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第140話 商業国家との契約

「国を出られてからの事業について、特に定まったお考えがなければ、是非ご一考いただければと」


 申し出にうなずき返したリズは、書類を読み込んでいった。

 先方が委託したい事業というのは、平たく言えば傭兵稼業である。マルシエルからの出向者を帯同させ、協商圏と近辺海域、及び航路上の賊を排除してもらいたい、と。

 重要なのは、協商旗を掲げた上で、実際にはマルシエル海軍と組んでいる傭兵ということだ。これについて、武官が補足していく。


「船籍の偽装とまでは申しませんが、協商旗を掲げた、事実上のマルシエル船となります。この件に関し、協商圏の各国家からは承認済みです。実を申し上げますと、殿下が来られる以前から温めていた構想でもあります」


「……ちょうど良いところに、私が来たということでしょうか?」


 リズが問いかけると、議長は各関係者に視線を向け、苦笑いした。


「最初の会談において、話の流れ次第では、この件を持ち出そうという考えはありました」


 それから、武官がこの件に関してマルシエル側の事情を伝えていった。


 この国は強大な海軍国家だが、だからといって軍を自由に使えるというわけでもない。

 ハーディングで革命があったばかりだが、あちらのルーグラン大陸にはラヴェリアという覇権主義国家がいても、まだ平和な部類だ。もっと別の大陸に、怪しげな動きをする国、ならず者国家が巣食っている。

 そちらへの牽制と、他国への航路の確保と保全に、海軍力を割かねばならない現状があるのだ。

 また、マルシエル国旗を掲げた軍船で海賊退治を行うのは、本当に効率が悪い。勝てる相手ではないと、海賊たちが一目散に逃げるためだ。海上における名声は、ラヴェリアを上回るものがある。

 だからといって、正規の軍艦に、別の旗を掲げさせるわけにはいかない。落とし所としては、協商圏内にいる海の傭兵と、マルシエル海軍で提携するか――非正規の関係者という身内を、最初から用意するか。


「航路・海域等の指定をこちらからすることもあると思われますが、基本的に最終決定権は、殿下の側に委ねるものとお考えいただければ。戦果を上げることそれ自体よりも、軍事を外部委託するテストケースとしての検証を重視しております」


 その言葉通りのものが、書類には記してあった。

 契約は一ヶ月毎に更新していき、各期に契約金が発生。マルシエル政府で管理するリズの口座に支払われる仕組みだという。

 口座に得た報酬に関しては、出向者を通じて、協商圏内各国の国庫から引き落とせるとも。

 それに加え、実際に戦果を上げた場合、関与することとなった第三者機関の所見も考慮の上で、別途成果報酬を支払うわれることになる。


 そして……飯の種になるものが、まだある。

 むしろ、マルシエルにとっては、これが本題なのかもしれないが。


「『出向者を通じての情報提供(・・・・)に対し、情報の重要度を加味して情報料を支払い』とありますが、これは……ラヴェリアの王位継承競争を意図したものでしょうか」


 リズの問いかけに、場の空気が張り詰める。

 答えたのは、国家諜報部門担当という中年男性であった。


「ご賢察の通りです。しかしながら……『殿下は我が国に全幅の信頼を置いてくださるだろう』、などというのは、ひどい自惚(うぬぼ)れのように思われまして。我が国に対し、情報を明かす明かさないは、殿下のご判断に委ねます」


 つまり、強く要請するものではないのだという。その方が、出向者もやりやすいと考えてのことか、あくまでリズと国の関係を、程よい程度に保ちたいがためなのか。

 その本音が何であれ、やや呆気にとられる思いの彼女に対し、担当者は微笑を浮かべて続けた。


「知らせたい情報、売りたい情報、あるいはマルシエルをうまく動かしたい等……そのお心のままに、情報をご提供いただければ」


 ただ、情報を売ったとして、その相場の記載が無いのだが……簡単に値を付けられるものではないのだろう。

 その点に関し、リズは商業国家としての公平性とプライドを信じることにした。

 値付けを誤るような、安い国ではない、と。


 とりあえずは前向きな姿勢を見せる彼女に、武官が今回の委託について、また重要な話を続けていった。リズとマルシエルの関係についての、対外的な筋書きだ。

 まず、協商圏の安全保障のため、協商旗を掲げたマルシエル関係者の船を運用する計画が、かねてから存在した。これは事実であり、協商圏の各国も、この計画については従前から賛同・承認している。

 では、誰にこの仕事を委託するか。主管部であるマルシエル軍が候補者の選定にあたっていたところ、ハーディングから噂の人物が自国へ来るという情報を入手した。

 しかも、その航路で海賊船まで拿捕(だほ)したというではないか。声をかけようと考えていた人物が、委託するつもりであった業務を先取りしていたのだ。

 そこで、軍部は例の人物へのアプローチを決定。

 当の本人も、海上で何か稼ぎになる仕事をということで、護衛等の仕事を物色しているところであった。結果、互いにとって渡り船といった状況で、契約締結――


 この対外的な名分というのは、主にラヴェリア関係で何か事が起きた時のための口実だが、半分以上は真実である。関係者に都合がいいように、些末な部分を脚色したに過ぎない。

 リズとの関係を維持することに利を見出し、一方でラヴェリアからの追及は避けたい――そういったマルシエルの思惑あっての筋立てだが、当のリズにとっても悪い話ではない。

 むしろ、彼女にも十分に利がある話と言える。マルシエルからの出向者を通じ、旅先での便宜を図ってもらえる上、継承競争に係る情報には値段が付く。

 それに……ラヴェリアとの間で事が起きた時、先方は尻尾を切ってシラを切る気満々のようだが、それは望むところでもある。母国との争いが表面化し、そこに他国が巻き込まれることは避けたいのだ。

 下手をすれば、何かの拍子で国家同士の戦争へと発展しかねないのだから。


(そう考えると……海賊退治よりもむしろ、出向の方を通じての情報収集が、お互いにとっての主目的になるかしら?)


 ともあれ、この委託業務に関し、彼女は受諾する方向で腹を決めた。

 その前提の元、念のために仲間たちに視線を向けるが……特に異論はないらしい。三人とも真剣な魔差しを返してうなずいた。


「この件、謹んで承ります」


 そう宣言すると、関係部署の高官――つまり、この場のほぼ全員――が、ホッと安堵する様子を見せた。

 ただし、船の所有権とそれを用いての活動は決まったが、肝心の要員についてはまだ白紙である。

 それについて、マルシエルとしては一応の提案があるという話だが。法務の高官が、ややためらいがちな様子で口を開いた。


「殿下が連行してくださった船乗りたちですが、懲役刑を課す代わりに……殿下さえよろしければ、配下としていただいても支障はございません。そのように諸手続きを行います」


「……よろしいのですか?」


 喜ばしくあるような、あるいは申し訳ないような。内心で迷いのようなものも覚えつつ、リズは好意的な態度で言葉を返した。

 慕ってくれる者と共に、また海に出ることができる。生意気な連中も含まれるだろうが、それはそれで、である。一から要員を揃える手間も考えれば、願ってもない申し出だ。

 だが……ラヴェリアとの争いに巻き込まれる可能性がある。それをわかっていながら応諾してしまって良いものかという思い、今更という諦念にも似た割り切り、そして――


 犯罪に加担した経歴の持ち主ならば、帰る場所がない者ならば、そうでない一般市民よりも、自分のクルーには相応しいのでは。

 そんな、現実的な冷徹と自嘲入り交じる思いもあった。


 そうした感情を、リズは一度飲み込もうとしたが……渦巻く思いが、少しは表に(にじ)みでてしまったのかもしれない。議長が複雑な表情で視線を向けてきている。そして、彼女は言った。


「体の良い厄介払いのようで、彼らにも申し訳なく思う気持ちはあるのですが……この国で更生するとなると、彼らにとってはむしろ苦しいのではないか。そのようにも思われましたので」


「この国が、彼らにとっては……生きづらいのですか?」


 意外に思ったリズが問いかけると、議長はうなずいた。


「このマルシエルという国は、良くも悪くも向上心ある者たちの国です。才能と気骨ある者が海外から集い、成功を(つか)もうと切磋琢磨し合う。もちろん、程々で満足できる者も、少なくはありません。ですが……いずれにせよ、自分という確固たる芯がなければ、自分と他人とを比べてしまって息苦しさを覚えるかもしれません。実際、この国に生まれても、結局は国の空気に馴染めずに外へ出ていく者が、相応にいますから」


 言われてみて、リズはハッとした。短い滞在の中、この国の光の部分ばかりが目についていたのだが……

 控えめな影は、身を潜めるどころか、光から去っていってしまったということだろう。

 そんな国の中で、あの船乗りたちが――暗い過去を持ち、それを気にしてしまいそうな彼らが、前向きにやっていけるものだろうか。その確証を、彼女は持てなかった。

 とはいえ、ラヴェリアに付け狙われる自分の立場を思えば、どっちもどっちという感はあるが……


 しばし、どことなく湿っぽい沈黙が流れた後、再び議長が口を開いた。


「殿下は、彼らのことを気にかけておられるのですね」


「それは……そうですね」


「……こうした発言をお許し頂きたいのですが……仮に殿下の御身に何かがあった場合、彼らの身柄さえ我が国へと無事に送り届けていただけたのならば、彼らのそれまでの精勤には必ずや報いる考えです」


 つまり、リズ亡き後の彼らの処遇は任せよと、一国の主席者が口にしたのだ。

 書面を取り交わしてのものではない。他の高官たちも、法務関係以外は虚を突かれたようにしてもいる。それはリズたちも同じことか。思いがけない発言に、多少は面食らっている。

 だが……この会談が扱うものを考えれば、必要な考えではあった。逃げずに口にした議長に、リズは改めて感服する思いを(いだ)き、深く頭を下げた。


「よろしくお願いいたします……そのような事態が起きぬように、どうにか永らえたいものですが」


「ええ、本当に」


 いつまでリズが生きていられるか。それは誰にもわからないことであり、おいそれと口にできる問いでもなかった。

 ただ、場の集う多くが、彼女の息災を願ってくれているのは疑いなく……各自が内に秘めた思いが何であれ、彼女は感謝した。

 その後、議長は微妙な笑みを浮かべて言った。


「このようなご提案をさせていただいて、こういった事を言うのは恥知らずかと思いますが……あくまで我々は、ラヴェリア王家のあり方に、干渉しようという考えはございません。ただ、かの国の動き次第では、重大な事態が引き起こされる懸念がある。そういった憂慮から、情報収集という形での関与は必須と考えております」


「心得ております。邪魔立てはしないが、情報だけは……といったところでしょうか」


 リズが口にしたものは、そのものズバリであった。議長はうなずき、言葉を進めていく。


「継承権者からの攻撃に対し、マルシエルとして、殿下をお守りすることは考えておりません。当代の継承権者のうち、どの方が王位に就くべきかも、特段の意図はございません。しかし……勝手な願いではありますが、殿下とは長くお付き合いさせていただきたいものです」


 これは、国家上層部としての総意に近いものらしい。議長に続き、他の高官たちが恭しい態度で頭を下げていく。

 気に入られた、あるいは高く買ってもらえているといったところか。

 決して安請け合いできる願いではなかったが、リズは堂々と胸を張って、ただ静かに微笑んだ。

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