第165話 VS第四王女ネファーレア①
前座との戦いを終えたリズは、船内で動く気配を前に、《インフェクター》を鞘にしまった。魔剣は何か言いたそうに、刀身を震わせて空気をざわめかせたが。
この魔剣も、船内に潜んでいた者に、何か感じるところがあったのかもしれない。近づいてくる気配の正体が本当にネファーレアであれば、《汚染者》にとっては因縁がある。
だからこそ、リズはこの魔剣を使うわけにはいかなかった。刀身に宿る忌まわしい力で相手を斬りつけるなど、意趣返しの言葉で済まされるものではない。
相手と同じ愚挙に手を染めることなく、自身の気位を保つことこそが、彼女にとっての反骨心であった。
徒手の彼女は、幽霊船の船首で佇み待ち構えた。生ぬるい、気鬱な風が吹き抜けていく。
程なくして、彼女の前に船室から一人の人影が現れた。
全身を覆うローブを身にまとい、目深にかぶったフードの奥は、暗い空の下でより一層暗鬱に映る。
そして……その人物は、リズが予想していたとおりの者でもあった。陰鬱な感じとは裏腹に、彼女は耳に心地よい透明感のある声で語りかけてくる。
「とりあえず、一人で来た事だけは褒めてあげる。賊にしては殊勝な心掛けね」
「で、あなたはどうなの?」
返す刀で、リズは頭上を指さしながら言った。先ほどの交戦で温存していたのだろうか、亡霊たちがそれなりの数、今もマスト上空にいるのだ。
「まさか、あなたの配下ってことはないでしょ?」
「だから何? 手加減してほしいのならそう言えば?」
「ここって、あなたが用意した拠点じゃないでしょ。勝手に上がり込んで、我が物顔で操って……まぁ、ラヴェリアとかいう国らしくはあるかしら」
事実確認も兼ねたカマかけに、ネファーレアは冷ややかな態度で鼻を鳴らした。わざわざ視線を外すリズではないが、上空の悪しき気配が少し散っていくのは感知できた。
もっとも、相手が使わないと信じ切れたものではないが。
会話がすぐに途切れると、一触即発の空気の中、二人はしばし睨み合った。
思い返せば、この妹と直接対面したのは、数年ぶりのことかもしれない――リズはそんな事を思った。
王室に関わる者であれば、リズの出生に係る、ネファーレア母娘との確執は周知の事実。他の兄弟にもまして、二人は遠ざけられていた。
それも、二人が長じてくるにつれて、より細心の注意を払うように。
かなり久しぶりに見るネファーレアは、リズの記憶には全く合致しない。小憎たらしい小娘という昔の面影はなく、はちきれんばかりの憎悪をたぎらせ、抑えきれない敵意が肌を刺してくるようだ。
もっとも……それほどの激情に身を委ねなければ、このような凶行に及ぶはずもないだろうが。リズは冷ややかに、その点を突いた。
「こんなことして、お国に迷惑だとは思わない?」
「国賊が粋がるな。お前が無節操に逃げ回ることの方が、よほど害悪だわ。愚かにも道義を語るなら、おとなしく殺されればいい。それが唯一の道だわ」
「あっそ。一つ聞きたいんだけど、構わない?」
返答は《魔法の矢》であった。
もっとも、単発であれば、どうということもない。これで仕留めようというわけでもなく、「話すことはない」という程度の意思表示であろう。
素早く身をそらしたリズは、すれ違う矢を見向きもせずに言った。
「お兄様と比べると、本当に野蛮ね。後宮にお務めだそうだけど……いえ、かえって似つかわしいのかしらね?」
微笑みながら向けた言葉に、ネファーレアは苛立ちもあらわに顔を歪ませた。この発言の含むところに、思い至らないはずはない。
だが、一応は踏みとどまっているようだ。リズに手を向けつつも、追撃を放たないでいる妹に、彼女は問いかけた。
「あなた、継承競争が始まる前から、色々と知ってたでしょ?」
「何かと思えば……くだらない。妄言をさも真実みたいに」
「ご母堂が陛下を問い詰めたんじゃないの? それで、あなた、それを聞かされたんでしょ?」
まるで見てきたことのように指摘するリズに、ネファーレアは一瞬口ごもった。
もちろん、確証はない推測だったが、どうやら当たっていたらしい。押し黙る妹に、リズは畳み掛けていく。
「知ってるからこそ、今まで本格的に手出しできずにいたんでしょ? そして、知っていたからこそ、始まる前に抜け駆けして、毒なんて仕込んで……」
リズがロディアンに流れ着いた際、呪毒によって体調を崩した一件があった。面と向かって当人に指摘するのは初めてだが……
これも図星なのだろう。ネファーレアは口を引き結び、かすかに震えた。
しかし、続いてかけられた「半端者」という嘲りに、彼女は開き直った。
「だから何? それがどうかしたの!? お前がただ殺されるためだけに生まれたことは、陛下がお認めなのよ! どのように殺されようが知ったことか! お前を殺そうという私が、お前なんかに謗られる謂れなど、どこにもないわ!」
「ま、それはそうでしょうね」
しみじみと口にするリズの反応は、まったくもって予想外だったのだろう。一瞬で会話の間を外され、ネファーレアは憤懣に震えながらも、言葉が続かなくなった。
そんな妹に冷ややかな目を向け、リズは言った。
「お兄様お姉様は、意外と私の事を殺したくないんじゃないかと思うけどね……」
「……ご慈悲を向けられているというだけの事よ。お前が死すべき定めにあることは、何も変わらない」
「……ねえ。今の競争が成立するために、殺されるためだけの標的じゃ足りないと思わない? そう言われただけで嬉々として殺しに来る奴なんて、実はごく少数でしょ?」
リズの指摘に、ネファーレアは口を閉ざし、ただ鋭い視線で睨みつけた。
この肯定を受け、さらに言葉を重ねていく。
「あなたたちを競い合わせたいバカどもからすれば、殺される賊だけじゃなくて、喜んで殺しに行く奴も必要なのよ。そいつのおかげで、競争の停滞が打破される。まがりなりにも血族の一員を殺すことへの忌避感が軽減される……」
淀みなく語るリズに、ネファーレアは応じることができずにいる。殺される側でしかない当事者の静かな声が、殺す側を見透かしていく。
妹に向けた視線には、いつの間にか冷たさの中に憐れみが混ざり始めた。
「あなた、私の存在意義を堂々と口にするけど……私なんぞの次に産まれたご自分の意味について、何かお考えになったことは?」
「……黙れ」
「陛下からすれば、あなたと私で一つなのよ。この、バカげた兄弟喧嘩の歯車としてね」
「黙れッ!」
「……ああ、失敬! 二人で一つと言ったけど」
張り詰めた殺意満ちる中、リズは場に不釣り合いな、穏やかな微笑みを浮かべて言った。
「お母様の事を忘れてたわ。仲間外れにしてしまっては、かわいそうだものね」
これが最後の引き金であった。
感情を押し留めていた堤を言葉一つで打ち破られ、ネファーレアは激昂とともに突撃を始めた。
その動きの勢いには、予想を超えて驚かされるものがある。かすかな違和感を覚えつつも、リズは距離を取りつつ、《魔法の矢》を連射した。
この迎撃には様子見の意味合いもあるが、弾丸の嵐に情け容赦はない。常人がまともに受けようものなら、良くて後遺症付きの重症。悪ければ即死という猛攻だ。
だが、同じ王族相手ならば――
この連射に対し、ネファーレアは構わず突っ込んでくる。弾が爆ぜ、相次ぐ衝撃音が大気を揺らし、飛散した魔力が濃密な霞となる。
そして、ネファーレアは魔力の霞を突き抜けた。
これを回り込むように避けていくリズ。突撃をかわされた苛立ちか、妹の鋭い視線が彼女に向いた。
見たところ、先ほどの連射は何の効果もなかったようだ。相殺されたようにしか見えず、ネファーレアが体を痛めた様子はない。
(《防盾》? いえ、そういう感じでも……)
突撃しながら、防御魔法でいなしきれるような攻勢ではなかったはずだ。死霊術師の――死者に戦わせる術士の――ネファーレアが、そういう技術を持っているとも考えにくい。
最初の攻撃をあっさり切り抜けられたリズの脳裏で、少しずつ疑問が膨らんでいく。
しかし、考える間も与えないように、再びネファーレアが猛進を始めた。彼女の踏み切りに、甲板が強くきしむ音が響く。
その音にも違和感を覚える中、リズは迎撃に移った。横へ鋭いステップを刻みつつ、今度は《貫徹の矢》を連射していく。防御魔法ではより防ぎにくい魔法だ。
その連射に、ネファーレアは対応しきれない。貫通弾が何発も、彼女の体内を通過していく。
いくつかの臓器は、これで完全に撃ち抜いたはずだ。すぐに絶命するものではないが、身をよじる激痛ぐらいはあるはず。
だが、これも全く効いていないようだ。
突撃を横にかわしたリズに対し、ネファーレアは勢いを衰えさせることなく、そのまま直進した。そして、軽く跳躍した後、船の欄干で横向きに着地し――
目を見張るような跳躍力で、彼女は水平に飛んだ。
予想外の動きを見せる妹に、内心でさらなる困惑が芽生えるリズだが、戦いの冷静さを欠きはしない。飛び掛かってくる動きは直線的で、見極めるのはたやすい。
妹の動きに合わせる形で、彼女は前方宙返りからの蹴りを放った。跳んでくるネファーレアの右ふくらはぎに、リズの踵が突き刺さる。
――が、足に伝わった感触に、リズは強い当惑を覚えた。何かを折った感じはまったくせず、硬い塊を踏みつけたような感触しかなかったのだ。
ネファーレアの突進の勢いに、蹴りつけたリズも少し巻き込まれる。前のめりにバランスを崩しかけるも、彼女は空中で素早く身を翻した。
一方、蹴りを受けたネファーレアは、甲板に激突したが……やはりこれも効いていない。甲板に打ち付けられながらも、まるで怯むことのない彼女は、転がっていく勢いからはね起きた。
ただ、戦い方を改めようという気持ちはあるのだろう。彼女はリズへと魔弾を連射した。
魔法の撃ち合いでは、さすがにリズに分がある。連射速度も狙いも、まだまだ甘い。力任せとも言える連撃の中、リズはフットワークで切り抜け、《防盾》と、時には艤装を盾にしていく。
ここまでの戦いにおいて、リズの方が上手を取っている格好ではある。
だが……多少の余裕をもって対応できる射撃戦に移行した途端、彼女の胸中に潜んでいた疑念が頭を持ち上げてきた。
ネファーレアには魔法が効いているようには見えなかった。
それに、向こうはどうも接近戦を志向しているようにも見受けられる。頭に血が上ったから……という理由だけのようには思われない。
突撃時に見せた踏み切りの力強さも気がかりであった。
考えられるのは身体強化の魔法だ。不用意に使えば後戻りできなくなるばかりか、深刻な副作用の恐れもあり、禁呪として規制がかかっている魔法系統だが……系統としては、死霊術の近縁にあたる。
あのネファーレアであれば、そういった身体強化を自在に操れるとしても、特に不思議はない。
だが、臓腑を射抜く《貫徹の矢》が直撃しても、彼女は何一つ反応を見せなかった。それは身体強化の域を超えている。
射撃戦に応じる最中、状況把握と推測を進めるほどに、貫通弾の一件がリズの胸中を強く揺さぶっていく。
――《貫徹の矢》で射抜かれても平気なのは、非生物だけのはずだ。
その、もしもに行きついた時、リズの顔が青ざめた。
そんな彼女に、ネファーレアは射撃での牽制を織り交ぜつつ、直線的で未熟ながら鋭い動きで距離を詰めてくる。
ついに接近戦の間合いに入り、彼女は握りしめた右拳をリズに放った。
対するリズは……推測の確認のため、半ば祈るような思いを胸に、右ストレートを掴んでいく。
だが、祈りは届かなかった。彼女を包み込む《光輝の法衣》とネファーレアとの間で、魔力の火花が散る。
これを認めた瞬間、胸裏を鷲掴みにされるような苦痛がリズを襲い――彼女は掴んだ妹の右腕を取って、投げ飛ばした。
飛ばされていく妹の顔目掛け、魔法の矢を何発も何発も、追撃として叩き込んでいく。
言い知れない激憤を弾に乗せて。
だが、弾の直撃を受けても、ネファーレアの陰鬱な美貌は、まったく傷つくことがなかった。
その代わりに、着弾の衝撃で別のところに変化が生じた。目深にかぶったフードが脱げ、ローブの胸元が少し開けていく。
おそらく、彼女は隠し通そうとしたのであろう。あらわになった素肌には、うっすらとではあるが魔力の紋章が刻み込まれているようだ。かすかに黒紫の気を放っている。
どこまで進んでいるかはわからない。
しかし、祓魔術が力を発揮する存在になっているのは、もう間違いない。
今のネファーレアは、純粋な生身の人間とは言えないのだ。
この苦々しい事実を前に、リズは顔を歪ませた。怒り、悲しみ、やりきれない思い。様々な感情が渦巻く。
「本当に……バカじゃないの」
口にできたのは、それがやっとであった。




