第182話 ダンジョン偵察②
勝手に動く絨毯により、少し恥ずかしい目に遭ったリズだが、彼女は《空中歩行》を用いずに探索することにした。
なぜなら、今はまだダンジョンを理解する段階であり、身をもって罠を味わうことに意味があると考えたからだ。
傾向や性質について把握してから、地に足つけるかどうかを判断するのが妥当だろう。
周囲に警戒しつつ、彼女は部屋のドアを開けた。
外には白亜の廊下が広がっており、様々な大きさの扉が壁に並んでいる。どうやら、今回の階層は廊下と大小の部屋からなるものらしい。
また、廊下の向こうには窓が見当たらない。それでも、まるで陽の光が差し込むように、ずいぶんと明るく感じられる。それとわかる光源などないのだが。
いくらか歩き続けると、突き当りに着いた。この階層の広さは有限であり、先の階層と違って明確に端が定まっている。
(問題は、続きがどこにあるか、だけど……)
彼女は、これまで進んできた廊下を振り返った。並んでいる部屋の数は10近く。仮に、この階層が正方形だとして、部屋の総数は――
うんざりするような思いに、彼女は軽くため息をついた。
さすがに、1日がかりでも踏破できた者はいない、難所というだけのことはある。こういう物量攻めもあるというわけだ。
次なる階層への扉を求め、とりあえずはしらみつぶしにやっていくことにしたリズだが……
手近な小部屋を前に、彼女は一度立ち止まってドアをノックした。当然というべきか、返事はない。
部屋の内部を探ろうにも、魔力透視は意味がない。空間全体にそれなりの強さの魔力が漂っており、最初から魔力の濃淡が存在する中、壁の向こうにあるものを見抜くのは難しいのだ。
おそらく、一つ一つの部屋を探索させようという階層なのだろう。
仕方なく、彼女はノブに手をかけ、ドアを開けた。
中にいたのは、この階層の衛兵であった。先の階層よりも少し軽装な剣士と、その背後に弓使いのニ人組。
いずれも瞬きのたびに顔が変わって見える、人ならぬ存在であり、敵だ。
ドアが開くや否や、ドアごと押し込むような突進を見せ、剣士が斬りかかってきた。その背後からは、絶妙の狙いで矢が放たれる。
ドアノブから手を離し、まずは矢を横に回避したリズ。剣士を盾にしてやや身をかがめる。
そんな彼女に、剣士の薙ぎ払いが迫るが……一瞬の逡巡の後、彼女は素早く逆手で魔剣を抜き放った。二つの刃が衝突し、甲高い音が響き渡る。
薙ぎ払いを右手で食い止め、空いた左手からは《追操撃》。剣士を迂回し、奥の弓使いへと一撃を叩きこむ。弾を放ってほんの少し後、奥で倒れ伏せる物音。
(これが演技だとしたら、大したものだけど)
まずは後衛を叩いたリズの前で、剣士はさっと後ろに退いた。剣を体の前に構えている。
これに彼女は追い打ちをかけていく。両手で握った魔剣からの鋭い振り。剣から放たれた魔力が三本の刃となり、剣士に襲い掛かる。
通常の剣の間合いを超えての、この一撃は、きっと想定外だったのだろう。ドアを開けた当初の奇襲とは打って変わって、剣士の動きは精彩を欠き、刃をまともに受けた。
厚手の服を悠々と越え、その肉体に深々と創傷が走る。刻まれた傷からは鮮やかな赤が迸り――それが宙に呑まれて消えていく。
出たのは本物の血ではなく、それっぽく見える何かだ。おそらくは、魔力でそれらしく見せているだけなのだろう。
それでも、多少なりとも嫌悪感を抱かせるには十分だったが。
そして、魔剣――《インフェクター》――を手に握ったリズには、確かめるべきことが別にあった。
しかし、三本の刃を身に受けて前のめりに倒れる剣士の背後から、突如として彼女に矢が迫る。誘導弾を受けて倒れていたはずの弓使いが、こうして機をうかがっていたのだろう。
抜け目ない奇襲であったが、リズはこれを軽くあしらった。魔剣を横にして矢を受け、高音が耳を突く。
すかさず二射目を構えようとする弓使いだが、精密極まる《魔法の矢》が、いち早く彼の弓を撃ち抜いた。リムが破断され、木片二つが弦で結ばれただけの残骸に。
武器を失った弓使いに、リズは詰め寄り――軽く歯を食いしばって、彼を斬りつけた。
魔力の刃を飛ばすのではなく、魔剣の刃そのもので。
人間であれ、動物であれ、生身の存在であれば、切り傷から呪力が侵食するという忌まわしき魔剣での一撃だが……取り立てて変化はない。
ただ、その身に致命傷を受け、一体のヒトらしきモノが仰向けに倒れて動かなくなっただけだ。
二体の敵を斬り伏せた彼女は、少し長いため息をついた後、ここまでの戦いを振り返った。
「こういう相手には効かないのね」
『おそらく、魔法生物の類であろう。あるいは、空間全体が見せる幻影か』
素直に話に乗ってきたことを意外に思いつつ、魔剣の見解にリズは同意を示した。
「少なくとも、普通の生き物ではない、と」
『自分は違うとでも言いたげではないか』
「うっさいわね……」
呆れ気味の口調でつぶやきつつ、彼女は指先に魔力を集めていった。凝集された力が魔剣の刀身に迫り、かすかな火花とともに高周波の音が響き渡る。
『クッ……そのように力で従わせようというあたり、血は争えぬようだな』
「口が回る御仁でいらっしゃいますこと」
リズは鼻で笑いながらも、罰を与えるのをやめておいた。とりあえず、ダンジョンに存在する敵の検証に、この魔剣は一定の貢献をしたのだ。
「お疲れ様」と柔らかな口調で口にし、剣先を丁寧に鞘へあてがうリズだが……
魔剣としては、まだ物足りないらしい。仕舞われる前に、魔剣は言った。
『この迷宮の者どもであれば、貴様でも我が力を気兼ねなく振るえるのではないか?』
「え……いえ、別にいいわ。あなたなくても、私は強いし。だって、フツーじゃないんでしょ?」
笑って蒸し返すリズに、魔剣は押し黙った。
しかし、刀身が独りでに揺れて、鞘へ納めようにも中々素直に入っていかない。
無言ながらも、この魔剣がそのように動いているのは疑いない。体で駄々をこねるこの魔剣に、リズは大きなため息をついた。
ややあって、観念した彼女は「ちょっと待ってなさい」と床に魔剣を突き立て、手を叩いた。
「ルーリリラさん、休憩地点まで何階層ですか?」
宙に向かって問いかける彼女に、程なくして例の女性からの返答が帰ってくる。
『十階層ごとに休憩地点がございます……最初に申し上げるべきでしたね。失礼いたしました』
「いえ、ご返答ありがとうございます」
周囲には魔剣の他に、ヒトらしき物体の遺骸しかないが……見えない相手に向かって、リズはお辞儀をした。
それが伝わったのか、やや嬉しそうな声で「またどうぞ」と例の女性の声が響く。
会話が終わるや、リズは魔剣を引き抜き声をかけた。
「休憩地点までは使ってやろうじゃないの」
『よかろう』
「……まったく」
使ってやるのも、道具の手入れぐらいの感覚でいるリズだが、魔剣の方は相変わらずの尊大さである。
呆れてため息が出る彼女だが、ふと思い出したことが一つ。
「ダンジョンを攻略すると、愛用品に魔力を込めてもらえることもあるって話だけど」
『ならば、鞘にするがよかろう』
「鞘?」
『記念の品にしてもらえれば、さすがの貴様も少しは大事に扱うようになるのではないか?』
これには、ぐうの音も出ないリズであった。魔導書ばりに、気軽に鞘を使い捨ててきたような前科がある。
とはいえ、言われっぱなしもシャクだと、リズは切り返していく。
「私としては、閣下をもう少し扱いやすくしてもらいたいところだけど。そうすれば、もっと使ってあげられるし、頼らせてもらうんだけどな~」
ややわざとらしく、甘えるような声を出して挑発するリズに、魔剣はただ『フン』と不愉快そうな声だけを返した。




