第175話 ネファーレアと兄弟たち
その日の夕方。アスタレーナは継承競争に係る会議を招集した。
ただ、いつもの会議とは違う点がある。司会者たる彼女の鼻には、小さな筒状の綿が差し込まれているのだ。やや心配そうな目が彼女に向けられる。
そしてもう一つ。今回はネファーレアが参席していない。
この状況に対し、真っ先に口を開いたのはレリエルだ。
「ネファーレアお姉様が不在ですが……代理の方も出ていないということは、意図的に除外しているものと考えて、差し支えありませんか?」
「ええ」
これまでの継承競争会議は、何らかの形で継承権者全員が会議には参加していた。今回のように一勢力を省いての招集は初である。
とはいえ、ネファーレアに不利益を与えようという意図での招集ではないと、レリエルは察しているようだ。先の問いは、あくまで確認程度という感覚らしく、彼女が食い下がることはなかった。
だが、司会者としては、もう少し参席者を減らしたい考えがある。
「できることならば、兄弟の間だけで話し合いたいと考えています」
これには、それぞれの継承権者につく側近たちが少しざわついた。例外は外務省からの出席者のみ。
兄弟だけでの話し合いというのも初めてのことである。
そこで、長兄ルキウスが口を開いた。
「この場では人払いをしたとしても、後で伝えれば同じことと思うが」
「はい。実際にどうするかは、各々に任せる考えです」
まっすぐ見据えての返答に、ルキウスは周囲の面々を見回し、「構わないか?」と尋ねた。
すると、一同の視線がレリエルに集中する。法務部門ならば、何か言いたいことがあるかもしれない、と。
結局、彼女は困ったように苦笑いを浮かべたが。
「まずは、お話を伺ってみないことには……外に伝えるべきかどうかも、内々で話し合えば良いものと思います」
「そうだな。他に、何か意見は?」
長兄が見回しても異論は出ず、側近たちも受け入れる格好だ。
こうして、兄弟水入らずの場が出来上がった。血を分けた五人だけになってから、場を取り仕切るアスタレーナが、本題を切り出していく。
内容は、ネファーレアの戦いについてだ。
他の兄弟も、この件に関する招集だとは察しがついていたようだ。話が始まった段階では特に驚きもない。
だが、ネファーレアがリッチになりかけたという告発には、さすがの一同も驚愕した。
「じょ、冗談だろ?」と口にするベルハルトに、アスタレーナはゆっくりと首を横に振った。
「私以外にも証人はいます。もっとも、あまり蒸し返さないようにしてほしくはあるけれど」
含みを持たせた”証人”という言葉に、該当者は数名いる。それを彼女は、あえて口にはしないでおいたのだが。
こうした話題になると、問題は……法務部門の見解だ。
しかし、姉の凶行を耳にして、珍しく狼狽を示しつつも、レリエルはそれを糾弾しようという感じではない。
その心中を実際に確かめるため、アスタレーナは問いかけた。
「王族が、こういう外法に走ったというのは、試みたというだけでも大問題だと思いますが……法務としての見解は?」
「内密の話で済ませるべきかと」
法の番人からの意外な言葉に、兄弟はまたも少なからず驚きを示している。そうした反応を認め、彼女は言葉を付け足していった。
「世の中を平穏無事に治めるためにこそ、法というものがあるのだと思います。私心に基づく法への反逆は間違いなく罪でしょうが……襟を正した結果として世が乱れれば、本末転倒ではないかと考えます」
「姉さん……意外と話せる人だったんだ」
末弟からの指摘に、彼女はただ苦笑いで答えた。
実際、弟と同じような印象を抱いたアスタレーナは、思わず顔の力を抜いた。
「この件を私だけで抱えるのは……さすがに勝手が過ぎると思って。ただ、公にできるものとも思えなかったから……」
「……色々と済まないな、本当に」
長兄の一言に、うなずいて応じる兄弟たち。
ただ、アスタレーナの話には続きがある。
戦闘後の流れについて、彼女は報告を始めた。幽霊船退治の功績を献上されたこと、実際にそうした報告をまとめ上げ、関連する諸機関に通達する準備を進めているということ――
「大変だな」と労うベルハルトに、アスタレーナは力なく微笑んだ。
急に仕事が増えてしまったのは事実。
だが、これがいい機会でもあった。
彼女は用意していた書面を取り出し、兄弟に配っていく。
今回の幽霊船ばかりでなく、ハーディング革命においても、死霊術師の暗躍があった。これらの事象については関連性が疑われ、国際的にも重大な懸念事項となっている。
こうした状況を考慮した結果、ラヴェリア外務省は、国家有数の死霊術師である王女ネファーレアを、一連の事象に対する調査の指揮者として推挙する――
配られた書類には、こういった旨の起案が記されている。
これが通るならば、ネファーレアは後宮から引き離され、国々を飛び回る生活になる可能性が高い。
「レナの下につくのか?」との問いに、彼女は「そこまでは考えてないわ」と答えた。
「あの子を外務省へ転属させようというものではなく、あくまで、死霊術が絡む一連の案件に対し、一定の立場を用意しようというもの。どちらが上とか、そういう意図はないの」
「しかし、実際に面倒を見るのは外務省……というか、レナだろ?」
「そのつもり」
この提案について、彼女としては色々と考えがあった。
まず、後宮の外で働くことが、妹のためになるのではないかという考え。他国の目もある中で、力を示すための健全な機会があれば、自尊心の回復につながるのでは、とも。
そして……他国も関わってくる重要案件であれば、継承競争から遠ざけられようとも、正当な理由となる。
一から十まで口にする彼女ではなかったが、話を聞いた兄弟たちは賛意を持っているようだ。
だが、懸念事項が一つ。
「継承競争的に、こういうのってアリかしら?」
尋ねてくる姉に、レリエルは少し考え込んでから口を開いた。
「それは、ネファーレアお姉様ご自身が考えるべき事項かと思います。お姉様が受け入れるというのであれば、口を差し挟むべきとは考えません。新たに得る地位や縁を活かすも殺すも、結局は競争者自身の度量によるものですから」
「なるほど……」
「それに……妹としては、こうした機にご活躍していただきたくも思います」
レリエルはそう言って、表情を柔らかくした。
特に異論もなく、他の兄弟の承認を受けたアスタレーナ。彼女は一同に視線を巡らせてから、一つ切り出した。
「これで、みんなの承認を受けたものとしますが……あの子本人には、まだ話してなくて。承認ではなく、強い賛同があったということにしても構いませんか?」
「我々の名前で、露骨に圧を加えに行く、と」
にこやかにするベルハルトに、彼女は人の悪い笑みで応じていく。
「あの子には色々と辛いこともあるでしょうけど……こういう仕事を通じて、冷静になってもらいたい気持ちはあるの。世の中のことを、もっと知ってもらいたいとも思う」
「そうだな」
結局、そういった心情面の理由が追い風となって、兄弟一同の強い意向の元、この案件が起草されたものとすることになった。
話がまとまり、満足げなアスタレーナは、側近らを追い出した件についても言及していく。
「本件については、国際的に重要な懸念事項に係る提起ですが……競争相手に対する、妨害行為という指摘もあり得るでしょう。まずは、同じ継承権者という身内の中で、その是非を問いたかった」
と神妙な顔で口にした後、彼女は悪びれない顔で「対外的には、そういう体裁で」と付け足した。
つまり、継承競争会議に同席する程の側近を追い出した、“側近向け”の理由がこれである。本当に隠し通したい話題――ネファーレアが不死者になりかけた件を明かせない代わりに、こちらの口実を使ってくれというのだ。
こうなってくると、ネファーレアを死霊術関係の調査指揮に推挙するという提案も、実際には側近に向けた口実づくりの一環に思えてくる。
用意のいい妹に、長兄は感嘆のため息をついた。
「まったく、お前には敵わないな」
しみじみと、心からの称賛を漏らす兄に、アスタレーナは顔を綻ばせた。




