表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/429

第18話 竜との謁見②

 寛大な竜の言葉に再び頭を下げた二人は、周囲の地面を探し始めた。

 赤褐色の地面には、よくよく見てみれば、そこかしこに淡い光を放つ何かが散在している。

 竜本体と周囲の雰囲気に圧倒されて、二人はこれまで気づかなかったが、かつて竜の一部であったものが、無造作に転がっているのだ。目が飛び出るような末端価格の、薬師界垂涎の高級素材が。


 その中から、フィーネは爪のかけららしきものを拾い上げた。

 いかに竜の爪といえど、生きた組織でなければ、一般的な道具でも削ることはできる。

 これを処方しようと定めたフィーネは、再び竜に向き直って頭を下げた後、「リズさん」と呼びかけた。

 リズはうなずき、「お願いします」と返した。表情から、緊張に取って代わって安堵がにじんできている。


 フィーネはまず、荷物入れから愛用の道具を取り出した。折りたたみ式の三脚を展開し、下には小さな鉄の皿。上には耐火性の強い陶器の小鉢。その小鉢の中に、彼女は水筒から水をいくらか注ぎ入れた。

 次いで彼女は、薬湯のベースとしても用いられる、枯れ草に油分を含ませたキューブを皿に置いた。小さな棒状の魔道具から火花を放ち、小さなキューブを燃料に火をおこしていく。

 湯沸かしが始まったところで、彼女はメインである爪の加工に取り掛かった。文献のメモを片手に、小刀で必要分だけこそぎ取り、ヤスリのようなおろし金で粉にしていく。


 乳鉢に粉末がたまり始めると、そこが淡い光源となって、幻想的な光の(かすみ)が現れた。

 竜の爪に、清浄の気が宿っている証拠である。

 初めて見る強力な素材を前に、フィーネは生唾を飲んだ。尊敬する父でさえ、これほどの素材を扱ったことはないかもしれない。


 しかし、もしかすると自身の栄達を可能にするかもしれない、この希少素材を手にしても、彼女の内に邪な気が起こることはなかった。

 彼女はただ、自身の患者と、寛容な素材提供者に誠実であり続けた。

 粉末を小指で舐め取り、味を確認するフィーネ。見た目は神々しくもあるが、無味無臭である。舐め取った程度では、体に変化が訪れる様子もない。


 彼女が手際よく作業を進めていく中、リズと竜は静かに見つめていた。

 不意に竜が、こぼすようにつぶやく。


「日がな寝るか、空を見つめるばかりの毎日……あまりに退屈でのう。来客は歓迎しておる」


「左様でしたか」


「とはいえ、長居する奴はおらんが。用を済ませたら、皆そそくさと帰っていきよる」


 リズとフィーネも、そのクチである。言葉に加えて、ジロリと見つめる竜の視線。

 チクリと刺されたようないたたまれなさに、彼女らは微妙に背筋を震わせ、申し訳無さそうな顔を作った。

 一方……彼女らの反応に対し、半目で気だるそうな竜は、楽しく笑うような(うな)り声を上げた。


 程なくして湯が湧き、フィーネは最終段階に取り掛かっていく。コップには爪の粉末を入れ、爪がついた固定具で小鉢を掴み、沸かした湯を注ぎこむ。

 匙で混ぜ合わせた後、水を足して程よい温度に。「できました」と言って、彼女はリズにコップを手渡した。

 ただ、口をつける前にやるべきことがある。リズに向け、フィーネは《呪毒相写法(ペトライター)》を展開した。

 リズの中には、依然として忌まわしい病魔がはびこっている。

 しかし、この薬湯さえあれば――息を呑んで見守るフィーネの前で、リズはほのかに光を放つ薬湯を、のどへ静かに流し込んでいく。


 普通の薬と違い、魔力的な霊薬であれば、効果の発現は早い。

――はずなのだが、目に見える変化は現れない。

 無礼を承知で、フィーネが縋り付くような目を竜に向けると、爪の提供者もそれまでより目を大きく見開いている。

 人とはまるで違う顔だが、「そんなはずは」と言いたげな感情が伝わる相貌だ。


 なんとも気まずい、沈んだ空気の沈黙が流れて数秒。リズはハッとしたような表情になった。

 と同時に、病魔を映し出す魔法の皿にも変化が訪れた。得体のしれない呪いの小胞たちが、スッと輪郭を失って消えていく。

 彼女の体はほのかな光の粒子に覆われており、彼女の中で何が起きているのか、フィーネに直感させた。

 やがて光が落ち着くと、皿に映し出された病魔は跡形もなく消えていた。

 竜は満足そうな顔をしており、もはや疑う余地はない。


 フィーネは、リズよりも早く竜に向き直り、ひざまずいて深く頭を下げた。

 彼女にほんの少し遅れ、元患者も膝をつく音が聞こえる。


「ありがたきお力の一片を賜り、不浄の気が祓われたようです」


「そのようだのう。少しばかり、効きが悪いようにも思ったが……」


「いささか、厄介な者に狙われておりまして……」


 さて、解呪に関しては落着となったが、その対価の提示がまだである。フィーネは緊張に見を固くした。

 竜の爪といえば相当な高級素材である。人間の値付けなどに心動かされる竜でもないだろうが……

 予想に反して鷹揚(おうよう)で、どこかノンビリしたようにも見える竜は、フィーネには考えが全く読めない存在だ。

 やがて、竜は言った。


「では、その手で育てた野菜でも、献じてもらうとするかのう……」


「……かしこまりました」


 呆気にとられるフィーネ。リズは粛々と受け入れている。

 そうした様子に、逆に竜の方が戸惑いを覚えたようだ。


「『そんなもので』などとは言わんのか?」


「農耕を営む町の世話になっておりますので……率直に申し上げれば、さらに得難い物をご所望かとは考えておりましたが」


「なあに……枯れたこの身には、星空と(たま)の客人があれば、それが得難き宝よ」


 そう言って竜は楽しそうに笑った。


 対価として提示された野菜が、リズにとって重い請求かどうか。これには様々な要素が絡み合うところではあるが、払おうと思えば払える対価ではある。

 こうして事なきを得た二人は、立ち上がって深く頭を下げ、リズの口から(いとま)が告げられる。


「用だけ済ませて帰るご無礼、どうかお許しいただければ」


(せわ)しないのう……まぁ良い。今度は野菜を抱えて来るのだぞ」


「……はい、必ず」


 リズの返答に、竜は軽く鼻を鳴らした。


 別れの挨拶を済ませ、二人は竜に背を向けて山道に向かって歩き始めた。

 しかし、ほとんど日が沈み、あたりはかなり暗くなっている。明かりをつけながら慎重に動けば……といったところだが、フィーネは本能的な恐怖に身を揺らした。


 一方、傍らに立つリズは、平然としている。暗闇の中に沈んでいく下り道に、何ら怖じる様子はない。

 先程まで病人だったはずだが、血色はよく、健康そのものだ。

 この立ち直りように、フィーネはあの薬湯の効能を思った。

 あるいは、これがリズの本来の姿なのかも……と。

「お元気になってよかったです」と、表情を柔らかくしてフィーネが言うと、リズは頭を下げて「ありがとうございます」と返した。


「二回も救われてしまいました」


「二回?」


「川で溺れていた分です」


「あの時は、正直、大したことはなにもしてなくて……」


 過分な感謝を寄せられるようで、フィーネはむずがゆさに身を小さく震わせた。

 そして、足元の下り道が視界に入り、さらに体が揺れるフィーネ。そんな彼女に、リズは微笑みかけた。


「あなたに何かあったら、困りますね」


「自分は絶対大丈夫みたいなノリですね……」


「ええ、まぁ」


 特に気負いもなくサラリと言ってのけるリズ。

 そんな頼もしい彼女は、フィーネに一つ、提案を持ちかけた。


「おぶりますよ」


「えっ?」


「その方が速くて確実ですので。馬のところまで戻って、近場の馬宿へ行きましょう」


 実際、この山の最寄りの馬宿に寄った際、そこで夜を明かせればという話はしていた。降りるペース次第では、夜が深まる前に間に合いはするだろうが……

 今のリズは、目に見えて活力に満ちている。


 一方、病み上がりの元患者に、医者がおんぶしてもらうというのもどうなのか。職業倫理が強い抵抗感となる。

 そこでリズは、しぶるフィーネを試しにおぶってみた。

 彼女の足腰の動きは、柔らかくて滑らかだ。それでいて、どっしりとした安定感もあり、フィーネを背負っても何ら負担になっている気配はない。

 思いがけず、身を預けられる安心感を覚えてしまったフィーネは、任せてしまった方が安全なのではと思い始めた。そして……


「……お願いします」


「ええ、喜んで!」


 腰を紐で(くく)りつけ、二人の足には《空中歩行(エアウォーク)》を展開。万一への備えを進めていく。


 一通りの準備が済むと、リズは竜に改めて挨拶を述べた。


「大変、お騒がせいたしました」


「暗くなってから、相方をおぶって降りる娘とは……長生きしてみるものだのう」


 心底珍しそうなものを見る目と口で、竜は応えた。

 それから、リズは下り道に足を向けた。正確に言えば、彼女だけの下り道へ。


「リ、リズさん。そちらには道が……」


「山道そのままでは長引きますし……私を信じてください」


 リズはそういうと、後ろに軽く振り向いて、「さっきまで病人でしたけどね」と苦笑いで言った。

 そして、リズは一歩を踏み出した。道なき道の透明な階段を、確かな足取りで下っていく。

 一応、《霊光(スピライト)》で辺りを照らしてはいるのだが、深い闇への恐怖をかき消すほどの光ではない。

 しかし、そんな恐怖も、次第に和らいでいくのをフィーネは自覚した。

 二人分の命を運ぶリズは、足取りに何一つ迷いを感じさせない。本当に、そこに階段があるかのように、泰然と歩を進めていく。


(そういえば……《空中歩行》の極意って、『我行くところに道アリ』だっけ?)


 竜の前では慎み(かしこ)まっていたリズが、さっきまでは病人だった彼女が、今では道なき道を我が物顔で闊歩している。

 それが、フィーネにはなんとも頼もしく感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ