第177話 再出発
話題の切り替わりとともに、またも書類が回されていく。今回の書類に記されているのは、かなり広域に渡る地図だ。
話は議長から軍部高官にバトンタッチされ、厳しい顔をした初老の男性が口を開いた。
「殿下から、『ダンジョン攻略の認可を』と、ご要望を受けましたが……」
「いかがなものでしょうか?」
緊張した面持ちで返すリズに、武官の表情も硬くなる。
「我が国と軍の性質上、ダンジョンを用いた練兵などは制度化されておらず、国際的に見ても、そういった面での経験は極めて浅い部類に入ります。申し訳ございませんが、ご要望に添えるほどの情報提供をできるかどうか、といったところかと。まずはその点について、ご承知おきいただきますよう」
「いえ、こちらこそ。ご無理を言って申し訳なく思います」
ダンジョンとは、潜るたびに姿を変える、この世ならざる魔の迷宮である。その性質は千差万別だが、物によっては精兵の練兵に用いられることも。
しかし、このマルシエルという国は、海軍が主力である。その海軍の練兵に役立つダンジョンは存在しない。
加えて、個々人の戦闘力はあまり重視されないという傾向も、ダンジョンによる練兵が役立たない理由となる。
そうした事情により、マルシエル軍から提供できる情報は、通り一遍のものとなってしまうというのだ。
マルシエルという国と軍について、多少の知識はあるリズにとって、そういった話は納得の行くところだ。
しかし、一つ腹落ちしたところで、別の疑問が湧き上がってくる。
「……一つ、よろしいでしょうか」
「何でしょうか」
「貴国の軍との間で、事業の委託契約を取り交わしています。そこで私がダンジョン攻略に注力すれば、契約に支障が出るものと考えられますが……」
ダンジョン攻略の許可を得るにあたり、彼女が一番気にしていたのがその点である。
問われた武官にとっても、難しい問題ではあるのだろう。彼は渋い顔で困ったように苦笑いした。
「仰るとおりです。ここまで予想以上のご戦果を挙げられ、我々にも有益な知見が得られましたが、今の事業をこのまま継続していただきたいという考えは、確かにございます。しかしながら……」
一度言葉を切った彼は、表情を引き締めて話を続けていく。
「殿下にとっては、ダンジョンの内部の方が安全かもしれぬ――揃って門外漢ながら、その程度の理解にまでは至りましてな」
それは実際、リズ自身も考えていたことである。
大海原よりも、中身が不定形極まるダンジョンの方が、逃亡生活には安全ではないのかと。
そして……このアイデアについては、議長や他の高官たちも好意的な意見を持っているようだ。一同を代表し、議長がリズに向かって言った。
「攻略中のダンジョン付近の海で賊が発見された場合、殿下に対応の要請をさせていただく可能性は高いものと考えます。そういった際にお応えいただければ幸いです。それ以外の時間につきましては、殿下のお考えのままにお過ごしいただければ」
「……ありがとうございます」
予想を超えて温情のある言葉に、リズは深く頭を下げた。
一方で、こうまで理解と余裕のある対応をしてもらえることに、少なからず困惑する気持ちも。
この機に彼女は、大恩あるこの国の重鎮たちに、素直な言葉を投げかけた。
「貴国を出て早々、恐れていた事態が現実となり、ラヴェリアの血族と二戦を交えることとなってしまいました。期せずして、貴国を巻き込まずに済む結果となりましたが……私が生き続けることによる、多大なリスクを負っていただいている現状については、大変に心苦しく思います」
そう言って彼女は、居住まいを正して頭を垂れた。
今の彼女に、他の面々の様子は映らない。ただ、横に座るセリアは、なんとなく落ち着かない様子に思われるのだが。
すると、「そうまで仰せられますと、逆に恐縮してしまいますね」と、柔らかな声が耳に届いてきた。
顔を上げてみると、場の面々がリズに真剣な顔を向けているところだった。
だが、不思議と穏やかな感じもある。そんな一同を代表し、議長は言った。
「ラヴェリアの継承競争という制度、あるいは慣習は、当代で終わるものでもないものと思います」
「はい。私もそう考えています」
「では、こう考えることはできませんか? 『我々は後の世の安全を買うために、殿下とのお付き合いを通じて、今の継承競争と向き合っているのだ』と」
この、堂々とした物言いに、リズは言葉を失った。
確かに、リズとの関係を維持することで、継承競争についての情報を得ることは、後世において大いに役立つことだろう。
そのためのリスクを、今、この議会が受容するというのだ。
商業大国らしく、少しユーモアを添えて「必要経費ですわ」とまで言う議長。
他の面々も、彼女の発言を支持しているようで、リズに真剣な眼差しを向けている。
そうした為政者たちに、リズは心服の念を抱かずにはいられなかった。
☆
会談初日で今後の方向性をおおむね確定した後、もう少し実際的な話を詰めるため、会合が連日に渡って行われた。軍との委託契約の、細部の変更。ダンジョン攻略について、具体的な候補地の選定等だ。
そうした諸々の話し合いと手続きが完了し、リズたちは再び出港の日を迎えた。
船へと乗り込む前、港の一角に船員一同を集め、リズは今後の動きについて改めて口にしていく。
「マルシエルから許可をいただけました。これから私たちは、協商圏の外にある、いずれの国にも属さない島のダンジョン攻略に向かいます」
もっとも、多くのクルーにとって、ダンジョンと言われてもあまりピンとこないものはあるのだろう。反応はまちまちで控えめだ。
そんな一同に視線を巡らせ、リズは朗らかに言った。
「それ以外は今まで通りだから……またみんなで釣りでもしましょう」
「そっスね!」
その後、リズは手にしていた書類に目を向けた。軍に一度預けた船の、メンテナンスに関するものだ。特に気がかりな損傷などはなかったとのこと。
ただ、整備担当からは一つ、疑問が投げかけられていた。
船の名前である。
リズは今まで、あまり気にもしていなかったことだが、普通の船には名前があるらしい。
ただ、元はというと海賊の所有物。それを拿捕して勝手に使っているわけであり、自分で名前をつけようという気にはならなかったのだが……
整備が終わった船を改めて見てみると、盗品呼ばわりするのがはばかられるほどに、愛着を覚えている自分に気がついた。
「どうしました、船長」
「いえ、船の名前。整備の担当の方から、書類で尋ねられちゃって」
「あ~」
クルーたちも、ここまで名無しの船でやってきたことについては、ちょっとした違和感を覚えていたらしい。
もっとも、彼らにも、この船は盗品という認識があった。
それに……リズに捕まえてもらう前までの、苦い過去を、この船と共にしているのだ。愛着が湧くはずもなかったのである。
しかし、そんな彼らにとって、今では“自分たちの”船である。
「いい機会だし、名前でもつけるか」とマルクが口にすると、場は大いに沸き立った。
「船長、何かお考えとかないんスか?」
「えっ? いえ、私は特に……」
まさか、《叡智の間》みたいな、仰々しい名前をつけるわけにも。
つい考え込む彼女をよそに、話は勝手に進んでいく。
少しずつ、妙な方向へ。
「船の名前って、関係者や責任者から取る事が多いよな?」
「あと、エラい人とか」
「んじゃ、船長か」
「えっ?」
「せっかくだし、仰々しくてカッコいい名前にしようぜ」
そうしてノリノリのクルーたちが何やら話し合い……すぐに第一案が飛び出てきた。
「プリンセス・エリザベータ号とか、どっスか?」
「多方面にケンカ売ってんの?」
引きつった苦笑いで口にするリズに、場の一同が大きな笑い声を上げた。前々からの仲間も、マルシエルからの協力者たちも。
その後、ニールが第一案の改良を口にした。
「エリザベータを、もう少し響きを変えて、別の名前にしてみるとか?」
「ん~、プリンセス・エリザベスとか?」
「いいんじゃないかな」
「あのねえ……」
ラヴェリアから逃げ回る者とは思えないネーミングに、リズは呆れ顔になったが……
(ま、こういうのもいいかしら)
船であれ自分であれ、お姫様呼ばわりしてもらえるのは、新鮮な心地がある。
悪い気分はしない。
間違っても、"お姫様"なんてガラではないのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて第3章完結となります。
第2章同様、思っていたよりも長くなってしまった感はあります。
よろしければ今後とも、お楽しみいただければ幸いです。




