第128話 船長のお仕事②
船員たちの注目が集まる中、リズは水中に潜っていった。
(光に惹かれるって話だったけど……)
漁に詳しい彼の話では、光る小魚が群れを成すという。群れ全体として放つ光量は、それなりのものがあるだろう。深い青が広がる海の中、控えめな光では飲み込まれそうでもある。
リズは試しに、思いっきり《霊光》を使ってみた。至近距離では目も眩む光が、海の中を割いて照らし出す。
しかし、これだけの光をもってしても、海の底は明らかにならない。
これほど深い水に触れたのは初めてで、この幻想的な空間に身を置いただけでも、海に飛び込むだけの価値はあったと彼女は思った。
後は、魚を獲ってやるだけである。
しかし……中々それらしい魚がやってこない。
一度浮上した彼女は、《遠話》で例の彼に尋ねてみた。
彼に言わせれば、件の小魚の群れを海上から見た時は、リズがやってみせたのと似たような光量だったとのこと。
つまり、疑似餌としてはちょうどいい塩梅になっているはず、ということだ。必要なのは、待つ辛抱強さと運である。
たびたび海上に顔を出しつつ、めげずに潜ってトライしていくリズ。
最初はレジャー気分が抜けなかったところもある彼女だが、真剣に取り組んでいくその姿に、船乗りたちも無言で熱意ある眼差しを注いだ。
そして……深い青色の闇の向こうに、リズは大きな気配を察知した。人よりもずっと大きい魔力の塊が、急速に接近してくる。
彼女は、自身から明かりを少し離し、その接近物に対して身構えた。
それは果たして、巨大な魚であった。成人を縦に二人並べ、それらを束ねたような巨体の持ち主である。
待ちかねた到来に、リズは勇んで組み付いた。光めがけて突進し、大口を開ける魚の口の端に彼女は指をかけ、もう一方の手は背びれに。
勢いが乗ったその魚に取り付くと、リズの全身を水の壁が勢いよく叩きつけてきた。振り落とされないよう、一層の力を込めてしがみつくと、大魚もさらなる力で抵抗する。
戦闘と呼べるほどの危険はないが、これはこれでハードな戦いではある。
一方で船上では、ちょっとした騒ぎになっていた。
なにしろ、見目麗しい少女が、傍から見れば大魚に襲われて振り回されてるのだ。
これには、反発的な船乗り数人も、目を丸くした。あのニールも、信じられないものを目の当たりにし、言葉を失って呆然としている。
結局のところ、リズたちが船を奪取したあの戦いにおいて、彼らは現場にいなかったのだ。今の船長がどれほどの者なのか、その一端を今になって見せつけられているのだ。
危険を顧みず、彼女は背の丈を大きく超える大魚と戦い続けた。海面近くで大魚が暴れ回り、水しぶきが舞い上がる。
その中で組み付く彼女の姿に不安を抑えきれなくなったのか、船乗りの一人がマルクに叫んだ。
「と、止めなくていいんですかい!?」
「うーん、いや、しかし……」
問われたマルクは、逆に戸惑った。そこへ、「まだ余裕ありそうですし」とニコレッタ。
「今のエリザベータさんが気にかけてるのって……たぶん、鮮度のこととかですよ」
実際、その通りであった。
(引き揚げてからシメるべきなのよね、きっと……)
この魚を仕留めることは、いくらでもできる。
しかし、殺してよいものかどうか、リズは迷った。やった瞬間、すぐに悪くなってしまうのではないか、と。損傷が少なく済みそうなのは《貫徹の矢》だが……
(魚の内臓に撃って効くものかしら? 肝があるのって、腹の方だと思うけど……)
狙うべき部位が不確かな上、そもそも暴れ回る魚に組み付いている。狙いをつけるのも少し難しい。
結局、彼女は魚が疲れ果てるまで、お付き合いすることにした。
そうして格闘が始まって数分後。ついに決着がついた。
「引き揚げるぞ~」
『どうぞ~』
息切れ一つない《遠話》からの声に、船乗りたちは巻き上げ機を動かし始めた。
ただ……ブツを船に寄せるまではリズの腕力でも可能だったが、船上まで持ち上げるのはさすがに困難だった。
結局、海中でロープを操り、魚を結束することに。作業が増える格好にはなったが、覚えた結索術が役立ち、リズは一人喜んだ。
大魚を縛り上げた後、改めて大の男が数人がかりでロープを巻き上げ――
ついに、大物が船上へと持ち上げられた。姿を現した戦果に歓声が上がる。
これを捕獲したリズも、畏敬の念を向けられるようになった。反発的だった数人のクルーも、一応は見直してくれたらしい。刺々しい態度が、いくらか和らいでいる。
場の空気に、リズ自身も気を良くし……自身で捕らえた大魚を前に、彼女は一瞬真顔になった。
「それで……どうやって食べましょうか」
全員で山分けしたとしても相当な量がある大魚だが、肝心の調理法に心当たりはない。メイド暮らしが長いリズだが、これほどの大物には縁がなかったのだ。
そこでニコレッタが、漁に詳しい青年に尋ねた。
「生食イケる魚ですか? さすがに、この量で加熱するのはシンドいですし」
「そっスね……臓物以外の身は生でも」
「おっ、いいですね!」
ニコレッタは顔を綻ばせたが……リズは少し戸惑い、聞き返した。
「生? 魚を?」
「ええ。生というか、お酢であえて塩と香草を振って。地元では、そうやって食べてました。酸っぱい果物ありますし、果汁足すのもいいですね」
「……世界って広いわ」
リズにとって、魚も肉も加熱して食べるものだった。そのように叩きこまれている。生食という文化があると、文献で読んだことはあるが、遠い世界のことと思っていた。
今の今までは。
「おいしいですよ?」と笑顔で返すニコレッタに、リズは微妙な顔で押し黙った。
とりあえず、悪くならないうちに捌こうということで、魚の解体が始まった。甲板の一角を占め、魚に覚えがある者たちが、そこそこの刃渡りがあるナイフで切り分けていく。
数人がかりということもあり、大魚は見る見るうちに姿を変えていった。
それなりに血を見る現場ではあるが、それで引いてしまうような者はいない。むしろ、魚をよく知る者たちの手際に、ギャラリーは魅了された。
解体作業と並行する形で調理も進む。鮮度が良い内にいただこうというわけだ。
切り分けたサクを、舟板としか言いようのないまな板の上でザク切りにし、やたら大きいボウルに切り身を投入。そこへ酢と塩、ハーブをふりかけ、柑橘を搾ってマリネしていく。
リズにとっては、初めて見る調理法だった。興味が無いこともないが……
(アレを食べるの?)
という思いも。
事態を真顔で静観するマルクとアクセルも、彼女と似たような心境なのか、顔が少し引きつっている。
しかし……少数派は、以上三名だ。海に慣れ親しんでいる大多数にとっては、むしろ日常の一部でしかないらしい。
場違いな困惑を見せるこの三人に、ニールら反抗的グループは、少し意地悪く笑っている。
これも土地の流儀かと思い、リズは内心で腹を括った。魚を確保した瞬間は、煮たり焼いたりするものと考えていたのだが……
やがて、功労者の下に一皿目が運ばれてきた。小さな小鉢の中では、とろみがある酢のソースが赤身にまとわりつき、日差しを受けてキラリときらめいている。脂が程よくのった魚だったのだろう。
持ってきたニコレッタは、なおもまごつきを見せる三人に「毒なんてありませんよ」と笑い、一切れ串に刺して口へ放り込んだ。
「そういうことを疑うわけじゃないけどね……生は初めてなのよ」
「何事も経験ですって」
「はいはい……」
食糧事情において、船員を差し置いて自分だけいいものを食べるのも……などと考えていたリズだが、何やら色々と逆転した感がある。
仲間入りを果たすため、彼女は目をつむり、一つ目を口に入れた。
「どうです?」
「……中々、イケるわね。なんか、こう……モッチリしてる。クセがあるけど、お酢で締まってるし……食感と味わいが楽しいわね」
「でしょう?」
得意げに笑うニコレッタ。男二人も興味を惹かれたのか、自分の分まで待つことなく、リズの皿からとりあえず一口。
結果、全員が生食文化というものの価値を認めた。
解体と調理担当によれば、かなり良い魚だったという大魚は、全員で堪能しても十分に残りが生じた。
そこで、せっかくだから社会貢献の一環ということで、残りを軍艦と商船へのおすそ分けとすることに。リズの提案に、船乗りたちは快く応じた。どうせ、食べきれないのなら、と。
食糧の備えがあった相手の二隻も、やはり生鮮とはあまり縁がない。それに、鮮度のいい海産物には目がないようで、この贈り物は大いに喜ばれた。
こうして、大成功のうちに終わった昼食会だが、リズには次の考えがあった。
「ちょっといい?」
「はっ、はい! なんスか!?」
魚のことを教えてくれた彼が、朝よりもずっと晴れがましい顔で反応した。この変わりように、嬉しくなって含み笑いを漏らしつつ、彼女は続けた。
「あの大魚って、お尻が光る小魚を食べてるんでしょ? それで、その小魚っていうのは、夜に活動するって話じゃない」
「そっスね。なんで、そっちは夜釣りで獲ってます」
「だったら、今夜みんなで釣りましょうよ」




