第188話 ダンジョンへの目論見
11月2日。久々の海賊退治は事後処理まで無事に完了し、リズたちは再びダンジョンの孤島へと繰り出した。
今回の出撃は物資補給も伴うものであり、中には酒のような嗜好品もボートに積んである。
これはリズたちが飲むわけではなく、お近づきの印、あるいは献上品としての用意だ。先輩方と、ダンジョンの主たち、いずれに対しても十分な量がある。
お気に召すかは別問題だが……
先輩方の話では、ルーリリラとダンジョンの魔王閣下は、こういう土産を喜んで受理するという話ではある。そうした贈呈品を前に、リズは何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。
「どうかしたのか?」
「いえ、こういう品で直接、魔王閣下に謁見できればと思うんだけど」
「難しいでしょうね」
あっさりと口にしたセリアに、他の二人も力なく微笑み、うなずいた。
魔王といえば、ダンジョンの奥底で独り待ち、迷宮を踏破する猛者を待ち受けるものだ。
それなのに、貢物ごときでノコノコと余人の目の前に出てくるというのは、なんともありがたみのない話である。
リズ自身、そういう認識は持っている。この貢ぎ物で会えれば――というのは淡い願望程度のものでしかない。趣意はもう少し別のところにある。たびたびルーリリラを呼びつけていること、興味深い迷宮を使わせてもらっていることへの感謝などだ。
母船から離れ、ボートが洋上を走っていく。動力源はリズ独りであり、積み荷の分だけいつもよりも重い。
積み込んだ荷物と船長を交互に見まわした後、セリアは言った。
「殿下、ボートが普段より重いものと思いますが、大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫です。少し重いかな、というぐらいですね」
「でしたら良いのですが……」
その後、セリアはわずかにためらう様子を見せてから、言葉を続けた。
「最近、お昼寝をなされることが多くなったように思われたものですから。環境が変わったことですし、無意識のうちにお疲れがたまっているのでは、と」
この懸念にはマルクも同意を示した。
「無理してるってわけじゃないとは思うが……自覚のない変化だとしたら、それはそれで心配だな」
そう言って真剣な眼差しを向ける二人を前に、リズは少し顔を引きつらせ、海へと目をそらした。
彼女自身、昼寝が増えた自覚はあったものの、気にされるものとは考えてなかったのだ。
ただ、過去にいきなり体調を崩した経験はあり、加えて立場的なものもある。「気にしすぎ」などとは口にできようか。
微妙な気まずさを覚えつつ、彼女は口を開いた。
「なんだか、心配させちゃったみたいで……」
「そこまで深刻に考えてたわけでもなかったけどな」
「そうですね、少し気がかりというぐらいの感覚でした。それで、お昼寝に関しては、意識的に取られている休養でしょうか?」
「はい。何というか……体質的な理由がありまして」
そこでリズは、言葉を探しながら、自身の体質について話していった。
寝ている間も実際には意識が起きており、きちんと思考できるということ。
そういった、半ば覚醒状態ともいえる睡眠時間を活用し、ダンジョン攻略で得た知見をもとに色々考えていた、と。
実質的には、《叡智の間》の力について、彼女は言葉を変えて説明している。そういう体質だと話してしまった方が、理解してもらいやすいのではないか、と。
寝ていても実は意識が働いている――というより、意識的に考え事をできるという体質を耳にして、二人は少なからず驚きを示した。
一方で腑に落ちる部分もあるようだ。
「思えば、幽霊船に向かう前も、昼寝が増えたような気がしないでもないな」
「ええ。あの時は、覚えたての魔法を頭の中で反復してたと思う」
そして、今回はダンジョンという題材をテーマに、頭の中で色々と考えているというわけだ。
昼寝の理由について、二人は納得した様子だ。しかしながら、それはそれとして新たな懸念も。
「寝ている間も考え事をなさるというのでは、気が休まる暇がないのでは」
「うまいこと言いますね」
特に考えなしの言葉を返すリズに、セリアは一瞬だけ真顔になった後、顔を少し綻ばせた。
だが、視線は依然として真剣そのものである。そんな彼女に、リズは言葉を返した。
「寝ているときの考え事で疲れた経験は……記憶にないですね。考え事というと、色々思い悩んでいるように感じさせてしまったかもしれませんが……」
それから彼女は、《叡智の間》にいるときの"自分たち″に思いを巡らせ、その時その状況を表す、端的な表現を探し出した。
「ほとんど、趣味みたいなものですから」
この言葉を、強がりや遠慮とは受け取らなかったようで、セリアは安堵のため息をついた。
マルクは、もとよりさほど心配していなかったようで、表情は柔らかだ。むしろ、セリアを気遣っていたのかもしれない。
妙に頻度が増えた昼寝について、疑問は解消された。
だが、マルクにはまた別の疑問もあった。
「避難先にするってだけなら、別に攻略していく必要はないんじゃないかって考えはある……というか、ニールから指摘された」
「あなたも、そう思う?」
「隠れ家に入り浸るようじゃなあ」
元諜報員らしい、ごもっともな発言。リズは苦笑いした。
もっとも、隠れ家近辺で生活することについて、色々と難しい事情はあった。
ダンジョンに入れば、ダンジョン外にある魔法の接続が分断される。
また、ラヴェリア側はリズの現在地特定について、一般的な諜報手段のみならず、魔法・呪術的な何かを用いている可能性が極めて高いものと目される。
そうした前提を踏まえれば、ダンジョン内に入って追跡の手を切るというのは、中々有効な手段と思われるのだ。
もっとも、タンジョンに入りっぱなしにできるわけではない。完全な潜伏とはなり得ないのは確かだ。
ただし……ラヴェリア側が有していると目される追跡手段は、継承権者たる王族自身を動かす理由になり得る程度に、極めて強い説得力を持っているものと考えられる。
そうした手段が、一時的であってもリズを見失うようなことがあれば、追跡手段それ自体に疑念を抱かせ、この後の動きを鈍らせることができるかもしれない。
あるいは、絶対視できなくなった追跡法の代わりに、何らかの新手法を用い、それがマルシエルの諜報網に引っかかるかも……という、淡い期待も。
いずれにしても、いざという時の隠れ家を今から利用することで、相手に揺さぶりをかけることはできるかもしれない。
「……結局のところ、私をどうやって追い回してるかわからないから、憶測の上の仮定でしかないんだけど」
と苦笑するリズだが、彼女の考えにマルクは腕を組んでうなずき、理解を示した。
「相手側の内情がわからないのは難点だが、かく乱としては十分に意味があると思う」
「プロにそう言ってもらえると頼もしいわ」
「“元“だけどな……ラヴェリアにスパイがいれば、確実なんだろうが」
その後、リズとマルクは無言でセリアを見つめたが……彼女は渋い微笑を浮かべて、ただ首を横に振った。
非常用の隠れ家を今から用いることについても、納得が行った。
ただし、疑問は半分残っている。ダンジョンを攻略していくことの必然性についてだ。
「実際、マジメにやってるところを見せることについては、価値があると思うぞ。そうじゃないと怪しまれるからな。それに、俺たちの勘を取り戻す意味もあるだろう。ラヴェリアに対し、何らかの手段で乗り込んで、反撃する……って展開も、決して無いことはないだろうしな」
マルクの発言に、リズは驚きと感嘆の念を抱いた。彼が指摘したことは、実際に自分自身でも考えていたことだからだ。
リズばかりでなく、セリアも、この発言には目を見開いている。ラヴェリアに対する反撃という概念が、予想外のものだったのだろう。
こうして、決して小さくはない驚きに口を閉ざす二人をいくらか見つめた後、彼は更に続けていった。
「ダンジョンを攻略する……最下層に行くことを重視してるのなら、先輩の皆さんに何らかのアプローチをかける価値はあると思う。ほとんど、巻き込みに行くようなものだけどな」
それも考えていたことであり、実際に悩ましい問題であった。
ただ、言える事が一つ。
「最下層まで行く価値は、大いにあると思う。というより、ダンジョンの主様に、一度お目通りを果たしたいのよ」
「なるほど……先輩方との協力は?」
「今のところは、まだ考えてないわ。私自身、少し試してみたいアイデアがあるから」
「寝ながら考えたやつか?」
「……まあね」
すると、マルクは少し意地の悪い笑みを浮かべ、尋ねた。
「俺たちにも言えないようなアイデアって感じがするが……」
「……試して結果が出たら、その時は言うわ」
「そりゃ、楽しみだ……うまくいくといいな」
そう言って彼は、口にした言葉通り、楽しそうに笑った。




