第200話 船長の器
タンジョンの主、魔王フィルブレイスとの協力関係を構築したリズ。当のタンジョンが、人類の勢力圏外の孤島に存在するということもあり、逃げ回る立場としては格好の拠点である。
もちろん、拠点を得れば、それはそれでやるべきことが増える。
それは島の外においても同じであった。
ダンジョン制覇の翌朝、野営地にて。自分の傘下に加わった面々に、リズは改めて小さく頭を下げた。
「今後とも、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、船長」
出自が明るみになったリズの立場は、新たな仲間たちの間では船長に落ち着いた。その方が、今後の活動においても馴染みが良いだろうと考えてのことだ。
船長当人としては、肩書の割に、あまり自分の船に構うことができないというジレンマはあるのだが。
そんな船長にも、さっそく腕の見せどころがやってきた。
仲間たちをぞろぞろと引き連れ、森を抜けて砂浜へ。海の向こうにはリズの船が停泊している。
あの船まで、彼女が一仕事で皆を運ぶのだ。
まずは浜辺近くの木立に置いてあるボートを、男手が海まで引きずり出していく。
ボートを海に浮かべれば彼女の出番だ。
「では、私たちの船へご案内しますね」
そうは言ったものの、新しい仲間たちは、奇妙なものを見るような目をボートに向けた。
実際、中々不思議な見た目ではある。船尾には後付けと思われる板が据え付けられ、その板に括りつけられた魔導書。
このボートについて話を聞いたことがある幾人かは、「ああ、あれが」と合点がいったような顔だ。
注目を浴びる中、リズはボートに乗り込み、いつもの要領でボートを推進させた。
船尾の魔導書から強烈な風が巻き起こり、浜の砂と水が細かく混ざり合う。きらめく粒子の渦が風の動きを可視化させ、輝く尾をたなびかせながら、ボートは軽やかに海を滑っていく。
オールはあるが、使わない。珍奇なボートを目の当たりに、新たな仲間たちは食い入るように見つめ……ふとした拍子に、拍手の音がリズを包み込んだ。
新入りはいずれも確かな力量の戦士たちであり、認められるのは心地よいものである。面映ゆくも鼻高々な思いを胸にしたリズであった。
が、しかし……これまでに乗せたことがある最大人数は、自身を含めて五人。新たに加わった仲間は七人だ。
詰めて乗り込もうにもスペース上の無理があり、明らかに過積載である。それに……
「動かせますか?」と不安げに尋ねるセリアに、リズは難しい顔で首を横に振った。
「無理すれば、どうにかというところですが、船体の方が力に耐えきれないと思います」
肝心の推進部は、あくまで間に合わせの工作程度の仕上がりでしかない。下手をすれば魔導書の固定が解かれ、どこへともなく飛んで行ってしまうかもしれない。
結局、無理をせずに2回に分け、人員を輸送する運びとなった。
オールで漕がずとも海を走るボートに、新入りたちは少なからず興奮しているようだ。
一方、二倍働くことになった船長に対し、労いと申し訳なさ入り混じる、何とも言えない気持ちもあるようだが。
そんな空気の中、マルクがリズに向かって言った。
「ボートの操縦については、優先して代理を立てたいな」
「そうね。海賊退治の事はさておいても、母船と島のやり取りが楽になるでしょうし」
海賊退治において、敵船に近づくための手段に、このボートを用いている。この役目をリズ以外もこなせるようになれば、彼女が不在の状況でも敵船を拿捕しやすくなる。
加えて、人荷のやり取りの利便も考えれば、後継者を用意する価値はかなり大きい。
これからについて軽く話し込んでいると、程なくしてボートが母船についた。
新入りはいずれも《空中歩行》を難なく使える腕利きだが……全員が、ロープでボートごと引き揚げるのを望んだ。
「せっかくですし……」
「わかります」
少し恥ずかしそうにはにかむ新入りの青年に、リズは微笑みかけた。
過去に色々とあって、社会や人間集団から距離を取ったダンジョンの先輩たちだが、あまりスれてはいない。
むしろ、好奇心は強い部類に入るようで、迎え入れる側としては何よりであった。
ロープの巻き上げが終わり、甲板へ出ていく一行。事前の連絡はあったが、顔を合わせるのはこれが最初だ。
ただ、場の空気にソワソワしたものこそあるが、気になるような負の感じはない。
船員仲間を代表するニールはというと、かつての刺々しさはどこへやら。堂々としつつも和やかに、新たな仲間たちを出迎えた。
この場は任せておいても、何の心配もなさそうである。軽いため息とともに伸びをした後、リズはにこやかに声をかけた。
「私はもう一往復するから、きちんとした挨拶や細かい話は、また後でね」
「了解です」
リズの言葉にニールやマルクは平然とした様子だが……他の面々は、少し複雑そうな表情だ。船長ばかり働いている現状に、やはり思うところがあるのだろう。
そんな中、マルクはリズにさりげなく近づき、口を開いた。
「やっぱり、誰か後釜が必要たな」
「やっぱり?」
「視線が痛い」
彼は、やや困り気味の顔になり、他には聞こえない小声で零したのだった。
☆
再びの往復が済み、甲板に一同が集合した。
それにしても……ハ一ディングからの付き合いになる諜報員ズ、海賊船丸ごと取り込んだクルーたち、セリアを筆頭とするマルシエルからの出向者。
そして、今回のタンジョン攻略で仲間になった、探索における先輩たち。
出自・経歴が様々な仲間たちを前に、リズはこれまでの事に少し想いを馳せ……軽く息を吐いた。
「事前に連絡した通りですが、今回のダンジョン挑戦を通し、先発組の方々が私たちの事業に参画する運びとなりました」
改まった調子で口にすると、場に快い拍手の音が満ちる。その後、新入りから軽い自己紹介が始まり……
さっそく、新入り向けの訓練が始まった。
船の運航に関しては何の問題もない。民間船を装っているが、砲戦においては軍人の指揮が入る。
他のクルーについても、これまでの海戦を通して自信をつけてきたところであり、士気も高い。
加えて、新規戦力が接舷後に備えるとなれば、普通にやり合う分には問題ない。
ただし……この船が今までやってきたような、普通ではない戦い方については、やはり相応の準備が必要になる。
これらの点については、リズたちの手口を目の当たりにしてきた、マルシエル正規の海兵たちが口を揃えるところだ。
そこで、新入り向けに船上戦闘の手ほどきをしつつ、リズに代わるボート乗り二番手を養成することとなった。
幸いにして、新入りの中には魔法に長けた者が多い。ダンジョン攻略で直接協力し合うことはなかったが、互いの技や知識を共有してきたのだろう。
加えて、前歴がそもそも戦闘のエリート揃いということもあり、その力量には目を見張るものがある。
そんな腕利きたちの目から見ても、リズが考案したボート推進法は、珍奇で難しいもののようだが。
とりあえず、魔導書の覚えがあって《風撃》も使える人員が3名。後釜候補はこの3名に絞ることになった。
まずは各自が白本に《風撃》を書き込んでいく。そうして自前の推進器を手にしたところで、操縦者が切り替わるごとに付け替えていくという寸法である。
しかし、いざ風を起こして進ませると……直進はある程度余裕があるが、舟としての舵取りに皆が苦戦した。
波に煽られても弱い。挑戦者たちは、幾度となく海に転げ落ちた。
もっとも、ボートの順番待ちでウズウズするのが伝わってくるほどに、真剣かつ楽しそうにのめり込んでいるようだったが。
それぞれ訓練が始まってから少し経った頃。熱が入って集中している中、リズは頃合いを見計らってセリアに呼びかけた。
「ちょっと、今後についての話が……」
「かしこまりました」
一応は内密の話ということで、人払いをした上で船長室へ。二人向かい合ってイスに腰掛けた。
久々に訪れるリズの自室は、整理整頓が行き届いていた。当たり前かもしれないが、図らずも喜ばしいものを覚え、リズの顔がつい綻ぶ。
そんな彼女を見つめるセリアもまた、温かな表情になり……ハッとしたリズは、改まって少し背を伸ばした。
「急に従業員が増えたわけですが」
「はい」
「資金繰りに問題はないでしょうか?」
迷惑をかけた手前、今後の面倒を見るのが筋と考えたリズだが……先輩たちを手元に抱える理由に、情報漏洩防止という側面があるとしても、人件費でマルシエルに泣きつきたくはない。
できることならば、自分たちの事業の稼ぎで賄いたい。
そうした船長の所信を、セリアは穏やかな微笑で受け入れた後、少し真剣な表情になった。
この船の事業主はリズだが、彼女らの稼ぎはマルシエルが管理する口座に積み上げられる形となっている。セリアはその窓口も兼ねており、事実上の経理担当である。
金銭感覚という点でも、大いに頼るところであり……固唾を呑むリズの前で、セリアは口を開いた。
「これまで捕らえてきた数隻の売却益が、我々の稼ぎとして貯蓄されているわけですが……」
「はい」
「現状の蓄えだけで、今の人員を数年間養う程度のことは十分に可能です」
思いがけない言葉に、リズは目を白黒させた。まさか、そんなに稼いでいたとは……
だが、セリアの補足で合点がいった。
そもそも、拿捕した海賊船の売却益は、若干割安になるとはいえ船の購入価額相当のものだ。
そして、外洋航海に耐えるほどの船舶は、一般人がたかだか数年稼いだ程度で手が出せるものではない。
その逆を考えれば、数隻の売却益で一集団を数年間養えるというのは、精密な算定ではないが実態には近い推定であろう。
とりあえず、資金面ですぐに困るということはなさそうである。胸を撫で下ろすリズだが……それでも、ちょっとした欲のようなものは残った。
「事業として黒字を続けたいとは思います」
「はい。突発的な出費が必要になる可能性もありますからね」
「それもありますが……」
言葉を切ったリズは、外から聞こえてくる賑やかな声に耳を傾けた後、口を開いた。
「新しい仲間が加わってから、いきなり赤字になったのでは……やはり申し訳ないと思いまして。皆に稼がせるのも、棟梁の責任ではないかと」
せっかく仲間が増えたのだから、彼らに稼いでもらう……というよりは、新しい仕事を通じての自己実現を果たしてもらいたい。
それが、あのダンジョンに邪魔してしまったことへの、罪滅ぼしのようなものである。
そういった事を、少し言葉を探しながら口にしたところ……真剣に耳を傾けていたセリアは、聞き終えてから表情を柔らかくした。
「人払いをなされた意味が良くわかりました」
「すみません」
「いえ、頼っていただけて嬉しく思います」
気休めではなく本心からそう言っているらしい。穏やかな微笑の彼女に、リズもまた表情を柔らかくした。
それから少しの間、二人の間に沈黙が流れ、リズはふと苦笑いした。
「そろそろ、お国への説明責任を果たさないと、ですね」
「そうですね……行きましょうか?」
新戦力を受け入れたことについて、マルシエル本国側が難色を示すことはないだろう……というのが、セリアを含むマルシエル出向者たちの見立てである。それだけの裁量を、あの国はリズに認めているのだ。
だとしても、今回は事前相談なしの事後承諾である。世話になる側として、気が重い部分は大いにあった。
そういった説明の場に、引き続きセリアが帯同することになる。さすがに申し訳ない気持ちがリズの中に募る。
「面倒ばかりで、本当にすみません」
「いいっこなしですよ、殿下」
敬愛の念を感じさせつつも、これまでよりずっと解れた感じでセリアは応じた。




