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第16話 竜が棲まう山へ

 竜が棲まう山へと向かうことを決めた二人。

 その前にやることがあり、リズはフィーネに話しかけた。


「すみません、少し準備したいことがありまして。一度、一人にしてもらえませんか?」


「……わかりました。その間に、町長にお話に行ってきます」


 リズの言葉に対し、フィーネはどことなく陰のある顔で答えた。一人で何かこう……死ぬ前の心の準備的なものをするものと、考えてしまったのかもしれない。

 それを訂正するのもヤブヘビのように思われ、リズはただ「よろしくお願いしますね」とだけ言った。

 本来ならば、自分も町長の元へ行くのが筋ではあろうが、ちょっとした拍子に事が大きくなるのも……という懸念はある。


 フィーネが去り、急に部屋の中を寂しく感じたところで、リズは目を閉じて瞑想を始めた。自分の中へと意識を深く潜行させていく。

 やがて、暗闇に浮かぶ書林の中に、彼女の意識が立った。仮想的な回廊を真っすぐ進み、中央にある台座へ。

 台座の上には、表題のない魔導書が置かれている――魔法使いとしてのエリザベータ・エル・ラヴェリアそのものと言える魔導書だ。彼女はそれに手を触れた。


 使うべき魔法は決まっている。対象物の時間の流れを遅れさせる禁呪、《遅滞(スロウ)》を自分に用い、呪いの進行を食い止める。

 これは、よほどの実力差がなければ、目立った機能はしない魔法だ。

 それでも、一秒未満でのやり取りでしのぎを削る戦いの上では、時として決定的な役目を果たすこともある。魔法を掛ける余裕があればの話だが……


 それはさておき、今回は、そういった本来想定されている用法とは、まるで違う形で使う。対象は自分自身。抵抗の意志がないため、魔法の掛かり具合には問題ないだろう。

 問題は、遅延させる対象の細目である。リズの物理的実体はそのままに、彼女に内在する全ての魔法的存在を遅延させたい。

 そうすれば、彼女の魔力的身体もろとも、呪いの働きを抑制できる。


(そんなこと、できるかしら……)


 考えながら、彼女は知識の回廊の中で手当たり次第に思いつく魔導書を広げていった。それら魔導書の中から無数の魔法陣が飛び出し、リズの周囲を覆うドームに。

 やがて彼女は、青白い魔法陣の天幕から、対象物を切り分けている魔法をいくつか探し出した。これと《遅滞》を組み合わせ――


 次の瞬間、リズの意識は現実世界に戻った。試しに、指先から魔力を放ち、魔法の記述を試みる。

 しかし、まともに書けたものではない。指先からの魔力は、そのつもりがないのに出し渋るようだ。指の動きにはとても追随できず、とぎれとぎれの魔力が宙に残り、結ばれない点となってすぐに果てていく。

 とりあえず、期待通りの成果は出ているようだ。心身の働きに対し、魔力がついていけてない。間に合わせとしては上出来である。


 思えば、禁呪――国家ぐるみで隠匿する魔法――に手を加えてアレンジするというのは、愚行も甚だしいところではある。

 ただ、彼女には禁呪を前にしての畏れがなかった。そういうふてぶてしい自信の程が、今回はうまく機能したのだろう。


 禁呪を巡る思考の回転は、実際にはほんの数分の出来事であった。できることを確認した彼女は、《遅滞》の魔法を一度解除した。

 次いで、今のうちに作りおきの魔法をいくつか用意し、いつでも使えるように"自身"の魔導書へキープしておく。

 こうすれば《遅滞》影響下でも、多少の魔法は使用できる。


 後は、ストックしておく魔法陣との兼ね合いから、どれだけ《遅滞》に力を振り分けるか考え……彼女は、全力の大部分を《遅滞》に注ぐことに決めた。

 呪いの勢いがいつ強まるか、正確にはわかったものではない。対応策として、魔力を用いず自然な抵抗力に任せるという選択肢はある。

 しかし、実際の感触として、禁呪で時の流れを切り離して抑え込んだ方が、体が楽になった感はある。

 それに、消極的な策を用いるのにどことなく抵抗を覚えた彼女は、最終的に自分の魔法の腕を信じることにした。


 こうして外出の支度が済んだリズの元へ、少し遅れてフィーネがやってきた。今も不安に悩まされる空気をまとっているが、腹を(くく)った顔つきでもある。

「行きましょう」と彼女が口にすると、リズも「はい」とそれに応じた。


 二人にとって幸いだったのは、少し体を休めたおかげか、リズが不自由なく自力歩行できることだ。必要以上に人目を引きすぎる心配はない。

 心配そうな表情の亭主から頭を下げられ、リズは苦笑いを返して宿を出た。

 外に出ると、どことなく向けられる視線が気にかかるところ。そんな中で、彼女は手を握って先導してくれるフィーネの背に、確かな頼もしさを覚えた。


 向かった先は馬宿である。手入れが行き届いていると思われる、毛艶のいい馬が何頭も。

 タダ乗りするようで気が引けるリズだが、フィーネは構いもしない。

 管理者の方には話がついているようで、後は流れるようだった。逆に戸惑いを少し覚えてしまうリズ。

 それから、あれよあれよと事が進み、フィーネが騎手に。リズは彼女の腰にしがみつく形で相乗りだ。

 そして、馬が二人を乗せて駆け出した。緑を割いて伸びる街道を、風を切って進んでいく。


「町のみんなには、あなた向けの薬を買い出しに行くと伝えてあります。疲れとか、そういうのに効くのを」


「ありがとうございます。でも……町としては、ご迷惑だったのでは?」


「あれだけ目立って、講習までしてくれた人に不幸があったら、誰だってイヤな気持ちになりますよ!」


「そうですか……ごめんなさい」


 ただ、こうまで言ってくれるのなら、もはや疑うことはあるまい。

 生きて帰るのが一番の仕事だ。

 もっとも、フィーネや町長の気遣いのおかげで、町人たちはリズの病状について、生き死にというレベルのものとは考えていないだろうが。


 馬が駆け出して少ししたところ、自身の体の具合と相談しつつ、リズはあらかじめ仕込んでおいたものを機能させた。自分自身という魔導書から、出来合いの《空中歩行(エアウォーク)》を展開。足裏につけて浮遊させていく。


(これで、馬の負担を減らせないかしら)


 幸いにして、フィーネは馬を操るのに神経を集中させている。後ろを向く余裕などなさそうだ。リズが後ろで少しばかり体を浮かしていても、気づくのは馬ぐらい――で、馬はそれを喜んで受け入れるのではないか。

 様子を見つつ、リズは体を浮かしていった。馬にしがみつくような両脚を少し広げ、尻が完全に馬体から離れていく。


(これはこれで、はしたないわね……)


 乗馬ということで当然のようにズボン履きだが、大股になるというのは、やはり抵抗感がある。他の年頃の娘に比べれば全然ではあるが。

 ともあれ、馬への負担は和らいだことだろう。また、この程度の魔法であれば、彼女自身の力と習熟も相まって、息をするように維持し続けられる。

 馬が目的地へ早く着くならば、収支は大きくプラスになるはず――と、リズは考えた。


 実際には、馬が運ばなければならない総質量は変わらない。リズ分の荷重は、フィーネを経由して馬に乗っている。

 ただ、病魔の手で少し思考に陰りがあるリズは、思いつきの欠点に至ることがなかった。

 馬からすれば、背に二人乗るよりはマシであろうか。


 さて、リズが体を浮かせたことで、フィーネにしがみつく部位が少し上に動いた。急な動きに、フィーネは声もなく背筋を軽く振るわせる。

 神経を使う状況下で、騎手を煩わせたこの失態に、リズは思わず顔を歪めた。


「ごめんなさい。ちょっと、姿勢が変わって」


 “ちょっと”というには語弊があるが、フィーネには知る由もない。彼女は振り向きもせず、少し大きな声で言った。


「いえ、大丈夫ですから。落ちた時の方が大変ですし、しっかりしがみつけるところでどうぞ。速すぎるなら、少し緩めますよ!」


「このままで大丈夫です、ありがとう」


 しがみつく腕がずれた時には肝を冷やしたリズだが、どうにか事なきを得たようだ。ホッと安堵のため息が漏れ出る。

 彼女が横に目を向けると、陽光を受けた緑が波打ちながら後ろへ駆け抜けていく。その様を眺めながら、彼女は言った。


「見事な馬術ですね」


「そ、それほどでも……」


 リズと同じぐらいの年だろうが、それにしては呪術や薬への専門知識があり、馬術も中々のものがある。

 リズとしては、フィーネが馬術を覚えた契機が気になるところだった。その点を尋ねてみたところ、フィーネは快く応じて彼女自身の過去を語っていく。

 話は単純だ。彼女の父は国の都市部で薬師を営んでいる。当然のように呪術への知識もあり、衛兵隊とのつながりもある。場合によっては衛兵隊に帯同することもあるし、近隣の町村へ向かうこともしばしばで、乗馬もお手の物。

 そんな立派な父に憧れ、フィーネも同じ道を志したのだという。


「それで、親元を離れて経験を積もうと、あの町に住んでいます」


「なるほど。色々と合点がいきました」


「でも……馬術はリズさんの方が、ずっと上なんじゃ……」


「いえ、私は全然で」


「えっ?」


 町に根付きつつあるイメージを思えば、できて当然ぐらいに思われていることだろう。フィーネもそういう認識だったようだ。

 その想像と現実のギャップに、リズは思わず含み笑いを漏らした。

 そして、ぼんやりと昔のことを思い出していく。


 完全に乗馬できないというわけではない。まだ彼女の立ち位置が定まっていなかった時分に、今後のためにと乗せられたことはある。

 娼婦の娘とはいえ、王族の端くれ。馬に乗れないのでは恥だからだ。

 近習あるいは近衛にしようという話があった時も、馬術を少しは仕込まれていた。


 ただ、それはかなり昔の話だ。下の王子王女が長じてくるにつれ、リズの扱いはぞんざいになっていき……

 最近までのようにメイドになってからというもの、馬術からは遠ざけられていた。

 他の武術のように、まさか隠れて練習するわけにもいかず、馬術に関しては腕が錆びついたまま今に至る。

 乗れないこともないが……町人のイメージほどに華麗な乗りこなしとはならないだろう。


 そうして昔のことを思い出したリズは――思わず、舌打ちが出そうになった。

 しかし、フィーネのすぐそばで負の感情を巡らせることに抵抗を覚え、リズは周囲の緑を見て気分を落ちつけていく。

 そこへ、朗らかな口調でフィーネが話しかけてきた。


「リズさんの方がお上手だと思ってました。正直、意外です」


「あまり、そういう機会や、その必要がなかったもので……」


 実際、体調さえ万全なら、馬に頼る必要はない。その気になれば、馬よりも速く走れるのだから。


(でも、とてもじゃないけど、そんなことは言えないわね……)

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