第171話 姉との会談
幽霊船の内部調査に乗り出した四人だが、結局は何事もなく終わったようだ。
「出遅れた感じのが数体いたが……物の数じゃなかったな」
「実体があるタイプの不死者は、一体もいませんでした」
「了解。お疲れ様」
自分の船と合流した時点で、あらかた片付いていたという感じはあった。ネファーレアが大物や隠し玉を温存していたとも考えにくい。
それでも、幽霊船という不穏な存在に、仲間を向かわせることへの漠然とした不安はあった。無事に終わって何よりである。
リズは、現状での調査はこれでよしとした。まずは重荷を無事に送り届けるという、重要な仕事があるからだ。
そこで、幽霊船の現在地を記録した上で、この場を離脱することに。対象に追加調査するなり、沈めるなり、曳航するなり……後の対処は公的機関に任せようというのだ。
離れていく幽霊船を、しばしの間、リズは眺めていた。
すると、彼女の元へマルシエルからの出向者が一人やってきた。緊張した面持ちの彼が口を開く。
「ネファーレア殿下は、空いた客間で安静にしております。念のため、布による若干の拘束を施しておりますが……」
「ありがとうございます。彼女の目が覚めたら、また対応しましょう」
「かしこまりました。それと、会談の準備が整っております」
王女二人を近くの島へと送り届けるのは、いくつか理由があってのことだが、その一つが姉との会話の機会だ。
聞けば、アスタレーナは聞き分けのいい捕虜のように振る舞っているとのこと。彼女としても、場を荒らして刺激するのは本意ではないのだろう。
事前にリズがクルーへ言い含めていた効果もあり、敵対勢力の王女二人が乗り込んでいるにしては、随分と落ち着いた状況である。
それゆえに、自分自身にのしかかってくる責任というものはある。軽めに手を握り、彼女は小さくため息をついた。
「では、向かいます」
会談の場というのは、少し広めの船室であった。海図などを広げて話し合うための、やや大きめなテーブルがある。
部屋の中にいるのはアスタレーナとリズの二人。先方に不必要な圧を加えまいとしてのことだ。
何かの間違いで戦いになっても、リズが圧倒的に優位である。それを重々承知なのだろう。アスタレーナは恭しく頭を下げた。
「貴女の寛大な処置には、本当に感謝しています」
「それはどうも……できれば、もう付きまとわないでいただきたいものだけど?」
少し皮肉を込めて返してみると、姉は毅然とした態度で「それは聞けない相談です」と応じた。
とはいえ、実際には彼女がリズをつけ狙おうというのではなく、他の兄弟の動きを止められない……ぐらいのニュアンスだろうと、リズは考えた。
あるいは、敵対勢力たるラヴェリア王族の一員としての発言といったところか。
そんな姉の反応に、リズは思わず苦笑いをしてしまった。
「何か?」
「いえ……そう仰る割に、全然敵意や戦意が感じられないものだから。思っていた以上に、事務的に感じるわ」
これで痛いところを突かれたのか、アスタレーナは少しうつむいた。口からは長いため息を漏れ出ていく。
そんな彼女の前に、リズから一枚の紙が差し出された。丁寧に折り畳まれたそれは、一度濡れた紙を乾かしたかのように、直しきれない歪みが染み付いている。
紙から顔を上げたアスタレーナに、リズは「お返しするわ」と言った。
それは、サンレーヌ会戦の折、戦場に介入したローレンスからリズに手渡された書状である。一度書状を広げて中身を検めた後、アスタレーナは問いかけた。
「返却しようという理由は?」
「あなたに悪いと思ったから。だって、こんな書状がお国を離れてフラフラしてたのでは、何か間違いが起こった時に大変でしょ?」
そう言うリズに視線を向け続けた後、アスタレーナは不意に表情を崩した。
「そうは言っても、中身は暗記ぐらいしているでしょう?」
「ええ……っと、確か前略から始まったかしら」
中身のない適当な発言に、アスタレーナは小さく含み笑いを漏らした。
「仮に、私が一語一句正確に覚えているとしても……物証がなければ、誰も信じないでしょ。だから返すのよ。裏を知られれば、色々なところに迷惑がかかるもの」
「……そうね」
しみじみとした様子で声を返したアスタレーナは、「ありがとう」と口にして、自身の書状を懐に収めた。
その後、彼女は少し逡巡した後、リズに真剣な眼差しを向けて口を開いた。
「ここの会話は、外に聞かれているかしら?」
「そうね」
「そう。では、全員を前にするつもりで話します」
そこで彼女は、少し深めに息を吸い込み、意を決したように話していく。
「助けられておいて無礼極まる物言いとは思いますが……この継承競争において、貴女に与しようという考えは、私にはありません。貴女一人を国外で追い回せば、それが火種になり得るのは承知しています。それでも、貴女を助命しようと働きかけることで、国内に火種を抱えるよりはずっと良いでしょう」
「言いたいことはわかるわ。そんな事をしたら、私一人を追い回すだけの競争が、ラヴェリア国内における派閥闘争へと発展する恐れがある。それで利を得る連中が、火に油を注ぐかもしれないものね」
物分りの良い生贄の言葉に、アスタレーナは神妙な面持ちでうなずいた。毅然とした顔に、悲哀の色が浮かぶ。
ただ、リズの理解は、これにとどまらなかった。「さっさと死んでくれた方が助かるんでしょ」と、あけすけに続けた彼女に、アスタレーナは一瞬呆気にとられ、押し黙る。
「私が国外で逃げ回り……逃げる側も追う側も、何らかの形で他国を巻き込む可能性がある。いくら、あなたが配慮したとしてもね。そうして国際問題に発展するリスクを考えるなら、私が生き長らえて良いことなんて、ラヴェリアには欠片もない。もしかすると、他の国にとってもね」
リズの言葉に、姉は何も口を挟まなかった。向けられる視線から逃げることもなく、ただ真っ直ぐに見つめ返してくる。
この無言の肯定を受け、リズは言った。
「そうわかってても、まだ生きていたいのよ……わがままかしら?」
「ええ……私たちの横暴に比べれば、ずっと正当だとは思うけれど」
それから、アスタレーナはテーブルの上で組んだ両手に視線を落とし、口から零すように言った。
「貴女は、私たち継承権者が死ねば、争乱の火種になると理解しているでしょう? そうわかっているからこそ、ネファーレアを始末するでもなく、こうして送り返そうとしてくれている」
「ええ」
ここに、継承競争上の非対称があった。
何も、継承権者六人がかりだとか、相手の方が権限を持っているとか、そういうことではない。もっと根本的なことだ。
――殺されるために生まれたリズは、殺しに来る相手を殺してはならない。
実際には、それを明確に禁じられているわけではない。
ただ、リズを殺しうるほどの人材を――あるいは王族を――手にかければ、ラヴェリアという大列強のタガが外れるだろうということだ。
それも、当代の君主による平和な治世の裏で、主戦派が燻っている覇権主義国家が。
無論、そういう争乱をリズは望んでいない。他の兄弟も似たようなものだろうという印象が、彼女にはある。
……破滅願望のケがあるネファーレアはともかくとして。
そうした前提を元にすれば、一つの懸念が浮かび上がってくる。
「継承競争って、別に自分たちの意志で始めたわけじゃないでしょ?」
「……ええ。それが?」
「詔勅に関わった枢密院の中に、主戦派の一員がいるんじゃない? 継承競争によって生じる火種を、開戦事由に繋げられればと」
しかし、この推量に対して、アスタレーナは首を横に振った。
それが意味するところは、考えの否定ではなかったが。
「そういう懸念と内偵自体が、こちらの火種となりかねない。私は、ラヴェリア国内における派閥闘争も、世界を揺るがす大乱の切っ掛けになり得ると考えているわ。だから……私は国外に目を向けて、自分の仕事に専念する」
そう言ってから、彼女は自嘲気味な笑みを浮かべて「みっともないとは思うけれど」と続けた。
実際、そういう口実を元に、王と直属の枢密院へ疑念を向けようものならば……継承競争制度そのものへの反発と取られかねない。
内偵の結果として、アスタレーナ自身の立場が揺らぐようなことがあれば、本来の仕事である国外諜報にも差し障りがあろう。それが波及的に、何らかの危機を招く懸念もある。
リズを前に、彼女は何やら恥を感じているようであるが、リズはそんな姉を嘲笑う気にはなれなかった。
むしろ、他に聞かれていることを前提に、こうまで自分のスタンスを明かせる心胆には恐れ入った。それに……
ネファーレアを助けに来た時、彼女は何らかの空間転移的手法を用いていたのは間違いない。そこから読み取れる、いくつかの推察がある。
まず、《門》同士を繋ぐ定点間の転移ではなく、行き先を任意に調整できる手法の可能性が確定的だという点。
時間・空間系の禁呪には、自己認識として初等程度の理解と知識があるリズでも、定点間転移以上の自由度がある転移法に覚えはない。
おそらく、極めて特殊で、かつ極秘の手法であろう。
また、アスタレーナがこの船に乗って帰ることを決断したことも、多少の判断材料になる。行きと同じ手段で帰還できるのなら、わざわざリスクを負ってまで敵船に乗る理由はない。
となると……使用上の制約がある手段ではないかと考えられる。出口は任意でも、入り口は特定の《門》かもしれない。あるいは、何らかの儀式が必要か、使用するだけでだいぶ消耗するのか……
いずれにしても、一つはっきりしているのは、この場にアスタレーナがいるという事実だ。
おそらく、知られてはならないであろう転移手段について、リズにその情報の断片を与えることを覚悟の上、彼女はネファーレアを止めに来たのだ。
王族から、不死の魔道士を出してしまわないために。
そういう姉のあり方に、リズは心服の念を抱いた。
助けにいかなければ亡霊の餌食になっていた辺り、割と考えなしに動いていた節もあるが。
自身に向けられる視線に、何かしらの違和感を覚えたのか、アスタレーナは「何か?」と尋ねた。
「いえ……別に。ただ、あなたがあの……バカ者の姉で良かったって思ってるだけよ」
「そう」
「……事前に、こうなるかもって思ってた?」
答えづらい問いだろうとは思いつつ、リズは尋ねた。「船賃代わりの質問よ」と続ける彼女に、アスタレーナは苦笑いし……ため息を一つ。
「この辺りで、幽霊船が出るという話は、私も小耳に挟んだことはあった。ただ、あの子はたぶん、独自の情報網で知っていたのだと思う。死霊術師同士、横の繋がりがあるみたいで」
「しかし、国外で不死者を操るなんて、かなり危険でしょ?」
「そうね。思い直させようとは思ったけど……ご母堂が」
話題に上がった女性を脳裏に思い浮かべ、リズは思わず顔をしかめた。
そんな彼女に「私も苦手よ」と苦笑いする姉だが……
「さすがに、顔に唾を吐かれたことはないでしょ?」と言われ、彼女は絶句した。
つまり、リズにはあるのだ。
唖然とするアスタレーナだが、少しして彼女は咳払いし、話を続けた。
「陛下へ直訴なさったようで。継承権者同士、足を引っ張らないようにと」
「へぇ?」
追われる身としては、耳寄りな情報であった。とはいえ、あまり身を乗り出すわけにもいかず、あくまで平静を装うリズだが……
アスタレーナは、あまりそういうことを気にしていないようだ。渋い表情で続けていく。
「兄さん、いえ、ベルハルト殿下が大功なく帰還なされた事について、『他派閥からの干渉があったのでは』と申し立てられて」
「殿下ご当人は?」
「その直訴自体、たぶんご存知ではないわ。私も、ネファーレアから聞かされたぐらいだから」
ただ、継承競争自体、走らせる側の目には停滞が生じているように映ったのだろう。
そこで、枢密院経由で、やんわりと釘が刺されたというのだ。
――成果が上がらないことに、陛下が気を揉んでおられます。他に煩わされず十全の力を発揮できるなら、このようなことにはならないでしょうに……と。
リズには腹立たしい限りだが、うまいやり方ではあった。
国家最高戦力の一人と名高いベルハルトが、国賊一人の首級も持たずに帰還したのだ。何かしらの嫌疑を抱くものはいるかもしれない。
そうした嫌疑の矛先を、王子当人ではなく漠然とした周囲に向けてみせる。その方が、疑念としては穏当なものとして受け入れられやすいだろう。
加えて、国王が表立って国政に関与しないことを、おそらくは考慮に入れた上での直訴。結果、動いたのは王直属の枢密院である。
これにより、クラウディア妃は事を荒立てることなく、さらには自身の存在を何枚ものヴェールの奥に隠したまま、意を通してみせたのだ。
次に娘が行うことについて、誰にも邪魔させないために。
そして――邪魔した当人が、リズの前にいる。
「よろしかったのかしら?」と問いかけると、姉は「何が?」と問い返した。
「いえ、お互いに邪魔するなと釘刺されたばかりでしょ。まさか、色々と告発するわけにもいかないでしょうし」
「……そうね。今から言い訳でも考えておかないと」
そう言ってアスタレーナは、力なく笑いながら深いため息をついた。




