第193話 VSダンジョンマスター①
階層間転移の魔法陣を置き換える策の準備にあたり、これまでのリズは隠し扉を探し回っていた。
だが、それは企みが発覚してしまわないようにした上で、検証と練習を重ねるためのものだ。
自分の手によるショートカット魔法陣が機能することは、すでに確認できている。その練習も十分に積めた今となっては、扉を探す意味は消失した。
扉も何もない、ただの床に、ショートカット魔法陣を書き込めばよいのだから。
むしろ、今はスピード勝負である。事が露見し対応される前に、玉座へ文字通りの自力でたどり着ければ最良だ。
そのため、リズは使う魔法陣を一つに絞っていた。5階層分進むショートカット魔法陣である。休憩地点を過ぎた後、これで2回短縮するだけで、すぐに次の休憩地点へ着く計算になる。
いかにリズといえど、転移魔法陣は高等な部類に入り、しかも視られているプレッシャーの中ということもある。使う魔法陣をいちいち切り替えるのではなく、これと定めた一本に絞って集中したいのだ。
一つの階層を、彼女は自前の近道で通り抜け、次なる階層も自前の魔法陣で飛び越えていく。休憩地点に着くや、駆け抜けて扉を開けて次の階層へ。
わき目も振らず、彼女は破竹の勢いで進撃していく。20階層、30階層、40階層――
自分の足で踏み入れるのは初めての領域に達しても、別段の感慨はない。
その場を動かず、すぐに次へと転移してしまうのだから。
もっとも、懸念事項がないこともない。
階層を重ねるごとに、ダンジョンのつくりそのものが変化しているのなら……あるいは他の事由により、使われている転移魔法陣の様式が変化しているのなら、厄介な事態になるからだ。
83階層まで到達したというレコードホルダーに、前もって話を聞いたところ、罠や敵の新手が出てくるだけで、ダンジョンの構造自体に気がかりな違いはなかったという話だが。
いくばくかの不安を抱えつつも、リズは自力で近道をこじ開け、さらに猛進していく。
1階層にかかる時間は、せいぜい数秒程度。タンジョンに潜り始めて1分で、彼女は50階層の休憩地点へと到達した。
尋常ではない攻略スピードという自覚はあったが、一方で焦りもある。挑戦者が攻略中のタンジョンに対し、支配者側がどれだけ能動的な妨害手段を実行できるかは不明。
しかし、“何かやっている”ということはすでに認識されているだろう。
今はまだ何も処置されていないというだけのことだ。
ダンジョン最深階層の記録は、知る限り83。50階層でも、まだ折り返しを過ぎたかどうかといったところ。
このまま何もされずに進めるか、それとも何らかの手が入るか――
あるいは、自前の転移がそもそも機能しなくなるか。
心臓の高鳴りを感じつつ、リズはさらに階層を一足飛びで駆け抜けていく。55階層、60、65、70……
やがて、人類未踏階層が見えかけてきたというところで、ついに変化が生じた。
第75階層へと続くはずのショートカット。しかし、転移先がまるで違っている。
これまでの階層は、休憩地点を除けば、城らしき建造物の内部であった。
それが一変し、今のリズは屋外にいる。澄み渡る青い空には燦々と陽光が満ち、その下には雲海と、白い海に点在する丸い緑。草生い茂る円形の地面は、海に連なる飛び石の足場を思わせる。
そうした足場の一つに、彼女は佇んでいた。
急激に変化した周囲の様相に、彼女は息を呑んだ。
何らかの手が下されたのは間違いない。問題は、それが意図するところ。隔離か、幽閉か、それとも――
これが、さらなる試練か。
不用意に動き出すわけにもいかず、ただ落ち着いて状況観察に努める彼女だが、幸いにしてあまり待つことなく次の動きがあった。
澄み切った空から、年若い男性の声が響いてくる。それも、どことなくフレンドリーな声音で。
『やあ、驚かせてしまったかな?』
実際、ここへ飛ばされたことにも、声を掛けられたことにも驚いたリズだが……続く言葉には、思わず苦笑いしてしまった。『こちらも驚かされたよ』と言われては。
彼女は、声の主が目的の相手であると認識した。一方で、本題を打ち明けるにはまだ早いという直感も。とりあえず、相手の意向を探らなくては。
「不躾な行いとは自覚しておりましたが、可能な限り早くにお目通りできればと思い……しかし、それはまだ果たせぬようですね」
『お察しの通り。あのまま通してもよかったんだけど……まさか、魔王がああいう形で手玉に取られたまま、手をこまねいているわけにもね』
声の感じから、不正に対してはあまり気にしていない様子がうかがえる。むしろ、好意的に捉えているようにも感じられ、リズはホッとため息をついた。
とはいえ、ここからも本番といった風なのだが。
『特殊な挑戦者には、特殊な試練をと思ってね。嫌なら入口へ送り返すけど、今後は転移の偽造ができないようにする。どうかな?』
問われはしたが、リズに選択肢はない。一から真面目にやる気はサラサラない自分を再認識し、さすがに申し訳なく思うのだったが。
「その、試練とは?」と尋ねると、魔王はこの階層についての説明を始めた。
曰く、これまでダンジョンに盛り込みたかったものの、さすがに自重したアイデアを形にしたスペシャル階層だとのこと。
これまでの城塞を模した階層とは異なる、この特殊階層をいくつか越えた先に、リズが求める玉座があるという。
『もちろん、ここで死んだり負傷したりというのは、あり得ないから安心してほしい。諦めるまで、その場でやり直すだけだから。我々にとっては、あくまで遊興だからね。それに、君のことはよく知らないけど……こういうことで損なうのは、あまりに惜しいとは感じているんだ』
「お褒めに預かり光栄です」
『意外と素直だね。手口はともかくとして』
続いて天からの声は含み笑いを漏らし、それきり聞こえなくなった。
説明は以上。後はやってみよということだろう。
雲海に浮かぶ草地の台座は、リズが今いるところを始点とし、遥か彼方まで点々と連なっている。上から確認することができれば――
思い立ったリズは、さっそく魔法を一つ使用した。《憑依》で紙の鳥に意識を乗せ、空高くまで舞い上がらせる。
が、しかし。リズがいる地点がすでに十分高い位置にあるためか、紙の鳥を羽ばたかせても、中々高度が上がっていかない。
それに、吹きすさぶ風も強烈だ。少し舞い上がっただけで風に煽られ、まともに飛ばすだけでも一苦労だ。
そうした四苦八苦の末、彼女はどうにか、現階層の全容をざっくりと把握できた。
点在する緑の台座は、鳥瞰すれば細い楕円形になるように整列している。おそらく、始点とは逆側の端に、次への扉があるのだろう。目を凝らしても見えないのだが。
気にかかるのは、台座から台座へと渡っていく道が一本道ではないことだ。楕円形の広がりがある以上、単にまっすぐ進むだけというものでもないように思われる。
(とりあえず、やってみましょうか)
軽く柔軟を始めたリズは、次の台座へ視線を向けた。今いる台座とは、雲海を挟んで数メートル。この白い隔たりを超えられなければ、おそらくはやり直しだろう。
もちろん、《空中歩行》という手もあるのだが……攻略法としては、さすがに安易過ぎるように思われる。
とりあえず、やるだけやってみたところ、機能はするようだ。緑の足場から、きちんと浮き上がっている。
確認だけ済ませ、彼女は《空中歩行》を解いた。
まずは自分の肉体一つで、この階層に挑むことに。円の台座の端まで寄り、そこから助走し、跳躍。どこまで下に続くかもわからない雲海の上へ、彼女は身を投げだした。
先の足場までは数メートル。跳躍一つで、ある程度余裕を持って到達できる距離だ。
実際、彼女は次の足場に無事足をつけたのだが――
着地後、ピシッという亀裂音が耳に届いた。即座に地面へ目を向けると、着地点を中心に地面が割れ始めているではないか。
急いでその場から離れ、次の足場へと飛び移ろうにも、あらかじめそのつもりでなければ即応は難しい。着地直後の体を無理やり動かし、彼女はどうにか駆け出した。
しかし、一歩一歩を大股で走り抜けていく彼女に、背後から崩落音が迫る。
そして、彼女は見切りをつけた。走っただけでは追いつかれる。足場を失い、跳べなくなる前に、彼女は先方の次なる足場へと踏み切った。
さすがに、今回は不十分な助走ということもあり、次の足場までは届かない。
ならばと、彼女は空中で魔法陣を展開。《空中歩行》を使おうとするのだが――
使い慣れたはずの魔法、ありもしない足場を踏む、あの感覚がない。
(ああ、やっぱり……)
彼女は届かない足場を前に雲海へ落ちていった。見立てが当たっていたことへの、ささやかな喜びを慰めにして。
雲海に落ちると、視界が真っ白になった。これが現実であれば、この状況を思い描くだけでショック死しかねない状況だが……不思議と恐怖はない。落ちていくはずが、ふわりとした不思議な浮遊感がある。
やがて、周囲から雲が去り、彼女は最初の足場に戻っている自分に気づいた。前方にあるのは、崩落したはずの足場。
つまり、やり直しということである。
彼女がその場で立ち上がると、天から声が響いてきた。
『ここはこういう階層なんだ。どうかな?』
顔が見えない相手だが、少し楽しそうにしているのは伝わってきた。リズを弄んでいるのではなく、出し物の出来栄えを気にしているような。
「興味深いですね。《空中歩行》も使えませんでしたし……」
『さすがに、それはね』
つまり、ダンジョンの主の手の内では、魔法の使用権を掌握されているも同然というわけだ。
『さて……結構難しいと思うけど、続ける気はあるかな?』
問いはしたものの、答えはわかっているのだろう。友好的な態度を崩さない魔王の問いかけに、リズは少し唇の端を吊り上げ、不敵な微笑を浮かべた。
「もちろんです」




