第170話 姉妹喧嘩のあとしまつ②
両王女を送り届ける申し出に、アスタレーナが応じた。はねつけられることはないだろうとの目算はあったが、これで一安心である。
これまで死闘を繰り広げていたネファーレアは、未だに気を失ったまま。駆けつけてきたアスタレーナも、まさか戦おうという気はないだろう。
無事、この幽霊船が制圧下になったことを認め、リズは肩の荷が下りる思いであった。
同意を取り付けた彼女は、仲間二人の元へ向かった。
「ありがと。来てくれてて助かったわ」
「いえいえ~」
「セリアさんも」
柔らかな表情を向けて礼を述べるリズだが、セリアは少し恐縮した感じで答えた。
「付け焼き刃の祓魔術でしたので、お役に立てたかどうか……それに、礼ならばマルクさんに」
実際、リズが不在の間、船のメンバーを差配していたのは彼である。
そして、増援の二人がボートで近づいてきた事を、リズは知らされていなかった。
アスタレーナに一度別れを告げて暗闇に消えた時、彼女は闇に身を潜めて、相手方の動きを探ろうと画策していた。
姉がどのようにしてやってきたのか不明だが、帰還手段があるのなら、それを突き止めれば……という考えがあってのことだ。
帰るに帰れない様子であれば――少しぐらい助けてもいいかも。そんな思いも。
そうして甲板から海面へと降りていった際、幽霊船へと手配された増援に気づいたのである。
結果として、これは絶好のアシストであった。いかにリズといえど、あのネファーレアとの激戦から続く亡霊の掃討は骨が折れるところ。
加えて、不死者を寄せ付けない銀のランタンの存在も、満足に身動きできない王女二人を保護する上では、大きな安心感をもたらしてくれた。
もっとも、加勢に来た二人にしてみれば、敵対勢力と言える王女二人を救助するというリズの発言に、やや面食らう部分はあったのだが――
(理解ある二人で助かったわ……)
経歴上、この二人は、救助対象がどのような存在なのか良くわかっているのだろう。納得してもらうのに、多くの言葉は必要なかった。
結果、彼女らは隙だらけの王女二人に対し、何ら失礼を働くことなく、幽霊船の掃除をこなしたのである。
頼もしい仲間に恵まれたことを改めて実感するリズだが……温かな目を向ける彼女の前で、セリアはどこか落ち着きがない。
妙に思ってその視線を追ってみると、アスタレーナに釘付けになっている。先方もセリアの顔をまじまじと見て、何やら強張ったような、引きつったような……
(ああ、なるほどね)
この二人がお知り合いという可能性に、リズは思い至った。
セリアはマルシエル議会直属の護衛官だが、議長に付いて仕事をすることが多いようだった。
となれば、要人の顔を覚えるのが仕事であるこの二人が、互いをしっかり認識しているとしても何ら不思議はない。
もっとも、久しぶりの再会を祝して……という雰囲気ではない。どことなく気まずさを感じさせるこの二人を思い、リズはヤブヘビになりかねない発言は避けることにした。
そうして、静かな、睨み合いとも言えない微妙な状況が少し続き――
リズの船が、幽霊船に接舷を果たした。クルーたち総出で放つ《霊光》の光が、陰鬱な幽霊船を明るく照らし出す。
強い光源を前にすると、破壊の有様が鮮明になった。甲板は至るところに陥没が生じ、板が抜けて船倉が見える部分も。
そして、これだけ船を痛めつけた張本人は、今では力を失ったかのように気絶している。妹に視線をチラリと向け、リズは思わずため息をついた。
さて、今まで戦ってきた当人はともかく……ここでようやく死闘の場を目の当たりにした面々は、荒れ果てた現場に言葉を失った。
(どうしたものかしら……)
硬い顔のクルーたちと、血縁のある二人、幽霊退治を手伝ってくれた仲間。それぞれに目を向けた後、リズはクルーたちに告げた。
「最初から、結構ボロボロでね……やりづらいったらありゃしないわ」
「こ、こんなところで戦ってたんスか?」
「ええ。それとも……私がここまで散らかすような暴れん坊だと思う?」
イイ笑顔をクルーたちに向けて尋ねてみると、一同は首を横に振った。
この後のことを考えると、ネファーレアに対するクルーたちの印象も重要だ。船をここまで荒らしたと認識されれば、不必要に心配させかねない。
少なくとも、どこかへ送り届けて別れるまでは、平穏無事に済ませたいのだ。
その後、マルクの指示で何人から幽霊船に乗り込んだ。彼と、アクセル、そしてマルシエルからの出向者たちである。
マルシエルからの面々は、すぐにラヴェリアからの客の方へ向かった。
こうしたマルクの采配の意図は明白であった。下手をすれば国際問題になりかねないのだから、相応の理解がある者を向かわせるべきである。
そこで、マルシエルからの出向者たちだ。彼らならば、面倒が起きないよう丁重に扱うだろうと。
もっとも――当初の想定とは違い、要人がもう一人増えていることに、彼らはだいぶ困惑したようだが。
まずは簡単な担架にネファーレアを乗せ、アスタレーナ同伴でリズの船へ。
あの二人のことは出向者たちに任せ、リズは仲間二人の元へ向かった。
ここまで色々と心労はあったのだろう。マルクはやや疲れ気味で苦笑いしている。
一方、アクセルはかなり青ざめた顔で、表情もかなり硬い。事は終わったばかりだと言うのに。
「……大丈夫?」
「そ……それは、こちらの」
しかし、彼は言いかけて口ごもった。
言い返そうとするも遠慮してしまうようで、そんな彼にリズは優しい目を向けた。
「いつも、ごめんなさいね」
「……いえ。こういう時にお手伝いできないのは、正直言って苦しいですけど……」
そう言ってうなだれる彼の肩に、マルクが微笑みながら手を置いた。すっかり弟分のような扱いだが、リズの目にはしっくり来る間柄のように映る。アクセルもまんざらではないようだ。
それから、マルクはリズに真面目な顔を向けて口を開いた。
「こっちの判断で、勝手に動かしたぞ」
「ええ……助かったわ」
「巻き添えを嫌うかとは思ったけどな……そこはあの二人に感謝してくれ。きっと、俺以上に気が気じゃなかっただろう」
なるほど。マルクが向かわせた二人は、リズの戦いを近くで感じていたはずなのだ。それでも、邪魔にならないようにと、不用意な加勢に走ることなく、闇の中で時をうかがっていた。
改めてその心胆に感服し、リズは二人に顔を向けた。ニコラはドヤ顔でピースまでしており、セリアは照れくさそうにしながらも、先輩に合わせてみせている。
さて、これで全て片付いて一安心……というわけでもない。荒れ果てた幽霊船に視線を巡らせ、マルクが言った。
「内部調査は、まだだろ?」
「さすがにね」
「このまま放置して帰るってのも、何かと具合悪いからな……」
「じゃ、探検します?」
冗談めかして口にするニコラに、マルクは苦笑を返したが、彼が言いたかったのは似たようなことではある。
「リズは……他のクルーに色々と言い含めておいてくれ。何か、そういうのがあるだろ?」
「ええ」
「その間に、俺たち四人でお仕事だ。ツーマンセルでいいと思うが」
この“四人”という言葉にアクセルが反応し、彼は少し困惑したような表情になったが……
「アクセルさん、夜目が利きそうですし、勘が良さそうですし。一緒にいると心強いと思いますよ?」
「なら、ニコラと組めばいいか。セリアさんは俺と一緒で、構いませんか?」
と、マルクの仕切りにより、トントン拍子で事が進んでいく。
こうして四人に追加作業を任せ、リズは自分の船に戻った。
足を踏み入れるなり、開口一番に「久しぶりって感じがするわ~」と、朗らかに言う彼女に、一同は表情を柔らかくした。
ただ……すぐに場の空気が引き締まり、真剣なものになっていく。彼らにそうさせる者が、この船に同乗しているのだ。
「色々と、思うところはあるでしょうけど」と前置きし、リズは語っていく。
「あの両殿下には、決して粗相を働かないように」
「……それはもちろんですが」
答えたのはニールだ。緊張で硬くなった顔の彼は「念のため、理由を聞かせてください」と続けた。
「それはね、あの二人に何かがあれば、国が黙ってないからよ。私たちとマルシエルの間で、何らかの結び付きがあることぐらい、あちらはすでに感づいているはず。そういう前提の下、遠方で王女が客死したのなら……」
固唾を呑むクルーたち。そんな彼らを前に、リズは小さくため息をついて続けた。
「ただで済まされないのは、きっと私たちだけではないわ。もしかすると……世界を巻き込む大乱にまで、発展するかもしれない」




