第191話 王族の会議②
今後の対応を定めたところで、継承競争会議は終了した。まずは、例の海域にあると目されるダンジョンについての情報捜索を。
この件に関しては軍部による過去の調査情報があるが、外務省諜報部としても、当該海域近隣の要員から情報を集めていくことに。
つまり、アスタレーナとしては新たに仕事ができたわけだが、会議前よりはずいぶんと気が楽になる実感が彼女にはあった。
おそらく、漠然とした不安の中で道筋が指し示されたことの安堵が原因だろう。
あるいは、自身が不手際と思っていたことについて、兄弟から許されたからか。
ただ、軽い心持ちは、そう長くは続かなかった。
会議室を出て外務省庁舎へ向かおうとする彼女の前に、レリエルとファルマーズの二人が。いずれも真剣な顔をしており、弟妹につられて彼女の顔にも、自然と力が入ってしまう。
「お姉様、一つご相談が」
実の姉相手に対する、レリエルのこの堅苦しい態度に、アスタレーナは“ご相談”とやらの程度を思った。
その後、三人はそれぞれの側近を返し、会議室に入り直した。
しかし、三人で使うにはテーブルが過剰に大きい。レリエルはそれでも構わない様子であったが、アスタレーナは部屋を見回し、一つ提案した。
「テーブルを使わず、近くで話し合いましょう」
そう言って、彼女はテーブルからイスを三つ抜いた。膝を突き合わせない程度に距離を開け、三人で向かい合う格好に。
それぞれが腰を落ち着けると、まずはレリエルが口を開いた。
「ご相談というのは、実は私ではなくファルのものですが……」
「何かしら?」
尋ねるアスタレーナだが、おおよその見当はついていた。レリエルを仲立ちとする相談なのだから、この三人に共通する話題――
つまり継承競争関連だろう、と。
そして、今まで消極的な関わり方をしていた弟が、こうして話し合いの場を設けてきた。その事実に彼女は固唾を飲んで、言葉を待った。すると……
「次の挑戦権、僕が行使したいんだけど……」
ある程度、予想できていた言葉が出てきた。
しかし、気にかかるのは、先程の会議の場で口にするのではなく、こうして他の継承権者や側近を省いた上で持ちかけてきたことだ。
すると、彼はもう少し詳細な事情を続けていった。
まず、彼は継承競争を念頭に入れた装備を準備中だが、相手がダンジョンに潜っていると仮定するなら、それ相応の調整を施す考えである。
ただ、そうした準備を行うには、どうしてもラヴェリア国内で研究開発に専念する必要があり……
「……つまり、事故調査の方には、手をつけられなくなるということね」
「うん。姉さんには悪いと思うんだけど……」
実際、アスタレーナには複雑な思いがあった。
事故調査自体、決して心弾む仕事ではない。だが、海外との繋がりができることは、弟にとって確実にプラスになるだろうという考えがある。
それに、事故調査という国際的な重大事があれば、この弟を継承競争から遠ざける絶好の口実になるのではないか、とも。
もちろん、弟も立派な継承権者の一人だ。外から仕事を与えて拘束するのは、越権的な干渉と言える。しかし……
自らの技術で以って人を殺める経験が、この弟にとって好ましいものになるなどとは、まったく思えないのだ。
内心で揺れるアスタレーナだが、弟を同じ一人の王族として尊重すべきという念もある。彼が決断を下したのなら、それを受け入れなければ。
しばし瞑目した後、彼女は弟に目を向けて口を開いた。
「海外での仕事、どうだった? すごく大変だったでしょう。こちらこそ、あなたには悪かったって思うわ……ごめんなさいね」
「そ、そんなことないよ。すごく意義のある仕事だと思う。本当なら……」
だが、言葉は続かす、彼は言い淀んだ。少しうつむき口を閉ざした彼は、ややあって顔を上げた。
「とりあえず、次の会議の場で権利行使するから」
「わかったわ」
ファルマーズからの用件は以上だった。席を立とうとする彼だが、レリエルは動かない。
「姉さん?」
「私は、まだお話が……あなたは先に戻ってください」
「聞かせられない話ってヤツ?」
「ええ」
ストレートな質問に対し、これまた直球の返答。その聞かせられない話が何なのか、さすがに気になる様子だったが、彼は諦め顔でドアに向かった。
「付き添い、ありがと」
「どういたしまして」
そうして弟が部屋を去るのを見送った後、さっそくアスタレーナが口を開いた。
「こっちの方が、本題って気がしないでもないけど」
「……そうですね」
レリエルの顔に、どことなく悲しげな苦笑が浮かぶ。彼女は少しため息をついた後、本題を語りだした。
「陛下と枢密院は、継承競争に直接関与なさることはありませんが……状況については、情報が逐一伝わっています」
「知ってるわ」
継承競争会議にも、枢密院からの要員が参加しており、会議内容を報告する任を負っている。
もっとも、あくまで状況を把握するためのものでしかないはずだが……
「進みが遅いと、ご不満を抱かれてるかしら」と、アスタレーナは内心の苛立ちを抑え、あくまで冷静さを保って口にした。
兄弟と競い合わせようという上意に対し、内心で思うところは色々とある。
ただ、そういう感情を妹にぶつけるわけにもいかないのだ。
そうして平静を装う彼女に、レリエルはどこか暗い面持ちで告げた。
「ファルに対し、枢密院からお言葉が……『他のご兄弟がお力を示される中、殿下があまりに控えめに振る舞われては、内政においてもバランスを欠くのではありますまいか』と」
「よく言うわ」
冷ややかに返したアスタレーナだが、この言い分に妥当性を認めざるを得ないところもあった。ファルマーズ自身、この継承競争に消極的という自覚はあるだろう。
それに、海外へ出て事故調査に携わっていても、事の性質上、彼の貢献を知る者は限定的だ。彼が率いる技術部門においても、事を知るものはごくわずか。刺された釘への抗弁に使えるものではない。
結局、彼は他事にかまけていられなくなり……まずはレリエルに相談したというわけだ。
弟を戦いに駆り立てようという上の意向に、アスタレーナは穏やかならぬ感情を覚えた。
一方で、気掛かりなことも。眼の前の妹レリエルは、この事をどう思っているのか。妹なりに色々と思い悩む部分はきっとあることだろうが……
彼女は思い切って尋ねることにした。
「あなたは、どう思ってるの?」
「そうですね……彼に落ち度があるのではないかと思います」
この答え自体、予想できたものの一つではあったが――
続く言葉は、まったくの想定外であった。
「やりたくない戦いであれば、先に動いて浪費しておく道もあったでしょう」
「……いいのかしら」
「お姉様。ハーディングの件をお忘れですか?」
指摘され、アスタレーナは言葉に詰まった。
継承競争にかこつけて動かした人材を、実際にはハーディング革命の大一番に投入し……革命が安定するまで他の継承権者が動かないよう、挑戦権を専有した前科があるのだ。
この件を持ち出されると、さすがに申し訳ない気持ちが起こる。
しかし、法務部門の妹は、意外にも柔らかな表情だ。
「ルールは逸脱していませんから。その上で、趣旨に縛られない選択をできるのなら、それも一つの才覚だと思います」
「……そう言われると助かるけど」
一応、褒められているのは間違いない。皮肉という可能性も考えないではないが……そういう妹ではない。
とはいえ、継承競争を推進する立場にある妹が、あのハーディングでの選択を肯定することに対し、座りの悪い感覚もあった。
そこでアスタレーナは、もっと根源的な問を口にした。
「あなたは、この継承競争そのものについては、どう思ってるの?」
すると、レリエルは表情を引き締めて視線を伏せ、少しの間考え込んだ。
やがて彼女は顔を上げ、思いを口にしていく。
「継承競争がなくても、何らかの形で権力闘争は起きるでしょう。慣習化され、半ば制度化されているだけ、今の形の方がまだマシだと思います。それに……」
「何か?」
何か言いかけて口を閉ざしたレリエルだが、中々続きの言葉が出て来ない。
おそらく、これ以上は口にできないのだろう。そう考えたアスタレーナは、話題の矛先を少しずらしてみた。
「強い者、優れた者こそ上に立つべき、そういう建前があるでしょう?」
「はい」
「……私たち継承権者が失敗し続ければ、それはエリザベータの力を示すことになりはしないかしら」
「……その“力”を素直に認められるのは、私たちだけではありませんか?」
率直な物言いに、アスタレーナは少し皮肉な冷笑を浮かべて答えた。
「そうね」
☆
一方その頃、リズもリズで会議に臨んでいた。
話し相手は自分自身だが。
《叡智の間》の中、自分の分身とテーブルを囲む彼女。卓の上には魔法陣を刻まれた何枚もの紙が。
そうした魔法陣は、一見するとほとんど同じものだ。ただ、特定の箇所だけが微妙に異なっている。
この違いがある部分こそ、今回のダンジョン攻略の肝だ。
魔法陣の中には、互いに一致するものもいくつかある。中でも、一番数が多いパターンのものを手に取り、リズ本体は口を開いた。
「とりあえず、ショートカットへの上書きは成功したけど……」
『次は、いよいよ逆パターンね』
これまでのダンジョン攻略で、リズは階層を繋ぐ転移魔法陣の偽装を試み、成功していた。試していたのは、ショートカットによる転移を、通常の転移――1階層だけ進むものへの置き換えだ。
攻略上においては、通常の転移をショートカット化するのが本命である。にもかかわらず、逆を試していたのには理由がある。
というのも、怪しまれないようにするためだ。攻略風景を視られている以上、普通の扉を使っていながら大きく進むのでは、不正を疑われてしまう。
それに、ショートカット化を重ねて深層へ進みすぎれば、より一層注目され、悪事が目に付きやすくなってしまう懸念も。
ダンジョン管理者が相手ということを考えれば、直接的な証拠を掴まれずとも、答えにたどり着かれる可能性は高い。
そこで、ショートカットを通常化することにより、まずは転移魔法陣の置き換えができるか検証し、その技術を磨くことにしたのだ。
また、一つ一つのショートカット魔法陣に、進む階層のランダム性はない。1階層分進む通常の魔法陣、2階層分進むショートカット魔法陣、3階層分……といった風である。
そして、次に検証するのは、通常版から2階層進むものへの置き換えだ。
今はまだ、ショートカットから通常化への置き換えに成功しただけであり、逆ができるかどうかはわかっていない。
そこで、観戦されてもわかりづらいよう、通常版を細かいショートカットに置き換える検証を行おうというわけだ。
これが成功すれば、より大きなショートカットによる攻略が可能になるだろう。
最終的には、相手が気づこうとも対応しきれないでいるうちに、ダンジョンを踏破できるかもしれない。
通常版からのショートカット化自体は未検証だが、やれるという感覚がリズにはあった。
扉を開け、光に呑まれ、魔法陣による転移が機能する――その一瞬の間に、自分の魔法陣を滑り込ませる。そうするだけのテクニックは、すでに彼女の手にあるのだ。
偽造ショートカットによる不正攻略も、おそらくは手の届く場所にあるだろう。
そんな彼女にとって、気が早い話ではあるが、現実的な懸念はむしろ別のことにあった。
自分内会議を連日にわたって開いているのも、それが理由だ。
「では……どうやって釈明しようかしら」
ダンジョンの主ばかりでなく、ダンジョンに挑むロベルトら先輩に対しても、不正攻略は大変に無礼な行いであろう。
それでも、今後のことを思えば、リズにとっては意味のあることなのだが……
そうして彼女は、自分自身と顔を突き合わせ、弁明に頭を悩ませた。




