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第156話 帰還

 届きもしない獲物に向かい、大魚は力強く泳いでいく。

 静かにじっと息を潜めていたのから一転、水中を弾丸のように泳ぐ大魚にしがみつくだけで、相当の体力を奪われていく実感がリズにはあった。

 それに、息を止めるにも限度がある。直進するだけとは言え、遠慮のない泳ぎっぷりが、一層に彼女の余裕を奪っていく。


 そこで彼女は一計を案じた。手綱代わりの《霊光(スピライト)》を海面へ向ける。

 これに魚は即応し、斜め上へと舵を取った。そうした魚の反応に連動し、彼女は上に進むほどに、光量を少しずつ落としていく。

 やがて、海面らしきものが見えたその時、彼女は《霊光》を完全に解き――

 次の瞬間、大魚はしがみつくリズもろとも、海面から跳ねた。


 この、海面から顔を出したわずかな時間に、彼女は周囲へと素早く視線を走らせた。

 すっかり暗くなった中、周囲に船舶らしきものはただ一つ、彼女の船だけがある。夜間用に灯りをつけているようで、船のシルエットが夜闇に浮かんでいる。

 昼過ぎから始まった戦いは、海を挟んでの(にら)み合いで数時間経過していたのだ。

 ようやく外界に触れて、彼女は確かな時間経過を実感した。


 そうして状況把握と息継ぎを済ませるや否や、大魚と彼女は再び海中へ。すかさず光を用意し、彼女は大魚の誘導に入った。

 ラヴェリア船が周囲にいないのは間違いなさそうだが、それでも不安はあった。念には念をで、彼女は大魚を使った帰還方法を続けることにした。

 新たな空気を吸い込んだ彼女を伴い、大魚は光に誘われて潜航していく。

 とりあえず、そう遠くないうちに帰還できそうである。少なくとも、これまでの我慢比べを思えば、間近と言える。


 そこで彼女は、船のどちら側に出るか、あらかじめ伝えておくことにした。

 決闘の開始時点では、互いの船は戦場に横向きになる格好で向かい合っていた。船首を向けるよりは、そちらの方が互いに観戦ないしは監視に適していたからだ。

 彼女は、自身に対して横を向いている船の、奥側に浮上することに決めた。離脱したはずのラヴェリア船が、実は回り込んでいたとなれば裏目だが……そうでなければ、より安全と考えてのことだ。

 それからも大魚はずんずん海中を進んでいき――


 リズは海中から自分の船の船底を仰ぎ見た。

 これが事実上のゴールラインである。

 そして……ゴールの向こう側の海面が、きらきらと光り輝いている。

 その光の正体は、問うまでもなかった。


 冷え切った体の内から、じわっと熱いものが(あふ)れるのを覚えつつ、彼女は光を操って大魚を海面へと差し向けていく。

 ついに海から頭を突き出すなり、彼女は大きく息を継いだ。海水で濡れた目に、辺りを照らす無数の光球が映り、揺れ動く。

 光で照らしてくれているのは、魔法に覚えがある面々だけではない。彼女はそのように直感した。

 そして、彼女へ近づく音が。誰かが、泳いで近づいてきている。その音の方向へ、彼女は目を向けた。


「アクセル!」


 接近しているのは、魔法を使えないはずの、あの彼である。《空中歩行(エアウォーク)》を使える誰かを駆り出せば、お迎えも楽だろうに。

 しかし、彼女は余計なことを言わないでおいた。

 やがて、彼はリズのすぐ間近まで来ると、感極まったような顔で口を開いた。


「こ、こんな時まで見てるだけなんて、そんなのイヤですよ!」


「だと思ったわ」


 彼は胴体にハーネスを装着しており、船とはロープで(つな)がっている。これで二人を引き上げようという寸法だろう。

 照れ屋という印象がある彼だが、今回は迷わずリズを抱きしめた。

 冷え切った体に、温かなものが伝わってくる。間近には人のぬくもり、遠くからは帰還を迎えてくれる光に包まれ、彼女は言った。


「人間って、あったかいわね」


 しみじみとした言葉に、しかし、彼からの反応はない。互いに抱き合う格好のまま、顔が見えない。

 やがて、ロープが引っ張られる感触が伝わってきた。


(このまま無言だと、なんとなく彼の方が気まずく感じるかも……)


 などと思った彼女は、どうでもいい話を持ち掛けることに。


「あの魚にも、色々と迷惑かけちゃったわね」


「……それは、そうですね」


 リズを運んでくれたあの大魚は、光差す海面で大きくぐるぐると旋回しているところだ。大量の食事にありつけるものと本能が判断しているのだろう。

 利用した側としての罪悪感が少し芽生え、リズは言った。


「後で、何かエサでもあげましょうか」


「そうですね。恩がありますし」


「ただ……別の機会に、誰かが釣っちゃうかもしれないけど」


「また、そういうこと言って……」


 ちょっとイイ感じの話をすぐ台無しにしたリズの耳に、呆れたようなため息の音が聞こえた。彼の気分は(ほぐ)れたようだ。

 後は、甲板のみんなである。


 ロープで引き寄せられ、船にほど近くなったところで、今度は甲板から近づいてくる人影があった。辺りを照らす温かな光を背に、ニコラとセリア、そしてマルシエルからの出向者たちが近づいてくる。

 《空中歩行》を使える面々が、引き上げを手伝おうというのだ。


――だったら、最初からこのメンバーで回収に向かえば……と思わないでもないが、リズは思うだけに留めた。

 おそらく、アクセルが一番手の回収要員になると言い出し、マルクたちがその意を汲んだのだろう。

 なんであれ、後事を託した仲間たちの選択であれば、言うことは何もなかった。

 それに……いずれもが心配そうな表情をしつつも、リズを目にするなり、少しずつ安堵で塗り替えられているのだから。


(……なんか、カッコつかない感じはあるけど)


 大事を取ってということか、彼女の両手両足にそれぞれ一人ずつ配され、しっかりと保持した状態で、上へ上へとゆっくり運ばれていく。

 アクセルはお役御免で、一人だけロープで引き揚げられる格好に。リズと目が合うと、彼は力なく笑ってみせた。


 そして、ついに帰還を果たした船長の下へ、クルーたちが我先にと駆け寄ってきた。

 彼らが、つい最近覚えたばかりの《霊光(スピライト)》で、海を照らしてくれたのだ。

 未だに慕われているのは疑いようもなく、そのことを内心喜びつつも……今まで隠し、(だま)してきた部分についてはどう思っているのか、リズは不思議に思った。

 そこへ、マルクの声がかかる。


「ほれ、散った散った。あんまり寄ると次が困るぞ」


 そう言う彼の後ろでは、クルーが数人がかりで酒樽を一つ運んでいるところだ。

「帰還祝い?」と尋ねるリズだが、彼は首を横に振った。


「フロだ。体が冷えてるだろうと思って」


「……ちょっと恥ずかしいわね」


「いや、着たまま入ればいいだろ」


「それもそれでどうなの?」


 とは言いつつ、海中から揚がったばかりのリズは全身濡れねずみで、夜の空気が一段と寒く感じられる。赤道近くの南国海域というのが救いか。

 意地悪くも吹いてきた一陣の夜風に、彼女はブルリと体を震わせ……あまり遠慮のないニコラとセリアが、彼女を担いだ。抵抗する気も起きないまま、彼女は風呂代わりの酒樽へ。

 皆が見る前で服を着たまま風呂に入るという、倒錯感のある状況に尻込みした彼女だが……冷え切った体に、優しく包み込む湯の暖かさは、抗いがたい魔力があった。すぐに顔が(ほぐ)れていく。

 しかし、これはこれで、問題がないこともない。


(真面目な話をしなきゃ……とは思うのよね)


 一応、皆は未だに船長として認めてくれているようだ。帰還して以来、場の空気はそういう感じがある。

 とはいえ、改めて確認する必要はあった。そうするのが責務だとも。


 しかし……酒樽から首を出した状態で話すような内容だろうか?


 傍目に見た自身のファニーな外見を思い、リズは閉口した。

 そんな彼女へ、代理船長から声がかかる。


「何か言いたげだが」


「……そうね。こんな状態だけど、ちょっと聞いておきたいことがあって」


「リズが、この船の船長にふさわしいかどうか……というか、この船長の下で働きたいか、だな?」


 決戦に臨む前、その件をリズは口にしていた。マルクからすれば、造作もない読みなのだろう。

 あの当時とは違う面もある。実際にリズがどういった連中――ないし、お方々――から命を狙われているのか、本当に戦っているところを、このクルーたちは目の当たりにしたのだ。

 やっていけない、ついていけないと感じるのは、むしろ自然だろう。そう考えたからこその問いだが――


 船長が浸かる酒樽の前、クルーたちは静かに座っている。緊張と安堵入り混じる雰囲気だ。ニールを始めとする反抗的だった連中も、今は神妙な表情だ。

 というよりも、彼はどことなく打ちひしがれたような気弱げな感じで、それがリズには不思議に思われた。

 ただ、少なくとも、この場の一同からは自分に対する拒絶感を向けられていないことを、彼女は感じ取った。

 そして、こうまで自分が受け入れられている雰囲気に、彼女は悩んだ。


 と、その時、「船長からのご質問だぞ」とマルクが言った。

 クルーたちに促す言葉の調子は、実に場に馴染んだ感がある。任せてよかったと思うリズの前で、クルーたちは互いに顔を見合わせていく。

 やがて一人が立ち上がり、大きく息を吸った後、彼女を真っ直ぐ見据えていった。


「あんなすさまじい戦いを見たのは、生まれて初めてで……船長に付き合ってると、俺たちも死にかねないとは思ったんです。でも……そもそも、船長は俺たちの人生を救ってくれたじゃないですか」


 これは、決して大げさな発言ではない。

 そもそも、海賊船と遭遇した際、拿捕(だほ)するという対応はハイリスク・ハイリターンだ。自身と船艇という一財産を危険に(さら)してまで、もう一隻を海賊ともども抱え込もうというのだから。

 実際、このクルーたちと出会ったあの日、海賊船は二隻だった。内一隻は軍艦からの砲撃で沈んでいる。

 一方で、彼らは船まるごと確保された。当時のリズには、彼女なりの打算が色々あったとはいえ、それに彼らは助けられたのだ。

 似たような者がきっと大勢死んだであろう、すぐその近くで。


 ただ、彼女が救ったのは、命ばかりではない。最初の一人を皮切りに、次々と思い思いの声が上がっていく。


「船長の下で働いて、海賊船をとっ捕まえて……同じような思いをしてきた連中を、少しでも救えているのが嬉しくって……」


「海賊に一泡吹かせる、手助けをできてるのもな!」


「そうそう!」


 つまり――懲役や禁固代わりの労役ではあるが、彼らにとっては、人生のこれまでを克服していくような経験になっているのだ。

 それから不意に言葉が途切れ、一同は船長にじっと視線を送った。

 救ったという事情抜きにしても、リズ一個人への憧憬などがあるようだ。

 そんなクルーたちを前に、彼女は急に照れくさくなった。

 ただ、こうまで言ってもらっている以上、やはり改まって何か言わなければとは思う彼女だが……


「どうかしたか?」


「何かイイことを言おうと思ったけど……さすがに、タルに入ったままっていうのもね」


「それはそうだ」


 すると、甲板が笑いに包まれた。せっかくの無事の帰還、格好がつかないとは思いつつ……


(こういうのもいいわね……)


 狭い湯船に浸かり、リズは満足げに空を仰ぎ見た。

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