第19話 町での暮らし
しっとりとした暗い色の土へ、頭上にまで上げた鍬を一振り。
腰を入れた一撃を、密で重みのある土がしっかり受け止め、食い込んだ刃を起こすのに、さらなる力を求めてくる。
「おおっ、様になっとるねえ!」と中年の農夫が朗らかに声をかけてくると、彼らと同じオーバーオールを着たリズは、にこやかな笑みを返した。
作業を再開し、鍬を一振り、また一振り。重みのある土との戦いを繰り広げながら、彼女はこれまでのことを思い返していく。
☆
竜から提案された対価の支払いについて、何の問題もなく決断が下されたわけではない。
まず、リズが街に留まって農業に加わることについて。
これに町の側からは難色を示されることなく、むしろ快諾された。
町長としては、町人に改めて魔法を覚えてもらえればという想いがあった。
リズにとっても、話だけで済ませるよりは……という思いがあり、この件は望むところ。双方の意向は一致した。
リズにかけられていた呪いに関しては、竜の爪によって完治している。再発の恐れはない。
また、遠隔で掛けられる可能性もない。新たにかけ直すには、呪物を仕込むか、直接魔法をかけるか……
ともあれ、物理的に接触できる程度に距離を詰める必要があるからだ。
仮に、完全な遠隔で呪いをかけられるとしたら……世界でもなんでも支配できるだろう。
魔法使いとして深い知識を持つリズばかりでなく、呪いに確かな見識があるフィーネも、この件については見解を一にした。
リズが町に留まるにあたって問題となったのは、町人向けの説明だ。
興味が湧いたから野菜作って、でき上ったらサヨウナラ……というのは、町人の中にあるリズ像とはそぐわないところが多い。
そこで、それらしい理由をでっちあげることとなった。偽金関係で対立する連中とのほとぼりが冷めるまで逗留。ある程度まとまった期間、町に世話になるので農業を手伝う、と。
ただ、リズとしては、どうにも不安が拭えない。
母国が追跡手段の一つとしていたであろう呪いは、もう解呪できている。
ただ、他の手段でも、足取りを知ることはできるのではないだろうかという懸念がある。
そういった手段に、具体的な心当たりがあるわけではない。この逃走劇を見越し、広範な魔法に関して知識をため込んできたリズでも、そういった追跡法は知らない。
しかし、彼女自身にも、”誰にも打ち明けてない力”があるように、王の血を分けている異母兄弟も、そういう力はあるはず。
その力の中に、リズの足取りを追う力があってもおかしくはない。
それに、彼女を中心とする継承権レースは、他国には今のところは秘密裏に進行している。
事を荒立てないため、彼女の居場所をそれなりの精度で特定する手段があると考えるのは、外交対策上は自然と思われる。
一方、彼女を追う捜査力や諜報力、それらを行使する組織力を測り、競い合うための継承争いという面もあるかもしれない。
以上を勘案すると、まず、特別な追跡手段が皆無とは考えにくい。手がかりなしでもある程度あたりをつける程度の何かはあるだろう。
そういった手段は、王子王女の間で共有される公共性の高いものかもしれないし、競い合う彼らがそれぞれに何らかの方策を持っているのかも知れない。
優れた追跡法があれば、それが彼らの中の取引で力を持っているかもしれない。
いずれにしても、リズは、実態がこれらの想定のどれかに近いものではないかと考えた。
追跡手段はおそらくあって、継承争いの中で特殊な役割を占めている。
この前提を、彼女は行動指針の基礎と定めた。
そういった前提に立った時、農作物の収穫まで留まるという選択は、かなり微妙なところである。
リズにとって現状で一番の悩みが、まさにこれだ。追跡手段について憶測を働かせるしかない中、他国に身を寄せている彼女に対し、母国がどう動くのかは見当もつかない。
今のところ、国境付近で急激な動きはないようだが……準備して仕掛けてくるとしても、どれだけ時間を費やすだろうか。
色々と考えてみると、最短でできる葉野菜であっても、一ヶ月強の滞在となる予定だ。リズには、それがやや長いように思われる。
竜からは試されているようだったが、実際、それを無視してしまうのも選択肢の一つではあった。
すなわち、しらばっくれてこの地を離れるか、買い求めた野菜を自分の手で育てたと偽るか。
証人であるフィーネも、事情を話せば納得してくれることだろう。
しかし、リズは口約束の不履行に、強い抵抗感を覚えた。嘘に嘘を重ねるやり方が身に染みついたとき、後に自分の命以外何も残らないのではないかと思ったからだ。
殺されずに立ち回るのは大前提としても、後ろめたさを抱えて国々を転々とするようでは、あまりに空しい逃亡生活だ。
だからこそ、この約束は守って、この地を去ろう。血を分けた連中よりは、誠実に。約束には堂々と。
彼女は強く心に決めたのだった。
☆
病み上がりの彼女に鍬を持たせることについて、周囲は色々と懸念を抱いていたが、何とも様になる振りを見て認識を改めたようだ。
休み休みで様子を見ながらであれば、問題ないだろうと。
それに、町自慢の名医の太鼓判もある。
広い畑を耕しているうちに昼時になり、弁当を食べてまた農作業へ。
リズにとっては初日だが、昼を過ぎた頃にもなると、心配そうな目が向けられることはグッと少なくなっていた。
心配されなくなってようやく、輪に溶け込んだような一体感を覚え、彼女の顔が柔らかくなる。
ふと立ち止まり、彼女は手拭いで首筋を拭った。少し肌寒さの残る春風も、作業で火照った体には心地よい。
すると、同じく農作業に勤しむ青年が声をかけてきた。
「リズさん、魔法で水とか出せます?」
「出せますが、農業には適さないと思いますよ?」
「っていうと、フツーの水じゃないんですか?」
「普通の水と違って早く蒸発してしまいますから。あげた気になっていると、気がつけば干上がってしまいます」
彼女の説明に、周囲からは「へえ~」と関心の声。
「そりゃ、ラクできないですね」と青年が言うと、リズはニッコリ笑って「みんなで頑張りましょうね」と返し、相手はややバツの悪い苦笑いを浮かべた。
☆
夕方よりも少し前に農作業を切り上げ、一行が町へ戻ると、広場では子どもたちが遊んでいた。
彼らの手には、長い棒が握られている。細長い円筒状の布袋に綿を詰め込んで、形を整えたものだ。
これを剣の代わりにして、町人は剣術の練習をしているという話だが、子どもたちがやっているのは練習ではなくチャンバラ。それも、ストーリー付きの奴だ。
今はおそらくクライマックスであろう。背丈に比べて長い黒マントを羽織る子が倒れ、彼に剣を向けて勝ち名乗りを挙げる数人の剣士。
見るからに勧善懲悪の、ゴッコ遊びである。
町人としてはいつものことらしいが、よそ者のリズとしては、彼らのストーリーが気にかかるところだった。
幸い、チャンバラには混ざらない少女が、何やら台本らしきものを持っている。
リズが近寄って聞いてみたところ、その子は語り部だという。実質的には司会進行役だろう。
「ちょっと、見せてもらっても構わないかしら?」
「いいけど、興味あるの?」
「ちょっとね」
オトナがこういうことを言いだすのに、少女は少し怪訝そうな顔つきをしたが、すぐに笑って「いいよ」と台本を手渡してきた。
ちょうど戦いが終結したところで、タイミングが良かったというのもあるだろう。
台本を手に取ってみると、どこかで聞いたことがある名前がそこにはあった。人類の勇者マティウス・エル・ラヴェリアが、悪の大魔王をやっつけるという筋立てである。
どうも、この頃には特に魔王側に側近などはなく、最終決戦にのみフォーカスを当てているらしい。
だからといってディテールにはこだわらないのかと言うと、そういうわけではなく、決戦前の前口上などはしっかりある。
他国であろうと、最初のラヴェリアその人は紛れもない大英雄であり、今もなお人気を博すのは納得のいくところ。
当時の国々から馳せ参じた勇者御一行も、それぞれに名高いエピソードが目白押しだ。
ただ、偉大なるその英雄の遠い血族であるリズとしては、なんとも微妙な気分になった。
かの英雄が築いた国から追い出され、さらには国賊として命を狙われる身でもある。
すると、語り部係の女の子が、リズに「やる?」と持ち掛けてきた。




