第158話 それぞれの思い②
その後、普段よりも少し遅めの夕食の席で、リズは船員の一同を集めた。
互いの関係はこれまで通りだとしても、言っておかなければならないことがある。軽く息を吸った彼女は、そのことを口にしていく。
「今日みたいなことは、これから何回も起きると思う。今回に関しては、向こうが理解のある人だったおかげで、あなたたちに危害が及ぶことはなかったけど……今後どうなるかはわからない」
昼に見せつけられた、あの一連の破壊力を思い出したのか、多くのクルーたちが顔を強張らせる。
ただ、それでも彼らは、リズにじっと視線を向け続けた。そんな部下たちに、彼女はふっと軽く息を吐き、言葉を続けた。
「私一人を殺せば済む戦いで他を巻き込もうなんて、本当に程度が低い考えだと思う。だから私も、そういうことはしたくない。戦いに赴くまでの準備段階で、あなたたちに助けてもらえれば、それだけで十分幸せだわ」
この言葉に、クルーたちの表情が複雑なものになっていく。
戦いそのものに関わったところで、リズの足を引っ張るだけだというのは、彼らも承知のことだろう。だからといって、彼女一人を戦場に向かわせることに、抵抗感を覚えているようでもある。
そうやって想ってもらえているだけでも、彼女としては十分ありがたいことなのだが。
「そう簡単に死んだりしないわ」と、彼女は笑顔で言った。
だが、そうはいかなかったケースについて、言及を避けるわけにはいかない。今がその時だと腹を括り、彼女は真剣な表情で言った。
「だけど、もしも私が死んだとしても、後追いなんて絶対に考えないでね。敵討ちなんか考えずに、私の分まで長生きして、幸せになってほしいと思うわ。素敵な誰かを捕まえて、結ばれて、子を授かって……」
そうやって言葉を重ねるほどに、場の空気がどんどんしんみりしたものになっていく。
彼女の家庭環境がどのようなものか、すでに話してしまっている以上、こういった話題で何か感じるものがあるのだろう。
だが、こういう話をしている本人としては、もう少し明るく前向きな雰囲気にしたかった。無理筋のようにも感じつつ……はたと思いついた言葉を口にしていく。
「お孫さんが女の子で、ご両親が名付けで迷っているようだったら、『エリザベータ』とでも提案してくれればいいわ。そうやって、各々が自分の幸せを掴んでいくのが、私に対する一番の忠義の証よ。よろしいかしら?」
お孫うんぬんという冗談交じりの提案を持ちかけても、しかし、返事はない。うなだれたものが少なくない中、鼻をすする小さな音も、そこかしこから聞こえる。
「返事しなさいっての」と困ったような苦笑いで促して、ようやく「はい!」だの「へい!」だの、不揃いな応答が。
とりあえず、この場はこれで良いだろうと、彼女は考えた。船を降りる希望があれば、もちろん真摯に応じるつもりだが、今のところはそういう気配もない。
一度湿った空気も、食事が始まると普段どおりのものに戻っていった。彼女が望んでいたとおりのものへと。
ただ、そういう中にあって一人、普段とはまるで違う様子の者もいる。
何かにつけ、皮肉めいた言葉で応じてきたニールが、今はどことなく影がある様子だ。一人寂しく食事……というわけでもないが、集団の輪の中にあるからこそ、微妙な影が引き立っている。
そんな彼とリズの目が合い――彼の方から視線を外した。それも、だいぶ気弱そうに。
(これは……)
彼は降りたがっているのかもしれないと、リズは考えた。
航海士がいなくなるのは、結構な痛手だ。リズの背景の諸々を伝えた上で、それでも同行するような航海士を調達するというのは、かなり厄介な一仕事となる。
だとしても、彼がそういう意向であれば、それを尊重する考えではあった。気にかけていることを疎まれるかもしれないが……何を思い悩んでいるのであれ、一度は声をかけるべきとも。
☆
夕食の後、直接本人に声を掛ける前に、リズはマルクに尋ねることにした。彼の部屋へ入り、さっそく本題を切り出していく。
「ニールの様子だけど」
「ああ、わかってる。元気がないっていうんだろ? とはいえ、俺が先に動き出すのも……と思って保留していた。リズが戻ってくるまでの間、呼びつけるのも不自然だったからな」
「確かに、そういうタイミングがなかったでしょうしね。それで……何か心当たりはある?」
「いや、ないな」
スッパリ答える彼と一緒に、リズは苦笑を浮かべた。
ただ、彼女が帰ってくるまでの間、マルクがきちんと場を収め、気を配っていたのは間違いない。彼は言った。
「他の連中も、それとなく気にかけているようだった。まぁ……実際に声をかけるのは、遠慮したんだろうな」
「でしょうね」
ニールが船長相手に憎まれ口を叩いていたのは周知の事実だ。そういう、素直とはとても言えない人物が打ちひしがれている時……周囲からかけられる言葉が、かえって追い詰める結果になる可能性はある。
もちろん、リズが話しかけても、そういう懸念はある。その上で、今から話しかけに行こうというのだ。
「帰って早々、大仕事だな」と苦笑いのマルクに、これまた力なく笑って「そうね」と返すリズ。ひらひらと手を振り、彼女はマルクの部屋を後にした。
しかし、ニールを探して船室を回っても、彼の姿が見当たらない。
(自室で静かにしているものと思っていたけど……)
かといって、他のクルーたちに彼の所在を問いかけるのも、なんとなくはばかられるものがある。
そうして船室巡りを続け、成果が上がらなかった彼女は、甲板へと上がった。
すると、彼が欄干に背を預ける格好でうなだれているではないか。マストから届く控えめな灯りが闇を切り取り、彼のうら寂れた感じを強調している。
その様子に、リズの脳裏にふと“重症”というワードが浮かび上がった。思いの外の雰囲気に、一瞬たじろぎつつも、彼女は平静を装って歩を進めていく。
気づいていないわけではないだろうが、彼は目立った反応を示さない。「隣、いい?」と声をかけても、返ってくる言葉はない。
とりあえず、拒絶はされていない様子だ。黙認があったものと考え、リズは彼の横に腰を落ち着けた。
すると、横からくぐもった声が。
「なんだよ。笑いに来たのか?」
「そういう奴に見える?」
問い返すも返事はない。そういう風に見られていないようではあるが、威勢のいい返しがないのが、やや寂しくもある。
すぐに言葉が途切れ、どことなく居心地の悪い空気に。
何をどう言えばいいのか、リズは戸惑った。こうまで打ちひしがれた人間を励ます機会は、もしかするとこれが初めてかもしれないのだ。
そこで彼女は、懸案となっていることを口にした。
「この船でやってられないっていうのなら、その意思は尊重するわ。寂しくなると思うし、後釜を調達するのが大変だけど……」
だが、これでも特に返事はない。迷っているのか、それとも別件なのか。腹は決まっても言い出せないのか。
変に急かすのも……と思い、リズは空を見上げた。依然として空模様は曇天で、見上げて面白いものではないが。
急かす気はないとしても、この沈黙がいたたまれなくはある。慣れない経験に戸惑いつつ、彼女は言葉を探し、素直な気持ちを伝えることにした。
「悩んでるなら、遠慮なく言っていいのよ? 私も、みんなに自分のことを打ち明けるのは、すごく迷ったけど……自分だけで抱え続けると、『話すか話さないか』なんて悩みまで重荷に加わって、余計に苦しくなるもの」
それでも、彼は口を閉ざしたままでいる。
しかし、普段なら「どっか行けよ」とでも言われそうではある。それがないだけでも、脈はあるのだろう。無反応をむしろ迷いと捉え、リズは最後にひと押しすることにした。
「それとも、何? 船長サマに憎まれ口叩くよりもずっと、言い出しづらい何かがあるって?」
「……ああ」
冗談交じりにかけた声に、返ってきたのは暗い返事。
それでも、話してくれる兆しのようなものは感じられる。リズは口を閉ざし、静かに続きを待った。
あの兄を前に、寒く暗く孤独な海中で過ごした数時間を思えば、なんのことがあろうか。
そうして辛抱強く待つ彼女の横で、ニールはついに根負けしたようだ。「俺の生まれは、浜沿いの何もない寒村でさ……」と、これまでの人生を語っていく。
貧しい故郷で生まれた彼は、外洋からやってくる船舶にあこがれを抱きながら育っていった。大洋の向こうに未来を求め、船に希望を見出していたのだ。
そこで、幼い頃からそれなりに目端が利く少年だった彼は、果敢にも近隣の町へと足を運び、貿易商に自身を売り込んだ。
さすがに、すぐさま取り立てられたわけではなかったが……幸いにも、相手の商人は理解のある人物だった。ニールの熱意を認め、住み込みでの丁稚として彼を雇うことに。
それから、彼は熱心に働き勉学に励み――雇用主は、そんな彼に期待を寄せ、惜しみなく勉学の援助を行ったという。
やがて彼は、晴れて航海士となった。
だが、いつまでも恩人の下で世話になり続けるのを彼は良しとせず、もっと広く世界を見てみたくあった。そうした心情を雇用主は認め、彼の出立を祝し……
恩人からの独り立ちを果たして数か月後、彼の身に悲劇が起こった。彼が航海士を務める商船が、海賊に襲われたのだ。
「その海賊って……」
「船長がぶっ倒した奴らだ」
うなだれたまま、顔も合わせずニールは答えた。
「俺の周りで何人も殺されて……俺は何もできなかった。マトモな航海士は貴重だってんで、従うなら丁重に扱ってやるって言われて、断れなくて……」
リズの横で、彼の体が震えた。少し間を開け、彼は続けていく。
「それからは……お察しの通りさ。奴らに従って、逆らえないまま、罪もない人を襲うのに加担し続けた。そんな自分が悔しくても、仲間の前で奴らの陰口を叩くことしかできなかった」
「でも……他のみんなは、そういう陰口すらできなかったでしょ? みんな、あなたの言葉に支えられてたんじゃないの?」
そう問い返すも、彼は含み笑いを漏らした。それが自嘲だと、リズにはすぐにわかった。
「連中、知ってたんだよ。俺が陰口叩いてるってこと、知ってて黙認してたんだ。そうやって、不満を解消してくれればってさ……」
下手に慰めるわけにもいかず、リズは口を閉ざした。どういう言葉をかけるべきか悩む彼女の横で、少ししてから、また言葉が続いていく。
「船長が成り代わっても、他のみんなほど胸がすく思いはしなかった。ただ単に強いだけで世間知らずな女が、気まぐれや道楽で人助けしてるだけじゃないかって……俺たちのこと、お前なんかに何がわかるんだって、そう思ってた」
「言ってくれるじゃないの」
意識して明るめの口調でリズが返し、それをニールが鼻で笑う。しかし、体の震えが少しずつ強くなっていき……彼は声まで震わせた。
「船長の過去を知って、あんな戦いを見せつけられて……今までつっかかってた俺が、ただのバカみたいで、本当にみじめでどうしようもなくなって……」
そして彼は、嗚咽を漏らし始めた。リズの横でこうしている事実までもが、なおさらに彼を苦しめているかもしれない。
自己嫌悪に陥っている様子の彼だが、リズは彼を笑おうという気はしなかった。
かける言葉には慎重に、気持ちは正直に。少し考え込んでから、彼女は言った。
「自分の境遇を笠に着て、人の人生を笑っても、誰も救われないじゃない。それよりは、笑って誰かの手助けをしたいわ。それが、カッコよくて心地よい生き方ってものでしょ? あなたも、私を見習ってそうするといいわ」
そう言って少しすると、感情が堰を切ったように、嗚咽の勢いが強くなる。むせび泣く彼の横で、リズは口を閉ざし、彼に目を向けた。
(一人の方がいいかもしれないけど……途中で放っておくってのもね)
少なくとも、彼がリズを追いやろうとする感じはない。居ても構わないのなら、そばにいようと、彼女は静かに寄り添うことを選んだ。
そうして時間が流れ……彼が落ち着いてきた頃合いを見計らい、リズは問いかけた。
「それで……これからも、一緒に働いてくれる?」
「……はい」
少し震える小さな声だったが、はっきりと聞こえた。「はい」と。
喜ぶべき返事ではあるが……あのニールが放つ言葉とも思えず、リズの頭は一瞬フリーズした。
とりあえず、前向きな返事があったのだ。これで大丈夫と考え、彼女はやや戸惑いながらも立ち上がり、声をかけた。
「こんなところで寝ちゃダメよ。ちゃんと、自分の部屋に戻ってね」
「はい」
(やっぱり、聞き違いじゃないわ……)
☆
短時間ながら恐るべき戦闘の直後、長時間にわたる寒中での我慢。前日に身体の酷使があったものの、リズの寝覚めは快適そのものであった。
こうした回復の速さと体の頑健さには、もちろん助けられているのだが……一方で、可愛げがないと思わないでもない。
ただ、体が快調な一方で、気がかりなこともある。
(ニール、大丈夫かしら)
あの場の雰囲気というものがあったのかもしれないが、リズ相手に「はい」と礼節ある言葉を返した彼のことが、何となく不安であった。航海士を続けてくれるのだろうとは思いつつも、彼の心境に何か想像以上の変化があったのではないかと。
とりあえず、寝床から起き上がったリズは、甲板へと向かった。
すると、甲板には朝からそれぞれの仕事に取り組むクルーの姿があり――
その中に懸念のある彼も。
リズの姿を認めるなり、彼は少し小走りになって駆け寄ってきた。そして……
「おはようございます」
「お、おはよう」
ある程度予想できたこととはいえ、リズは少し戸惑った。他のクルーたちは……少しニヤニヤしている。その笑みがどちらに向けたものか、定かではないが。
そんな視線の最中にあって、ニールは勢いよく頭を下げ、よく通る声で言った。
「今まで生意気な態度をとって、本当にすみませんでした」
「えっ、ああ、そう」
これまでの“生意気な態度”とやらも、船旅におけるちょっとしたスパイス程度に思っていたのだが……そんなことを言うのもどうかと、リズは黙っておいた。
やがて、彼は身を起こしてリズに相対した。心を入れ替えたというべきか、斜に構えたような態度はどこにもない。
(もしかすると、これが本来の彼なのかも)
海賊に襲われるまではこんな感じだったのかもしれないと、リズは思った。
もっとも、あえてそれを確認しようとはせず、心の中にしまっておくことに。すると、彼女の横へマルクがやってきた。
「万事解決ってところか?」
「これはこれで調子が狂うっていうか……たまにはナマこいていいのよ?」
冗談半分で口にすると、場の大勢が笑い始めた。その中心にあって、ニールは視線を外し、恥ずかしそうに頬をかいている。
ともあれ、心機一転というこの空気が好ましいことは変わりない。微笑みを浮かべ、リズは言った。
「これからもよろしくね」
「は、はい!」
それから彼女は、大勢が集まってちょうどいいと思い、今後の動きについて自身の考えを述べることにした。
「マルシエルから許諾を得る必要はあるけど……次は、噂になってる幽霊船の退治に乗り出そうと思うの」




