表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
158/429

第155話 逃げるが勝ち

 身を切る冷たさの海の中に、光はほとんど届かない。聞こえる音といえば、自身の内から響く鼓動と、あたりを巡る潮流らしき水の音程度。

 ただただ孤独な環境の中、リズにとって問題なのが、時間経過を知らせるものが何もないことだ。

 外部への(つな)がりは《別館(アネックス)》があるが、これは一方通行である。仲間たちを不安がらせまいと、定期的に何か一言は送るようにしているのだが……

 反応が返ってこないのは、仕方ないとしても、少し寂しくはあった。


 海に潜ってからどれほど経ったのか、彼女にはわからない。相当の時間が過ぎたのは間違いない。

 それでも、あのベルハルトが海上にいる。彼女にはそれがわかった。

 相手の手に、海中深くまで届き得る武器――おそらくは槍――が握られているという推測はあるが、気配はあっても動きはない。

 短い間に海を荒らし回ったのとは打って変わって、今はただ静かなものだ。


 彼が引き返すこともなく、海へ仕掛ける素振りも見せないこと自体は、リズを少し安堵させた。おそらく、あちらは自分を見失ったのだろう、と。

 事前の話では、リズを殺したくないとしつつも、戦ってみたいと考えていたとのことであった。

 そんな彼が、海の中に妹が潜んでいる気配を察したのなら……慈悲を見せる可能性がないとは言い切れないが、やはり攻撃してくるのではないかと思われる。


 そして――これは、リズが帰還できない理由でもあるが――ラヴェリア側は、間違いなく彼女たちの船に注意を向けている。甲板の様子を望遠鏡で監視するぐらいのことはするだろう。

 《別館》で、まずは「落ち着くように」と釘を差したのも、相手に気取られないようにするためだ。

 仮に、ここで戦場を放棄して逃げようものなら……その様は相手の知るところとなる可能性が高い。そうなれば、ベルハルト一個人の意向はどうあれ、先の流れは読めなくなる。

 となると、相手が先に帰還し、この海域を離れるまで、リズとしてはここに留まり続けるのが上策であった。


 しかし……凍えるような海中に潜み続けることは、彼女の体力を少しずつ確実に奪っていく。

 あの兄と本気の殺し合いをするよりは随分とマシではあるが、下手をすれば自滅になりかねない。


(もしかしたら、相手もそれを恐れているのかも……)


 殺したという明確な証拠がないままに戦場を離脱し、後から標的の死亡が確認された場合、ベルハルトの手柄となる可能性は高いだろうが……物言いが入って、勢力間に紛糾が生じる恐れはある。

 そうなると、先に引き下がった側としては、色々と困ったことになるだろう。


 とはいえ、彼女としては、自分の生死を判別することがラヴェリア側で問題になる可能性は低いと見ている。

 こんな海域にまでベルハルトがやってきたという事実は、リズの居場所を相当正確に把握できる何かがあることを、ほぼ確実視させるものだ。なにしろ、彼女は洋上で動き回っていたのだ。

 加えて、ベルハルトには諸々の事情から来る時間制限もある。もっとも、他にも色々と任務を抱えての遠征であり、リズの捜索が空振ったとしても、手ぶらでの帰還にはならない予防線はあるが……

 いずれにしても、こうした諸々の条件下でリズたちを捕捉できたというのは、諜報力どうこうという問題ではないように思われる。

 やはり、魔法や呪術的な手法による探索・捕捉方法があるのだ。それも、大陸を離れても機能するようなもので――大列強の王子に、こんな外海まで遠征させるだけの確度があるものが。

 リズが生まれたときからそうする(・・・・)つもりだったとすれば、物心つかない内にそういう呪法や契約を仕込まれた可能性はある。


 さて、相手がそういった手法でリズを探知できるのなら、その生死も感知し得るのではないかと彼女は考えた。 

 ある意味、彼女にとっては都合のいい想定である。生死を判別するためだけに、相手側がここに留まることはないと言えるのだから。

 つい先程知った兄のレガリア、《夢の跡(イクスドリーム)》の存在も、生死判別で困らないのではないかと考える根拠の一つになっている。


(まぁ、私を殺したとして、本当に何かを得られるのか知らないけど……)


 ともあれ彼女は、相手側は自分の生死をさほど労せずに把握できるのではないかと考えている。

 さらには、こちらの生死を感じ取れるであろう兄に、この場は見逃してもらおうとも。

 それが、「殺したくはないが戦ってみたい」だの、武器を手にしつつも「生き延びろ」などと言い放つ、あの難儀な兄にとっても都合のいい選択だと信じて。


――そうした読みが当たった。あるいは、願望が(かな)ったと言うべきか。


 リズ自身、何時間経過したかも曖昧になった頃、海上にいる兄に動きがあった。この場を立ち去ろうとしているように感じられる。

 これまでよりも大きく、彼女の心臓が大きく拍動した。海上での変化を感じ取り、自分もこの場を離れてしまいたいという衝動が沸き起こってくる。

 早く、仲間たちのもとへと帰りたいという気持ちはある。これまで色々と隠し通してきた件について、クルーたちからの審判が待つが……それはそれだ。


 しかし、彼女は辛抱強く、心を落ち着けた。

 兄の動きは、結局の所、単なる駆け引きでしかないのかもしれないのだ。気を持たせて、我慢できなくなったこちらの動きを捉え、何か仕掛けようという算段なのかも。

 彼女は離脱の機に飛びつくことなく、詰めを誤らないように精神の平静を保ち続けた。


 兄が去っていく動きを感じ取り、彼が戦場から離脱したものと認識してから、リズはさらに時間を重ねた。兄だけでなく――というよりはむしろ――ラヴェリアの戦艦にこそ、この海域を去ってもらいたいのだ。

 さすがに、船までの動きは感知できず、結局は辛抱強く時間をかける程度のことしかできないが。


 やがて、頃合いを見計らい、彼女はこの場を離れる決意を固めた。

 しかし、何も自力で泳ごうというのではない。自分の船までの距離は遠く、体力が持つかどうかは彼女も確信を持てない。

 何より、潜水したまま泳いでは息が続かない。かといって浮上すれば、それを相手に見られる恐れがある。


 そこで彼女は、腹案を実行することにした。前々から、そういう逃走手段の考えはあったのだ。《別館》を通じ、船の面々に今から帰還する旨を伝達。

 次いで、彼女が海中に作り出したのは《霊光(スピライト)》の魔法陣。

 もしかすると、これを感知されるのではという懸念はあったが……それでも、浮いてから《空中歩行(エアウォーク)》するよりはマシであろう。

 海中に光を灯し、彼女は静かに時を待った。厚みのある暗い水の壁に阻まれ、魔法の光も遠くにまでは届かない。すぐ闇に呑まれてしまう光は、リズを中心とする球を成し、それが一層に世界から切り離された感を助長する。


 そんな隔絶された空間の中へ、客が近づく気配があった。

 この状況でリズが想定する来客は2通り。光る奴と、光らない奴。近づく気配は後者の方だ。

 彼女は身構え、《超蔵(エクストレージ)》の虚空に刺した鞘から、大きく息を吸い込んだ。

 すると、近づいてくる気配の輪郭は、光に照らされて急激に明瞭なものへ。


 これまで何度も捕らえてきた、例の大魚である。


 光に向かって直進するこれを逃すまいと、リズは細心の注意を払って素早く動いた。まずは光量を急激に抑えると、急に獲物を見失った大魚の困惑が動きに現れる。

 その動きの緩みを見逃さず、彼女は自身のすぐそばまで来た大魚を両足で挟みこんだ。

 下肢に力を込める一方、鞘は虚空から抜き取って腰へ。先が欠けた鞘に《インフェクター(汚染者)》を滑り込ませ、彼女は両手でも大魚にしがみついた。

 さすがに、まとわりつかれることを良しとしないらしく、大魚はリズを振り落とそうと、水の中でのたうち回る。


 全身を打つ水の壁に引きはがされそうになりつつも、彼女は必死に食らいつき、次の動きに移った。先に作った《霊光》はそのままに、別の一つを、進みたい方角に描き出す。

 すると、彼女の思惑通り、大魚はそちらに食いついた。自身にしがみつく何者かよりも、そちらの光に強く反応しているようだ。のたうつ動きがすぐに収まり、全身を躍動させて光の方へ。

 しかし、光には届かない。常に一定間隔を開けて光が先行するよう、リズが操っているからだ。鼻先にニンジンを吊り下げられた馬のようなものである。


 こうして彼女は、さしたる負傷もないまま、ついに戦場を後にした。

 直接戦闘では負けだが、生き延びれば、彼女にとっては勝ちである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ