第196話 玉座の間
リズと魔王による、スペシャルステージを介しての一騎打ちが始まり、数時間が経過。朝方から始まったこの戦いだが、すでに昼を過ぎて夕刻に差し掛かろうとしていた。
長丁場にわたる戦いながら、観戦者たちは食い入るようにリズの挑戦を見つめていた。
当初は興味本位という部分も多かったが、場の空気はすっかり彼女を応援するムード一色である。
前々からの仲間たちにとっては、少し予想外な変化ではあったが、好ましい空気には違いない。
届かないながらも声援を受けるリズは、最初のステージである浮島漂う雲海、次いで鬱蒼とした密林のステージ、さらには一面真っ白な銀世界等々――様々なステージを突破してきた。
そして今、彼女は断崖絶壁の上に立っていた。攻略風景を見る限り、断崖の下には赤茶けた山岳を刻む無数の渓流が、網目の如くに走っている。
映像の中、静かに佇む彼女は、慣れた手付きで紙を折って飛ばした。《憑依》を用いた紙の鳥による偵察を試みようというのだろう。
しばらくはリズ側に動きがないということで、観戦の場で談笑が始まった。
応援する側にとっては、多様なステージと仕掛けを目にする方が楽しめはするものの……やはり、ゴールしてもらいたいというのが素直なところらしい。
では、このスペシャルステージがどこまで続くか。問われたルーリリラは、程よく朱が差した顔で、素直に答えた。
「そろそろネタ切れのはずれす……」
酔いが回って呂律が少し怪しい彼女だが、適当なことを言っているようには見受けられない。ダンジョンの先輩たちは顔を見合わせた。
「ってことは、これで終わりか?」
「そうらと思いましゅ……せっけーには、わたしもかかわりましたし」
「……だそうだ」
情報を聞き出すや否や、ロベルトがリズ一行の四人に振ってきた。
「ここを乗り切ると、いよいよ玉座だけど……何か目的が?」
問われて四人は、静かに顔を見合わせた。
もちろん、ある程度正直に答えるのが礼儀ではある。
しかしながら、こういうことをリーダー以外の口から話すことに、引っかかるものがあるのも確か。そして何より……
「具体的に何を考えてるのか、実は私たちも知らないんですよ~」
実のところ、魔王に会ってどうするのか、細かなところまでは知らされていない。
そのため、状況を見守るばかりの身として、その心情には先輩たちと似通ったものがあった。この先どうなるのだろうか、と。
ニコラの言葉に、先輩たちは少し不思議そうな顔をした。強く疑うわけではないが、あまり腑に落ちていない様子だ。
そんな引っ掛かりが、ロベルトの口から言葉になって表れる。
「つまり……君らは、目的がよくわからないなりに、あの子に付き合ってるってことかな?」
「そうなりますね。なんだかんだ、ダンジョンに潜ること自体、腕試しとして興奮するものがありますし」
ニコラの言葉には、同席する他の三人のみならず、先輩たちもしきりにうなずいて認めた。
「俺らも、最終目標は玉座の間……ってことになってるんだけどなァ」
「ま、目標を達成する以上に、過程にのめり込んでしまってる部分はあるね」
「クライアントに悪いよね……」
一人がポツリと口に出すと、場の空気が少しいたたまれないものに。
もう少しで謁見が成るかもしれないリズに対し、ロベルトが何やら心配そうにしているのも、これが原因らしい。
「あの子の目的次第では……こちらのクライアントの意向に応えられない可能性が……まあ、無視はできないってところでね」
ロベルトたちの目的は、ダンジョンを踏破することで魔王との謁見を果たし、どうにかクライアントに引き合わせようというもの。
クライアントとしては、話の種にお会いできれば……程度の感覚の、言ってしまえば道楽らしいが。
ほろ酔いの中にも、少しばかり不安の色が滲むロベルトに、セリアはうなずいた。
「確かに、魔王閣下のお考えがどうなるかもわかりませんし」
「こちらとしては、悪いことにはならないんじゃないかという予感はある。それに、あの子の目的が何であれ、結局は早い者勝ちの勝負だ。邪魔されただのなんだのと、噛みつくつもりはないよ」
実際、今に至るまで、彼も観戦者の一人としてリズを応援していた。立場上、色々と複雑なものはあるだろうが。
その後、彼は少し申し訳なさそうな顔になり、提案を一つ口にした。
「魔王閣下へのお目通りが叶ったら、ウチの件もご検討いただけると……助かるなぁ、なんて」
「おいおいおいおいおい~」
ロベルトらの目的は、あくまでクライアントと魔王の間に面識を作ることである。ダンジョン攻略は、あくまで手段でしかない。
ならば、リズが目的を達成できた際、それに便乗できれば……というわけだ。
ダンジョン攻略にハマっていた面々からすれば、自力攻略でどうにか――という思いはあったことだろうが、一方で彼らは柔軟でもあった。ロベルトの意見を耳にした直後は、やや否定的な空気もあったが、すぐに受容的なものへとなっていく。
では、リズ側はというと……当のリーダーがいない状況での安請け合いをするわけにもいかず、一同は安易な返答を控えた。
リズもロベルトらの事情は把握しており、配慮はすることだろうが。「悪いようにはしないと思いますよ」とアクセルが言った。
もっとも、話はステージを乗り越えてからである。
少しして、場の注意が再びリズの方に集中した。映像の中の彼女の下へ、紙の鳥がやってきたのだ。
偵察は済んだようで、後は扉へ向かうだけである。
ただ、その場で足踏みしたりジャンプしたり、彼女の動きを見る限りでは、やはり《空中歩行》は使えないらしい。
そして、断崖の下にある渓谷と、無数に枝分かれしていく渓流。
「飛び込んで、お目当ての場所まで川下りしろってこと?」
「さすがに、心臓に悪いぜ」
我が身であったら……思わずイメージし、酔いが覚めて青ざめる顔が少なくない。
だが、彼らが見つめる先のリズは、あくまで平然としており……
さして悲壮感や覚悟を見せるでもなく、彼女は断崖の向こうへと駆け出し、宙に飛び出した。
☆
断崖からのダイブを決行し、数分後。
身を包み込む白い光が過ぎ去った後、リズは自分の体がこれまでとは違う空間にいることを察知した。
ダンジョン内の各階層を繋ぐ休憩地点のような、洞窟の一室だ。ヒヤリとする空気が、現実へと戻ってきた感覚を抱かせる。
そして、達成感と、強い緊張感も。
彼女の少し前には、色白の青年がイスに腰かけていた。
あまり飾り気はなく、実用的な家具程度しか見当たらない質素な空間だが、ここが目的の場所だという直感にリズは疑いを持たなかった。
すかさず彼女は片膝をつき、ダンジョンの主に対して礼節を示す。
一方、彼女を前にした魔王フィルブレイスは、驚きと興奮入り混じる表情になっていた。
「まさか一回で終わらせるとは……」
「実は、過去に急流下りの経験がありましたので」
「それでも、舟で下るのとは勝手が違い過ぎるとは思うけども」
「いえ、その……生身で急流に」
すると、魔王は絶句した。出任せの発言などとは思わなかったのだろう。
しばしの間、彼は真顔で固まり……破顔一笑した。それから彼はイスから立ち上がり、少し改まった様子でリズに向き直った。
「ようこそ、我が玉座へ。ここの主、フィルブレイスだ」
――とは言ったものの、それらしい威厳はあまりない。彼自身、馴染まない感じがあるのか、真面目な顔はあまり続かず、表情を柔らかくした。
また、色白の肌にはほんのりと朱が差している。テーブルに置かれた酒瓶やグラスに、リズは気づいていた。
(おそらく、飲みながら観戦なさっていたのね)
もっとも、見世物扱いされていたとしても、悪い気はしなかった。むしろ、ダンジョンの主に楽しめてもらえたのなら光栄であろう。
それから、彼はテーブルにつき、リズも同席するように促した。こじんまりとしたテーブルに二人で向き合い、さっそく魔王が口を開く。
「何か特殊な事情があって、ここまで来たのではないかと思うけど」
「はい」
何しろ、ダンジョン内転移を模倣しての、不正攻略である。まっとうにダンジョンを攻略したとは言い難い。
加えて、不正を働いている割に、リズの態度はそれなりに礼儀正しい。何か思うところあってのことと推察されるのは、ごく自然な成り行きであった。
そこでリズは、まず自分の名を名乗った。
「エリザベータ・エル・ラヴェリアと申します」
――あまり軽々しくは名乗らない、本当の名前の方を。
このラヴェリア姓の名乗りに、魔王はまたしても真顔で硬直した。




