第142話 新たな船路①
挨拶の後、クルーたちはそれぞれの持ち場へと駆けて行った。どこか誇らしげに、それでいて粛々と、各自が自分の仕事をこなしていく。
そして、リズたちの船は動き出した。少しずつ離れていく港に、少し不安げな視線を向けるクルーが数名。
やはり、この船が帯びた任務を思えば、この先を案じる気持ちはあるのだろう。
リズ自身、今後への不安と憂慮は当然のようにある。マルシエルとの関係、加えて船長という立場まで得た今、責任で身が引き締まる思いでもあった。
しばしの間、部下の働きぶりを見つめつつ、彼女は甲板で静かに佇んだ。
そこへ、船長としての仕事が一件、さっそく舞い込んできた。通信室からやってきた水兵が、軍部からの通信が来ていると口にしたのだ。
「船長殿にご相談があるとのことです」
「わかりました。すぐに行きます」
緊張した様子の水兵にうなずき、リズは彼の後について船内へ向かった。その後に、船の中核的なメンバーが続く。
通信室は、マルシエルの手が加わり、立派に改修されている。
それなりの大きさの部屋だが、船内各所に繋がる魔力の配管が伸び、据え付けの魔道具の存在もあって手狭に感じられる。
室内灯は点いていないが、それでもぼんやりと明るいのは、魔道具の光によるものだ。
一番目を引くものは、室内中央に据え付けられたテーブル。海図が記された薄い紙の下から、そこかしこに大小さまざまな緑色の光が灯り、紙の上に滲み出ている。
海図の下のテーブルはガラスの天板になっている。船から一定距離内にある魔力を感知し、天板の内側で位置関係等を再現するように発光。それを海図に浮き出させることで、状況把握するという仕組みだ。
その海図上では、中央にある緑の点に、マルシエル本島の緑の点から細長い緑の線が伸びている。
「中央の光はこの船で、通信があった際はこのように、どこからのものか図示されます」と、水兵は簡単に説明した。
初めて見る魔道具に、少なからず関心等を覚えて心を弾ませたリズだが……まずは、船長としてのお務めである。
超遠距離にも堪える、特殊な《遠話》用の宝珠に、彼女は話しかけた。
「お待たせいたしました。船長のエリザベータです」
『船長殿。出港して早々に申し訳ないのですが、針路についてご相談が』
やや恐縮した感が伝わってくる通信先は、リズが思っていたのとは違う、意外な仕事先を提示してきた。
彼女としては、ラヴェリアとハーディングがあるルーグラン大陸との航路上で、仕事をこなすものと考えていたのだが、方角としてはその逆である。
ただ、話された理由は納得のいくものであった。
『外務省からの要請でもあるのですが、そちらから海賊船が発生しているのではないかという懸念が。協商圏全体にとっても、関係強化を図りたい国と繋がる航路があります』
「かしこまりました。承ります」
初回から拒否したのでは心証が悪かろう。それに、そちらの方向へ動くのなら――ラヴェリアから離れるのなら、それはそれで都合がいい。
もっとも、何らかの追跡手段があることは疑いなく……この場で口にできたものではないが、ラヴェリアを離れた洋上にあっても、そういった追跡手段が機能し得るのではないかという予感がリズにはあった。
どこへ行っても安全とは言い難い。ラヴェリアから離れること自体、絶対の安全をもたらすものではないだろう。
しかし、離れるように動く自分を、向こうが本当に捕捉できるかどうか。マルシエルの目もある中で、試してみる価値はある。
針路の受諾には、そういった考えも含まれてのものだ。
最初の通信は何事もなく終了し、通信士はホッと安堵した。
この青年は、リズがどういう立場の人間か知らない。いずれ、その件でマルシエルと連絡を取らねばならない状況が来るだろう。そう考えれば、打ち明けなければ話ではあるのだが……
いや、彼ばかりではない。他のクルーたちに対しても、隠し通したままではいられまい。
実のところ、リズは告白をできるだけ引き伸ばしたいとは考えている。
というのも、海賊退治でいくらか実績を上げた後で打ち明ければ……真相を知らされ、クルーたちが船を降りたとしても、彼らの今後が不利になる可能性は低くなるだろう。
身内にした以上、ある程度は善行を積ませてから逃がすべきではないか。マルシエルから預かっているという意識から、そういった責任を彼女は感じていた。
(いえ、そういうのも言い訳かしら……)
もちろん、単に言いたくないだけという気持ちもある。
出港早々、胸中で持ち上がった今後の課題に、彼女は人知れず小さなため息をついた。
通信の後、彼女は進路変更のために動き出した。航海士に行き先を伝えるのだ。
その航海士というのが、あの反発的な青年、ニールなのだが。
しかし、彼は意外にも、この話をすんなりと飲み込んだ。マルシエルからの上意があったということは把握しているはずだが。
意外に思って視線を向けるリズに、彼は淡々とした口調で、「何か?」と尋ねてきた。
「少し意外に思って。反権力というか、反権威というか……そういうタイプかと思っていたから」
素直な言葉を口にした彼女に対し、彼は小さく鼻を鳴らした。
「バカにしてんのか? 噛みつく相手を間違える駄犬じゃねえんだぞ。従った方が自分のためになるってんなら、せいぜい飼われてやるさ」
「ああ、そう……それは何よりだわ」
皮肉めいた部分は相変わらずだが、少なくとも仕事は真面目にこなす考えのようだ。
彼の性情にまでとやかく口を出すつもりのない彼女は、「それじゃ、よろしくね」と口にして、船室を去った。
☆
航海始まって1時間ほど経った頃。まだマルシエルを出たばかりということもあって、平穏そのものであった。
ただ、甲板上で妙な動きが起きていたが。
船室のちょっとした見回りから出てきたリズは、甲板で何か魔法を使っているマルクの姿を認めた。
彼の周囲には他のクルーたち、中には釣り竿を持った者も数名いて、甲板にはバケツも置かれている。
「どうかしたの?」と尋ねるリズに、マルクは振り向いて答えた。
「ああ、保存用魔法の練習だ」
彼が指さした先にあるのは、魔法陣と、その中で冷えて霜を吹いている魚。
「《保凍術》ね」とリズは言った。
言い当てた彼女に対し、クルーたちはいたく感心したらしく、「おお」と不揃いに口にした。
さほどメジャーな魔法ではないのは確かだが……知っていたというだけで持ち上げられるのは、少しむずがゆいものがある。
そういう感情を覚えつつ、彼女は軽く咳払いをして口を開いた。
「滞在中に覚えたのね」
「ああ。これを使いこなせれば、釣り過ぎた時に取っておけるし……稼ぎの足しになるかと」
これには「なるほど」と、リズもちょっとした感嘆の念を抱いた。
海賊退治のみならず、稼ぎの手段があるのはいいことだ。
それに、道中で出くわした商船等に対し、冷凍した魚を売ったり提供したり……そういう関わりを経ることで、この船全体の評判を良いものにできるかもしれない。
肝心の、覚えている最中という魔法の出来栄えについては……さすがに、諜報員というエリートだったというだけのことはある。彼女の目から見ても、魔法陣の状態はかなり安定しており、実用レベルといっても差し支えないものだ。
「あとは、これをたくさん維持できれば、なおよしってところね」
「それが、まだ難しいんだが……ところで、船長も《保凍術》は使えるのか?」
「ええ、まあ。あまり、使ったことはないけど……」
と話しているところへ、今度はニコラとアクセル、それにセリアの三人がやってきた。
さっそくニコラが一言、「食べるんですか?」と尋ねた。
「いや、このままでってことはないでしょ?」
「さすがに、切りますよ~」
にこやかに答える彼女に、リズは(そっちじゃないわよ)と思いつつ、これがニコラのボケやジョークではない可能性に思い至った。
「もしかして、その……冷やし固めたまま食べるの?」
「そういう食べ方もありますよ。《保凍術》必須ですから、お高いんですけど。涼を取れて、サッパリいけて、人気のある調理法ではありますね」
「へえ~」
横でアクセルが感心の声を上げたが、リズも同様の心地であった。魚の生食文化といい……「世界って広いわ」と、彼女はつぶやいた。
さて、凍らせた魚をどうするか。冷凍のまま食べるというニコラの話に、興味をそそられるリズではあったが、自分だけ食べるわけにもという念が自重させる。
船長なんだからと勧めてくる声もあるが、こういうところで立場を使うのも……という感じではある。
そうこうしているうちに、甲板上の集まりがさらに大きくなっていった。
と、その時。クルーたちの顔を見て、リズはふと思い出した。
「あなたたち、魔法に興味はある?」
「えっ?」
クルーたちは顔を見合わせた後、彼女にうなずいた。
「俺も使えたらって、思ってましたけど……」
「オレもです」
口々に答えてくるクルーたちに、リズは腕を組み、我が意を得たりと笑みを浮かべた。
「いい機会だし、魔法を覚えましょうよ。私たちが教えるから。夜釣りで光を出せると便利でしょ?」
と、持ち掛けるも、クルーたちは半信半疑な様子。
「お、俺たちなんかに、できますかね?」
「簡単な魔法なら、大丈夫よ。あまり身構えないで、気楽にね」
優しい口調で答えると、緊張がほぐれたらしく、クルーたちは乗り気になった。
しかし……笑顔の裏で、リズには一つ懸念があった。
アクセルの事だ。あまり気を使いすぎると、彼自身も申し訳なく思うようではあるが。
さて、どうしたものかと考える彼女だったが、そこでマルクがクルーたちに問いかけた。
「なぁ……女の子と野郎と、どっちに教えてもらいたい?」
「えっ?」
クルーたちは顔を見合わせはじめ……結局、口にするのをためらったが、この遠慮がある意味では答えだった。
「愚問だったな」と笑い、マルクは言葉を続けていく。
「女性陣でコーチやりゃいいんじゃないか。俺は……人に物を教えるのが苦手だしな。アクセルと一緒に、その辺で釣りでもするよ」
「……そうね。先生役は、私たちでやりましょうか」
話の流れを、ニコラはもちろんの事、裏の事情を知らないセリアもすんなり了承した。
釣りに巻き込まれたアクセルも、どことなく安心したような表情でマルクのそばへ。
内心でマルクに感謝しつつ、リズはクルーたちに向けて言った。
「船の仕事もあることだし、手が空いたら練習に自由参加ということで。入れ替わり立ち代わりで、気楽にやっていきましょう」
☆
船室にこもり、海図とにらめっこしていたニールは、壁に掛けた時計を一瞥して立ち上がった。
耳を澄ませてみれば、周囲の船室はひっそりと静まり返っており、代わりに甲板の方が何やら賑やかな様子。
また、あの船長が何かしているのだろう。彼はそう思った。
混ざってやろうという気は、あまりしないが……あの船長のおかげで、懲役刑の代わりに、この労役で済まされているのは事実だ。
それに、長い間苦楽――というより、ほとんど苦――をともにした友人たちは、あの船長に絆されている様子。
そうなるだけの何かがあると、彼は認めないでもなかった。
少しぐらい様子を見に行くのもいいかと、彼は甲板へと足を向けた。
すると、船員の仲間たちが、女性三人の前に座って何やら講義を受けているではないか。
その様を黙ってみていた彼だが、すぐに仲間に気づかれた。その視線を察し、振り向いたリズが、彼に軽く駆け寄ってくる。
「何やってんだ」
「何って、魔法を教えてるの。もちろん、仕事の邪魔にならない程度にしてるけど」
答えた彼女は、指先を軽く遊ばせ、宙に青白い魔力の軌跡を刻んでみせた。
「あなたもどう?」と尋ねる彼女に、彼は少し黙り……首を小さく横に振った。
「何かの役に立つのか?」
「覚えて、できることが増えるのは、単純に楽しいわ」
そう言って彼女は、座って講義を受けるクルーたちに目を向けた。いずれも真剣な表情で、耳を傾けている。
「あなたも混ざってみたら? 覚えも早そうだし」
世辞ではなく、素直な気持ちを口にしたようだ。裏もなく、含みもなく。
まっすぐ、柔らかな感じで見てくる彼女を前に、ニールは……意地を張るのを、少しバカらしく感じ始めた。自分ばかり浮いてしまえば、他の仲間に気を遣わせるかもしれない。
とはいえ、流れに乗せられているようで、それはそれでなんとも気に入らないものはあるのだが。彼は小さく鼻を鳴らし、言った。
「わかった、付き合ってやるよ」
「無理にとは言わないけどね。でも、うれしいわ」
あくまで淡白な言葉に対し、朗らかな笑みを返され、彼は頭を軽くかきむしった。
「まったく、やりづらいな……」




