間で、実際のダンジョンはここにあるんだ』
それから魔王は、ダンジョンの構造について話していった。
この中間領域は、人間が住まう顕界とも魔族が住まう魔界とも違い、かなり不安定な性質がある。
また、空間全体に広く魔力が行き渡っている。その魔力を原料として、各種ダンジョンが構成されているという。
挑戦者が入るたびにダンジョンが姿を変えるというのは、空間の不安定さゆえに、いつまでも同じ形を保つのが難しいためだ。
『では、玉座の間は……実際にはダンジョンとは切り離され、顕界のどこかにあるということでしょうか?』
『御名答、さすがだね』
玉座の間は、魔王フィルブレイスの祖父にあたる先々代魔王が、あの孤島の山の中に無理やり空間をこじ開けて作ったとのことだ。
そのため、山体のどこにあの玉座があるのか、正確な位置情報は魔王自身も掴めていない。
簡単な解説の後、魔王は実演することにした。リズの周囲の空間に緑の輝線が走り、四方八方が賽の目で区切られていく。
やがて、これまた緑色に発光する、ごくごく小さなキューブ状の微粒子が虚空から沸き立った。これらが離合集散を繰り返し、何らかの形を成していく。
気がつけば、空間には重力が戻っていた。地に足つけた感覚を得たリズの前で、ダークグレーの空間には光が差す。立方体の連なりでしかなかったオブジェは、輪郭が滑らかなものとなり、緑一色の表面に豊かな色彩が宿っていく。
そうした目まぐるしい変化の末――ただただ場の空気に呑まれんばかりであったリズは、小洒落た寝室にへたり込んでしまっていた。
『お気に召したかな?』
今度は頭の中に直接ではなく、空間を通じて柔らかに響き渡る魔王の声。
人外の力に心を奪われていたリズは、我に返るも言葉が出ず、ただ興奮と好奇に満ちた顔でうなずいた。




