第132話 会談相手
世界にはいくつもの、意思決定機構がある。
その中でも特に強い力を持つものと問われれば、世の多くはラヴェリアの名を冠する物を挙げるだろう。ラヴェリア王室か、あるいは国王直下の諮問機関である、ラヴェリア枢密院か。
それに匹敵する権威と影響力を持つと認識されているのが、マルシエル議会である。
思わぬところからの呼び出しに、リズは少し驚かされた。
ただ、人違いの可能性を尋ねてみるも、それはないという。
呼び出しに来た役人曰く、「ハーディングでご活躍なされた、エリザベータ女史」に用があるのだと。
「実を申し上げますと……港を発たれる前から、我が国はあなた様に、何かしらご縁をと考えておりました。そこで、我が国へと向かわれるという情報を得、こうしてお声がけに参った次第でございます」
なるほど……と、リズの中で疑問がだいぶ氷解した。
大列強の中でも、マルシエルは諜報力に優れた国という世評がある。
リズ自身、《家系樹》というズルがなければ、紛れ込む諜報員の尻尾も掴めなかったであろう。
積極的に工作を仕掛けてくるわけではないが、潜伏力と情報力に優れたものがある――
これが、革命の当事者として、彼女が肌で感じた印象だ。
彼女がトーレットを発ち、ここへ向かっているという情報をマルシエルが得ていたとしても、不可解というわけではない。
それに、商船の側に、そういう諜報員がしれっと紛れ込んでいたかもしれない。船の護衛にと、商人が私兵を乗せていたという流れもある。
ハーディング内で接触がなかったのは……他国の目もある中での抜け駆けを嫌ったか。
事の流れに合点がいく思いのリズだが、招待にやってきた官吏たちは、頭を下げて詫びた。
「裏で情報を嗅ぎまわる形となってしまい、大変にご不快な思いをさせてしまったかと……」
「いえ、そのようなことは……名だたる大議会からのお声がけ、大変光栄に存じます」
謝意もあらわな役人相手に、リズは丁寧に言葉を返した。
この呼び出しについて、彼女は別の可能性を案じていた。継承競争の面々が、ラヴェリア外務省を通じて何らかのアクションを起こしてきているという可能性だ。
ラヴェリアとマルシエルの関係は、それなりに友好的である。大海を挟んで距離を置いているからというのが大きいが。
少なくとも、海外にロクでもない、ならず者国家の存在がある以上、この二大国が表立って相争う理由はない。
遣いに出した者に知らせていないだけという可能性は、まだ否定しきれないが、相手から感じられるのは歓待の意志。相応の立場にあるだろう官吏が、穏やかな雰囲気の中に敬意や礼節を見せている。
ラヴェリアの影は、少なくとも今は感じられない。むしろ、招待に応じないのが不自然という空気だ。
それに、色々と嗅ぎ回ったという点で苦言を呈すならば、まずはリズの仲間たちが口撃の対象となろう。
そもそも、リズ自身も色々と脛に傷がある身であり、とやかく言えるものではない。先方が申し訳なく思っている間に、話を切り上げるのが得策と、彼女は考えた。
すでに割り切っているのか、仲間たちは素知らぬ顔。彼らを頼もしく思いながら、彼女は改まって諾意を告げた。
「貴国からのご招待、謹んで承ります」
「ありがとうございます」
「しかし……ご招待を受けたのは、私一人という認識でよろしいでしょうか?」
すると、遣いの官吏たちは、またも申し訳無さそうな顔になった。代表の一人が、この件について補足していく。
「お連れ様につきましては、あくまで国賓のお連れに準ずる形で、接遇させていただきます。ご会談につきましては、あなた様お一人をご招待するものとお考えいただければ」
「……とのことですが、よろしいかしら?」
場の空気に合わせるように、普段よりもやや堅く真面目な態度で仲間たちに問いかけると、三人は無言で了承した。
その後、抜け目ない官吏たちは、リズが別に気にしていた事について先回りしていった。
今回の海戦について、彼女らにも証言を求める必要はある。その点に関しては、規定通りにきっちり行うとのことだ。
よって、会談の流れ次第では、リズたちに忙しない思いをさせるかもしれない。そのことについて、再び謝罪を入れられた。
ひとしきり話が済み、リズたちは艦長をはじめとする海兵たちに、改めて頭を下げた。
「ここまで、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。それにしても、港に着くなり思わぬ事態といったところですが……一時とはいえ、旅路を同じくした身としては、誇らしい限りですな」
鷹揚な老紳士は、そう言って柔和に微笑んで見せた。
彼に「またいずれ」と口にしたリズ。
いざ、マルシエル議会へ……という前に、案内係の役人が一人、リズの前に歩み出た。恭しい所作で、白い布モノを差し出してくる。
「よろしければ、こちらをお召しください」
手渡されたのは、長袖のワンピースに近いものだ。手触りなめらかで、軽めの素材。ゆったりした作りになっており、今の装いからさほどの違和感なく軽く羽織ることができる。
これを見て、リズは得心した。
(まさか、水兵っぽい姿のままで、国の中枢までは行けないわね……)
用意の良さに感服しつつ、彼女は礼を言ってからさっそく服を身にまとった。重ね着という形にはなるが、着る側としてそこまでの違和感はない。
ただ、見た目はどうか。この新たな装いについて、服飾担当の仲間に意見を求めようと考え、リズはニコラに顔を向けた。
「よくお似合いですよ~」と、服屋の店員のような言葉をあっさりともらえて、少し拍子抜けする思いだったが。
青年二人から見ても、今のリズは中々らしい。
「何着ても似合うのは便利だな」
「そ、そうですね」
と、二人の反応には、なんとも言えないズレ感があるものの。
とりあえず、今のリズは国賓という扱いである。彼女の荷物であるリュックサックに、アクセルが率先して手を伸ばし、代わりに運ぶ流れに。
そうして一行は、招待の場へ向けて歩き出した。道すがら、案内役の役人から、マルシエルについて解説がなされていく。
複数の玄関島を外層とするマルシエル諸島において、国民からは親しみを込めて”本店”と言われる島がある。
諸島の中でも比較的大きい、中央に坐するその島が、今から向かう国家中枢のマルシエル本島である。
本島までの道のりは、船の他に陸路も存在するという。
というのも、マルシエル諸島は島々の密集度が高く、中には橋を架けられる程度の川のような隔たりしかない箇所も多い。本島までは、そういった橋が方方から通じているのだ。
また、玄関島の層よりも内側は、ほとんど波がない。島々の行き来は、簡素な船でも問題はない。中には、泳いで渡る者も少なくないのだとか。
そうした解説を耳に、活気ある街並みを横目に、一行は港を出てから歩きに歩き……先ほどとはまた別の港が見えてきた。諸島内交通網の一つである。
目的地である本島まで、橋を繋いでの陸路で行けないこともない。しかし、お呼び立てしておいて足労願うのも……というわけで、役人たちはここへ案内したというわけだ。
観光の一環という面でも、海を使わせてもらうのは、リズたちにとって好都合だった。喜んで案内に従うことに。
到着した港は、国内向けの船舶を扱う港である。いくつかの方向に長い桟橋が伸び、その先端では、手旗で船を誘導する役人の姿が。
船は数隻見受けられるが、規格化されているようで、一見するとどれも同じだ。外洋向けに比べると喫水が浅いが、その割に前後に長く幅広。一度に大勢が乗り込めるもので、日差しへの配慮からか、客室は完全に屋根に覆われている。
そのうちの一隻に案内され、一行は船に乗り込んだ。
木造の船で、屋根はあるが圧迫感はない。窓が多いのと、木材が明るめの色合いをしているからだろう。
議会からお招きに与った身とは言え、さすがに貸し切りではなく、他にも国民らしき乗客が大勢。
あまり周囲を見回し、落ち着かない様子でいるのも……と考え、リズはおとなしく座席へ静かに身を預けた。
乗船してから程なくして、船は音もなく動き出した。滑るように動いていくこの船は、魔道具によって推進する魔導船だ。
似たような船に、リズも乗ったことはある。しかし、記憶にあるそれらの船よりも、この船は少し大きめながら、確実に速い。
これも大国としての技術力というものだろうかと、彼女は一人嘆息した。
他の客も乗っている手前、あまり不用意な会話は差し控え、当たり障りない雑談に興じる一行。
程なくして、船は目的地に着いた。マルシエル中枢の本島だ。
船から出て港に足を踏み入れ、リズは本島の景観をじっくり観察した。
玄関島と同じく、建物は白い壁と屋根で構成されている。これは、マルシエル諸島全体に共通する様式なのだろう。
彼女が意外に思ったのは、背が高い建物が想像よりも少ないことだ。大列強の一つ、その中枢の島ということで、威圧的な建造物を予想していたものだが。
ただ、進んでいく内に目に入った議事堂は、さすがに立派だった。白亜の建造物は上がドーム状になっており、南国の日差しの中で輝かしい威容を見せつけてくる。
そんな建物の周辺には、緑が満ちて水路も引かれ、庭園の緑の中を滑らかな白い石畳が縦横に走る。
整然とした美を感じさせる一帯は、もちろん、人の手によって維持されている。
一行から見える範囲に、ちょうどそうした労働者がいた。庭師が木の手入れを行っているところだ。
造営している横を通りかかると、一行に気づいた彼が作業を止めた。そんな彼に、案内係の役人が先んじて一礼。それに慌てて庭師が応じ、リズたちも軽く会釈した。
こういうところでの仕事を任されるだけあり、官僚からも敬意を払われているのだろう。
客の手前、そのように飾っている……というわけでもあるまい。ここに至るまでの間も、案内人たちは各種の労働者に対して礼節ある態度をとっていた。
やがて、目的とする建造物の前に差し掛かったところで、案内人たちはリズたちに向き直った。
「この先、エリザベータ様とお連れ様は、別行動をとっていただくことになります」
「かしこまりました」
会談はあくまで、リズを対象としたものである。
もっとも、リズの仲間がどういう人材か、先方もすでに把握済みのことであろう。承知の上で、リズの連れとして同行を許したと考えれば、彼らの扱いも相応のものになるはず。
特に紛糾することなく、一行は二手に分かれた。仲間たちに軽く手を振り、リズは議事堂の中へ足を踏み入れていく。
入り込んだ先は、日陰だからか少しひんやりとしていた。気温としては暑い方に入るのだろうが、ここまでの南下していく船旅での慣れもあって、日陰というだけで十分快適であった。
白い壁が続く幅広な廊下は、ところどころ明り取りから日差しが入り、灰色の床には光が織りなす明暗が装飾となっている。
調度品などは見当たらないが、王宮暮らしが長かったリズの目から見ても、十分に優美ではあった。
廊下を進んでいき、建物中程へ。まず案内されたのは、衣装部屋の一つであった。
建物外側は完全に石造りのようだが、内部はそうでもないらしく、この部屋は板張りである。
結構な大きさの整然と並ぶ衣装の数々。こうした部屋に今まで縁がなかったリズではないが、自分が招かれる側、利用者というのは初めての事。どこか気後れするような感情を抱いた。
そんな彼女へ、部屋の係が口を開いた。「お気に召すものがありましたら、何なりと」とのこと。強く、「変えろ」と言われているわけではない。
ただ、会談にあたってワンピースの下に、市販の水兵服というのは……リズは、これが会談の場に似つかわしい装いとは思わなかった。
正規の水兵も、こういう場であれば、何かしらの正装で臨むだろう。
着替えの申し出に、彼女は謝意を示した。
……が、現地の流儀がよくわからない。見たこともない、おそらくは各国の伝統衣装があるあたり、様々な客のニーズに即応できる用意はあるのだろうが……
せっかくだから、この国の装いで――と、彼女は思った。
「会談の場に、貴国の装いで臨ませていただければと思うのですが……こちらの文化に疎いもので。よろしければ、適切なものを見繕っていただければ助かります」
困り気味の笑顔で口を開くと、係はハッとした顔になり、すぐさま丁寧に頭を下げた。「かしこまりました」と口にし、さっそく着替えの準備を進めていく。
☆
「こちらです」
「かしこまりました」
恭しい案内係に合わせるように、リズも丁寧な所作で応じた。装いが、それを強制してくるようでもある。
今の彼女の装いは、白のワンピースドレスだ。髪はシニヨンでまとめてあり、装飾品もいくつか。品のある、フォーマルな格好だ。
こういった装いは、彼女にとって生まれて初めてのことであった。
格式のある場には縁があった彼女だが、正装と言えば給仕としての装い。
そもそも、宴の場で人前に出られる身分でもなく、ほとんど裏方仕事に回されてばかりだったが。
慣れない服ということもあって、着られているような思いが、これからの会談にたいする緊張の念を助長してくる。
そんな彼女に気遣うように、案内係は「いつでもお声がけください」と声をかけた。
仕事柄、こういう客の応対は慣れているのだろう。リズは、気遣われる自分を情けなく思うことはなかったが、あまり待たせては悪いとは思った。
そして……どっしりとした質感のあるドアの向こうに、どういう人物が待っているのか。彼女はそのことを思った。
おそらく、マルシエル議会の中でも、国際関係か諜報に明るい人物のお目に留まった……ということだろうが。
いずれにせよ、立場のある人物が待っているものと思われる。リズは軽く深呼吸をし、気持ちを落ち着けた後、案内係に小さくうなずいた。それを受け、係の手がドアを開いていく。
会談の場は、やはり板張りの部屋であった。そこそこの広さがある部屋の中央に、数人がけ程度の円卓。部屋を覆う白木の板には、暖色系の明かりが差し、柔らかな印象の空間となっている。
肝心なのは、待っていた人物だ。円卓の奥側には三名が並んで座っている。
すると、中央に座っていた人物が動き出した。人が良さそうな印象を与える、小柄な中年女性だ。体格の割に、リズとさほど背が変わらないように見えるのは……履物のおかげだろう。
おそらく、この女性が、今回の会談の場を設けた主役だ。そのように考え、リズは柔和な態度を保ちつつ、緊張で少し身構えた。
席に着いている二人も気にかかるところ。さり気なく目を向けると、渋い顔の中年男性と、やり手の若手といった感じの男性が座っている。どちらも落ち着いたもので、付き添いの同席者という印象だ。
瞬時の一瞥の後、リズは改めて例の女性の方に注意を向けた。
間近に立ってみると、背はともかくとして、やはり小柄に感じられる。目を惹くような容姿ではない。
しかし、温和に見える雰囲気の中に、なんとも言えない圧がある。エネルギッシュとでも言うべきか。それは、リズに寄せる何らかの感情から来るようにも感じ取れ――
「ようこそ、マルシエルへ! お会いできて光栄ですわ」
品のいいこの女性は、親しみを込めてそう言った。そして、手を差し出す彼女の口から、何者かが語られる。
「マルシエル議会、議長のマリア・アルヴァレスです」
マルシエルという国において、最高の意思決定機関は議会である。
リズの目の前にいる女性は、その長である。
つまり、一国――それも、大列強国――のトップである。
さすがのリズも、思考が一瞬固まった。
予想を超える事態に戸惑うも、体はどうにか握手に応じてくれたが。




