第166話 VS第四王女ネファーレア②
生前の姿と意識を保ったまま、不朽の魔法使いとなる――それが、系統そのものが高位魔法である死霊術の、最大級の秘奥である。
さすがに詳細までは知る由もないが、ネファーレアがその途上にあるものと、リズは察した。
しかし、そう短時間で完了する儀式ではないはず。ラヴェリア国内で前々から準備していたとも考えにくい。
身体の不死化が完成していないのなら、まだ取り返しはつく。止められる。
彼女の脳裏では冷静な思考が巡る一方、胸中は正反対であった。駆け巡る熱い血に感情が乗って、判断を惑わし続ける。
過去に一度、魔法を使う不死者と戦ったことがあるリズは、生命という枷に縛られない化け物の力を身をもって知っていた。
そして……目の前の妹は、かつての怪物とは比べ物にならない。
近寄らせるわけにはいかず、リズは小刻みにステップを刻みながら迎撃に徹した。
打つ手の少なさは明らかだ。《魔法の矢》では相手を止めきれず、《追操撃》も同様。相手の全身に満ちる魔力で相殺されているようにも見える上、直撃しても怯みさえしないのだから。
《貫徹の矢》も効かず――《火球》は使えない。人に向けて使うべき魔法ではないからだ。
そもそも、当たるかどうかすら怪しい。
攻め手を欠くリズに対し、ネファーレアは容赦がない。
少しずつ、新たな身体感覚に慣れてきたのか、動きに慣れが見え始めた。溢れんばかりの魔力で駆動される、力任せな動きに振り回されにくくなっている。
それでも、技術というほど洗練された動きではないが……小手先に頼る必要がないほどの剛力が、今の彼女にはあった。
痛覚もなく、自身の体への本能的な気遣いと抑制も消え果てた。さらに、生身では耐えきれない各種身体強化魔法の力で活性化され、人ならざるものへと化しつつ彼女の体は、それ自体が致命的な一本の矢弾である。
船の段差を踏切版に、彼女は下肢を躍動させた。踏み砕かれた木材の破断音の後、彼女は矢のようにリズへ襲い掛かる。
これをすんでのところでかわしたリズのすぐ横で、鋭い飛び蹴りの威力を受けた甲板に大きな陥没が生じた。
ぞっとする威力を目の当たりにし、リズの体は瞬時に熱を帯び、汗がどっと噴き出る。
至近まで距離を詰められた彼女は、恐れを精神力で握り潰し、後ろに跳ね跳びながら渾身の連射を叩きつけていく。
すると――今度は、ほんのわずかながら、効果があった。着弾の衝撃自体は確かにあるらしく、高密度の弾幕の威力に、ネファーレアはわずかによろめいた。
不死化が不完全ゆえか、あるいは、そもそもの魔力に限界があるのだろう。
――常人に対する致死量の十数倍の弾幕を至近で叩き込めば、若干の効果は期待できないこともない……というのが現状だ。
(バカバカしい!)
観察に対する素朴な認識に、リズは内心で悪態をついた。吹き出る汗を腕で乱暴に拭い、歯噛みする。
一方、よろめきからの復帰も早く、ネファーレアはすぐに次の行動に移った。
この戦場に対する理解が進んだのか、甲板上の段差を跳躍の踏切にする突撃が、彼女の主たる攻撃手段になった。矢となった彼女が疾走するたびに、線の始点と終点が悲鳴を上げ、甲板が痛めつけられていく。
シンプルでワンパターンな攻撃だが、その動きの鋭さには、リズでもどうにか避け切るのがやっとであった。
そして、何回突撃を避けたことだろう。
少しずつ余裕を失いつつあるリズに、ネファーレアはまたも突撃を敢行した。これを上に跳躍して回避するリズ。
――彼女の後方には魔導書が控えていた。
ネファーレアの動きにはまるで追随できなかった魔導書を、リズはあえて完全に黙らせておいた。相手の意識から抜け出たタイミングで、効果的な攻撃を加えるために。
だが、魔導書の存在は、ネファーレアも察知していたらしい。
あるいは、最初からそのつもりであったのかも。
腰ほどの高さで浮かぶ魔導書へと一直線に突き進む彼女は、自然な動きで右手を振りかぶり、鋭い手刀を繰り出した。
魔導書からの迎撃で止められる勢いではない。ここで確実に、リズは武装の一つを喪失することになる。
そして、それは織り込み済みであった。
今から破壊される魔導書の最後の一撃に、彼女は選んでおいたページを開いた。開かれるや否や、術者から渾身の魔力を受け取り、両ページから白い光が迸る。
放たれた魔法は《閃光》。強烈な光で、敵の視界を白に染める魔法だ。
ただし、高威力を発揮するには、術者と魔法陣の距離を近距離に保つ必要があり……優位を得たり保ったりというよりは、最悪を防ぐための共倒れ的な最終手段に用いられることが多い。
今回、魔導書はリズの斜め後ろにある。彼女が直接目を焼かれる心配はない。
少なくとも、光源へと無防備に突き進むネファーレアよりは、よほど優位な立ち位置にある。
辺りを白に染め上げる光の中、思考と知覚を高速化させていることもあり、リズは本当に時が止まったように感じた。
彼女の足元では、真っ黒な影が、白い光の中を前のめりに進んでいる。
ここでリズが踏みつければ……ちょうど、ネファーレアの後頭部を直撃する形になる。
常人であれば、間違いなく死ぬだろう。鍛えた人間でも、後の人生を踏み砕かれる一撃になる可能性はかなり高い。
では、この妹はどうか? すでに人間の域を脱したかのように思われる、この美しくも恐るべき怪物は?
取り返しがつかないかもしれない行為を前にして、リズは……
すでに取り返しがつかなくなっているかもしれない可能性を思った。
そして、彼女は歯を食いしばり、妹の後頭部めがけて真っ直ぐに踏み抜いていく――
だが、覚悟の結果は、彼女の煩悶を嘲笑うかのようであった。
後頭部への一撃を受けたネファーレアは、さすがにバランスを崩しはしたが、それだけだ。
方や、踏みつけたリズは……分厚い鋼板に降り立ったかのような感触を覚え、足から凍てつく感覚に飲み込まれていく。
次の瞬間、木板が抉られる音を耳にし、リズは思わず足場から跳ね跳んだ。
無我夢中で跳躍した彼女にとって、踏みつけた妹の体は、確かに堅固な足場そのものであった。距離をとってから、改めてその事実に思考が至り、彼女は慄然した。
閃光が去っていく中、ネファーレアは右手を甲板に突き立てていた。魔導書を一刀のもとに斬って落とした手刀を、今度は甲板に突き刺したのだ。
そして彼女は、ゆらりと立ち上がった。唾棄すべき国賊に足蹴にされたにも関わらず、体を払うでもなく静かに佇んでいる。
先程の強襲は、全く効かなかったというわけではないようだ。彼女が放つ魔力に、若干のゆらぎが見られる。これまでの優位にも関わらず、警戒心を新たにしているようにも。
それから、静かな睨み合いになり、リズは腰の魔剣に手を伸ばしかけている自分に気づいた。強く歯噛みし、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。
思わず彼女は、「もう、ここまでにしなさい」と言った。これまでの挑発とはまるで違う、相手を気遣い嗜めるような口調で。
「……不利だと思って懇願してるの? 本当に卑しい」
「やめろつってんのよッ!!」
ぎこちない妹の嘲りに、リズは叫びを被せた。腹からこみ上げる激憤に言葉を与えていく。
「こんな、こんな戦いで勝って、その後どうするつもりなの!? あなた、元の人間に戻れるの? 戻れたとしても、不死者になりかけた事実は、決して消せはしないのよ!」
不死の魔道士であるリッチは、生きとし生ける者すべての敵だ。あらゆる国家から討伐対象として認識される。完全に成り果てなかったとしても、試みただけで重罪だ。
そうまでして、ネファーレアは全てを投げ打つように戦っている。そうやって、省みることなく捨ててしまえる妹のあり方が、国の全てから見捨てられたリズには我慢ならなかった。
あるいは……妹が宿敵には違いないとしても、彼女にこうまでさせる存在がいるとすれば、リズにはそれこそが許しがたかった。
身を焦がすようなリズの猛りに、ネファーレアは言葉を返さない。身に宿る魔力は、相変わらず強大で禍々しい。
だが、彼女自身は、リズの叫びをきちんと聞いているようだ。むき出しだった殺意が、悲壮感に変わっていく。
そんな彼女をまっすぐ見据え、リズは言った。
「私が、殺されるためだけの存在だというなら……あなた、私を殺すためだけの存在みたいじゃない」
「……先にあなたが、そう言ったのよ」
確かに、そういう旨の発言はしていた。殺される標的のリズと、積極的に殺そうとするネファーレア。継承競争を機能させる上では、この二人が一組のパーツとなると。だが……
「そこまでは言ってないじゃない……こんなことのために人をやめろだなんて」
「……あなたが言う“こんなこと”が、私には……私たちには、すべてなのよ」
言い直して付け足した“たち”という言葉が何を指すのか、リズにはよくわかっていた。
だからこそ、許せないのだ。この場にいない者が。ネファーレアを独り、この場に送り出している者が。




