第186話 リズの本業
ダンジョン攻略に取り組み始め、2週間ほど経ったある日の朝。
テントの外で柔軟体操をしていたリズに、緊張した面持ちのアクセルが話しかけてきた。
「外から連絡です」
「わかったわ」
すぐさまリズはテントに向かった。
外部との連絡用ということで、リズの船――名前はまだない――と繋がる魔道具の用意がある。透明な宝珠だ。
ただ、いつもは無色透明なこの宝珠に、今は内部に赤い矢印が現れている。接続状態であることと、接続先の方角を示しているのだ。
宝珠を手に取り、リズは少し魔力を注ぎ込んだ。宝珠全体が淡い青に染まり、内部の矢印も青に変じていく。通話状態へ移行した宝珠に、リズは話しかけた。
「エリザベータです、どうぞ」
すると、宝珠からニールの声が返ってくる。
『船長、急な話で申し訳ありませんが、仕事が入りました。できるだけ早く、こちらへ戻っていただけませんか?』
仕事が入ったとは言うが、実際にはまだ入っていない。マルシエルからの要請があったとしても、受理の可否はあくまで船長であるリズが定める。
もっとも、正直に「マルシエルから連絡が」などとは言えない。ここには、リズたち以外のダンジョン挑戦者もいるのだ。
そのため、「仕事が入った」という表現は、他に聞かれても構わない一種の符丁である。
久々ということもあり、船へ向かうのはむしろ望むところといった感じだが、問題は……
「全員戻した方がいい?」
『いえ、そこまでは……船長込みで三人ほど戻してもらえれば』
「了解。セリアさんと、あと一人は適当に決めるわ」
『お願いします』
通信は以上だ。幸いにして、今日は全員が野営地にまだいる。生活リズムを崩さないよう、朝から夕方までの攻略に限定しているのが奏功したようだ。
テントの外に出たリズは、さっそく仲間たちに声をかけた。自分たちのテントの前に集め、連絡事項を伝えていく。
「お仕事が入ったみたいで、三人戻してって。私とセリアさんと、後一人ってところ」
とはいえ、実際には2択だ。マルクを連れて行くか、ニコラを連れて行くか。
というのも、お仕事というのは海賊船退治と思われ、そちらではアクセルがあまり活躍できないからだ。わざわざ船に連れて行くよりは、ずっと適正のあるダンジョン攻略を任せたい。
そういったリズの考えは、言われるまでもなく承知のことだろう。マルクとニコラは互いに視線を交わし合い……
「俺が行こうか」
「わかったわ。二人も、それでいい?」
リズの問いかけに、ニコラとアクセルはうなずいた。
「こっちはこっちで、たくさん潜っておきますからね!」
「そうですね。知らぬ間に最深階層を更新したりして……」
と、二人ともやる気十分である。
船へ戻る人員を定めると、リズは共同生活を営む面々のテントへ足を運んだ。
こちらの先駆者たちは、昼夜問わず攻略する者もそれなりにいるが……朝はおおむね、この野営地にいる事が多い。“まともな“寝床があるからだ。
今朝も、まだ出撃前の者が多い。そんな中、リズはリーダー格のロベルトに話しかけていく。
「外から仕事の連絡が入りました。今から少し外します」
「ああ、前言ってたやつかな?」
「何してるの?」
何の気なしに尋ねてくる若い女性に、ロベルトは「あまり詮索すんな~」と、苦笑いで言った。
「いや、気になるじゃない?」
「ふふっ、海賊退治ですよ。傭兵みたいなことをやってまして」
業態程度であれば、明かしてしまっても問題はない。むしろ、変に隠し通して怪しまれるよりは安全だろう。
そういった考えあって打ち明けたところ、ダンジョンの先輩たちは目の色を変えて食いついた。
「海戦してるの? やっぱ、大砲撃ったり?」
「いや、戦闘要員として戻る感じだし、こう……船をくっつけて、乗り移る奴じゃ?」
「へぇ~!」
と、場がにわかに盛り上がる。ダンジョン攻略もそうだが、血湧き肉躍るような、普通じゃないスリルに興味があるのだろうか。
こうした中、さすがに年長者のロベルトは落ち着いた様子を保っている。
「君らは……なんというのかな。かなりデキる人たちのように思えるが、気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
「きちんと帰ってきてもらえないと、土産話も聞けないからさ」
他よりは落ち着いた様子の彼も、なんだかんだで興味はあるらしい。
そんな面々に自信有りげな笑みを向け、リズは軽く一礼してテントを後にした。
野営地を後にする三人。すぐ近くの森に入って少ししたところで、リズはマルクに尋ねた。
「立候補だったけど、何か理由とかあった?」
「いや、大した理由じゃないんだ。ただ単に……新聞を読みたいだけで」
「ハァ~、なるほどね」
「わかります」
船からの物資調達は、保存性の良い食料がメインだが、中には新聞も含まれる。海運業を任せている間、協商圏内の各島で調達してもらった地元紙だ。
新聞を集めるのは、もちろん情報収集が理由の一つだが……
リズの仲間は、三人が元諜報員、一人は大列強の議会直属護衛官。そのような経歴の者にとって、外界から切り離されっぱなしという状態は、精神衛生上あまりよろしくない。
そのため、多少鮮度が落ちようが、新聞は外界への重要な接点となるわけだ。
「皆様方も、喜んで読まれるでしょう」
「そうですね」
セリアの言葉に、マルクがうなずいた。ダンジョンの先輩方も、新聞を進んで読む習慣があるようで、彼らのルートによる仕入れでも、物資の中に新聞が入っているのだ。
そういう付き合いを考えれば、協商圏から集めてきた新聞というのは、お近づきの粗品として中々のものである。
森を出て海岸に着くと、遠くに船の姿が見えた。後は戻るだけである。
そこでマルクとセリアは、森に安置してあるボートを、浜辺へと引きずり出した。
「手伝いましょうか?」と尋ねるリズだが、二人は顔を見合わせて苦笑。首を横に振った。
「ボートに乗っている間は、任せきりになってしまいますから。今しばらくはお任せいただければ」
「そういうことだ」
リズ自身ボートを動かすのは苦にしないのだが……「厚意に水を差すのも」と思い、彼女は微笑んでただ黙ることにした。
二人が引きずるボートが、浜辺に跡を残していく。マルクは筋骨隆々という感じではなく、目立たない中肉中背だが、実際には相当鍛え込んでいるのだろう。
そして、セリアも。長身ゆえか、かなりスラッとして見える彼女だが、ボートの重量に決して負けていない。
そんな二人のおかげで、程なくしてボートが海に浮いた。三人で乗り込み、目指すは母船。
「ここからはお任せくださいな」と、リズはにこやかに言って、ボートを駆動させていく。
「もう一人ぐらい、同じことができる奴がいると便利だろうし、検討するか?」
マルクの建設的な提案に、リズは妥当性を感じつつも、少し引っかかる物があった。
「そうなると、私の立つ瀬がなくなっていかない? 最終的には、見てるだけになりそう」
「……船長とはそういうものでは?」
「ハハッ、それはごもっとも!」
ついつい自分でやりたがる率先しがちな船長は、二人の笑顔の前で、少し頬を赤らめた。
☆
自船に戻るや、三人を出迎えたニールが、さっそく先の連絡よりも正確な情報を伝えてくる。
「マルシエルより一報あり、北東の海域で海賊船に遭遇した商船があったと」
「そちらの商船は?」
「なんとか切り抜けたそうです。乗り合わせた魔道士が、《火球》でうまく牽制してくれたとかで」
とりあえず、犠牲は出ていないらしく、リズは安堵を覚えた。
ただ、今のところは被害が出ていないとしても、放置できるものではない。戻ってきた時点である程度は明らかだが、彼女は実際にその意向を口にした。
「詳細はマルシエルと連絡を取り合ってからだけど、仕事自体は受諾するわ。針路を当該海域へ」
この指示に、クルーたちが気勢を上げて応え、それぞれの持ち場へ。
直接の配下ではないながら、マルシエルからの出向者たちも気力充分といった様子。
そうした場の空気を目に、リズは人知れずホッとする気持ちを覚えた。
(少し離れていたけど、モチベは変わらないようね……)
この船の面々にとって、軸は他ならぬリズである。そういう自覚があったからこそ、自分が離れることについて、少なからず不安に思う気持ちはあったのだ。
ただ、今の調子を見る限り、大丈夫そうではある。
そうして、クルーたちを眺めながら佇む彼女に、マルシエルの水兵が声をかけてきた。
「殿下、どうなされましたか?」
「えっ? いえ、少し……感慨に浸っていたもので」
今考えている事を口にするのも野暮かと思い、リズは気を取り直し、仲間を連れて通信室へ向かった。
今回の通信相手は、マルシエル海軍の高官とのこと。議長のような超大物が相手ではないだけあって、通信士も普段どおりに構えている。
「準備整っております、どうぞ」
「わかりました」
席についたリズは、「エリザベータです、どうぞ」と呼びかけ、そこから通話が始まった。
仕事の内容は、ニールから聞かされた通りである。
ただし、海域や周辺航路、遭遇時の目撃証言など、情報の精度は高い。第一報から今までの間に、それだけの情報を集めて整理したのだろう。
とりあえず、敵は単艦。砲戦の用意はあるようだが、取り立てて目立つ何かがあるわけでもない。今まで通りの手口、リズ操るボートでの撹乱と母船からの砲撃で動きを制し、懐に取り付いてから制圧といった流れで対処できそうだ。
『今からまっすぐ当該海域へ向かっていただいたとして、敵が引き返していなければ、おそらく昼過ぎには接敵するものと思われます』
「承知いたしました」
『なお、周辺航路を行く予定の船舶については、現在出港を見合わせております』
さすがに準備が良い。敵が獲物を探して留まっているとすれば、リズたちの船に食いつく可能性が高い。他に商船らしき船など通りかからないのだから。
今回の仕事について、連絡は以上だ。ただ、それとはまた別に一件、連絡事項があるという。
『海軍からではなく、外務省を通じての連絡事項です』
この言葉に、リズは固唾を呑んだ。とはいえ、海賊退治の方が優先される程度の話題であれば、喫緊のものではないだろう。
実際、彼女の見立通り、緊急性の高い話題ではなかった。
マルシエル外務省によれば、ラヴェリア王族がこれまでよりも積極的に、海外へ出向いて公務にあたっているというのだ。
まず、第四王女ネファーレア。彼女はラヴェリア外務省に協力する形で、死霊術師の関与が疑われる事象の調査にあたっているという。
次いで、第六王子ファルマーズ。彼は飛行船関係の技術協力で、各国を点々としているのだとか。
そして、言わずもがなの第三王女アスタレーナ。最近の彼女は、母国よりもルグラード王国ハーディング領に滞在する時間が長いほど。
『いずれも、国際協力と呼べる事柄であり、強い懸念を引き起こすものではないのですが……ラヴェリアに何らかの方針変更があったとすれば、注意を傾けるべきかと。ご報告は以上です』
「かしこまりました。ありがとうございます」
通信が終わり、リズは腕を組んで少し考え込んだ。
ラヴェリアの動きは気にかかるところだが、他国から見ても協調的であれば、非難のしようがない。
ただ、こうした動きの中には、ラヴェリア王族が海外で動くための土壌づくりという面も含まれるかもしれない。
結局のところ、相手側の正確な目論見は不明だが……明らかなことは一つ。
(姉上、忙しそうね)
継承競争全体でも鍵を握る存在であろうアスタレーナが、ラヴェリアに戻る暇もないほど忙しいという。
他の兄弟も海外での活動を増やしている傾向を踏まえれば、継承競争においていくらかの停滞が発生するかもしれない。
油断こそ禁物だが、一所に腰を落ち着けてダンジョン攻略に力を注ぐには、ちょうどいい状況と言える。
しかし――
「どうなされました?」
心配そうな顔で、セリアが顔を覗き込んでくる。
「いえ……第三王女がハーディングで長期滞在とのことですが、何かご存知では?」
試しに尋ねてみたリズだが、特に返答はない。セリアばかりではなく、マルクも通信士も、思い当たるものはないようだ。
「まぁ……また面倒に巻き込まれてるんでしょうけど」
身も蓋もないリズの発言に、場の面々は苦笑いを浮かべた。




