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第129話 船長のお仕事③

 大魚を獲ったその夜。

 甲板からマストまで、魔道具の明かりが柔らかく包み込む中、リズと船員一同は夜釣りの準備を進めていた。

 今夜の狙いは、あの大魚が捕食するという小魚。尾部の光を目印に群れを成すという、その魚の性質を用い、光で誘い出そうというのだ。

 ただ、実際に釣り上げるとなると、さらに多少の工夫が必要となる。


「エサはどうするの?」とリズが尋ねると、今までよりも陽気になった船乗りから、「へい、お待ちを!」との返答。

 彼らは、傍目には料理しているようにも映る。船に常備してある乾物の一つ、ジャーキーを細切りにしているのだ。

 細長く切り終えた肉片は、海水を張った大きなボウルの中へ。少し時間を置くと、ふやけてしなやかな肉片となる。

 そうした一本を取り上げ、船乗りが言った。


「海にも、こんな見た目の……いわゆるワームってのがおりまして。これをエサにするって寸法でさあ」


「そ、そう」


 本物のエサに見立て、肉片をそれらしく指で動かして見せる船員に、リズは少し気後れする思いを(いだ)いた。

 あまり物怖じすることのない彼女だが、小虫などはどうも苦手である。これも、そういうものから遠ざけられていた、王宮暮らしによるものだろうか。

 同乗する数少ない女性の一人、ニコレッタも同様に、ワームもどきには苦手意識があるらしい。無言で寄り添い合い、ワームと少し距離を取ろうとする彼女らを、船乗りたちは快活に笑った。


 エサの量産が進む中、別の準備も進行している。船乗りたちが、甲板の縁に沿うように適当な木箱やタルをずらりと並べていく。これらに座って釣りをしようというのだ。

 波は実に穏やかで、(あお)られて飛び込んでしまう懸念はない。

 こうした座席の一つに座ったリズに、釣り竿が一つ手渡された。竿本体に、糸巻きを流用したと思われるリールがついた、ごくシンプルな品である。

 釣り糸の先端には針がついている。夜闇の中、船からの光を受けて針がキラリ。


 エサをつけるのはセルフサービスだ。


 気の進まなさが顔に表れて渋くなる彼女の傍ら、同じ木箱に座るアクセルが笑顔で言った。


「エサ、僕がつけましょうか?」


「……お願いしたいな~、なんて」


「でも、エサを自分でつけるのも、釣りの一部ですよ?」


 少し意地悪に笑って言う彼に、「いい性格ですこと」とリズは苦笑いした。

 二人の間には、海水を張った木製の小鉢。布を滑り止めに敷いた小鉢の中、例の肉片が――


「ちょ、ちょっと。動いてない?」


「船の揺れがありますし」


「これ、本物じゃないでしょうね……コッソリ混ぜたとか」


「そう見えるってことは、魚も食いつきますよ」


 言われてみれば、ではある。魚が普段食べているという、海のワームに見立てて、このエサをわざわざ用意しているのだから。

 とはいえ、エサとしての有用性は認めつつも、やはり生理的な抵抗感が邪魔する。

 そんな彼女が踏ん切りつかずにためらう前で、アクセルは「お先に失礼します」と朗らかに笑い、小鉢に指を突っ込んだ。迷いのない手つきでエサをつまみ、針を通して竿を振る。

 流れるような一連の所作に手慣れ感を覚え、リズは尋ねた。


「釣りが趣味だったの?」


「趣味って程でもありませんが……」


 彼は苦笑いして続けた。「釣りが趣味の方って、結構多いので」

 つまり、そういう趣味人たちと付き合うために覚えたのだろう。彼の前職を思い、リズは合点した。

「でも、海釣りは初めてですね」と、今の彼は楽しそうであり、話題で暗くなる様子はなかったが。

 他の面々も、次々と竿を海に垂らしている。


 場の空気に少し急かされるものを覚えたリズは、覚悟を決めた。目を細めて小鉢に指を。恐る恐るまさぐり、それらしい何かに指が触れると、彼女は体を少し震わせた。


「やっぱり、僕がやりましょうか?」


 細めた視界の外の闇から、なんとも心配そうな声が飛んでくる。

 しかし……この程度のことで気を遣わせるのも恥ずかしく覚え、リズは首を横に振った。


「大丈夫。どうにかするわ」


 ついにワームもどきをつまみ上げ、震える指先とともにプルプルするそれに、針を通していく。

 そして、釣り竿を振ってエサを海の闇に放り込んだ彼女は、横髪をかきあげて言った。


「せいせいするわ」


「プッ!」


 強がる彼女をアクセルが笑ったが、彼が楽しんでいるようで、リズとしては何よりであった。

 海上の戦闘では、どうしてもアクセルの出番が少なくなる可能性が高い。彼自身、そのことを気にかける部分はあることだろう。

 そんな心のつっかえを、こういうことで解消できれば――彼に向けた微笑の裏で、リズはそのようなことを思った。


 釣り竿を海に垂らしてから、彼女らは誘導灯を展開していった。垂らした釣り糸に沿うように、《霊光(スピライト)》を動かしていく。

 この魔法係は、リズと仲間たち三人に、同乗する海兵たちだ。

 他の船乗りたちは、いずれも魔法を使えない。だからこそ、あの大男たちが尻の下に敷いていたのだろうが。

 魔法の覚えがある者にとっては、たかだか基礎の基礎に過ぎない《霊光》だが、船乗りたちは魔法の輝きに目を輝かせた。リズたちの近くにいる者も同様である。


 彼らにも教えてあげようか……そんな提案が脳裏をかすめ、しかし、彼女は口に出すのを自制した。

 陸に着いた後、彼らの処遇がどうなるかはわからない。それまでに、魔法をきちんと使えるようになる確証もない。

 そもそも、これから司法の手に引き渡そうという面々に対し、引き渡しを前にして魔法を覚えさせるのもまずかろう。船を委任してくれた艦長たちへの面目もある。

 興味を注いでくれる周りの船乗りたちに、少し申し訳ないものを覚えつつ、リズは言った。


「たくさん釣れるといいわね」


 新船長の優しい声かけに、近くの船乗りたちは明るい口調で答えていく。


「そっスね!」


「なんだったら、俺らがいっぱい釣りますよ! 船長、こういうの苦手そうなんで!」


「……まあ、そうね、うん。頼もしいわ。ありがとう」


 小鉢の中でうごめく肉片のことを思い、リズは力のない言葉を返した。


 釣りが始まって少しすると、すぐに良好な反応があった。一人が一匹釣り上げ、また一人。次々と釣果が上がり、海水を張った金タライへと魚が入れ込まれる音が、甲板のそこかしこで生じている。

 リズたちのグループでも、一匹目が釣り上がった。船乗りが釣ったその一匹に、リズは目を向けた。


 小魚という話ではあったが、それはあの大魚との比較なのだろう。タライの中で泳ぐそれは、成熟した川魚程度の大きさがある。

 そして、尾びれの付け根あたりが確かに光を放っている。夜の海の中では、頼りない光でしかないことだろうが……お互いの光に惹かれ合い、群れを成すという話だ。寄り集まれば相応の光量となろう。

 初めて見る生き物の生態に、自然が織りなす豊かな創意工夫と営為を思い、リズは嘆息した。


 その後、彼女の周囲で次々に釣果が上がり、ついに彼女にもその時が。釣り竿がグイっと大きくしなり、海へと引き寄せられる力がかかる。

 相手はしっかり食いついているようだ。その手ごたえに少し頬を緩ませ、彼女は巻き上げにかかった。

 すると、他と同じように、尾部から光を放つ魚の姿が。

 ワームはともかく、魚はどうということはない。料理でも慣れている彼女は、針から外してタライの中へと放した。

 さて……では、次である。


「やっぱり、やりましょうか?」


「……こういうことを任せちゃうのも、なんだか情けないじゃない」


 リズは再び目を細め、小鉢の中を指で探った。


 それからしばらくして……ある程度まとまった量の魚が釣れてきたところで、調理部隊が動きを始めた。

 この動きを見逃さなかったリズが、すかさず食いつきを見せる。


「あっちに混ざってきていい? 釣るよりは得意だし……」


「どうぞ。船長の分まで釣っておきますよ」


 アクセルが明るい口調で請け負うも、周囲の船乗りたちは、どことなく複雑な表情を見せた。


「どうかしたの?」


「いや、船長に料理させちまうのは、何か悪いなって思いまして」


「そっスよ」


「……フフッ。私があっちを手伝った方が、もっとおいしく感じられるんじゃない?」


 別に、リズの手料理というわけでもないのだが……この提案を、男たちは素直に受け入れた。

「味わって食います」などと、神妙な顔で口にする彼らを背に、リズは調理部隊の方へと歩んでいく。


 甲板中央で料理している者たちは、石のブロックや鉄板を組上げている。火による船体へのダメージを抑えるためのものだ。

 こうした簡易的な調理場の中、焼き物、煮物が同時進行で進んでいく。串に刺した焼き魚、適当な大きさの切り身が沈むスープ。そして……


「これも、生で食べるの?」


「イケますよ」


 調理中のニコレッタがニッコリとして言った。

 彼女が作業するボウルの中に入っているのは、細かく刻んだ魚肉と、各種の調味料。ペーストまではいかない程度に素材感を残しつつ、すりこぎで練り合わせていく。


「これを、ビスケットの上に乗せるんです」


「なるほどね。あの、味気なくて硬いヤツに」


「結構印象変わりますよ」


 さっそく一枚がリズに手渡された。スプーンで小さく盛った魚肉ごと、口の中へ。不思議と、抵抗感はすでになく……


「なるほど。いいじゃない」


「でしょお?」


 料理の腕には自信があるリズだが、生食においては分が悪い。この件に関し、どこか得意げなニコレッタを前に、リズは割と心地よい敗北感を味わった。

 この調理法は、他の船乗りたちにとってもなじみあるようだ。


「酒のアテによくって」


「そうそう」


「へえ~」


 とはいえ、船に酒は積まれていない。もともとは酒樽がいくつもあったのだが、「念のために」ということで接収されたのだ。

 残った船乗りたちは、かっくらうタイプでもないため、酒がなくても暴動にはならないが……

 事実上、刑務の先取りのような環境ではある。少しぐらいの飲酒が許されないのは、窮屈かもしれない。

 酒の味を知らないリズだが、彼らには少し同情する思いだった。言えば、また空気が沈むと思い、余計なことは口にしないでいたが。


 その後、リズも料理を手伝い、甲板には鼻腔をくすぐる匂いが漂い始めた。

 この状況でも釣りに集中するような者は少数派だ。多くの者が、食事の気配に気もそぞろになった中、リズは頃合いと見て呼びかけた。


「みんな、お疲れ様! そろそろ食事にしましょう!」


 この一声で、船乗りたちが動き出した。

 ただ、我先にと順番を取り合う流れとはならない。自然と列が出来上がり、静かに自分の番を待つ形に。

 これに、マルクとアクセル、それに海兵たちは驚いた。彼らは互いに顔を見合わせた後……船乗りたちの作法に倣い、列の最後尾へ。


「いや、皆さんは別に並ばんでも……」


「とは言ってもなぁ……」


 声をかけられたマルクが苦笑いし、海兵たちが口を挟む。


「諸君に、ガラの悪い兵がいると笑われても困るのでね」


「そういうことだ。割り込もうものなら、後で上官にどやされてしまうよ」


 と口にする彼らは、どこか楽しそうでもある。

 結局、船乗りたちは最後尾の彼らに、それ以上何も言わなくなった。

 そうした和やかで落ち着いた雰囲気の中、配膳係の一員であるリズは、数人の船員に視線を向けた。ニールをはじめとする、反抗的態度の目立つ者たちである。

 彼らは、立場が強い者たちが権威を濫用しなかったことに、呆気に取られているようだ。

 仮に、割り込みをかけるようでは、後でネチネチとお小言をいただいていたかもしれない。彼らの思惑(・・)通りに事が運ばなかったのは、リズにとって幸いであった。


 とはいえ……船長自ら配膳するというのは、やはり色々と問題があるようで。

 料理よそって渡すだけだというのに、目の前の船乗りは恐縮で身を強張(こわば)らせている。


「そんなに怖がらなくっても。ほら、味わって食べてね」


「はっ、はい!」


 最初の一人に続き、やはり恐縮した様子の青年が前に。一声かけて料理を手渡し、リズは少しずつ列を消化していった。

 恐れ多いという感はあるようだが、同時に感謝されてもいる。配膳というちょっとした作業に、彼女は少し心地よいものを感じた。


 メイドの頃は、給仕対象の目に入るところで、食事に関わったことはない。

 なぜなら、彼女に流れる血の半分は王族、もう半分は下賎のものだからだ。いずれにしても近づきがたい、貴さと卑しさ入り混じるその手が触れる料理など、彼女を知る要人が口にできるはずもない。

 それに比べると、今夜の配膳は、ずいぶんと血が通った経験だ。


 少し離れたところでは、食事しつつ感涙でむせび泣く声も聞こえる。

 船長が変わったこと以外にも、料理で故郷を思い出してそうなっている者もいるようだ。

 期せずして湿っぽくなっている空気に、なんとも言えないものを覚えたリズは、あえて快活に声を掛けた。


「あんまり泣くとしょっぱくなるわよ!」


 大声で言ってやると、船乗りたちの多くが笑った。

 もしかすると、他人事ではないかもしれない彼らが。

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