第134話 告白
禁呪、《家系樹》の力で信じられないものを見せつけられ、会談の場は沈黙に支配された。
しかし、大列強国のトップに立つだけのことはあり、議長の回復は早い。リズの名乗りに一瞬、真顔で凍り付いていた彼女は、すぐに落ち着きを取り戻していった。
そして、回復だけでなく理解も早い。
「大変に無礼な問いとなることを、お許しいただきたいのですが……現国王陛下の婚外子という認識で、差し支えないでしょうか」
「はい」
この理解は、ある意味では当然でもあった。
ラヴェリアの王子王女たちは、いずれもお飾りなどではなく、すでに何らかの要職に就いている。国際的に、よく知れた人材なのだ。マルシエルほどの国であれば知らぬはずがない。ましてや、その首長であれば。
その前提の下、《家系樹》で現国王の実子だと示されれば――存在が秘匿されている子女だというのは自明である。
嫡子でないということは、他の同席者も察しがついていたのだろう。この件が話題に上がっても、別段の驚きを示されることはなかった。
リズにとっては幸いである。話が早い相手であれば、この先も信じてもらえるだろう。
マルシエル側も、何か察するものはあるようだ。次なる話題に側近二人が身構える様子を見せる中、議長は問いかけた。
「おそらく……殿下が身分を明かされたのは、我々が初めてか、それに近いのではないかと考えますが……今回のご来訪とも、関係が?」
殿下という表現を、特に含むところなく、議長はナチュラルに口にした。リズ一個人に対する礼が、そのようにさせたのだろうか。
方やリズは、そういった敬称になんとも言えない違和感を覚えつつ、「はい」とうなずいた。
相手も薄々感づいているだろうが、ここからが本番だ。
一層の緊張で表情が硬くなる中、彼女は語りだした。ラヴェリアからの追放、それから始まった継承競争、それも絡めてのハーディングでの革命。自身の視点で掴み得た情報の多くを――
話は、彼女が一方的に口にしていく形で進行した。他が言葉を挟めなかったからだ。
本当に信じてもらえているかどうかも定かではない中、話している自身でさえ、過去を悪い夢のように感じつつ、彼女は一人語っていった。
やがて、ここに至るまでを話し終え、彼女は口を閉ざした。
室内に重苦しい沈黙が訪れ、誰にとっても長く感じられる、窮屈な静けさと緊張感がのしかかる。
ややあって、彼女は渋面で考え込む議長に声をかけた。
「議長は、疑われないのですか?」
「……情報の精査は必要かと思われますが、お話しいただきました内容に、重大な不整合はないものと……こちらからも、少しよろしいでしょうか」
「はい」
何を話されるものか。すでにいろいろと覚悟を決めているはずだが、それでも身が強張る思いはある。
緊張で固唾をのむリズに、議長は言った。
「ラヴェリアにおける王位継承争いは、事実上定例化、あるいは制度化がなされているのではないか。そういった見解が、わが国の有識者の間では根強く存在しています」
これは初耳だった。この件について、議長の側近が補足を入れていく。
王室内で権力争いが起こること自体、そう珍しいことではない。史学的には、むしろよくあることである。
加えて、ラヴェリアほどの大国であれば、王権も絶大な力がある。それをめぐる争いが生じるのは、不思議ではない、と。
しかし……それにしても異常なのは、まず長子継承の少なさ。他国の王室に比べれば、差は明らかだという。
また、いずれの代替わりにおいても、何らかの形で継承者同士が競い合う様子が確認される、と。
より奇妙なのは、そうした競争を経て王権を握った新君主の性質が、多岐にわたるということだ。競争に積極的な野心家、血なまぐさい武断主義者ばかりではなく、後の世に賢王と讃えられる温厚な継承者も少なくない。
「兄弟間の争いに不向きと思われる継承者が歴史上幾人も出ていることから、派閥間闘争の中にも何かしらの制度があり……偏りを避けるような仕組みがあるのではないかと」
「なるほど……」
世紀の告発によって裏付けを得たマルシエルだが、従前からこういった見解を持っていたということに、リズは少なからず驚かされた。
ただ、ラヴェリアの王室典範について、注意を払うのは当然だという。
「現国王陛下の御即位の際も、大きな問題が起こりましたので……」
議長側近がそう口にするも、表情は沈んだまま動かず、言葉が続かない。
実父がどのようにして王位についたか、リズは知っている。話題に出しかけながらも、結局は口を閉ざしてしまうのは無理もないことだと、彼女は考えた。
結局、途切れた話題を議長が引き継いだ。
「ご存知かとは思いますが……陛下の代の競争におかれましては、陛下唯一人が生き残られたと」
「はい。存じております」
当時の継承権者は9名。第7王子である現国王バルメシュ・エル・ラヴェリアが、最終的な生き残りとなって王位についた。
それほどの大禍ではあったが、外に伝わるほどの正式な記録はない。王都の外にまで飛び火することはなかったということもあり、内密に処理したのだろう。
ただ、抗争の凶刃は当時の王にまで及んだ。その傷が祟って、新王即位の翌年に没している。
そうした争いを勝ち残った青年が長じて、泰平の世の名君と称賛されるに至ったのだ。
――その名君が、実子一人に過酷な運命を背負わせてもいる。
重苦しい事実確認の後、議長はため息をついてから、リズをじっと見つめた。
「王都近辺で収束した事変でしたが、一歩間違えれば……という抗争でもありました。それ以降、我が国はラヴェリア王室に対し、より一層の注意を傾けております」
縁を切ってきた国が、こうして他国に迷惑をかけている。この事実に対し、何を言ったものか。リズは思い悩んだ。
そうやって口を閉ざす彼女の前で、議長もまた、思い悩む様子を見せた。
そして彼女は、逡巡しながらも口を開いた。
「あくまで、非公式の、一個人としての見解ですが」
「はい」
予防線を張ってくる議長は、自身を情けなく思っているのか、少し困り気味に微笑んで見せている。そんな彼女に、リズはまっすぐ視線を向けた。
「ご兄弟をすべて失うような争いがあったからこそ、バルメシュ陛下は、大きな戦火を避けて統治なさってきたのかもしれません。一方、国体を維持するため、継承においては何かしらの競争が必要なのでしょう」
「……そのために、私が」
「陛下はそのように考えておいでのことと、私は考えています。ですが……」
そこで言葉を切った議長だが、次がなかなか出てこない。
リズは身構え、続きを待った。すると――
「ハーディングでの革命は、あなたがいなくても、結局は収まるところに収まったことでしょう。しかし、あなたのおかげで大勢が救われてもいます」
そして彼女は、穏やかな顔で言葉を結んだ。
「私には、あなたが死んで然るべき人材には見えません」
言葉を真顔で受け止めた後、リズは深々と頭を下げた。
いくら予防線を張っても、立場ある者の発言である。相当の勇気は必要だっただろう。
これを、たかだか一個人による気休めなどとは、決して思わなかった。
ただ、先方は先方で、発言に対する捉え方が違うようだが。頭を上げた彼女に、議長は言った。
「申し訳ありませんが、他国の王室典範に干渉する考えは……私にはありません。この件を含め、殿下の今後について、まずは議会に持ち帰って協議させていただく所存です。差し支えなければ、数日間、我が国で結論をお待ちいただければと思うのですが」
「貴国のお考えに従います」
そう言ってリズは、深く頭を下げた。
場の流れで明かしたという側面はあるが、今後を考慮すれば、決してこの暴露は悪い賭けではない。
というのも、彼女はこの国に長く留まれないと考えているが、先方も同様に考えているはずだからだ。
それに、信用を重視するお国柄でもある。この国につくまでに航路の安全確保に貢献した点を踏まえれば、手切れ金的に船の所有権を認める判断は十分にあり得るだろう。
「船を差し上げますから、これ以上関わらないように、どこへなりとも」というわけだ。
最悪なのは、捕縛された後でラヴェリアに引き渡されることだが……それはもう、諦めるしかないと、彼女は考えた。
結局は、罪人扱いが似つかわしい、その程度の人間でしかなかったのだと。
この後がどうなるものか、今から案じても仕方ないと思いつつ、彼女の胸中は不安で押し潰されそうになった。
ただ、不安の出どころは、この会談だけではない。それに気づいた彼女は、議長に請願した。
「急な話で申し訳ございません。多大なご負担をおかけしたものと思われますが……折り入ってご相談が」
「何でしょうか?」
「私の出自について、旅仲間たちには、まだ告げておりません。露見を避けるべきとは考えておりますが……何卒、彼らに伝えるお許しをいただければと」
この懇願を真剣な表情で受け止めた議長は、少ししてから慈悲深い笑みを浮かべた。
☆
マルシエルの大講堂にほど近い場所に、国賓等の重客向けの迎賓館がある。
その一室、広々とした部屋の中で、リズは仲間たち三人に自分のことを告げた。
三人とも、薄々とリズが只者ではない、特別な出自があると感じていたことだろうが……この告白は、その想像を容易に飛び越えてしまったようだ。告白の後、いずれも口を閉ざして黙りこくった。
神妙な顔の三人に目を向けた後、リズはそれぞれから視線を外した。こういう話をした後、相手を見つめ続けることに、なんとなく卑しいものを覚えたからだ。
ドアの外には、この件を知る案内係が控えている。聞けば、要人警護の手練だという話だ。会談の場においても、議長を始めとする要人の信任を受けて同席したのだとか。
彼女以外にも、この建物には護衛が多数配置されているが……リズの過去を知るのは彼女だけだ。議会での協議が終わるまで、マルシエル滞在中は、彼女が護衛として帯同することになる。
お目付けという面もあるだろうが、ラヴェリアの手先がこの国にもいるかもしれない。頼れる仲間がすでにいるが、新たな護衛の申し出を、リズは快諾していた。
――仲間たちがどうするか量りかねたから、というのもある。
居心地が悪い沈黙が、どれほど続いただろうか。最初に口を開いたのは、マルクだ。やや遠慮がちに、彼は尋ねてきた。
「……今後、どのようにお呼びすれば?」
「どのように、って」
「いや、側近には殿下と呼ばせたいとか……ないか」
このやり取りに、リズは少し思考が追いつかなかった。
やや間を開け、理解に至った彼女は、思わず普段よりも気持ち大きな声を出した。
「もしかして、その……まだ、ついてきてくれるの?」
「スリリングな生き方をしたいと口にしておいて、ここで逃げては恥ずかしいからな……それに、ラヴェリア的には国賊なんだろうが……世間的には善行を積んでいるとは思うぞ。いや、思います」
取って付けたような敬語を真顔で放つ彼に、ニコラから含み笑いが漏れる。
続けて、彼女は自分の考えを口にした。
「ここまでの刺客で、あの魔神は私たちも見てるんですよね……甘く考えるわけじゃないですけど、どうにかならないこともないんじゃないかな、って」
「そうですね。相手方も、今は色々と動きにくいかもしれませんし」
どうも、この命知らずたちは、これからもついてくる考えのようだ。
いや、他の仲間がいる手前、調子を合わせているだけかもしれない。
そうやって信じられない自分の狭量さ、信じたがってしまう弱さ。いずれをとっても自分の影を見るようで、リズは視線を伏せた。
「……着飾ってしおらしくすると、だいぶ印象変わるな」
「そ、そうですね」
感心したような青年の声。これに「バカじゃないの?」と返し、リズは腰掛けたベッドに寝転んだ。一人では広い寝床で、なにもない真っ白な壁に目を向ける。
また沈黙が流れ……どういうわけか、今回はさほど苦痛には感じない。
ややあって、彼女は口を開いた。
「みんな、ちょっといい?」
「なんです?」
「起きた時、誰もいなくなっても、私は怒らないし恨まない。だから……好きに決めて」
「信用ないですねえ……」
「ごめん」
「ご自分に、ですよ」
背に受けた柔らかな言葉に一瞬遅れ、リズは口元を手で必死に抑えた。内から溢れるものが、全身を小さく揺らす。
どうにか落ち着きを取り戻し、彼女は返事を絞り出した。
「ありがとう」




