第15話 呪いの術中
少しの間、気を失っていたリズが次に目を覚ましたのは、宿の自室であった。
部屋の中には、主治医の姿があった。彼女が目を覚ました安堵と、それでも拭い切れない心配で揺れ動いているようだ。
また、部屋の入口に隠れるようにして、様子をうかがう若者たちも。
ぼんやりする感覚がまとわりつく中、リズはどうにか微笑みを作って通路に向けた。
ただ、彼らに背を向ける主治医、フィーネの顔は晴れない。
これは、リズの予想通りであった。部屋の空気が張り詰めたものになっていく。
リズの目覚めから少しして、フィーネは意を決したような表情になり、行動に移った。部屋の外で見守る知人たちに話しかけていく。
「ちょっと、外してもらえませんか? 重要な話があるので……」
「それって、深刻なヤツか?」
問いかけに対し、フィーネは苦渋の表情を浮かべ、しかし間は空けずに端的に答えた。
「そうなるかもしれない、という話です」
すると、若者たちはにわかに表情の深刻さを増し、一層に場の空気が重たいものに。
ただ、彼らはフィーネを煩わせることもなく、素直にその場を後にした。「治るよな、先生」と、さして年も違わない医師に言葉を送って。
彼らをしめやかに見送った後、フィーネはリズのベッドに近づき、傍らのイスに静かに座った。
すでに気持ちの方は固まっているらしく、前置きのようなもの無しに、彼女は打ち明けていく。
「何らかの、呪法の痕跡を感じます」
「……そうですか」
フィーネにそういう知識があるというのは、驚くべきことではない。呪いや瘴気等、悪しき気が転じて毒となることはままある。医師、特に薬師と呪法の関係性は中々深いものだ。
ただ、彼女は医者としてはかなり若い部類に入る。その点については感心しているリズだが……あまりノンキなことを言っていられる状況でもない。
「金の恨みですね」と彼女は口にした。
呪われる心当たりとして、フィーネも信じそうなものを口にしたのだが、この言を疑うような気配はない。偽金関係で敵対する者に、リズは呪われたのだと。
もちろん、これは本当の理由ではない。呪われているとして、何か別の理由があるはずだが……
それを考える前に、本当に呪われているかどうか、確認する必要がある。
そこでフィーネは立ち上がり、リズの承諾を受けた上で、彼女に魔法を行使した。横たわるリズの上に、全身をすっぽり覆う大きさの魔法陣が刻まれていく。
この魔法は、リズも知っているものだ。名は《呪毒相写法》と言う。魔法陣を皿に見立て、その上に患者の中の毒や呪いを写し取っていく働きをする魔法だ。
思いがけず高等な魔法を目の当たりにし、リズは驚いた。
もっとも、彼女のように専門を気にせず覚えていくのなら難度の高い魔法だが、専業の呪術医としては中等魔法ではある。
さて、そんな専門性の高い魔法を操るフィーネはというと――顔を青ざめさせた。魔法の使用からくる負担によるものではない。
その顔が、自分の身にロクでもないことが起きていると、リズに知らせた。
その上で、彼女は自身に巣食う病魔の模写に目を向け……うんざりするような思いに囚われた。
呪いというのは、基本的には魔法の一種だ。
そして、リズの体内にいるであろう呪いは、何種類いるのか判別もできないほどに、雑多な種類が混ざり合うコロニーを形成している。
これは、解呪する上で大変に厄介である。なぜなら、一つの呪いに焦点を定めて解いていくのが、一般的な解呪の手順だからだ。
癒合した呪いを解いたと思ったら、重なり合っていたそれぞれの呪いが変性し、かえって厄介なことになることもしばしばである。
フィーネを苦しませているのは、おそらくこの乱雑さが原因であろう。
一方、リズはまた別のことを考えていた。呪いと症状が表に現れた理由。
そして、いつどのように仕掛けられたかだ。
まず、具合が悪くなった理由は、だいたい見当がついた。山での戦闘、長老の掃除、今朝の講習会……
そうして魔力を使い、少し弱ったところ、もともと内部に潜んでいた呪いが勢いづいたのであろう。
しかし、いつ呪いを?
(いや、考えてみれば、そう不思議なことじゃないわ……)
宮中においての生活で、呪いを仕込めそうなタイミングは食事だ。呪法を込めたブツを、食事に混入。
当時、同僚のメイドたちと一緒に食事をとっていたリズだが、彼女一人を狙い撃ちすることはできただろう。
だが、別にリズだけに狙いを定める必要はない。他のメイドも巻き込んでしまえば、リズに疑いを抱かせることなく事を済ませられる。
もちろん、そのようなことをすれば他のメイドも犠牲になるであろうが……
リズが考えた手口では、ここからが要点である。
彼女は、呪いとともに、その力を中和・拮抗する霊薬も、食事に仕込まれていたのではないかと考えた。
そうすれば、宮中にいる限りは呪いを体に溜め込みつつも、それが症状として露見することはない。
そして、リズが追放されたのなら、何か理由をでっち上げて無辜のメイドたちを解呪してやればいい。国賊と関わりがあったから、お祓いを……だのなんだのと。
山中の逃走劇における相手の追跡も、事前に呪いが仕込まれていたと考えれば腑に落ちる。呪いの影響下にある相手の足取りを追うことは、相応の術士であれば十分に可能である。
ましてや、王位を争うレベルの呪術師ともなれば。
もちろん、リズの憶測が完全に合っているという保証はない。
ただ、病床で思考が少し鈍くなっている彼女でも、十分に手口を考えることができるのだ。
連中に、できないわけがない。
そうして急に色々考えることができたリズは、治すために何をすべきか考え、フィーネに声をかけた。
「どう思われますか?」
「……ごめんなさい。私の腕では、解呪は……」
リズとしても、そこまでは望んでいない。
というより、ここまでグチャグチャに絡み合った呪毒のコロニーは、仕掛けてきた連中であってもお手上げだろう。
早い話が手遅れである。
ただ、それは一つ一つを丁寧に片付けていく場合の話だ。
幸いにして、敵方が露見のリスクを抑えていたおかげか、個々の呪いの強度は低い。
「まとめて浄化するような物品は……やはり、難しいでしょうか」
「この町には……ごめんなさい。そのような必要がないものですから」
「いえ、それはそれで良いことです」
このような呪いへの備えがある町だったら、それはそれで困りものである。
とはいえ、個々の解呪が難しい以上、道は一つ。強度の高い浄化薬などで、まとめて呪いを薙ぎ払うしかない。
その素材を調達しないことには……悪化覚悟で、解呪に踏み出すしかない。
そこでリズは、自身の広大な記憶の回廊を巡り、何か情報がないかと探し始めた。
少しして、それらしきものに突き当たり、彼女はフィーネに問いかけた。
「このあたりに、竜が住んでいらっしゃるものと……文献で、目にしたことが」
「えっ? ええ、馬を飛ばして半日という距離ですが、確かに御座します。もしかして……」
「何か、お恵みいただければと」
清浄な気を食べて悠久を生きる竜は、それ自体が神聖な存在である。その血、骨、牙、爪……つまるところ体のわずかな末端の一部でさえ、強力な霊薬の素材となることは、よく知れた話だ。薬医ともなれば常識である。
竜の慈悲に縋るという考えについて、フィーネは即座に否定こそしなかったものの、かなりためらう様子を見せた。
「件の竜は……恐ろしげな噂こそありませんが、単にみなが恐れて近づかないだけとも。些細なことでお気に障りでもしたら、その場で命を落とすことにもなりかねません」
「ですが、他に道があるようには思えません。体が動く内に、そちらまで伺おうと思います」
大した悲壮感も見せずにリズが言い放つと、神妙な顔のフィーネは、視線をそらさずにまっすぐ見つめた後、不安の中にも決然とした意気をにじませた。
「わかりました。行きましょう」
「……それはつまり、あなたも?」
「あ、当たり前でしょう!? 病人だけ行かせて残る医者なんていません!」
ほんの少し憤慨したように答えるフィーネ。
リズとしては、竜の機嫌を損ねれば命の危険があるだけに、フィーネまで連れていくことにはためらいを覚えた。
ただ、考えることは同じようだ。
「リズさんは、できればここに残って……」
「まさか。実際に施される者が頭を下げてこそ、先方への礼となるでしょう。あなたにそれを代行させて、何かあったのなら……私には耐えられません」
「でも……」
「あなた、この町に必要な人材でしょう?」
言った後で、これは言いすぎたかも知れないと、リズは反省した。目の前の患者とこの町を天秤にかけさせたようだと。
言葉もなく黙りこくるフィーネ。気まずい沈黙が流れる中、リズは意を決して声をかけた。
「一緒に行きましょうか。二人で頭を下げれば、多少の不機嫌でも追い返す程度で済むかもしれません」
「……わかりました」
「つきあわせてしまって、ごめんなさいね」
いつになく力ない表情で謝るリズに、フィーネは気を取り直したかのような、頼もしい笑みを浮かべた。
その顔を見て、リズは思う。
(何かあったら、彼女だけでも無事に帰さなきゃ……)




