第183話 ダンジョン偵察③
回廊、大小の部屋が多数ある階層、長大な階段――階層同士を繋ぎ合わせると、前衛的なオブジェにしかならないであろう。
そんな脈絡のない迷宮を超えていき、リズは指折り数えて10個目の扉の前に立った。
この先が休憩地点だ。
「じゃ、ここまでね」
魔剣に呼びかけリズは鞘に切っ先をあてがった。今度は抵抗もなく、スルスルと中に入っていくが……刀身が完全に飲まれるその前に、魔剣は言った。
『この迷宮の中ぐらいは、自由に使えば良いではないか』
「だからって、抜き身で歩くわけにもいかないでしょうが」
休憩地点では、他の挑戦者とも鉢合わせる可能性がある。そういう場に抜き身の剣を持ち込むのは、さすがにマナー違反だと思われたのだ。
そういった礼節を気にする魔剣でもないだろうが、それ以上の抗弁はない。次に使う機会を、否定はされなかったからだろうか。
注文の多い道具を改めてしまい、小さくため息をついたリズは、休憩地点に続くはずの大扉に手をかけた。開かれた戸の隙間から光が溢れ出し、辺りをあっという間に呑み込んでいく。
気がつけば、リズは洞窟の中にいた。ダンジョンの入口があったドーム状の空間に近いが、入口部分よりはもう少し狭い空間だ。
また、大扉のほかには鍾乳石ぐらいしかなかった入口と違い、ここにはちょっとした家具も置いてある。テーブルやイスなどだ。
そうしたテーブルの一つに、四人腰かけている。うち三人は見慣れた顔だ。残る一人は、特に目立つ容姿ではない青年。
テーブルの面々も、リズにはすぐ気づいた。ニコラが「お疲れ様です」と、にこやかに声をかけてくる。今まで談笑していたようで、初めて見る一人とも打ち解けた空気のようだ。
リズは肩の力を抜いて近づき、テーブルに同席することとなった。この青年もロベルトの仲間であり、ハンスと名乗った。
さて、ダンジョン攻略にあたって、人それぞれにやり方は違う。彼は浅い階層を可能な限り早く攻略できるよう、同じところを重点的に周回しているのだそうだ。
彼とは違い、一回の挑戦で制限時間目いっぱいまで潜る者も。
「そのへんは、人によって本当にまちまちだね。良し悪しというより、向き不向きってカンジかな」
そして、今日もいつも通りに低階層の周回に勤しんでいたところ、最初の休憩地点で見慣れない顔に出会ったというわけだ。
「最初にアクセル君がいて、次にニコラさん。続いてマルク、少し遅れてエリザベータさんって順だね」
「なるほど」
タンジョンに入る前は、半ば競い合う雰囲気もあった三人だが、思いがけない形でジャッジがついたわけだ。
この着順に、リズはいくらか安心した。繰り返せば多少は順位が変わるかもしれないが、洋上ではあまり力を発揮できなかったアクセルも、このダンジョンであれば十分に活躍できるのは間違いない。
一行の力になれていないのを気に病む様子が多かった彼だけに、こういう活躍の機会があることは、喜ばしいことだ。
そういう気持ちは、他の面々も同じらしい。「自信あったんですけどね」と、言葉よりずっと弾んだ調子でニコラが言った。
「自信って……あのダンジョンのヒトたちって、さすがにあなたでも騙せないでしょ?」
「そうなんですよ。芝居を打とうにも、適切な状況設定がないですし。結局、隙を見て逃げて撒いて……って感じでした」
実際、遭遇した敵に対してまともに応戦していては、後が続かなくなる恐れがある。
ハンスによれば、仲間内での最深部到達記録は83階層。丸一日投じての記録だ。正確な最深部は不明だが、おそらくは百前後ではないかと、彼らは見積もっている。
それほど長大なダンジョンにおいて、体力や気力の温存は重要課題だ。避けられる戦闘は避けていくのが、一つの正解であろう。
そういった意味においては、元諜報員という経歴を持つこの三人は、ダンジョン攻略において有効な技能をすでに持っていると言える。アクセルが一番乗りだったものの、三人の間ではさほど差がつかなかったとのことだ。
三人から結構遅れてやってきたリズはと言うと、ダンジョンの仕組みについての簡単な検証という、余分な作業を行っていたのだが……
(それを差し引いても、この三人の方が早そうね)
ともあれ、仲間としては心強い限りである。彼らにとっても、前職で培った技を磨き直す良い機会となろう。
そうして談笑を続けていると、また一人、休憩地点に顔を出した。リズ一行最後の一人、セリアである。見たところ、疲労の色などはなく問題はなさそうだが……
彼女は初対面となるハンスにすぐ気づき、彼に丁寧な所作で頭を下げた。そして、開口一番に問いかけてくる。
「お待たせいたしました。やはり、遅かったでしょうか?」
もとより、ダンジョン攻略には自信なさげな感じではあったが、やはりそういう自己認識なのだろう。
とはいえ、リズの到着から数分遅れ程度。10階層の攻略時間全体と比べれば、誤差のようなものである。
「私も遅い側ですよ。というか、この三人が速いだけです」
苦笑いのリズが応じると、セリアは少し複雑な面持ちながらも、表情を柔らかくした。
今回の探索は、あくまで小手調べ程度の感覚である。一同揃ったということで、少し休んでから外に出してもらうことに。
一方、ハンスはまだまだ潜る様子。低階層を素早く周回し、重点的に習熟していくというスタイルの彼にとっては、30階までがいつもの仕事場である。
「じゃ、またね」と言い残し、彼は次に続く扉の光に呑まれて消えていった。
彼を見送ってから少しして、リズが仲間たちに持ち掛けた。
「私たちも、そろそろ出ましょうか」
「そうですね。ルーリリラさんを呼べば、出してもらえるって話ですっけ」
そこでリズが立ち上がり、何度か手を叩いた。
これにすぐさま反応があり、歪んだ空間から例の彼女が姿を現した。「たびたびすみません」と口にするリズに、彼女はただニコリと笑みだけを返す。
「そんなに呼んでるのか……」
「ま、ちょっとね」
どうも、マルク以外の面々も、呼び出しはしていないらしい。急に自分自身を厚かましく覚えたリズだが、彼女は気を取り直して用件を告げた。
「私たち五人を、外に出していただければと」
「かしこまりました……ちなみに、休憩地点には出口もございます」
そう言って、ルーリリラがおずおずと手で指し示した先には、ぼんやりとした光を放つ魔方陣があった。その上に立てば、ダンジョンの入口へ戻れるというのだ。
ただ、彼女にはどうも、説明のタイミングを逃した認識があるらしい。不手際に対する恥じらいの感じが見受けられる。
早々説明する機会に恵まれる職場でもないと考えれば、致し方ない部分はあるだろうが。
そこでリズは、ふと思い出したことがあり、彼女に尋ねることにした。
「この休憩地点と外とで、《遠話》は繋がりますか?」
「はい。そのように調整しております。過去にご要望があったもので」
もちろん、どんな要望でも通るというわけではないが……探索の途中で外とやり取りができるというのは、ダンジョンを運営する側からしても、妥当な権利と認められたわけだ。
呼べばコンシェルジュが現れることも合わせて、中々ユーザーフレンドリーを考慮したつくりである。ただ単に、このダンジョンを楽しんでもらいたいというのだろう。
せっかくだからということで、ダンジョンの帰還は二手に分かれることになった。一方は魔方陣による出口から。もう一方はルーリリラ手ずからの転移を。
備え付けの出口があるというのに、ルーリリラの手を煩わせるようでもあったが、当人は気にしていない様子だ。というより、得意げでさえある。
それにしても、ダンジョン内では当たり前のように、階層から階層へと渡っていたのだが……空間転移など、本来は体験するのも難しい超高等魔術である。
一応は王族であるリズも、複雑な出自ゆえにそういった機会には恵まれなかった。
そんな彼女が、今ではどこともしれない洞窟の奥底で、転移をその身で体験するに至っている。
(何がどうなるか、わからないものね……)
周囲を包み込む光の中、彼女はしみじみとそんな事を思った。




