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第145話 第二王子ベルハルト①

 まさかの大物が直々にやってきた事実に虚を突かれたリズだが、一瞬で彼女は自己の平静を取り戻した。

 相手は、まだ鷹揚で友好的に構えている。ここで仕掛ければ、大勢が巻き込まれる惨事になりかねず、先手を打つわけにはいかない。

 それでも彼女は、この場が戦場であるという意識を強く持った。


 その上で、場の状態に即した立ち居振る舞いを、彼女は迷うことなく演じていく。他国の王侯にお会いしたという望外の光栄を、恭しく片膝をついて表現した。

 ただ、後ろのざわつき具合から、多くが状況を飲み込めずに困惑するのがそれとわかる。

 振り向いてみるにはちょうど良かった。

 彼女は膝をついたままゆっくり振り向き、視線を巡らせて状況を把握しつつ、「御前よ、早くなさい」と促した。

 指示に対し、それでも狼狽(ろうばい)で中々動けずにいる。


 さすがに、マルシエルからの出向者たちは、言われるまでもなく礼式に適った振る舞いをしているが、他はやはりぎこちない

――ベルハルトの名ぐらいは知っているであろう、元諜報員の三人も。

 彼らは自然と周囲の困惑に紛れ込むように、その他大勢らしく装っている。こういう役者ぶりは、さすがのものであった。

 が、クルーたちが膝をつく前に、ベルハルトが穏やかな口調でそれを制した。


「押しかける形になったのは我々の方だ。諸君は楽にしてほしい」


 この言葉に、リズはスッと立ち上がった。

 張り詰めていた場の空気は、少し和らいだようである。

 当惑していたからとはいえ、無作法を咎められても仕方のない状況ではあった。それを許されたのだから、平民たちが安堵を覚えるのは当然のことである。


 その一方で……リズは、相手の出方がどうなるものかと気が気ではなかった。

 やがて、ベルハルトは端的に要求を述べた。


「事前に依頼した通り、近辺の海域や航路に関し、情報交換を行いたい。そこで、船長殿に我が艦へとお越しいただきたいと思う。構わないかな?」


「身に余る光栄です、殿下」


 断るような状況でも、他と相談するような状況でもない。お呼ばれするだけでも、相当の栄誉なのだから。


(……後ろのみんなとは、これで見納めになるかもしれないけど)


 ふと胸中に沸いた諦念を、リズは覚悟で圧し潰し、後ろに振り向いた。


「そういうことだから、お留守番お願いね」


 感情を押し込んだ、普段通りの表情と口調での指示。未だ落ち着きのないクルーたちは、ただ無言でうなずいて応じた。裏の事情を察している、頼れる面々も。

 これがお別れにならないようにと、彼女は腹を(くく)って向き直った。


 最初のご挨拶の後、ラヴェリア側はリズを艦へと案内した。エスコートする武官は、今のところは礼節に満ちた態度をとっており……

 しかし、どこか緊張した様子でもある。

 単に、第二王子殿下がそばにおられるから、というだけのことかもしれないが。


 かなり低い可能性とは認めつつも、リズは、相手方が自分をあの(・・)エリザベータとは認識していないパターンも考えていた。

 早合点から自らその目を捨てる事態となれば――もう、笑うしかないだろう。

 相手がそのつもりで来たという態度を示すまで、慎ましく振る舞うことを彼女は選んだ。


 案内され、足を踏み入れた艦の上で、彼女はそれとなく観察を行った。見た目はごく普通の帆船である。

 ただ、船全体から、一般の船にはない強い魔力の存在を感じ取った。何かしら、特殊な魔道具を搭載している可能性が高い。

 さすがに、この場で魔力透視を行うほどの無礼を働く気はなかったが。


 彼女が案内されたのは、ちょっとした会議室らしき部屋であった。中央には広いテーブル、イスがいくつか。

 そして、座り切れない人数の、何かしらの官吏が数名。それぞれの制服が微妙に違う。これは、官位の違いではなく所属の違いを示すものではないか……リズはそのように考えた。

 部屋に入るなり、主のべルハルトは、何も言わずに奥側の椅子に腰かけた。リズには入り口側のものを手で勧めつつ、一言。


「いきなり来て悪かったな、エリザベータ」


「いきなり呼ばないでいただけるかしら?」


 駆け引きも何もなく突然呼んできた実兄に、わずかながらの驚きを覚えつつ、リズは言葉を返した。


「……それで、私を殺しに来たのかしら?」


 臆せず口にする彼女に、周囲の官吏が緊張と警戒を強めていく。敵意というほどのものはないように見受けられるが。

 すると、強張(こわば)る彼らを制するように、柔らかな態度でベルハルトは手を向けた。


「ま、そういうのもある……ただ、これだけは先にはっきりさせておきたい。私は、そちらの船と関係者まで巻き込む考えはない。標的はお前だけだからな。できる限り、一騎討ちで済ませるつもりでいる」


「……わかったわ。そういうことにしてあげる」


 ラヴェリア最高戦力とも名高いこの兄が、戦いにおいて口約束を破ったという話を、リズは聞いたことがない。

 そういう世評を作って信じ込ませる策謀がある――というわけでもないようだ。相手が嘘を言っているようには感じられない。

 そのように感じ取った自分を、彼女は信じることにした。

 リズの言葉を、兄は神妙な表情で受け止めていたが、少しして表情を柔らかくし、話を持ちかけてきた。


「実は、お前と少し話してみたいと思っていたんだ。相当迷惑だろうが」


「ええ。こんなにも突然では、ね。心の準備ってものもあるし、事前に一報ぐらい入れていただきたいものだわ」


「ハハッ、それもそうだな。いや、悪い悪い」


 そう言って苦笑する兄だが……殺しに来たであろう彼が穏やかな態度でいる状況に、リズはさほどの違和感を覚えなかった。

 15の時の初陣以降、夷敵との戦闘に駆り出されては、多大な軍功を積み重ねてきた彼だが……

 一方で、大変な人気者でもあった。強者に憧れる少年からの信望を集めるばかりでなく、王宮に仕えるメイドたちからも。

 生来の顔の良さも人気の一因だったことだろうが、人を惹きつけたのは、むしろ内面である。血なまぐささを感じさせない人当たりの良さと、良い意味での軽さは、色々と気を遣うメイドたちにとって安らぎでさえあったようだ。

 そういう兄の人となりと、周囲の関わりようを、リズはメイド時代に把握していた。ご当人からは避けられていたのだが。

「殺し合いの前に、まずは話を」といった感じの今の状況を、自然と飲み込めるだけのものはある。


 しかし、解せないのは……黙りこくる彼女に、ベルハルトは問いかけた。


「やっぱり、この期に及んで、話すことは何もないか?」


「そういうわけじゃないけど……どうして、こんなところにいるのよ」


 自身の目算が盛大に外れた、その苦々しさを少し乗せるように、リズは言った。


 ラヴェリアから何かしらのアクションがあるとしても、ここまで直接的に仕掛けてくるのは、まだ想定外だった。

 特に、継承権者自身が直接やってくるなどとは。


 彼女がそう考えていた理由は、時間と距離の問題である。

 仮に、彼女がこのあたりにいると把握できていたとしても、位置情報を確定した上で動き出すとなれば、船旅で相応の時間はかかるはずだ。

 となると……リズを殺し得るほどの人材を、船旅で長期間拘束する。それも、国外へ出撃させる形で。

 国内でも秘密裏に進めているはずの継承競争で、要職にある者を長期不在にするのは、外交上の理由もあって難しいのではないか。


 加えて、各継承権者自身が出張ってくるのも、相当無理があるのではないかという想定があった。

 まず、第三王女以下の継承権者たちは、いずれも高位の文官だ。そういう立場にある王族が、船で遠出するのは不自然である。

 一方、上の王子二名については、軍の将帥だ。彼らが単騎で動くのはいかにも不自然だし、かといって軍勢を動かせば、他国を大いに刺激する。

 そのため、ラヴェリアからの関与であり得る手口としては、協商圏に忍ばせた配下を動かしてリズの動きを探るか、機を見て手を下すというのが妥当と考えていたのだが……


(思ったよりも、フットワークが軽くていらっしゃるわ……)


 これまでの競争において、継承権者が直接手を下すことはなかった。規模の大小や意図の違いはあれど、いずれも手勢を遣わせての攻撃であった。そういう油断は、実際にあったのかもしれない。

 そこに来て、今回のこの一手。これが前例になると考えれば……これまでの認識を改めなければ。

 会話の切れ目のわずかな間にも、《雷精環(サーキット)》で高速思考を巡らせる彼女の前で、ベルハルトは腕を組んだ。


「信じるかどうかはそちらの自由だが、私が動いている今回の件に関しては、理由が……あ~、5つはあるな」


「そう。とりあえず聞くわ」


「いや、悪いな。だいぶグチっぽくなると思うが、適当に聞き流してくれ」



 一方そのころ。

 リズたちの船の通信室で、アクセルとセリアが状況の対処にあたっていた。正規の通信士には、セリアの口から「国家機密に関わる重大事項」との旨で、この場を外してもらっている。

 予想外の事態ではあるが、見方を変えれば、ラヴェリア側の出方や意向を把握する好機でもある。その機を見逃さないための備えが、一行にはあった。


 リズが事前に用意していた魔導書――《別館(アネックス)》を仕込んだこの一冊は、魔力線を介さない形式で彼女と(つな)がっている。

 魔法陣を仕込むのに時間がかかり、遠隔で書き込みと操作するにも、相応の負荷とタイムラグがあるのが難点だが……会話内容をそのまま書き記す分には、何の問題もない。

 そこで、彼女が文字起こしした会話を、マルシエルに伝達しようというのだ。彼女が“後で伝えられなくなる“ケースを想定しての、この対応である。

 最初のうちは、まだ普通の会話という程度のものが紙面に浮かび上がってきたが……


 事はこれからが本題である。アクセルがページ送り要員として控える横で、セリアが母国への通信の役を担う。

 ページ上に新たな文章が刻まれ始め、彼女は緊張した面持ちで通信先に告げた。


「ベルハルト殿下が当海域へお越しになった理由は、大きく分けて5つとのこと。その1つ目は――」

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