第136話 マルシエル観光②
食べ歩きしつつの観察を進めていくマルクとアクセル。
次第に日が少し傾いてきた。頃合いと見てアクセルが口を開く。
「そろそろ、いい感じでしょうか」
「そうだな」
実際、日焼けが強い部類の人間が、島の外側から商店街へと向かっているところだ。仕事終わりに食事を取り、軽く一杯……というところだろうか。
新たに生じつつある人の流れに乗るように、二人は動き出した。
歩いていく先は、商店街の外側と港との間にある、飲食店が軒を連ねる区画だ。店構えに華はなく、いかにもその地の人間が親しんでいる、そういう空気を二人は感じ取っていた。
「どこ入ります?」
「混んでる所が良いな。外から見て、満席っぽいところにしようか」
「やっぱり」
元は同業だけあって、二人の間に多くの確認は必要なかった。
そうして目星をつけたのは、壁がコの字になっており、外側に大きな庇が張り出している、開放感溢れる店だ。見たところ、ほぼ満席である。
張り出した屋根の端の方には、ウェイトレスが控えている。彼女に歩み寄り、マルクは問いかけた。
「すみません、空いてますか?」
「実は満席で……相席でもいいですか?」
「ああ、ちょうどよかった」
ポロッと口にすると、ウェイトレスが不思議そうな目を向けてきた。この反応を見計らって、マルクは言葉を足していく。
「実は、僕らはこの国に観光に来たばかりで。ここの方と一緒に、食事しつつお話できればなぁって」
「ああ、そういうことなら……」
陽気なウェイトレスは、「任せな!」と言わんばかりのイイ笑顔を向け、二人の案内を始めた。
スムーズな事の流れを見守っていたアクセルは、マルクの手際に少なからず感心の念を覚えた。普段とは言葉遣いと態度がまるで違うのもそうだが……
店構えと雰囲気、ウェイトレスの様子から、マルクは今の流れをある程度見込んでいたのだろう。
実際、協力的なウェイトレスのおかげで、ちょうどよさそうな席を見つけることができた。少し酒が進んでいるのか、気分良さそうな二人組の青年が先客だ。
装いから見るに、現地民であろう。一方は長袖を捲りあげており、よく日に焼けている。相方は、焼け具合がもう少し薄い。
見込み通り、彼らは相席を快諾した。「とりあえず、みんなでつまめる物を」と、マルクが手慣れた幹事のように、適当にオーダーを飛ばしていく。羽振りよく注文する客に、ホクホク顔のウェイトレス。
彼女が立ち去ると、まずは自己紹介が始まった。無論、身分を開かせない二人は、事前に設定しておいた偽名とシナリオを、しれっと口にしていく。
「へぇ~、マルシエルで船探しね」
「色んな国に行ってみたくてね。クルーが手っ取り早いんじゃないかって」
この先の流れがどうあれ、おそらくは洋上生活がメインになるだろう。少なくともリズは、追手を撒きつつラヴェリア側からのアプローチを制限するため、船で何らかの活動を行うことを目論んでいる。
そこで、海や船舶に絡めた背景を設定し、関連情報を聞ければというわけだ。
事前の打ち合わせでは、この場はおおむねマルクに任せることに決まっている。二人が話し出して、妙な食い違いが出ては面倒だからだ。話のスタイルというものもある。
今のところ、相手側の感触は良好。気前のいい追加注文の力もあってか、友好的な雰囲気である。
ただ――マルクには、さらに手土産があった。
「タダで色々聞かせてもらうってのも、どうかと思ってね。だってほら、ここって商業大国だしさ」
「ハハッ、それもそうだ。ギブ・アンド・テイクってね」
和やかに応じてくる相手に、マルクは手持ちのカバンから取り出した物を手渡した。アクセルには見覚えのない品だ。丁寧に綴じてある、何かの冊子のようだが。
「なんです、それ」
「新聞だよ」
「……こりゃ驚いた。ハーディングの新聞か」
手渡された青年がつぶやき、相方が興味津々といった様子で顔を近づけた。
マルクが持ってきたのは、港を発つまでに集めてきた、ハーディングでの新聞の総集編だ。
「新聞と言うには、情報の鮮度がアレだが……」
「海外の、それも過去の新聞を、後知恵アリで見てみるのも面白いかと思ってさ」
「ふむ」
実のところ、このマルシエルの民は、ハーディングで何が起きたか知らぬわけではない。かの地は商売相手でもある。
しかし、市井にまで降りてくる情報には限度があるだろう。
そこへ、当時を伝える新聞がやってきたのだ。鮮度ということでは、とうの昔に過ぎたことではあるが……知らなかった情報には違いない。
少し酔いが回っていた二人も、好奇心で酔いが少し冷めたようだ。
この食いつきを認め、手土産の威力とマルクの物持ちの良さに、アクセルは思わず感心した。
「いや、確かに面白いな。海の向こうで、何かすごい事が起きてるってのは知ってたが……」
「そんな、ハッキリと情報が来るわけじゃなかったもんなァ」
「楽しめてもらえてるようで何よりだよ」
ただ、綴じた新聞を二人で読むのは窮屈で……
マルクとアクセルには、むしろ好都合であった。「後で読ませてくれよ」と相方に言った後、現地民の青年が二人に顔を向けた。
「お返しに、何か面白い話でもしないとなぁ……」
☆
「……幽霊船?」
切り出した噂話に、怪訝な顔を向けるリズ。彼女にマルクは「ああ」と短く返した。
日没後に合流し、一行が選んだこの店は、大衆食堂と言うほどの賑やかさではないが、かといってお高い雰囲気もない。客層も様々なレストランといったところだ。
地元民の他、海外から来ていると思われる客も多い中、一行は浮くことなく雰囲気に溶け込んでいる。服を買いに行った女性陣が、気を利かせて青年二人の分も調達してきたのだ。
さて、この幽霊船の話だが、マルシエル国民の中では割と知れた話らしい。特に、海運に縁のある者の中では。
幽霊船という言葉に、他の卓の客は大した反応を見せない。単に聞こえていないだけという可能性もあるが。周囲の様子をうかがいつつ、マルクは話を先に進めていく。
「悪天候の中で、フラッと出現するらしい。ただ、出くわして生き残った奴がいないってあたり、眉唾というか……何か、話に尾ひれがついて、盛っていった感じはあるな」
「ふーん」
しかしリズは、あながちただのヨタ話ではないと考えた。
「何か、それと見間違われるような事象があるのかもしれないし……気に留める価値はあるかもね」
「僕もそう思います。祓魔術の備えがあっても……」
と応じたアクセルだが、彼はハッとして口を閉ざし、すぐに何食わぬ顔でサラダを口に頬張った。
そこでリズは、セリアにそれとなく視線を向けた。
どうも、今の話の流れを、妙には感じなられなかったらしい。特に変わりない様子の彼女は、視線を向けてきたリズの方に、むしろ気を引かれたようだ。
(アクセルは……やっぱり、魔法のことを口にするのは、思う所あるでしょうね)
魔法を使えない彼が、今後のためにと魔法の備えを提案するのは、必要とはいえ丸投げの提案になってしまうところはある。
リズは、彼の心中を思う一方、同行者の反応にも気を配った。アクセルのことを変に思われては、色々と困るのだ。彼の体質を、マルシエル側が把握している可能性はあるが……
とりあえず、自分に注意が向いている今、彼女は話の矛先を変えることにした。
「できれば、その……図書館に行かせてもらえれば、なんて」
「それはもちろん構いませんが……」
この快諾に、リズは顔を輝かせた。
金、モノ、人、情報……世界中から様々な材が導かれるこの国の大図書館は、世界的にも名高い存在だ。マルシエルへ向かう理由ではなかったが、機会があればとは思っていたところである。
「入り浸っちゃおうかしら……」と思わずつぶやいた彼女に、ニコラは困り気味の笑みで言った。
「せっかくですし、もうちょっと観光しましょうよ~」
「いえ、例の大図書館も、十分名所だし……」
と、件の建物への憧れを隠そうとしないリズ。
自国の名所がこのように言われて、悪い気はしないのだろう。同席するセリアは静かに食事を続けつつ、年下の客人に顔を綻ばせた。




