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第173話 王女姉妹ふたり①

 リズの船から降りたアスタレーナは、ネファーレアの手を引いて雑踏の中を歩んでいった。

 まさか、他国で妹が迷子になったとあっては、笑い話にもならない。万一にもはぐれてはならないと考える彼女は、不意に心配になって妹へ振り向いた。

 ここまでの航海中も、ネファーレアはずっと気弱な感じであった。それはリズの船に“囚われている“からだろうと、アスタレーナは考えていたのだが、敵地を脱した今も、妹は暗い顔をしたままである。


 彼女は周囲をそれとなく見回した。自分たちが目立っているという感じはない。

 今のところは、町中での面倒を避けることができているようだ。

 ただ、妹がこのままでは好ましくない。彼女は振り向き、妹に声をかけた。


「どうかしたの?」


 周囲に合わせるような、気取らない言葉遣い。ハッとして顔を上げたネファーレアだが、彼女はすぐにうつむいてしまった。


「いえ、なんでもありません……」


 殻に閉じこもる妹を前に、顔をしかめそうになる姉だが、彼女は態度に出さないようにグッとこらえた。

 とんでもないことをしでかした妹だが、今は守ってやらなければならないのだ。

 そこで彼女は、再び周囲に目を向け……はたと気づいた。


 思い返せば、この雑踏を早く抜けようと、無意識に足早になっていたかもしれない。妹とはぐれまいと、少し力を込めて握ってしまっていたかもしれない。

 そうした振る舞いに、別段の意図があったわけではないのだが……


 妹には、イライラしていると受け取られたかもしれない。


(――いや、ストレスを感じるのは普通だと思うけど)


 この妹に対し、思うところがあるのは当然である。妹が思いつめた末の軽挙に走ったことで、自分がこういう目に遭っているのだから。

 では、この件はネファーレアただ一人の責に着せられるべき事項なのだろうか?

 アスタレーナは、そうは考えなかった。


 曲がりなりにも血族の一員を殺すよう命じておきながら、事が始まれば何も関わってこない、無干渉な父王。

 継承競争の勅を、因縁の相手を始末する好機とばかりに、愛娘を駆り立てる過干渉な王妃。


 今のネファーレアがあるのは、あのエリザベータのせいというより、むしろこの両親が悪いのでは。そういう思いが、アスタレーナにはあった。

 だからこそ、状況に対する苛立ちを、妹にぶつけるわけにはいかない。

 あの両親に手出しできないがゆえの、代償行為で、妹を傷つけてしまうわけには。


 苦い思いに顔をしかめそうになる彼女は、軽くため息をついてから顔の力を抜いた。


「少し、観光でもしましょうか?」


「えっ?」


 戸惑いを見せてくる妹に、彼女は「冗談よ」と力なく笑った。

 もうひとりの妹のことを思うと、そういう気にはならない。こうした自重が、あの妹には何ら利することのない、ただの自己満足でしかないという自覚があっても。


 アスタレーナは再び進行方向に向き直り、歩き始めた。先程よりはゆっくり、妹の手を握る力も、少し弱めて。

 雑踏を抜けて少し静かになったところで、二人は横に並んだ。


「思えば、こうして二人で歩くのって新鮮ね」


「そ、そうですね」


「……戻ったらさっそく色々と仕事になるでしょうし、今のうちに肩の力でも抜いてリラックスしたら?」


 それから、アスタレーナは少し意地悪な笑みを浮かべ、「それとも……」と続けていく。


「私の横だと、気が張っちゃうかしら?」


 実際、間違いなくそういう面はあることだろうが……そういうことを気にしない様子で朗らかに笑う姉を前に、ネファーレアは少し逡巡(しゅんじゅん)をみせた後、表情を柔らかくした。


 ラヴェリア王都、王城ラナリアまでの道のりは、おおむね《(ゲート)》による転移だ。さすがに王都まで直通とまではいかず、中継点を経由する必要はある。

 幸いにして、交通の要所であるこの島には、そうした《門》の設備が備わっている。まずはこれでラヴェリア国内へと移動し、そこから王都へ帰還するというのが、今回の流れだ。

 王族の上、ラヴェリア外務省の諜報部長であるアスタレーナには、こうした転移網の仕組みは勝手知ったる所。目当ての建物まで、彼女は迷いなく進んだ。

(この子だけだと、こういうところも心配ね……)などと思いつつ。


 そうしてやってきた《門》の管理施設は、清潔感よりも素っ気なさを思わせる、真っ白な材質の建物だ。

 当然、重要施設ということで、警備も厳重である。余人では敷地内に入ることもまかりならない。

 とはいえ、こういうところでも、アスタレーナは慣れたものである。いかにも謹厳な門衛たちを前に、彼女は何ら気圧されることなく、カバンから書類等を取り出していく。


「ラヴェリア外務省の者です」


 そう言って彼女が手渡したのは、“こんなこともあろうかと“事前に(したた)めておいた書類と、外務省職員としての身分を保証する徽章だ。

 書状については、ラヴェリア外務省アスタレーナ・エル・ラヴェリアの署名がある。

 つまり、後ほど一職員に扮する自分のために、自分の名において書いておいた書類というわけだ。


 落ち着いた様子の門衛たちも、これにはさすがに驚いたようだ。

 ただ、仕事は早い。書類と徽章それぞれに偽装の疑いがないことを確認すると、すぐに中へと通された。

 建物の中も、つややかで味気ない真っ白な素材でできている。《門》の仕組みはどこへ行っても同じで、ご当地らしさというものは皆無である。


 さて、案内に従い中を歩いていく二人だが、まず通されたのは待合室である。

「申し訳ございませんが、先客が」と、やや落ち着かない様子の職員に、アスタレーナはにこやかに「お気になさらず」と応じた。

 これまた飾り気のない待合室の中、二人はイスに腰を落ち着けた。案内係は立ったままである。勧めても座らないだろう。

 こうして少しの間、待たされる格好となったアスタレーナだが、気がかりなことが一つあった。


 転移先の調整と、《門》同士の接続の安定化に時間がかかるのは、彼女もよく知っている。万一があってはならないからだ。

 先客の存在によって待ち時間が生じるのも、別段珍しいことではない。

 ただ――普段の彼女は、待たせる側であった。大列強ラヴェリアの王族であり、さらには外務省所属とあっては、先客も現地管理者も彼女に“気を利かせて”くるのだ。

 では、今回のケースは?

 彼女自身、王族と明かしたわけではない。一方で、自筆による、ラヴェリア外務省にして王女の承認が記された書状がある。

 これが優先券として機能していないとなると……


(先客というのは、結構な立場の要人ではないかしら)


 そのように考えた彼女だが、案内人に尋ねるのはやめておいた。ラヴェリアの威光を傘に着て、待たせている者の素性を探ろうなど、厚かましい事この上なく思われるからだ。


――それに、その必要もなかった。


 程なくして、待合室の扉が開いた。やってきた職員が、緊張した面持ちで用件を告げていく。


「現在の調整作業が、やや難航しておりまして……申し訳ございませんが、今しばらくお待ちいただくことになるかと」


「承知いたしました。火急の用ではありませんし、お気遣いなく」


 《門》の接続安定のため、先客にとっても多少の待ち時間が発生しているようだ。

 こうして、複数の利用者に待ち時間が生じた際、偶然の機にちょっとした談笑が生じることもしばしば。

 今回も、先客はその考えらしい。


 そして――緊張で強張(こわば)る職員の後ろからのぞいた、その先客に、アスタレーナは見覚えがあった。

 思いがけない出会いに、思わず背筋が伸びてしまう。

 そんな彼女に、先方――小柄で品の良い中年女性は、穏やかな微笑を向けてきた。

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