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第131話 新天地

 次なる海戦の可能性は低いというリズの見立て通り、航海は特に何事もなく進んだ。

 やや反抗的な船員が数人、いるにはいるが、次第に渋々ながらリズを認めつつあるようではあった。時に嫌味が口から出ることはあっても、口論に至るほどではない。

 他の船員たちは、そうした一幕に気を揉むようであったが。


 そうして大過なく船は海を進んでいき……多島海の入口へと到達した。目的地までの航路の最終段階である。

 点々とする小島程度しかなかった大海原から打って変わって、人類の生活圏へと突入した感をリズは覚えた。大洋への航海に適さない、喫水が浅い舟が、いくつもの島々を自由に行き交っている。

 島の間の交易や輸送に加え、漁も盛んなようだ。網や竿で仕事に勤しむ漁師がたびたび視界に。

 そうした光景を眺めるリズに、船員が――


「さすがに、船長みたいな人はいないッスね」


「そりゃーなあ」


 生身で大魚と格闘しに行く者は、さすがにいない。

 この、特別な船長の周りで、船員たちは笑顔を見せた。どこか誇らしげでさえある。

 もっとも……笑いが済むと、かえって少し湿っぽい空気になってしまうのだが。

 目的地に近づくということは、つまりそういうことである。


 やがて、その目的地が間近に迫ってきた。マスト上の見張りが、大声を上げる。


「マルシエル旗を確認! 玄関島です!」



 大魔王ロドキエルを大英雄ラヴェリアが撃ち滅ぼし、人の世が訪れた頃の事。人々は、海を越えての(つな)がりを求め、大海原へと進出していった。

 しかし、長きにわたる魔族との大乱により、多くの技術が失伝していた時代である。現在のように確立された航海技術などは、望むべくもない。

 そんな時代において、未踏破のルートを先回りし確保するという難事業には、多大な可能性と価値にリスクも付きまとった。


 そこで、世界の四大大陸の中ほどに、中継として程よい多島海があると知れれば、その島々が賑わうのは必然であった。つかの間の休息、船の修理、航路の情報交換等々……

 島々は船乗りや貿易商たちにとって欠かせない、一時的な拠点となった。


 こうした流れの中、島々の中では独特の習慣が始まった。

 互助的な供託金制度である。

 あらかじめ会費を支払っておくことで、もしもの時、被害に応じた金額が支払われるというものだ。

 不慮の事態への備えにと、商人たちや船長等が投じ始めた保険金が集まり、実に多大な額となった。

 それだけ、この島々が貿易の中心になりつつあり、ここを中心に大金が動いていたというわけだ。

 自らの窮地に備えるためだけでなく、危難に遭った同業者を助けようという風潮もあった。

 同じ貿易商といっても、扱う品と送り先が完全に一致する、本当に食い合う相手はめったにいない。多くは、リスクを負ってでも果敢に挑む、協力すべき同志であったのだ。


 うずたかく積み上がった保険金の山は、当然のことながら、まっとうに管理する必要がある。

 そこで、信頼のある大商会が持ち回りで管理・監査する流れとなり……自然と、それ専用の組合が発足し、徐々に形を整えていった。


 やがて、航海技術の発達と確立に伴って海難事故が激減し始めると、保険金がかなりダブつき始めた。

 もともと余り気味ではあった。商人同士の助け合いのための基金が、たびたびショートするようではメンツに関わる。先見性のない連中と笑われるわけには……そういう体裁もあったのだ。

 明らかに余り始めた保険金だが、同業者への援助という側面に加えて互いの目もある中、意地を張り合う寄付金という性質も帯びている。


 ある時、そうした資金を遊ばせるのではなく、また別の動きが始まった。

 単なる保険制度ではなく、この資金を運用し、事業による運用益を出資者に還元しようというのだ。

 すると、この噂を聞きつけ、出資を募ろうという海千山千の野心家たちが、島々に集まってきた。

 こうして、船乗りと貿易商のための一時拠点だった島々には、ここで働くための人がさらに集まり始め、慣行だったもののルール化、成文化が行われ、寄り合い所帯の基金で各種インフラも整えられ――


 いつしか、多島海でも中心にある島々は、国と呼ばれるに至った。



 船が進むにつれ、前方の島の様子がリズの目にも見えるようになってきた。

 海洋国家マルシエルの島々は、外部に玄関島と呼ばれるものがある。島々の外層にあたるいくつかの島が、外洋とのやり取りを行う、文字通りの玄関口となるのだ。

 その玄関島へと案内するため、リズたちの船へと小舟が近づいてきた。


 潮風にたなびくその旗は、マルシエル国旗だ。黄色の円を中心に、両側へ細い黄色の線が伸び、残った部分を鮮やかな水色が塗り潰している。

 黄色の円は、上品な解釈では、海に浮かび上がる太陽を示しているという。

 ただ、より一般的には、単に金貨と思われているが。


 ここまでは軍艦と商船に先行し、盾となる形で航行してきたリズたちの船だが、マルシエル領海付近で軍艦と入れ替わっている。

 そのため、先方との応対は軍に任せる流れだ。

 あの艦長が悪いようにするとは考えにくいが……やはり、裁きを待つ身として、感じるものはあるのだろう。多くの船員たちが、不安げな様子で、軍艦の方を見つめている。

 彼らに対し、リズは何か言うべきとは思ったが、そのための言葉には迷った。何を言っても、結局は他人事でしかないのではないか。

 仲間たちも、さすがに思うところはあるのか、彼女や船員たちに気遣わしい目を向けている。

 しかし、そう言った態度を示しはしても、リズへ助け船を出そうということはない。

 これを彼女は、不干渉や無責任ではなく、信頼と受け取った。


 船長には船長の務めがあるのだ。


 軍艦と案内船のやり取りが終わったらしく、案内船が三隻の前に回っていく。

 と同時に、リズの船に同乗する海兵から連絡があった。


「この船含め、先方は歓迎するとのこと。正式に入港できます」


「停泊ではなく?」


「はい」


 沖に泊めたまま、ボートで人員のやり取りをするものと思っていたリズだが、先方は懐を開けてくれるというのだ。

 おそらく、艦長の口利きであろう。ここまでの管理・統制が評価され、元海賊船でも港に入れることに問題はないと判断されたのだ。


「入港後の動きについては、また追々となりますが……いささか、不自由な思いをさせてしまうものと思われます」


「いえ、それはあらかじめ了解しております。お気遣いなく」


 ここまで軍事行動に首を突っ込んでおいて、一抜けたもない話である。

 それに、できればこの船を、なし崩し的に手中へと収めたいところ。多少の面倒は、むしろ然るべき必要経費であった。

 果たすべき責任というものもある。


 徐々に港が近づき、その責任を果たすべき時も近づいてきた。

 マルシエルの港町は、やたら白い壁と屋根の建物が立ち並ぶ。遠目に見ても活気があり、実に明るい街がそこにある。


 一方……振り向いたリズの視界には、あまり明るくない顔ぶれが。

 これからに対し、不満があるという顔ではない。ただただ暗いだけだ。

 入港すれば、後は先方に従っての作業が始まる。全員に何か言うなら、このタイミングしかない。

 同乗する海兵たちに、リズは暇乞(いとまご)いを請願した。これに彼らは、一もニもなく了承。

 あらためて、彼女は一同に向き直り……少し悩んだ後、口を開いた。


「たいしたことは言えないんだけど……ここまでありがとう。短い間だったけど、色々と楽しかったわ。この船のクルーが、あなたたちでよかった」


 この言葉に対し、反抗的なグループも、どこか神妙な顔つきでいる。他の面々は言うに及ばず。

 少しの間沈黙が流れ……やがて、少しずつ感情が綻んでいく。すすり泣く青年たちが、口々に言葉を発した。


「せ、船長……ありがとうございました!」


「オレも、楽しかったっス!」


「一生分笑いました!」


「一生って、あなたねえ……」


 大げさに言う一人に、思わず呆れたような目を向けたリズだが……確かなことは言えない。

 本当に、そういう人生なのかもしれないのだ。

 それでも彼女は、船員たちを見回した後に、はっきりと告げた。


「お勤めが終わった後も、笑って生きてほしいと思うわ。マルシエルのことだから、きっと人道的に扱ってくれるはず。苦労はするでしょうけど……あなたたちが幸せになっていけないだなんて、そんなことはないわ」


 一同の前途を祈って口にした後、彼女はひとりひとりと握手を始めた。

 もちろん、反発的だった連中とも。さすがに、彼らも普段の態度は鳴りを潜めている。

 一番の厄介者も、今はかなり控えめだ。ニールに手を差し伸べ、リズはニコリと笑った。


「退屈はしなかったんじゃない?」


「アンタ、口はお上手だからな」


「口が減らない奴ね……でも、私も楽しかったわ。言い争うの、別にそんなに嫌いじゃないもの」


 この言葉を、彼は強がりとは受け取らなかったようだ。少しつまらなさそうに鼻で笑うも、握手には素直に応じてくる。

 そこでリズは……ふと、悪い虫が騒いだ。ここまでのちょっとしたお礼にと、少し強めに力を込めていく。


「んあ?! な、なにしやがる!」


「これぐらい、あのお魚さんは耐えたわよ?」


「知るか! バカじゃねえの!?」


 握られた手をリズから隠すように(いたわ)る彼に、周囲がちょっとした笑い声を向ける。嘲笑ではなく、普通の笑いを。

 なんだかんたで、彼もまた、船乗りたちのムードメーカーに近いものだったのだろう。

 前任の船長には逆らえなかっただろうが……皆が吐き出せない心のモヤモヤを、彼は陰ながら言語化して代弁し、思いを共有していたのではないか。

 これまでの短い付き合いから、リズはそのような解釈に至った。


 それも、もうじき終わりを迎える。


 軍艦が入港し、係留等の諸作業が完全に終了すると、いよいよリズたちの船の番となった。

 ここでコトが生じては大問題だが……船乗りたちは、船長たるリズでも声をかけづらいほどの真剣さを以って、作業をこなしていく。


 事情を知る者には一抹の不安があったかもしれないが、船は平穏無事に、収まるべきところへ収まった。

 桟橋にタラップがかかると、まずは軍艦に乗っていた海兵たちが乗り込んできた。

 慣習上、船乗りたちはマルシエルの法が裁くことになる。その引き渡しまでは、正規の軍であるルグラード側が担おうというのだ。

 ただ、この船乗りたちは悪事の片棒を担がされていた――そういう理解や認識があるらしく、軍人たちは手荒なことはせず、粛々と作業を取り組んでいる。

 縄をかけられる船乗りたちも、これを黙して受け入れる姿勢だ。ことあるごとに皮肉を言ってきた数名も同様。


 そうして船乗りたちは……最後かもしれない対面の中、リズに精いっぱいの笑みを向けてきた。

 いたたまれない思いに心を動かされる彼女は、せめてもの返礼にと、彼らに対して微笑みかけた。

 静かに引き渡され、マルシエル側の官吏が先導する形で、ぞろぞろと連行されていく船乗りたち。


 彼らをひとしきり見送った後、リズは船内に振り向いて声をかけた。


「私たちも降りましょうか」


「そうですね。検分の邪魔になるかもですし」


 実際、船乗りたちと入れ替わる形で、現地の役人らしき面々が船に近づいてくるところだ。

 危険物がないことは確認済みだが、海賊船だった船には違いない。これから、形式通りの点検等を始めることになる。

 そこでリズたちは、海兵の案内に従って船を降り始めた。その中で、周囲には聞こえない程度の小声で、海兵たちから――


「ご立派でした」


「お任せして正解でした」


「それは、その……ありがとうございます」


 本物の海の男たちから褒められるとは思わず、リズは少し驚き、通り一遍の返事しか返せない。

 そんな彼女の背を、マルクが軽く小突く。


「降りても船長だろ。しっかり」


「……そうね」


 しっかり者の仲間に促され、リズは胸を張って前を向いた。

 船を引き渡すまでは、彼女が船長なのだ。


 桟橋を歩き、港湾に足を踏み入れる一行を、艦長と現地役人たちが出迎えた。

 マルシエルは常夏の国であり、国民の衣装にそれが反映されている。服は薄手で、露出は少なくゆったり目。ともすればルーズに見える装いを、帯や紐でまとめるのがマルシエル流だ。

 日に焼けた褐色肌の役人たちが、リズたちに頭を下げた。これに彼女らも返礼し、続いて艦長から(ねぎら)いの言葉が。


「ここまでお疲れさまでした。ご手腕のおかげで、彼らも問題なくまとまってくれたようです」


「いえ……ご協力してくださった海兵の皆様のお力あってのことです」


 あまり持ち上げるのはイヤらしいかと思いつつ、リズは言った。

 実際、軍の側との連絡等、色々と取り持ってくれて感謝しているのは事実だ。

 続いて、話はこれからの流れに。


……という矢先、港湾に集まる一行の下へ、別の者が数人近づいてきた。

 南国という土地柄、そちらも港湾の役人同様に軽やかな装いだが、より仕立てのいい服には、ちょっとした装飾も見られる。

 おそらく、高級官僚であろう。港の役人たちは、接近してくる数人を、恭しい態度で迎えた。


(港よりも上の方々ってことね)


 おそらくは法務関係。さもなくば軍務か通商の高級官僚であろう。

 リズはそのように考えていたのだが……その、いずれでもなかった。

 やってきた彼らに、港の役人たちが自然と道を開ける。一行はリズたちのすぐ前へ。やはり、彼女らに用があるのだろう。

 礼節ある態度で迎えられた彼らは、リズたちに折り目正しい態度で接してきた。


「ようこそ、マルシエルへ。ご高名はかねがね」


 どうとでも取れる言葉だった。今回の、この海賊船拿捕(だほ)を指しているのかもしれないし、さらにその前、ハーディンクの件を指すものかも。

 あるいは――ラヴェリア的な意味での、国賊(・・)を指してのものであれば、リズとしてはある意味爆笑モノだが……

 先方の意図が読めない以上、彼女は下手なことを言わず、ただ「恐縮です」と返した。

 一方、彼らは柔和な笑みを(たた)えたまま、言葉を続けていく。


「マルシエル議会からあなた様に、会談の要請に参りました。よろしければ、ご同行願えますでしょうか」

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