第144話 邂逅
案内されてリズが駆け付けた通信室には、正規の通信士だけがいた。案内した水兵同様、彼も緊迫感ある表情をしている。
この室内にいる水兵たちは、リズとラヴェリアとの関わりを知らない。
単に、このような海域――ラヴェリアから見て、マルシエルのさらに奥――で、かの国の艦艇と出くわした事実それ自体に、大きな緊張を覚えているわけだ。
もちろん、リズは彼ら以上に憂慮するものがある。
彼女は突然の事態に対し、まずは必要以上の困惑を表に出さないように精神力を働かせた。
一息ついた後、水兵に他の主だった面々も呼びに向かうように小声で頼み、自身は通信用の席へ。
席について再び深呼吸をしてから、彼女は通信先に声をかけた。
「お待たせいたしました。本船の船長です、どうぞ」
『朝早くに申し訳ありません。本艦はラヴェリア海軍の軍艦です。現在、南方航路における海賊掃討及び偵察任務に就いております。つきましては、周辺一帯に関する情報交換のため、責任者同士お話できればと考えております』
相手は予想以上に下手に出てきている。
しかし……果たして、向こうの話はどこまでが本当か。マルシエルからは、ラヴェリアの艦艇がこんな海域まで出張っているという話が、何一つ伝わっていない。
もちろん、秘密作戦に従事している艦艇と偶然に遭遇したという可能性はあるが……
この遭遇の裏に、リズは継承競争の気配を感じ取った。
とりあえず、仲間が来るまで時間を稼ぎたい。彼女は当たり障りない雑談を仕掛けることにした。
「まさか、ラヴェリア海軍とこのような海域でお会いするとは……珍しいこともあるものですね」
『こちらも、お若い女性が船長を務めておられるとは思いもよらず。いささか驚かされる思いはあります』
切り返しは中々手慣れたものである。
それに……大列強の軍人にしては高圧的なところがない。向こうの応対の、温和で余裕のあるところが、こちらの水兵たちの緊張と警戒を削いでいるようだ。
すると、仲間たちが続々と通信室にやってきた。
ここに来るまでに、事情は聞かされていることだろうが……仲間たちが状況を把握し、考えるための時間がもう少し欲しい。リズは通信先に一言、断りをいれた。
「お声がけいただいたのは光栄ですが、何分こちらも、海軍の方に何か申し上げるほど、このあたりに慣れ親しんでいるわけではなく……ご期待いただいているほどの情報を提供できるかどうか。具体的にどのような情報をご所望か、まずはお聞かせ願えますでしょうか」
『実を申しますと、この近辺で精力的に海賊退治している船があるとの情報を掴みまして。おそらく、貴艦がそれなのではないかと』
(ああ、なるほど。下調べは済んでるのね……)
リズは通信席から振り向いた。そこへ、最初に口を開いたのはセリアだ。
「相手が正規の軍船であれば、こういった状況では接舷して応対するのが通例です」
これには、他の水兵たちも同意した。
ここまでの功績を偽るのは、内外において障りがあるだろう。適当な理由をつけて逃げるのも難しい。
通信室のテーブルを見る限り、魔力反応は先方が一隻分。あの中にどういう者が乗っているか定かではないが……
お会いする他ないものと、リズは腹を括って先方に告げた。
「ご賢察、恐れ入ります。おそらくは貴官が仰る通り、我々がその船かと」
『なるほど……では、情報交換についてはいかがでしようか』
「謹んで承ります」
『ご協力ありがとうございます』
その後、実際に接舷するまでの諸手順を定め、通信が切れた。
にわかに静かになった部屋の中、リズは思わず大きなため息をつき……裏を知らない水兵たちに声をかけた。
「あなた方は、ラヴェリアの海軍に対し、どのような印象を持っていますか?」
「どのようなと言われますと、難しいところですが……」
少し言葉を選ぶ様子を見せ、水兵の一人は言葉を続けていく。
「名だたる大国の軍にしては、慎ましいところがあると……そういう世評はあります。私自身、かの軍と接触するのは今回が初めてですが……」
「先入観に違わぬもの、という感じでしょうか」
「はい」
実際、嫌な威圧感はまるでなかった。断れば、それで納得しそうな。
それでも受諾に至ったのは、断ったら断ったで、この一件が後を引いて自分たちの首を締めかねない……そういう予感があったからだ。
――しかし、あの穏やかな態度の裏で、どのような秘め事があることか。
相手に会う前から、リズは気が気ではなかった。
接舷までは時間がまだあり、とりあえず主だったメンバーは船長室へ向かうことに。
外の人払いした上で顔を突き合わせ、リスは言った。
「セリアさんにお伺いしたいのですが、こういう場合、会談の場はどうなるのでしょうか」
「持ち掛けた側、あるいは地位や立場が堅固な側が提供することがほとんどです。おそらく、船長が相手側へ出向くことになるのではないかと」
「なるほど」
相手が、本当に言葉通りのものでしかなかったのなら、別に問題はない。
しかし……継承競争がらみでの仕掛けであった場合、考えるべきことはいくらでもある。
そして、その可能性が高いのではないか。
「たぶん、継承競争に関連しての動きだと思うけど……」というリズの言を、他の面々も認めた。
こうなると、話し合いの場の設定一つ取っても、今後に大きく関わる部分はある。
ただ、こちらに招くよりは、まだマシかもしれない。
「正直な話、ここで終わらせるつもりで来ているなら、相手の言う話し合いがどうなろうと変わりはないと思う。でも、あくまで私に探りを入れるための布石でしかないとしたら、招くよりは出向いた方がいいと思う」
「相手をこちらに招くことで、内情まで把握されかねないですからね」
「それもあるけど……」
リズは、壁に立てかけたリュックサックに歩んでいき、中から一つの袋を取り出した。
そして、不思議そうにしている仲間に顔を向け、「ちょっと重いわよ」と言ってアクセルにポンと投げ渡した。
彼は手渡された袋を開け……目を見開き、固まった。顔を寄せた他の三人も同じように、驚きが顔に現れている。
袋からはチャリチャリと耳に心地良い音がなり、その口からは黄金色の輝きが漏れる。
「いつの間に……」
「いえ、ラヴェリアを追い出された時に渡されたのよ」
その後、彼女は「贋金だけどね」と付け足し、仲間たちは唖然とした顔に
「持ってるだけで危ないじゃないですか」と言うアクセルだが、リズは困ったような笑みを浮かべて答えた。
「いえ、いつの日か、これをうまいこと使って連中に痛い目を見せてやろうと……」
「ま、それはそれとして……相手をこちらに乗せたとしても、家探しはしないだろ」
マルクの指摘に、リズはうなずいた。
「実はね、この贋金の中に、追跡用の魔道具を仕込まれてたの。贋金の見た目をしたやつね」
「ああ~」
これだけで、元諜報員たちはすべてを察したようだ。彼らの代わりに、セリアが言葉として口にする。
「では、相手をこの船に招いた場合、何かしらの置き土産を警戒すべきですね」
「そういう警戒は必要かと考えます。もちろん、相手が不快に思わない範囲で、それとなく自然に、ですが」
相手が単に探りを入れに来た、あるいはその可能性が高いと判断できた場合の対応は以上だ。
お互いに、表立って何か行動に移せるというわけではない。
より深刻なのは――この場で決着をつける腹積もりで、相手が接触を図ってきたいう場合だ。
その可能性を考慮しないわけにはいかず……静まり返った中でリズは考え込み、やがて口を開いた。
「こちらに相手を招いて、人的被害を出すわけにはいかないわ。というより、ラヴェリアの人間に、他の国の民を傷つけさせるわけにはいかない。もちろん、誰かを盾にするわけにもね」
この考えに、異論を挟む者はいない。彼女が口にしたケースが生じれば、事が表面化し、国際的に深刻な事態に陥りかねない。
そうなるよりは――
「死ぬのは、私一人で十分だわ」
もちろん、そうならないように努めるつもりではあるが……その覚悟を胸に抱えた上で、彼女は口を開いた。
「マルク」
「ああ」
「私に何かあったら、後のことはお願いね」
「……わかった」
真剣な表情で彼はうなずいた。
ただ、後事を託すといっても、大きな問題が一つ。
「みんなへの説明だけど……マルシエル的には、一応は容認していただけるという話ですよね」
セリアに話を振ると、彼女は緊張した面持ちでうなずいた。
「統率を維持できる限りにおいては、問題ないものと。むしろ、事態の収拾のために、説明が求められることもあるのでは……という認識です」
「ありがとうございます……こういうこと、人任せにするのは恥ずかしい限りだけど。いざとなったらお願いね」
「ああ……俺が言うのも何だが、あまり抱え込みすぎるなよ。任せられる分は、周りに積極的に振ればいい」
「うん」
答えたリズは、事情を知ってなお付いて来てくれるそれぞれに顔を向け、少し表情を柔らかくした。
「ありがとう」
内内の話し合いの後、彼女らは船長室を出た。他のクルーたちにも、ラヴェリア船との接触を周知していく。
この予想外の事態に多くのクルーたちは戸惑いを見せたが……皮肉屋ともなると一言いいたくなるらしい。航海士のニールは、「また面倒な」という一言を皮切りに、不平を口から垂らしていく。
「こんな朝っぱらから叩き起こして、お出迎えさせて……」
「まぁ……気持ちはわかるわ」
リズとしても、思わぬ客との出会いに悩まされっぱなしである。ラヴェリアという名に萎縮し、緊張する他のクルーと比べると、平常運転の彼は少し頼もしくさえある。
そこで彼女は、クルーたちから見る彼の立ち位置というものを深く理解した。
前の船長……海賊の支配下だった頃からも、影で歯に衣着せぬ言動をし、皆の気持ちを代弁していたのだろう。どこで聞き耳立てられているかもわからない、船という閉鎖空間の中で。
「で、俺はお出迎えに加わった方が良いのか?」
「用があるのは責任者だけみたいだし、あなたは出なくても良いんじゃない? 見物したければ、止めはしないわ」
まさか、ラヴェリア相手にケンカを売るほどの向こう見ずではないだろう。彼女はニールの自由意志に委ねることにした。
そこで彼は、少し考え込んだ。
「……一度起こされて、終わるまで中で待つってのもな。どうせ暇だろうし、大人しく見物でもするか」
「……面白い見世物でもないと思うけどね」
☆
しばらくして、二隻は接舷した。
リズ側は、大国相手ということで礼を尽くして出迎える構えだ。日が明けたばかりという早朝の中、直立不動の体勢で相手の出方を待つ。
一方、ラヴェリア側もまた、甲板上に兵たちが整列している。こちらもこちらで、儀礼に則った構えのようである。
二隻の間に簡素な橋が渡されると、ラヴェリア側で動きがあった。兵の整列中程が割れ、その間から歩み出る一人の将官。
――その姿を見て、リズの思考が一瞬停止した。
それは、目にした彼が息を呑むような美男子だからではない。
互いに面識がある間柄だからだ。
その彼はリズたちの船に足を踏み入れると、柔らかな笑みを浮かべ、朗らかな口調で言った。
「やあ、手間を掛けさせて済まないね。あの船の指揮官を務める、ベルハルト・エル・ラヴェリアだ」
彼の名乗りに、場が静まり返り、少しして困惑のざわめきが満ちていく。
世界広しと言えど、ラヴェリアという姓を持つ者、その名乗りが許される者はごくわずか。その名を持つ者は、かの大英雄ラヴェリア直系の子孫であり……
つまるところ、泣く子も黙る大列強の王族が、この場にいるのである。
それも、外夷征伐において比肩無き武功を誇る、ラヴェリアの第二王子その人が。




