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第153話 幕切れの内幕で

 海の上を歩いていったベルハルトは、艦へと帰還を果たした。

 一見して無傷とわかる王子の還御に、まずは安堵を示す官吏たち。

 だが一方で、彼らには隠しきれない戸惑いが(にじ)んでいる。その理由を承知の上、ベルハルトは言った。


「時間だ」


「時間と言いますと?」


「1ヶ月前、今頃の時間に、私は挑戦権の行使を宣言した。時間単位で管理するほど、厳密なものでもないだろうが……前例になるかと思ってな。暗くなれば、不測の事態の恐れもある。ここで手控えるのが得策だろう」


「しかしながら、殿下……」


 何か言いかけたものの、その若い官吏は逡巡(しゅんじゅん)して口を閉ざした。具申すべき何かがあるのだろうが、しかし、明らかにそれをためらっている。

 言われずとも、ベルハルトにはわかっていた。


「生死は後日調査すればいい。明らかに死んでいないとわかれば、私が仕損じたというだけの話だ。もっとも、エリザベータが死んだという感じはないが」


 正直な言葉にどよめく官吏たち。

 そんな……大半は他部署所属であるお目付けたちを前に、彼は「君たちにとっても悪い話じゃない」と切り出した。


「私はエリザベータと戦い、向こうはほぼ防戦一方だった。君たちもそれは見ていただろう。結果、彼女は海中に没し……死んでいないのだとしたら、そこでやり過ごすことしかできなかった。一方で、私は刻限までに仕留めきれず、退散した」


 ここまでは客観的な事実と言える。言葉自体を疑問視する者はいないが、話の流れに落ち着かない様子ではある。

 そうした場の様子を認め、彼は続けていく。


「私が深追いしないで済ませる奴だというのは、軍の関係者には広く知れた話だ。珍しい話ではない。もっとも、事情が事情だけに、この一件で私の格が落ちるかもしれないが……これまでの刺客と違い、私は彼女を圧倒し続けた。それは事実だ。その上で彼女が生き残り、他の兄弟が見事に打倒したのなら、かえって箔がつくというものではないか」


 この発言にも反論はないが、抑え気味の表情でハッとする者が数名。

 名高い英傑でさえ仕留めきれなかったという事実は、次なる王者への声望を増すことになる。たとえそれが、一般大衆には知られない真実だとしても……継承競争に関わるほどの重臣、高官には知れることとなる。

 そうした国策に携わる者の間で、次代の王への尊崇の念が確固たるものになれば、それは国にとって大きな財産となろう。

 ベルハルトの言を、逃げや負け惜しみと批判する理屈もあろうが……少なくとも、この場の文官たちは、誰もその考えを否定しなかった。

 そしてもう一つ、彼は付け足していく。


「私が勝てば、軍部が勢いづくだろうな。国民もそうだ。きっと、みんな戦争をしたくなる。大勢の期待通りに、強い奴が王位についたのなら。その上で、私がおとなしい言動でもしようものなら……」


 言葉を切り、彼はため息交じりに「みんな、どう思うだろうな」と言って言葉を結んだ。

 彼自身、そうなった場合に国がどうなるものか、これと言い切る自信はなかった。

 ただ、それはきっと大きな賭けになると、そう思っているだけである。


 最初は戸惑い気味だった官吏たちも、王子の提言には政治的な合理性や妥当性が高いと認めたようだ。

 そもそも、この場にいる官吏のうち、大半は文官であり……さらに言えばベルハルトの弟妹に仕える勢力の者だ。文官以外は、彼の思惑を知る数少ない武官である。

 そうした集まりを前にし、外征担当の第二王子は、内政担当の弟妹が上に立つことを肯定的に考えていると(ほの)めかしているのだ。

 官吏たちからすれば、異議を唱えようはずもない。

 その戦闘力から、長兄と甲乙つけがたい次期国王候補と目されるベルハルトが、標的と実際に戦った上でこのように話しているのなら、なおのことである。

 官吏たちが自身の提言を了承したものと認識しつつも、彼は念のために言った。


「今回の件を公言する諸君とは思わないが、上への説明責任はあるだろう。言うまでもないことだが、それぞれで齟齬(そご)が出ないように、な」


 つまり、多部署からなるこの集まりで、うまく擦り合わせよと釘を刺しているのだ。

 武力で知られる王子のイメージには似つかわしくない発言に、幾人かがやや真顔で呆気に取られている。

 ただ、申し合わせに対する反論の声は上がらない。下手をすれば、部署間のみならず、王室の兄弟間にまで悪影響が生しかねないからだ。

 それに、それぞれの勢力ごとに、継承権者を立てて競い合う面は確かにあるが……ベルハルト以下の、内政畑の弟妹と各勢力は、思想的に重なり合う部分が大きい。

 そうした事実を踏まえれば、この王子が口にした予想外のお言葉に背いてまで、自勢力としての独自性を出そうという理由はない。


 少なくとも、この場の面々はそのように考えたようだ。口に出ることはないが、互いに暗黙の了解が出来上がったように、無言で視線を交わし、うなずき合う。

 やがて彼らは、息を合わせたように、乱れのない所作で王子に恭しく頭を下げた。

 これで面倒は起きないだろう……ベルハルトはそのように考え、軽くため息をついた。


「この戦いについては以上だ。海賊船を押し付けられたことだし、すぐに港へ向かうとしようか」


「……殿下。もしや、最初からそのおつもりで、お引き受けになったのでは?」


「それだけではないというのは、君たちも承知の事とは思うがな」


 実際、海賊船の扱いについて議論を重ねた上で結論に至っている。処理を任されるだけの正当な理由が、他にもいくつか確かにあるのだ。

 疑義を呈した官吏は、それ以上の発言を控えて深く頭を下げた。

 他に意見が出ることもなく、船を動かす流れに。


 官吏たちが船室へと戻っていく。そんな中で、ベルハルトは甲板で静かに(たたず)んでいた。


「殿下」


「すまない。少し、一人にさせてくれ」


 この場では数少ない、直接の配下である武官に、彼は少し気弱そうな笑みを浮かべて言った。

 主君への信頼と心配、双方があるのか、武官は言葉を探す様子を見せる。少しして、彼は主君に口を開いた。


「あまり長居なされませぬよう」


「ああ」


 そうして一人になったベルハルトは、船の縁へと向かっていった。

 中核部にある魔力の炉へ火が入ったらしく、足元からのその鼓動が伝わってくる。じきに、この戦場から離れるだろう。

 少しずつ動き出す船の上から、彼は妹と戦った場所を眺め……右手に目を落とした。


 《夢の跡(イクスドリーム)》に、新たな物が加わった感触はない。

 しかし、その点一つを以って、リズの存命を断言することはできない。

 仮に彼女が死んだとしても、直接殺めたとは言い難い状況。追い詰めて間接的に相手を殺したという経験がない彼にとって、自身のレガリアがどう機能するかは未知数だ。

 それに、リズの愛用の得物がわからない。魔導書と断定するには、彼女は割と気兼ねなく書を犠牲にしていく。特定の愛用書などは無いように、彼は思った。

 だとしたら、彼女を殺しても、得物は引き継げないかもしれない。

 加えて、この《夢の跡》が、王族の殺害時には機能しない可能性もある。相手の”秘めたる武具”には、継承や略奪ができないのではないかと。


 それでも彼は、リズから何一つ奪い取れなかった事実を、彼女が生きているものと解釈した。

 そうあってほしいという願いも、疑いようもなくある。


 見つめた右手がかすかに震え、彼は右手を握りしめて再び海を見やった。

 仮に妹を殺してしまったのなら、その時は責任を果たす覚悟があった。

 だが、彼は自身のことを、王位にふさわしい者とは考えていない。より正確に言えば……


 自分を国王として戴くラヴェリアの未来を、彼は信じることができないのだ。



 時は遡り、リズが海中に没して間もない頃。ベルハルトは、さしたる変化を認められずにいたが――

 リズの船では、それなりに騒動が起きていた。

 激戦がにわかに止み、敵が静かにその場で佇んでいる。それが意味するものに、クルーの多くは激しく狼狽(ろうばい)し、取り乱した。


「た、助けに行かないと!」


「見てるだけでいいんですかい!?」


 リズから後事を託され、船長代理となったマルクに、数名のクルーが血相を変えて声をかけた。その声音には、どこか責めるような響きさえある。

 マルク自身、この状況に心に落ち着かないものはあった。近しい仲間も、普段ほどの冷静さはない。

 マルシエルからの出向者らも同様だ。もしかしたら、あの王子も配慮してくれたかもしれない一騎討ちという形式のおかげで、かの国にまで飛び火する心配はないだろうが……

 それでも、この出向者たちが、リズという一個人を強く案じているのがそれとわかる。

 この状況にあって、誰もが心を揺さぶられている。

 そんな中にあって、彼はふと、状況の主役の顔を思い出した。脳裏で彼女が、どういうわけか、イイ笑顔を向けてきている。


(これで、うまくまとめきれないようだと……本当に、笑われるな)


 一度深呼吸をした彼は、託された責任を胸に、クルーたちに向かって声をかけた。


「まずは落ち着け。ここで俺らが動いて、向こうが黙認するはずはない。邪魔立てすれば、揃って海の藻屑だ」


「だ、だからって……」


「リズが一人で立ち向かっていった意味をよく考えろ。信じて待つのが俺たちの仕事だろ? 留守番して、彼女が帰るところを守ってやるんだ」


 そうやって教え諭す一方、クルーたちの様子から、彼らが今もリズを船長として敬愛していることをマルクは悟った。

 今の姿を見せてやりたい、とも。

 しかしながら、その願いは通じない。彼女とマルクたちとの(つな)がりは――


 今は、一方通行のものしか残されていない。


 後事とともに託された一冊の魔導書を、マルクは皆に見えるように甲板に置いた。

 恐る恐る(めく)ると、最初の1ページ目には……何も記されていない。


(早まったか……)


 彼は思った。何かあれば、こちらに連絡するという話だった。海中に入り、他にやることがなくなったのであれば、あるいは……と考えていたのだが。


 と、その時、戦場に変化があった。他に誰もいないはずの戦場で、ベルハルトが何やら動きを見せている。

 さすがに、非戦闘員のクルーたちに、何が起きたのかは予想もできないようだが……

「海から仕掛けてるんです」と、神妙な表情のアクセルが、戸惑うクルーたちに言った。

 彼の言葉に周りがざわめき始め……ベルハルトのすぐ近くで、まばゆい閃光が走った。

 この船までも強く照らすほどのものではない。

 しかし、遠く離れてもしっかりと目にすることのできた輝きに、幾人かのクルーが膝から崩れ落ちた。


 だが……船長存命を知らせる反応は、それきりで続かなかった。

 もはやこれまでかと、甲板で泣き崩れる者が数名。

 リズに対して反発的だったニールも、今ばかりは呆然としている。

 そうして、甲板上に打ちひしがれた空気が漂う中――


「来たぞ!」


 マルクが叫ぶと、クルーたちが息を吹き返したように駆け寄ってきた。

 彼らが集ったその中央で、リズが残していった魔導書に、文字が滑らかに刻まれていく。


『みんな、読んでくれてるといいんだけど……心配かけてごめんなさいね。それと、できる限りおとなしくしていて。相手に悟られるとマズいの。だから、事前に話しておくこともできなくて……まぁ、結局は言い訳になっちゃうわ。ごめんね。許して』


 それまで仲間たちから生死を気遣われていたとは思えないほど、メッセージはいくらか余裕を感じさせるものだった。あえて、そのようにリズが気を使っているかもしれないが。

 続く言葉は「きちんと帰るわ」というもの。遺書のようには感じられない。強がりでも気休めのようでもない。


 すすり泣く音は止まないが、場の空気の質が変わりつつある。

 そして、開かれたページいっぱいに、魔力が踊っていく。


 海中に沈んでから相当の時間が経つが、それでも彼女はどういうわけか生きている。

 そればかりか、海中に追い詰められているとしか見えない中、帰還手段の考えがあるという。魔導書に描かれていくその方途に、真剣な眼差(まなざ)しを向ける一同は、ただ息を呑んだ。

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