第181話 ダンジョン偵察①
すべてを塗り潰す白い光が去った後、リズは城らしき建物の回廊に立っていた。窓の外には庭園が広がっている。
ほぼ同時にダンジョン入りを果たしたはずの仲間たちは、この場には存在しない。
その代わりと言うべきか、前方に重装を着込んだ兵の一団。友好的な存在というわけでもなく、彼らはリズの姿を認めるなり、腰から剣を抜き放った。
(ああ、やっぱり)
剣を構え、こちらへと向かってくる兵たち。接触まで十数秒といったところか。
彼らを前に、いくつか考えが脳裏を巡るリズだが……彼女はまず、一つ試してみることにした。
横の窓には、開けるための機構が見受けられない。おそらく、開けることは考慮していない作りだろう。
そんな窓に向け、リズは《魔法の矢》を叩きつけた。窓枠にはまったガラスが破断され、周囲に飛び散っていく。
割れたガラスの向こうには、先程と同様に庭園が広がっている。窓に投影した景色ではなく、現に存する庭園のようだ。
兵たちが届くまで、まだ時間はある。
彼女は次に、窓の外に《霊光》を飛ばしてみることにした。
果たして、彼女が作り出した光の球は、窓の外でもきちんと飛ばせている。
こうして魔法との接続が維持されているということは、外もこの階層の一部ではあるらしい。
(ま、身体に危害はないって話だったし)
窓枠に残るガラス片に魔弾で追い打ちをかけ、リズは回廊から脱することにした。
試しに窓枠から身を乗り出してみるが、特に気になる変化はない。回廊の外も、実際に踏み入れることのできる空間のようだ。
彼女が外に出てから少しして、兵たちは割れた窓の前に群がり……窓枠もろとも、回廊の壁を斬りつけた。壁の一部であった板がゆっくりと倒れ、兵の一人が踏みつける。
ここでわかることがいくつか。
まず、この兵たちにとっては、回廊の外も“管轄内”である。
それなりに知恵も働くようだ。こうやって道を作ってきたのだから。侵入者に触発されたがゆえの反応なのかもしれないが。
そしてもう一つ。
間近に迫った彼らの顔に、普通の人間らしき風貌はなかった。目、鼻、口――顔を構成するパーツが明滅しているように見える。
少なくとも、定まった顔というものを持たず、誰でもない顔の存在といった風である。
ヒトのように見えるが、実はそうでもない。そんな相手でも若干の嫌悪感を覚えつつ、リズは攻撃に移った。本来であれば心臓があるはずの個所を目掛け、《貫徹の矢》を一射。
最初の敵は、この一撃でやや怯んだようだが、それまでだった。
普通の人間であれば、まず間違いなく倒れ伏すはずだが。
(こういうところも、ヒトっぽくはないわね)
倒しきれなかった敵の背から、今度は後続の二人が躍り出る。装備の重厚さの割に、接近戦における動きは機敏だ。リズを挟もうと左右へ散ってから、素早いステップで周りこんでくる。
こうなると、わざわざ開けた外へ出たのが不都合だが……彼女には物の数でもない。
右からは斬り上げ、左からは袈裟斬り。息の合った挟撃が左右から迫るも、彼女は右の敵に寄りつつ魔弾を打ち込んだ。押し込まれ、バランスを崩す右の敵。
次いで彼女は、迫っていた凶刃を踏みつけ、左からの攻撃は少し身をかがめて回避。頭上スレスレを刃がかすめた後、隙だらけになっている左の敵に魔弾を連射。
これに敵は大きくよろめき、彼女はその足元を鋭い足払いで襲った。たまらずバランスを崩し、仰向けに倒れていく。彼は初手で怯んでいた敵にぶつかり、二人一緒に倒れ込む格好に。
この二人を後回しにし、彼女は剣を踏みつけている敵に向き直った。心臓があるはずの場所に、何発か貫通弾を連射。敵はビクビクのたうつも、やがて静かになった。
その後、二人仲良く倒れている敵に対しても、彼女は貫通弾の連発でとどめを刺していく。
こうして最初の三体を制圧した彼女は、小さくため息をついた。
周囲のこれ以上の気配はない。それに、死んだフリでもないようだ。
とはいえ、普通の生き物と比べると、明らかに貫通弾への耐性があるようだが。まともな臓腑があるのかも疑わしい。
初戦を終えて落ち着いた彼女は、まず《遠話》を刻んだ紙を取り出した。
しかし、声をかけても反応がない。仲間四人に持たせたのだが、いずれの紙からも反応がない。全員が一様に応答できない状況にあると考えるよりは……
(魔法自体が隔絶されていると考えるのが妥当ね)
ダンジョン内での通信について、ひとまずの仮説を立てた彼女は、動かなくなった敵に近づいてしゃがみ込んだ。
やはり、完全に沈黙している。そんな″死体″の一つから、彼女は剣と鞘を奪い取った。
ダンジョン内の物品は外には持ち出せないという話だが、内部では実体のままらしく、本来の持ち手を離れても維持できている。
(後は、休憩地点まで維持できるかどうかだけど……)
手にした剣を眺めた後、彼女は宙に魔方陣を刻み込んだ。《超蔵》である。
普段通りに書き上げたそれは、いつものように虚空の穴を生じさせた。その穴へ、彼女は入手したばかりの剣を差し込んでいく。
どうやら、《超蔵》も普段通りの挙動をしているようで、虚空に差し込んだ剣に気がかりな点はない。抜き取ってみても、これといった変化などは確認できなかった。
次いで、自らの手を入れてみると……これまたいつも通り、虚空の中に《インフェクター》があった。
試しに抜き取り、魔剣を鞘から抜いてみるリズ。
「ごきげんよう、閣下」
『……何の用だ』
魔剣は不機嫌ながらも応じてくる。
ここまで起きた事実を前に、リズの思考が回っていく。
まず、ダンジョンから現実への持ち出しは意味がないという話だが、ダンジョンへの持ち込みは禁じられていない。
それは、元から身に着けたままの物のみならず、《超蔵》経由でも同じことのようだ。外の現実同様、このダンジョンからでも、同じ《超蔵》に繋がっている。
虚空にとどめ置ける物品の限界量は術者次第ではあるのだが、物資調達という意味では有利かもしれない。
さらに一点。
このダンジョンに複数人で同時に挑もうと、結局は一人一人バラバラになるという話だった。
だが……同一の空間の中に、意識ある存在が複数存在する状況は容認されるらしい。
(つまり、私がこういう幻覚を見せられているだけ……というわけではなさそうね)
さて、ある意味いきなり不正を働いているようでもあるが……少し気になったリズは、ひとまず魔剣を鞘に納めることに。『お、おい、仕舞う』と、何か言いたげな断末魔が途中で遮られた。
魔剣を収めた彼女は、次いで手を何度か叩いてみた。
すると、すぐに反応が生じ、彼女のすぐ近くの空間が人型に歪んでいく。
そうして現れたルーリリラは、「何でしょうか」と尋ねてきた。彼女を前に、リズは何から言ったものかと少し考え、口を開く。
「ここに挑むそれぞれの事を、主の方が観察なさっていることと思いますが」
「はい」
「特に禁止事項は?」
「いえ、特には」
つまり、監視されていたであろう《超蔵》と、意志ある宝物の持ち込みについては不問とするらしい。リズは内心、ホッとする思いであった。
その後、アンニュイな顔の魔族は、少しニヤニヤしながら続けていく。
「正直に申し上げますと、この中でしでかしたことは、現実には反映されません。強いて言えば、意識を持ち帰るだけです。ですので、ご存分にお楽しみいただければ。突拍子もない工夫や試みこそ、私共が求めてやまないものですので」
「そう言われると、気が楽です」
「ふふっ」
リズからの確認という用件も済んでの去り際。ルーリリラは言った。
「私が知る限り、窓を一番早く割ったのはあなたです」
「育ちが悪いもので」
「では、そういうことにしておきましょう」
そう言って、ニヤニヤ楽しそうに笑う魔族は、その場から消えてなくなった。
とりあえず、多少のヤンチャや横着は、むしろ推奨される環境ということらしい。
会話の後、リズは回廊の上に乗ってみた。
どうやら、ここは回廊と庭園だけの空間らしい。どこまでいっても、同じ物が延々と続いているように見える。
しかし……何となく気がかりなことがあり、彼女は登った回廊の上から《追操撃》を放ってみた。弾はしばらくの間まっすぐ進み――
ふと、気配に気づいた彼女は、後ろに振り向いてみた。
自分が前方へ飛ばしたはずの誘導弾が、自分の後ろにある。
おそらく、見える範囲での地平線が、この空間の限界なのだろう。空間の左右は繋がっているように思われる。
これが、ダンション攻略にそのまま役立つというわけではないが。
とりあえず、すぐに思いついた確認事項は以上だ。彼女は回廊に戻り、まっすぐ進んでいった。
程なくして、なんともそれらしい扉の前に。
扉を前にふと思いついた彼女は、一度、窓から外に出て扉の”向こう側”に足を運んでみることに。
果たして、窓から侵入してみると、同じ扉がそこにある。
一本道の回廊に扉だけあっても、構造上の意味などあまりないだろう。ただ、そこに扉があるだけといった風である。
しかし、扉という存在そのものに、このダンジョンが意味を持たせているのなら――
彼女は扉に手をかけ、開いてみた。空いた隙間から光が溢れ出し、周囲を瞬く間に呑み込んでいく。
ちょうど、このダンジョンに入ったときと同じように。
その光が一瞬で止むと、周囲の光景は様変わりしていた。
城のような空間にいるのは変わりないが、今度は部屋である。かなり良い部屋らしく、高そうな調度品がそこら中に。
しかし、周囲を見回しても、先ほど通った扉は見当たらない。先の階層でもそうだったが、どうやら階層と階層を隔てている扉は一方通行のようだ。
それにしても、階層同士に空間的な脈絡はまるでない。一直線の回廊の扉が、このような部屋の中に通じているのだから。現実にはあり得ない構造の城というわけだ。
(全体でどうなっているか……ってことじゃなく、一つ一つの階層に集中しろってことね)
まずはこの部屋を出るところから。幸い、すぐ見えるところに、外へ続くと思われる扉がある。
そちらへ足を向けたリズだが――不意に地面が動き出し、足を取られた彼女は、うっかり尻餅をついてしまった。
すると、すぐ傍で何かがカタカタと音を立てた。今度は“そういう”階層かと思い、急に気味が悪くなって、音源から身を仰け反らせるリズ。
しかし、音は彼女に追随し、先程よりも強まってさえいる。そして……
彼女は大きなため息をついた。
なんのことはない。音を立てているのは、自身の魔剣である。尻餅をついたリズを嘲笑っているのだ。
そもそもの発端は地面が動いたことだが、その原因は絨毯にあった。彼女の足をすくうように動いたのだ。致命的な罠ではないが、中々いい性格の罠ではある。
そこへ、声なく嘲笑する魔剣の音が追撃となり、彼女は少し肝を冷やしたというわけだ。
「おかげで、退屈しなさそうですわ」
今も聞いているであろうそれぞれに聞かせるように、リズは引きつり気味の微笑を浮かべて言った。




